甘い悋気を抱き締めて ああ、幸せだなあ、なんて。
少し温い風を肌で感じながらもトーマは穏やかな吐息を溢し、横を歩く愛しい人の姿を見て目を細めた。
「トーマ、どうかしたかい」
「いえ。……ただ、こうして若と出掛けるのが久しぶりで、嬉しくて」
横を振り向いた顔に笑い返しながらそう言えば、綾人も同じように頬を緩めて「そうだね」と微笑んだ。
公務の付き添いで主と家臣として出掛けるのではなく、恋仲として、そしてDomとSubのパートナーとして綾人とトーマが二人で出掛けるのは久しぶりのことであった。
だからかトーマは嬉しくてつい頬が緩んでしまって、擽ったさを誤魔化すように首元に手を添えて自身の首に飾られたCollarを指で軽く撫でた。
綾人にCollarとして贈られた首輪はすっかりトーマの首元に馴染んでしまっていて、綾人のSubなのだと安心出来るのもあってか、トーマは首輪を着けていないと無性に落ち着かなくなってしまっていた。
それくらいトーマは綾人のSubである生活を過ごしていて、だからこそ時折この幸せがいつか終わってしまったらどうしようと考えてはいつも痛む胸に見ない振りをしていた。
トーマが綾人とパートナーになったのは数年前のことだった。
綾人がSubを褒めたり甘やかしたいという性質を持つDom性で、トーマはDomに褒められたり尽くしたいという性質を持つSub性であったから。
しかもお互いにDomとSubとして「褒めたい」という欲と「尽くしたい」という欲を持っていて、互いに相性が良かったから。
だからトーマは綾人とPlayをする関係になっていて、ほんの少しの出来心で一度呟いた「好きです」という言葉に綾人が応えたことで恋仲になっていて、そうして気付けばCollarを贈られてパートナーになっていた。
綾人の恋人であり、パートナーになれたことはトーマにとってはとても幸せなことで、綾人に首輪を贈られた時は大層喜んだものだった。
けれどもトーマはこの関係が今にも千切れそうな糸のように脆いものだと理解していた。理解した上で、束の間の幸せを噛み締めていた。
綾人にパートナーにしてもらったのも、綾人に愛されているのも、綾人がその優しさでトーマの想いに堪えてくれたからだとトーマは考えていた。
まさか綾人が本気で自分を愛してくれていて、想いに応えてくれたなんて、そんな都合の良いことはないだろうと思っていた。
だから綾人が口付けをするのも偶のことで、それ以上の深いことをせずとも、トーマは今のままでも十分幸せだった。
綾人のSubでいられるなら、それで良かった。
けれどそれすらも我儘なことで、トーマの身では望みすぎた罰当たりな考えだったのだろうか。
不意に耳に「誰か」と叫ぶ慌ただしい声が届き、トーマが意識を現実に戻すと道端で倒れ込む女性を囲うように何人かの人が集まっていた。
怪我人か、誰かに襲われたのか。何にせよトーマは急を要する事態に綾人と目配せをして慌ててその人集りに駆け寄り、「何が起きたんだい」と近くにいた人物に声を掛けた。
聞けば倒れているのはSubらしく、DomのGlareを浴びてしまったのかSub性が不安定になって倒れてしまったようだった。
恐らくSub Dropに近い状態なのだろうと、トーマは倒れ込むその人を見てそう感じた。
信頼していないDomのGlareは圧迫感や苦しさを感じるだけで、とても快いものではない。
それにGlareを浴びた後にまともなCareをしてもらわなければ精神が不安定になってしまうのも当然のことで、同じSubとしてトーマは倒れ込んで苦しそうに眉を寄せる女性を見て唇を噛んだ。
「Domの方がいればCareをして助けられるかもしれないのですが……」
その言葉にトーマは一度息を呑んでから、綾人の方を振り向いた。
綾人はトーマの傍らで事情を聞いていて、それまで黙って状況を観察していた目をトーマに合わせ、少しの間を置いてから「私なら助けられるかもしれません」と口を開いた。
トーマは僅かに胸の奥が痛む感覚を誤魔化すように「若、お願いします」と言って女性の傍に寄る綾人を目で追った。
Careといっても、そんなに時間をかけたものではなかった。
