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    はるち

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    はるち

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    涙についてのいくつかの掌編詰め合わせ。

    なかない君と飛べない龍に泣いてはだめ。泣いたら人間になってしまう。動いたら人間になってしまう。見られるためだけの眼でものを見たら、朱いだけの唇で喋ったら、細いだけの足で歩いたら、からっぽなだけの心で考えたら、お人形には、二度と、戻れなくなってしまう。
    引用:川野芽生「人形街」

    「泣いている子供には、どう反応すればいいんだっけ?」

    薄氷のように青い髪と薄桃色の瞳を持つ少年が、あどけなくそう問いかけたのは、重岳が少女を送り届けた後だった。
    ロドスは広い。この艦にやってきてからしばらく経つ重岳でさえ、馴染みのないエリアに来れば案内なしでは歩けない。来てすぐの時は、姉妹たちの先導なしにはどこにも行けなかったものだ。
    だから治療のためにここに来たという少女は、親とはぐれて、迷子になったのだという。
    重岳が見つけたのは、薄暗い廊下の影で座り込んで泣きじゃくっている少女と、それを遠巻きに眺めている少年だった。
    「そうさな」
    どうした、喧嘩でもしたのか――と二人にそれぞれ話しかけた重岳は、なんとか少女から事情を聞き出すことに成功した。
    泣いている子供の相手をするのは、実のところ初めてではない。玉門にいたころは、様々な理由で戦場で子供と出会うこともあったし――あのチューバイでさえ、昔はよく子供だったのだから。
    「そう難しいことではない。目線を合わせて、優しく話しかけてやればいい」
    大の男が突然話しかけたことに、初めこそ少女は怯えていた。しかし語りかけている内に、その警戒心も緩んだ。肩車をして艦内を歩いていたらときには、年相応の無邪気さを取り戻していたし――重岳の背の高さは、同じように少女を探していた親にとって、良い目印だった。
    ありがとう、ばいばい、またね――と少女は笑顔で手を振って去っていき、後には重岳と少年――ミヅキが残された。
    聞けば少年もただの通りすがりなのだという。初めに邪推したように、少年と少女が喧嘩をしていたわけでもない。そもそも初対面だ。ならば、着いてくる理由も本来はなく――それでも数歩後ろに続くのは、彼なりに責任を感じているからなのだ、と重岳は思っていたが。
    重岳に向けられた質問には、例えば泣いている少女を慰めることも宥めることもできなかった責任や無力感というものは、まるでなかった。
    テストにおける模範解答を確かめるような、無機質さと――真新しい生き物の生態を確かめるような、無邪気さだけがある。
    重岳は改めて、少年を見た。
    「じゃあ」
    ロドスは非常に稀有な組織だった。ニェンとシー、あのリィンでさえ長く居着く理由がよくわかる。歳の代理人だけでなく――何せ自分たち以外の巨獣の化身さえいる――深海の狩人も、深海の生物さえも許容するのだから。
    感染者も非感染者も、人間も人外も、平等に、分け隔てなく受け入れる。
    彼らは何も差別しない。
    けれど。
    「お兄さんも、泣いたことはあるの?」
    自分と彼は、人外と人間の、一体どちらに区分されるのだろう。