本当にただSubの精神を落ち着かせるために穏やかな声で褒めて、宥めるだけの、それだけのことで。
綾人が優しく丁寧に接したのもあってか倒れていた女性は苦しそうな顔が穏やかになり、幾分安心したような顔をして綾人や周りにいた人達に礼を述べてその場を立ち去り、周りにいた人達も安堵の息を吐きながら各々その場を離れていった。
綾人もまたトーマの傍で良かったと微笑みながら、それまで行こうと話していた場所へ向けて歩を進めた。
その背に着いてトーマも足を前に出しながらも、自分がちゃんと平静を装えているか不安で仕方なかった。
人が助かったから良かったと笑うべきなのに、それなのにトーマは胸に沸き起こる苦しい感情のせいでどうしても心から笑うことが出来なかった。
若はオレのDomなのに、と。
綾人がしたのは人命救助としてのCareだし、トーマ自身綾人が好意でパートナーになってくれたからという思いがある分、分不相応だと感じて綾人を縛るような考えを抱いていなかった。
それなのに綾人に助けられた女性に嫉妬をしてしまって、自分の心に綾人に対する独占欲があるのを自覚してしまって、トーマは酷い罪悪感に頭を抱えてしまいたくなった。
違う。若はオレのものじゃない。オレがこんな気持ちを抱いて良い訳が無い。だからこんな気持ちは感じてはいけないのに、どうして嫉妬してしまうんだろう。
綾人が優しい声であの女性にCareをした時、紛れもなく感じた嫉妬心にトーマはどうしようもなく自分が浅ましく、とても卑しく感じて堪らなかった。
自分がこんな醜い感情を抱いてはいけないのに、嫉妬をしてしまったという罪悪感のせいでトーマは綾人の後ろを着いて町中を歩いていてもどこか心が曇ったままで。
不意に浮かない顔をしてしまったのを綾人に見られてしまって、心配そうな顔をする綾人に慌てて笑顔を取り繕って誤魔化してみせた。
けれどいくら笑顔を作ってみせたところで、トーマはその日感じた嫉妬心と罪悪感を忘れて捨て去ることが出来なくて。
何度日を跨いでもあの日嫉妬してしまった気持ちを呼び覚ましては、「若にこんな感情を知られたら呆れられる」と感じて綾人に何も言わずに悶々とした気持ちを抱えて過ごしていた。
綾人が時折暗い顔をするトーマを心配するのでさえ、トーマは綾人に迷惑を掛けているように感じて綾人の前では少し過剰なくらいに元気に振る舞った。
だって、知られたくなかったのだ。
知られてしまったら綾人に分不相応な感情を咎められてしまいそうで、呆れられてしまいそうで。
だから綾人はもちろん、綾華や神里家に仕える他の人達にも気付かれないように、どんなに胸が苦しくて誰かに言って吐き出したくとも我慢をして一人で抱え込んでいた。
そんな風に過ごしていて、胸が痛むのにも幾分慣れてきてしまった頃。
公務で長いこと屋敷を離れている綾人が帰った時に、少しでも快く過ごしてほしいからとトーマが綾人の部屋を丁寧に掃除していた時のことだった。
綾人の部屋にいるからか、トーマは掃除をしながらも綾人の香りを感じてしまって。
そうして掃除が終わって一息吐きながら部屋を見渡して、それまで仕事をこなさなければと引き締めていた気が緩んでしまったせいか、トーマは綾人の部屋を眺めながら「いつから若とPlayしていないんだろう」と、そう考えて僅かに息を呑んだ。
思えば綾人が公務で忙しくなり、トーマ自身綾人の手を煩わせたくなくて「褒められたい」というSubの欲が湧いてきても綾人が忙しいからとPlayを強請らずにいたせいで、前にPlayをしてから一ヶ月以上はとうに過ぎていた。
だからか、トーマは部屋に漂う香りに綾人の気配を感じながらも緩んでしまった心の内で「若に褒められたい」と強く感じてしまっていた。
ずっと綾人というDomに褒められて、甘やかされて、尽くせていなかったからかSubとしての本能が悲鳴を上げているかのような感覚さえした。
褒められたい。若に愛されたい。
そうした思いが沸き起こってきて、それなのにその思いを叶えてくれる人がここにはいないのだと思うと、トーマは胸が締め付けられるように苦しくて、痛くて堪らなくて、その場に膝をつきながら浅い息を吐き出した。
あの日、久しぶりに二人で出掛けた日に、綾人が他のSubにCareをしたのを思い出してトーマは「もしかしたら」と心の中で呟いた。
もしかしたら、こうして屋敷を離れている間に他にオレよりも相性の良いSubを見つけているのかもしれない。
そうしたら若はそのSubの方に行ってしまって、オレは若に、捨てられてしまうかもしれない。
そこまで考えて、トーマは自分の息が上がっていることに漸く気が付いた。
綾人にPlayをされていなかったこと。ずっと苦しい感情を誰にも言えず、抱えこんでしまったこと。
それが積み重なって遂に「パートナーに捨てられてしまうかもしれない」という不安にSubの精神が押し潰されてしまって、Sub Dropになってしまっていた。
「わか……わか……っ、」
苦しい。息をするのもそうだけど、胸が縛られたように苦しくて、痛くて。
助けてほしいと、そう願って愛する人を呼んでも来てはくれないことなど、トーマは分かっていた。
きっと若に愛してもらって幸せになりすぎた分、罰が当たったんだ。
そう思うとトーマはこんなにも苦しいのも納得してしまって、暗くなってゆく視界の最中で静かに意識を手放した。
瞼が持ち上がり、視界に入る見慣れた天井に目を瞬かせる。
頭に感じる枕の感触にトーマは自分は寝ていたのだとぼんやりと考えて、それから髪を僅かに揺らしながら顔を横に向けて目を開いた。
「……トーマ?」
トーマの傍らには公務でいないはずの綾人がいて、心配そうにトーマを見つめる綾人の顔を下から眺めながらも「どうして若がここに、」とトーマは息を呑んだ。
いないはずの綾人が傍にいることにトーマが驚いている間にも綾人は眉を寄せて心配そうな表情を浮かべ、横たわるトーマの額に手を置いてゆっくりとトーマの肌を撫でた。
「大丈夫かい? 痛いところとか、苦しいところはないかい」
優しい声で尋ねながら頭を撫でてくる綾人の、その温度がとても温かくて。
久しぶりに感じる綾人の気配にトーマは苦しいくらいに張り詰めていた心が解れてゆくのが嫌でも分かってしまった。
小さく息を溢しながら、横に置いていた腕をゆっくりと持ち上げ、綾人の纏う服の袖を弱く掴む。
それに綾人が不思議そうな声で「トーマ?」と己を呼んでくるのを耳にしながら、トーマは無意識に震える唇からそっと掠れた声を出した。
「オレを捨てないでください、わか……」
口から溢れた弱々しい声に綾人の目が丸くなるのを見ながら、トーマは心の中で「これは夢なのだから」と言い訳をした。
本当ならいないはずの若がいて、オレにこうして優しくしてくれているのも、きっと若を求める気持ちが夢になって現れたんだろう。
だから本物の綾人ではないから自分の本当を気持ちを吐露しても、本物の綾人には知られないのだからと、そう思ってトーマの口からはずっと秘めていた気持ちが溢れてしまっていた。
綾人は淡藤の瞳でトーマの顔を見つめながら、驚きを隠しきれていない表情のまま口を開いた。
「どうして、そんなことを言うんだい」
そう尋ねながら綾人は優しく頭を撫でてきて、その温もりに目を細めながらもトーマは小さく息を吸った。
「……若が、他のSubのところに行ってしまうんじゃないかと思って」
夢だと分かれば、トーマはあれだけ誰にも言わず一人で抱え込んでいた気持ちを驚くほど素直に打ち明けられた。
けれどもやはり綾人相手に言っているのだと思うと、例え夢でも綾人にこの気持ちを咎められて、嫌われてしまうんじゃないかという不安が湧いてきてしまって。
トーマは弱った声を誤魔化すように態と大きな声を出しながら、服の袖を掴んでいた手を離し綾人に向けて笑顔を作って見せた。
「変なことを言ってすみません」
か細い声で謝ってから、トーマは自分の首元に手を添えた。
そこには確かに綾人から贈られた首輪の感触がして、夢の中なのにやけにはっきりとしたその感覚にトーマは小さく笑って綾人を見つめた。
「だけどもし、……もし他に好いと思える方と出会ったら、その時はどうかあなたの手でオレの首輪を外してください」
そう言ってから、トーマは漸く胸に抱えていた思いを吐き出せた安堵から目を細めて微笑んだ。
綾人に笑顔を向けながら、首輪からそっと手を離す。