    ***

    「あるわけがないだろう――泣いて問題が解決するのか?」

    返答と共に叩き込まれた拳は、骨まで軋ませるような一撃だった。
    本艦にいる間は、ドクターに頼まれて秘書をしたり若いオペレーター達の訓練をしたりとそれなりに仕事があるが、絶えず働き詰めという訳でもない。とはいえ重岳の場合、空いた時間ができたところで――やることは武芸の鍛錬なのだが。
    トレーニング室を覗いたところ、そこには先客がいた。サリアだ。互いに知らない仲ではない。何度か同じ隊に編成され、背中を任せたことも、死線を潜ったこともある。
    せっかくだから組み手をやらないか――という重岳の提案を、サリアは二つ返事で了承した。
    交わす拳の合間に投げられた、もう一つの質問――貴公は泣いたことはあるか、という問い――については、色の良い返事とはいかなかったが。
    にべも無く両断された。一笑に付すでもなく、生真面目に答える姿勢は、彼女らしいものだったが。
    だからこそ、あの日少年に尋ねられてから、ずっと心の片隅を占めている質問を、彼女にしようと思ったのだろう。
    「だろうな」
    重岳は苦笑するが、穏やかな会話の合間にも組み手の勢いは削がれない。重岳の拳をサリアが躱し、サリアの蹴りを重岳がいなす。
    ロドスに来てから、幾人ものオペレーターと、こうして手合わせをしてきたが――その中でも、サリアとの鍛錬は、重岳にとって新鮮なものがあった。
    武の道を行くものは、武を極めることを目標とする。そして、強者との手合わせを好む傾向がある。弟子であるチューバイもそうであるし、ロドスにおいてはstormeyeという青年がそうだろう。重岳自身がそうだからだろう。周りには自然と、そうした人間が多く集まった。
    しかしサリアは違う。
    彼女にとってはアーツも、盾も、武力も、武芸も、手段でしかないのだ。
    強くあるための。
    だから。
    そんなことをしても問題は解決しないのだから、涙など流さない、というのは。
    彼女らしい、強靭で高潔な答えだった。
    いっそ、非人間的なほどに。
    「だが――」
    サリアが目を伏せた。それを隙と取った重岳が攻勢をかける。しかし先に一撃が届いたのはサリアの方だった。
    重岳は体勢を崩す。足払い――しかし払ったのは、サリアの脚ではない。ヴィーヴルの尾だ。彼女の両足は床に着いており――だからこそ全体重を乗せての正拳突きができる。
    「……っ!」
    揺らいだ体勢、前に傾いだ顔面への一撃は、間違いなく一撃必殺の威力だった――命中していれば、の話ではあるが。
    サリアが拳を止めたのは、視覚の外から飛来した刃――それを同じ鋭さを持つ重岳の尾が、サリアの眼を潰さんばかりの勢いで迫っていたからだ。
    この身は逍遥自在なれば。
    尾を使うことを――卑怯などとは言うまい。
    「……だが?」
    重岳は静かに問う。もう決着はついたと、拳を下ろしたサリアは言った。
    「涙を流すことは――、弱さなのだろうか」

    ***

    「いや、そんなわけないだろ。強いとか弱いとか関係ないよ。涙っていうのは、人体に備わっている生理的な機能の一種なんだから」

    パソコンのモニターから一度も目を離さずに、耳と言葉だけを重岳の方へと向けて、ドクターは言った。その間にもキーボードを打つ手は止まらない。戦車が進行するように殺人的な勢いで、何かしらの文言を入力していた。ドクターの仕事が忙しいのはいつものことであり、秘書として配属されている重岳としても手伝いたいのはやまやまなのだが、いかんせん機械類の扱いとなると彼の守備範囲外だった。結果として重岳は、努めて邪魔にならないように、書類の整理を執務室の端で行っていた。
    だから泣くのは弱さなのだろうか――というのはあくまで独り言であり、返答を期待してのものではなかったのだが。
    ドクターは、どんな状況下でも部下思いだった。
    「咳をする人間を病弱だというようなものだろ、それ。涙を流すことは自然なことなんだよ。感情が昂ると前頭野から出た信号が涙嚢に伝わって――」
    ドクターの言葉と手が不自然に止まる。見れば、何やら気まずそうな視線とかち合った。
    重岳が求めているのは涙を流すことについての生理学的な説明ではないと気付いたらしい。
    「――まあ、私も滅多なことでは泣かないよ。大人だし――これでも一応、公人だしね」
    君だって玉門にいたときはそうだったろうと、再び手を動かし、遅れを取り戻すような勢いでタイピングしながらドクターは言う。
    「葬式でも泣かないよ。ケルシーだってそうだろう」
    その性質上、ロドスではよく葬式が開かれる。治療のためにやってきた感染者と――作戦で命を落としたオペレーターたちのために。
    それには当然、ドクターも参列する。勿論、ケルシーも。
    ケルシーが泣いているところを想像しようとした重岳は、頭痛にも似た感覚に襲われた。
    葬式といえば――確かにそうだ。
    玉門にいたころは、幾度となく葬式に出たものだ。しかし自分も、ズオ将軍も泣かなかった。
    泣いたことなど一度もない。それが、どんなに近しく親しい部下や同胞の葬式であれ。
    それについて――彼は何と言っていたのか。
    薄情だと。やはり人ではないのだと――そう言っただろうか。
    言わないだけで、思ってはいたのだろうか。
    「それとも」
    誰かに何か言われたのか、と。
    その時初めて、ドクターは手を止めた。向けられた視線には、こちらを案じる色が揺れている。
    「いや――そうではないよ」
    先日のことを、まだ気にしているのだろう。
    自分が――というよりも、自分たち兄妹がいる手前、炎国の官僚はよくロドスに公文書を送り、時折来訪する。
    もう訪ねるのはやめてくれないかな――と。俯瞰と傍観を常とするリィンが、彼らに対してはっきりとそう宣告した瞬間に、ドクターも居合わせたのだ。
    兄をゆっくりと休ませてあげてほしいんだ、と。
    ドクターとケルシーが仲介して、事は丸く収まったらしいのだが――胃に穴が開くかと思った、とドクターは苦笑していた。
    「……、ならいいんだけど」
    キリがいいところまで仕事が終わったのだろうか。ドクターは一度立ち上がり、猫のように大きく伸びをした。そしてデスクを離れ、執務室に備えてある戸棚の前へと向かう。
    「重岳」
    呼ばれるままに側へと向かう。ドクターが取り出し、するすると広げているのは一幅の掛け軸――シーの描いた水墨画だった。
    「貴公が持っていたのか」
    「君たち兄妹からの評判は散々だからね、この絵。だから預かっているんだよ」
    それは押し付けられたというのではないか、と重岳はドクターの横顔を見たが、そこには不満の色はなかった。
    「シーは、この絵を見ているときに、瞬きをしなかったんだって」
    その絵は、とある女性の故郷を描いたものだ。
    瞬きをすれば、眼を逸らせば。幻影は解け、全ては現実へと還る。だから、シーは片時も目を離さずにいたのだ。
    そうだろうね、とドクターは言う。
    「瞬きをしたら――涙が零れてしまうからね」