外してほしいと願ったというのに、首輪から手を離す時に僅かに心惜しく感じてしまって、矛盾した感情にトーマは可笑しくなって小さく笑った。
本当は首輪を外して欲しくない。
それは愛するDomとパートナーでいるSubが抱くには、ごく自然な感情だろう。
けれども綾人に他に想うSubが出来て、自分との関係を解消しようとしても、トーマはそれを自然に受け入れてしまえそうな気がした。
いつかはそうなってしまうかもしれないけれど、けれどもせめてその時は綾人の手で全てを終わらせてほしいと願うのは欲張りかなと感じて、トーマはまた一つ笑みを溢してから静かに瞼を下ろした。
頭に感じる綾人の手の温もりがとても温かくて、トーマは安心感に包まれながら暖かな微睡みに意識を落としていった。
白く眩い光を感じて目が覚める。
静かに上体を起こしながら欠伸を一つ溢して、そういえば倒れたんだっけと意識を失う直前のことをぼんやりと思い出すと横から「おや」という声が聞こえた。
「起きたのかい」
久しぶりに聞く聞き馴染んだ声に目を丸くさせながら横を振り向けば、公務で屋敷を離れているはずの綾人がトーマの傍らで座っていて、トーマは「若?!」と言って悲鳴に近い叫び声を出した。
「どうして若がここにいるんですか?!」
驚いて思わず大きな声を出すと、トーマの素直な反応に綾人は小さく笑いながら肩を震わせた。
「久しぶりにトーマと一緒に寝たくてね」
冗談めかしてそうのたまう綾人の声に、トーマは久しぶりに綾人と話せている嬉しさから一瞬頬が緩んでしまったけれど、すぐに首を横に振って「いやいや、そんな」と慌てた声を出した。
「冗談なんですよね? 公務は? まさか終わってもないのに帰ってきただなんて仰らないでくださいよ」
まさか自分と一緒に寝たいがために綾人が公務を抜け出して帰ってきたとは思いたくなくて、トーマが慌てた声で矢継ぎ早にそう聞くと綾人は震わせていた肩を下ろして柔く目を細めた。
「まあ、半分は冗談だよ。昨日ようやっと公務が終わって帰れると思ったら、君が倒れたという知らせが入ってね。急いで帰って君の様子を見に来たんだけど……」
綾人はそこまで言って一度トーマの方へと身体を寄せて、淡い髪を揺らしながらその顔を近付けた。
近い距離にある淡藤色の瞳にトーマが息を呑んで身動ぎすると、まるで逃さないと言うかのように綾人の手が伸びてトーマの腰を強く掴んだ。
「まさか久しぶりに会ったら、捨てないでほしいと言われるなんて思ってもみなかったよ」
綾人はそう言うとトーマの首元にある首輪を一瞥して、その顔に僅かに剣呑な色を滲ませた。
「それに他に良い人を見つけたら、この大事な首輪を外してくれだなんて心臓に悪いことまで言われるなんて」
そうして溜息を吐いた綾人を見つめながら、トーマは唇を震わせながらも血の気が引く思いがした。
まさか、そんな。あれは夢じゃなくて、オレが若に本音を吐き出してしまったのは現実だったなんて。
夢だと思い込んで綾人に言ってしまった言葉の数々を思い出しながら、自分はなんてことを口走ってしまって、若を呆れさせてしまったのだろうと、罪悪感や後悔の念に襲われて慌てて頭を下げていた。
「すみません若、本当に、申し訳ありません。……オレの言ったことは、全部忘れてください」
頭を下げながらも目を強く瞑り、一向に返ってこない声にトーマは少しずつ不安を募らせて肩を微かに震わせた。
ああ、嫌われてしまった。
こうやって呆れられると分かっていたから一人で抱えていたというのに、まさか気が緩んで綾人相手に自分の気持ちを打ち明けてしまっていたなんて、トーマは自分自身に呆れながらも強い後悔に唇を噛んだ。
分不相応で身勝手にも嫉妬をしてしまって、首輪を外して欲しいだなんていう浅ましい我儘も言ってしまって。
愛しいDomに、若に捨てられてしまうかもしれないという不安と焦りが胸を強く締め付けてきて、息が苦しくて、ぎゅうっと目を強く瞑ると不意に頭に手が触れる感触がした。
「怒ってないから、落ち着いて……ゆっくり息を吸って」
綾人の両手に身体を起こされたかと思えば、綾人がその腕でトーマを抱き締めながらも優しく頭を撫でてきて。
きっと呆れられて、捨てられてしまうと思っていたのに。
Playをする時のような優しい声色で囁かれて、トーマはその声にどうしようもなく安心感を覚えてしまって、言われた通りにゆっくりと息を吸い込んで深く呼吸をした。
苦しかった息が少しずつ落ち着いて、締め付けられているかのような胸の痛みが和らいでゆく。
あれだけ辛かった苦しさが落ち着き、強張っていた肩を下ろしていると、綾人が身体をそっと離しながらも表情が柔らかくなったトーマの顔を見て優しい笑みを浮かべた。
「ちゃんと言う通りに出来て、いいこだね」
綾人は穏やかな柔い声で「いいこ」と言うと、ふわふわと柔らかい金の髪へそうっと手を乗せ、とても優しい手付きで頭を撫でた。
ああ、ただそれだけ。
褒められて、撫でられているだけなのに。
それだけのことなのにトーマは久し振りに愛しいDomに甘やかされているのが嬉しくて、幸せで、胸がじわじわと温かくなって涙腺が解れるように緩んでしまっていた。
掠れた声が溢れてしまいそうなほどに喉が震えるのを堪えて、息を呑みながらも潤んだ瞳で綾人を見つめると、綾人は若葉の瞳を見つめ返しながらも僅かに眉を下げて笑った。
「不安にさせてしまったね。さっきのはトーマに怒ったわけじゃなく、自分の不甲斐なさに呆れていたんだ」
綾人はそう言ってトーマの頭を撫で回すと、微かに湿った吐息を溢しながらもトーマの首に飾られたCollarを見つめて、そっと指先を首輪へ伸ばした。
靭やかな指が首輪の表面を撫でるように滑り、壊れやすいものでもないのに綾人がとても慎重に、大事そうに首輪に触れてくるものだから、トーマはどこか擽ったい気持ちになって綾人を見つめた。
「……君が不安定になっていることにも気付けず、Playも怠ってしまって、パートナーとして君を幸せにしなきゃいけないのに逆に辛い気持ちにさせてしまった」
唇から溢れた声はとても苦しそうで、辛そうで、トーマは悲痛の色が滲んだ綾人の声に顔を上げて若葉の瞳を潤ませながら綾人を見つめた。
掠れた声で「わか、」と綾人を呼ぶトーマに、綾人は眉を僅かに下げたまま小さく笑い、「ごめんねトーマ」とトーマの頬を撫でながら謝った。
頬を撫でる綾人の手の温度を感じながら、トーマは瞳を揺らして唇を弱く噛んだ。
綾人は何も悪くないのに、苦しそうな声や辛そうな顔をさせてしまったことが申し訳なくて、自分が情けなくて、トーマは首を弱く振りながらも「オレが悪いんです、」と息を溢した。
「若に厚意でパートナーになってもらえて、恋人にもなってもらえたのに、分不相応なことを考えてしまって……」
綾人の優しさで成り立っていた関係であって、パートナーや恋人にしてもらえただけでもトーマにとっては十分幸せなことだった。
それなのに綾人のことを独占したいのだという浅ましい感情を抱いてしまって、あまりにも望みすぎた自分勝手な感情に悩み、不安定になってしまったのは自分のせいだ。
それにPlayに関しても、Domに甘やかされたいと感じた時点でトーマの方からPlayを願うべきだったのに、極力綾人の迷惑にならないようにと我慢をして強請らずにいたのが原因で。
それもこれも綾人のせいではなく自分のせいなのだと。
トーマは頭を下げて弱々しい声を溢しながらもそう話し、懸命に「若は悪くないんです」と訴えるとトーマの必死な様子を見つめていた綾人が困った顔をして柔く笑った。
「そうやってトーマに我慢させてしまっているのも私の落ち度なのだから、トーマのせいではないよ」
すらりと伸びた指で頬を撫でながら微笑む綾人の顔を見つめて、僅かに顔が熱くなるような気がして若葉の瞳を揺らして息を呑んだ。
潤んだ瞳を眺めながら綾人は小さな笑い声を溢し、目尻を柔く垂らして「ねえ、トーマ」と穏やかで優しい声でトーマを呼んだ。
「君はもっと我儘になってもいいんだよ。だって君は私のSubで、私の恋人なんだから」
綾人の指が肌を滑るのがこそばゆく、優しい声が鼓膜を撫でるのが擽ったくて、トーマは微かに吐息を溢しながらも柔い淡藤色を真っ直ぐ見つめた。
胸がじわじわと熱くなって、喜びで耳元まで熱くなってゆくような気がして。
嬉しかった。