    ***

    「あの人は――泣かないんじゃないかな」
    榛色の瞳が、物憂げな色を宿して揺れていた。
    故郷を案内してほしいという頼みを、ジエユンは二つ返事で了承した。そのあとに同行人の名を告げたときは、しばし絶句していたが。そっちが本命なんでしょう――と恨みがましい目をされたが、彼女もロドスにいるうちに、この手の駆け引きを覚えていただきたい。
    「だって、一度も会いに来なかったんだよ」
    「それは」
    「わかってる。長く生きて、長く歩かないといけない人が抱えられる荷は、思ったより少ないんだよ」
    けれど。頭ではわかっていても――心は、思い通りには動かない。
    どうして生きているうちに会いに来なかったのか、と。そう言いたくなってしまうのが、人情というものだろう。
    「でも、どうして……、今なの?」
    屈託と戸惑いを、ジエユンはドクターに向けた。部族のために、と何かと気負うことの多い少女が、年相応の振る舞いができるのは良いことだ、とドクターは思った。
    泣きたいときに泣けるのと、同じくらい。
    それは――とドクターが答えようとしたときに、足音がした。
    噂をすれば影、とは言うが。
    ドクターよりも先に気付いたジエユンは立ち上がった。みんなに挨拶をしてくるから――と言って、ドクターを一人置いて足早に去っていく。まだ直接顔を合わせるのには、心の整理がついていないのだろう。ジエユンからすれば久方ぶりの故郷で積もる話もあるのだろうし、ドクターのそばにいたのは護衛という意味合いが強い。そしてそういう意味でなら。確かに彼が戻ってくるのならば事足りるだろう。
    「重岳」
    「……。ああ、ドクター」
    重岳は少しばかり、普段の覇気を欠いているようだった。
    それもそうだろう。
    墓参り――なのだから。
    生老病死は、人間に定められた四苦だ。人は老い、病み、そして死ぬ。彼の友人たちが、そうであったように。
    彼はどうなのだろうか。人間のように生き、老い、病み、そして死ぬのだろうか。毒を盛っても高所から落としても死ぬ――といつかに彼は言っていたが、それが真実かどうかは疑わしい。戦場で傷を負ったところを、ドクターは見たことがない。きっと源石ですら、彼らを呪うことはできないだろう。死さえ――果たしてあるのかどうか。
    彼らにあるのは、安らかな死の眠りではなく――目覚めであり、夢の終わりなのだから。
    重岳、と再び彼の人から与えられた名を呼んで、ドクターは彼の元へと歩く。彼は俯いており、逆光と伸びた前髪が落とす影に縁取られて、その表情はわからない。だからドクターは乾いた重岳の頬に手を添え、眼差しを合わせて、優しく語り掛ける。
    「ようやく、弔いができたんだね」
    埋葬も葬式も、墓を作ることも。弔いは、死者ではなく生者のためにある。残されたものが、死者に別れを告げて、それからの道を歩けるように。
    だから彼は――ようやく、彼女の死を悼んで、涙を流すことができたのだろう。
    涙を流すことができるようになったから、彼はここへ来たのだろう。
    「……何故、そう思う?」
    「だって――」
    サリアは確かに泣かなかったのだろう。しかし彼女が流した血は、それに劣るものだろうか。
    シーは確かに泣かなかったのだろう。であれば彼女が零した墨は、それに劣るものだろうか。
    泣かなかったのではない。涙を流さなかったのではない。
    ただ、彼らは。涙の流し方を、変えただけなのだ。
    ドクターは背を伸ばし、光がくちづけるように、頬にそっと唇を落とした。
    「――君が、泣いているから」
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