綾人のSubだと言われるのも、綾人の恋人だと言ってもらえたのも、綾人にそう言ってもらえたことが何よりも嬉しくて。
トーマは息を吸いながら声が震えてしまいそうになるのを堪えて、それから「いいんですか、」と囁くように掠れた声を出した。
「我儘を言っても、良いんですか」
唇を弱く噛んで眉を垂らしながら綾人を見つめれば、綾人は「もちろん」と言ってトーマの頬を軽い手付きで撫でた。
「君の気持ちを、どうか私に教えておくれ」
優しく微笑む綾人の、その淡藤の瞳がとても柔らかくて、温かくて。
我儘を言って呆れられたらどうしようという不安はあったけれど、それ以上に綾人に「教えてほしい」と請われたことに応えたいという気持ちが強くて、トーマは膝に置いていた手をぎゅうっと握り締めながらも浅く息を吸った。
「……他のSubのものに、なってほしくないです」
弱い息を吐き出してから、「ああ、言ってしまった」と思って目を強く瞑った。
こんな浅ましい欲の滲んだ感情は到底受け入れてもらえないだろうと、そう思っていたというのに。
「うん、ならないよ。私はずっと君のDomでいるからね」
綾人が小さく頷きながらも優しい声でそう返してきて、胸に秘めていた思いを受け入れてくるものだから、トーマは気付けば肩の荷が下りたように心の糸が緩んでしまっていた。
「他にもあるのなら、教えてくれるかい?」
擽るように優しく頬を撫でられて、トーマは柔い淡藤の瞳を見つめて眉を垂らしながらも温い吐息をそっと溢した。
「若と、Playがしたいです」
こんな風に強請るのは慣れていなくて、羞恥に耳を赤くさせて唇を震わせるトーマを愛おしそうに眺めながらも綾人は「もちろん」と頷いた。
「Careも兼ねてしようね、トーマ」
優しい声に鼓膜を擽られながら頬を軽く撫でられると、恥ずかしさよりも嬉しさが勝ってしまって、トーマは目を細めながらも頬を淡く染め上げた。
こんなにも我儘を言っても許されて、叶えてもらうなんて、罰が当たってしまいそうだなあなんて思いながらも、トーマは頬に触れる綾人の指にそっと顔を擦り寄せて小さく笑った。
「……それと、最後に思いきり若に抱き締められたいです」
口に出してからあまりにも子供っぽい願い事になんだか恥ずかしくなってしまって、顔を赤らめながら視線を彷徨わせていると数秒と経たない内にトーマは強い力でぎゅううっと抱き締められていた。
耳元のすぐ近くで綾人が溜息を溢し、艶めかしさを思わせる熱い吐息に肌を擽られてトーマは頬を熱くさせた。
「君は本当に、もっと我儘になって良いんだよ」
愛しさを滲ませた柔い声でそう言ってから、綾人は小さな笑い声を溢してトーマの背を擦るように撫でた。
優しく撫でられながらも綾人に強く抱き締められて、間近に感じる綾人の香りや体温に張っていた気も何もかもが緩んでしまって、トーマは肩から力を抜いてうっとりと目を細めた。
愛する人の温もりに包まれる心地良さに若葉の瞳が蕩けたように潤み、甘えるような仕草でトーマが綾人の方に顔を寄せると、不意に綾人が耳元で「そういえば」と呟いた。
その言葉にどうかしたのか聞くよりも先にトーマの視界が変わっていて、トーマは頭に感じる柔い布団の感触に目を丸くさせながら、自分を組み敷いて艶やかに微笑む男の顔を下から見つめた。
「さっき私が厚意でトーマのパートナーになってると言っていたけれど……私がどれだけ君のことを好きなのか、ちゃんと分かってもらえてないみたいだね」
トーマの頬に添えた指先でそうっと肌を撫でながら小さく笑う綾人に、トーマは脈が大きな音を立てるのを耳にしながらも瞳を潤ませて唇の端から微かな吐息を溢した。
「君の可愛い我儘を叶えるためにPlayをしながら、じっくりと私の気持ちを教えてあげるね」
柔らかな低い声に囁かれて、トーマは頬を染めながら静かに息を呑んで期待するような眼差しで綾人の笑みをじっと見つめた。
綾人の指先が頬を伝って首筋を撫で、唇に顔を寄せられるのを抵抗することもなく目を瞑って受け入れる。
そうしてトーマはたっぷりと時間をかけて綾人の愛情をその身に教え込まされ、優しく甘い愛撫にすっかり蕩けてしまった頭の隅で、今まで自身が感じていた不安が全て無意味なものだと知るのだった。