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    chino__TRPG

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    chino__TRPG

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    ひろにわの話。
    鳩さんのSSの廣澤視点みたいなやつ。

     ああ、終わった。ふと浮かんだその言葉が、鋭い激痛よりもずっと先に、深く深く胸を突き刺した。
     遅れて来る痛みのなんと陳腐なことだろう。それでも痛いものは痛いし、ああやってしまったとも思うのだから、やはり自分にはこれしかないのだと思い知らされる。
     ざわめきの中にチームメイトの声が混じるようになったのは、恐らく抱き起こされたからなんだろう。体を持ち上げられ担架に乗せられた瞬間、その揺れにがくんと膝が揺れ、熱した熱鍋で転がされる蛙のような声が鼓膜を揺らした。そのひどい声に思わず耳を塞ごうとして、その一瞬後に気付く。
    ──ああ、俺の声か、と。


    * * *


    ──前十字人体損傷。告げられたそれは、陸上競技……それも短距離選手の廣澤には少し意外な診断だった。
     それは着地や方向転換、ストップ動作や対戦相手との衝突といった、急な力が加わったことによる筋の断裂が主な原因であるからだ。陸上競技で挙げるのならばトラック競技よりもフィールド競技の選手に多い怪我であり、トラック競技の中ならばハードル種目の選手に見られることもある。
     廣澤自身、レースや練習前のストレッチは念入りにしているし、陸上……それもトラックの短距離競技では急な方向転換を求められることもない。自分の膝の動きは誰より熟知しているつもりだったし、それを軽んじたこともないつもりだった。
     そんな廣澤に、医者はただ残念そうに告げた。
    「練習のしすぎです」

     なんだそれ、と。
     何だそれと笑いが込み上げた。だって、スポーツ選手だ。練習はしないといけないのだから仕方ない。自分は練習もなしに表彰台に上がれるような天才ではないのだから、それは当然のことなのだ。
     だというのに、練習のしすぎ。そんな馬鹿な話があるだろうか。まああるのだからこうして起きているわけで、つまり自分は救いようのない馬鹿だった、ということなのだが。
    「…………はは」
     笑いしか出ない。出るだけましか。そう思わず口にすれば、空気に耐えかねたように同行していたコーチが口を開く。
     手術はいつか、走れるか、リハビリは、なんてそんなことを聞いていたように思う。聞かないとな、とも思った。思ったけれど、じわりと視界をぼやけさせる熱が思考の何もかもを攫っていく。

     俺の努力ってなんだったんだろう。



    ──とまあ、そんなことがあって一ヵ月と少し。断裂した状態が癖になる前に手術をした方がいいだろうと早めの手術を終え、リハビリをこなし、一応の復帰へと至ったのだが。

    「廣澤、今いい?」
    「んー?」
     顔を上げれば、その先にいたのはチームメイトだ。彼は800mを専門としており、種目は違うが高校からの付き合いということもあってそれなりに親しい友人の一人。
     見ればその手にはストップウォッチがある。病院でのリハビリは終えたものの、まだ以前のようなメニューをこなすのは難しいため、単調で退屈な練習に少し不満が募りそうになっていたところだ。タイム計測かと言われずとも察し、ちょうど気分転換にもなるかといつものように手を差し出そうとしたそのとき、やっと彼は廣澤の膝のサポーターを視界に認めたのだろう。慌ててストップウォッチをポケットに押し込み、ざ、とランニングシューズの踵が地面を擦る。
    「や、ごめん」
    ──ごめん?
     自分は今、何に対して謝られたのだろう。そう考える間もなく彼は言いづらそうに少し口元をまごつかせ、傍目にも分かるほど下手くそに貼りつけた笑顔を浮かべてこう続けた。
    「ついさ、いつもの癖で……つか、あれだな! 元気そうでよかったわ!」
    「……ああ、まあ……つか、何? 用事?」
    「ん、え、っと……いや! ごめん、やっぱ気にしないで! ……あー、んじゃまあ、俺行くわ!」
     思わず不審な目を向けた廣澤に、彼は焦ったのだろう。逃げるようにその場を去り別のチームメイトの元へと駆けていく。そのポケットからストップウォッチが取り出されチームメイトの手に渡っていくのを見つめながら、廣澤は。
    「……んなんだよ、クソ」
     低い声と共に舌打ちが漏れる。

    俺の前で、走れる脚を見せるのが申し訳ないか?
    それとも、走れない俺に雑用をさせるみたいで気が引けたか?

     そんな言葉が喉の奥から泥のようにずるりと這い寄る。忌憚のない関係だ、別に今更だろう。そう思い彼へ舌を苦く痺れさせるそれをぶつけようとして、廣澤は気づいた。

    ──自分は周囲の目にどう映っているのだろう。

     ぴたりと縫い留められたように足が動かなくなる。うまくいかない苛立ちをチームメイトへぶつける可哀想な選手、周囲からはそう映るのだろう。理解する。してしまったのだ。それはすなわち、廣澤自身が一瞬でも自分をそう断じたことに他ならない。
    「…………ちが、う」
     それは谷間へ落ちていくような、空に放り出されたような、黒い黒い絶望であった。
     じゃあどうしろと言うのだろう。チームメイトの薄っぺらい、上辺だけの労わりや心配の言葉に申し訳なさそうに笑えばいいのだろうか。「心配してくれてありがとう、頑張るよ」とでも言えば満足なのだろうか。
     勝手に『可哀想』だと決めつけるな。俺を腫れものにするな。
     怒りで目の前が真っ赤に染まるようだった。それは怪我、故障そのものよりも深く深く、廣澤のやわらかいところを抉るには十分すぎた。無自覚であるならなおのこと、夜道で突然凶器を突き立てられることと何ら変わりない。
     その瞬間まで気にしたこともなかった周囲の視線、言葉一つひとつが妙に気にかかる。居心地が悪く、痛い場所にばかりぐさりと刺さる犀利なそれを自覚してしまえばそれは棘のように深く枝を広げ、抜き去ることなど到底不可能であった。

     それからというもの、廣澤は以前にも増して陸上にのみ取り組むようになった。
     最初こそは廣澤を心配し声を掛けてくる者もいたが、廣澤がそれに感謝を示さなければ当然、それらは徐々に減っていく。今では自分に話しかけてくる人間など用事のある人間くらいだ。コーチや監督でさえ遠巻きに自分を扱うようになったが、それでよかった。
     走って、走って、走って、ただ走った。 これでいいのだ。自分にはこれしかないのだから。結果を出せば以前のように戻れる。そう、廣澤は本気で信じていたのだった。
     そんな甲斐あって更に数ヵ月。以前と同じとまでは言わないが、それなりにタイムも縮めようやく復帰の兆しが見えてきた頃。

    「──以上」

     涙を呑んでインカレをスルーし、ようやく目標としていた大会、地方ブロックの新人大会。──そのミーティングで廣澤は、自分の名前を読み上げない監督の声を愕然と聞いていた。
    「……え?」
     カラカラになった喉から、ようやくそれだけを絞り出す。新人大会は規定タイムをクリアした一、二年であれば出場が可能な大会で、最近の自分はその規定タイムもクリアできていたはずだ。
     だとしたら何故、どうして。タイムが悪かったのか、それとも普段の態度かと焦りが喉を詰まらせる。それでも必死に口を開いた廣澤を見て、監督は嘆息交じりに眼鏡を押し上げた。
    「廣澤ァ、お前練習しすぎだ」
    「…………は、」
    「このままじゃ確実に潰れる。息抜きをしろ。休むことを覚えにゃ、いずれ取り返しがつかなくなるぞ」
     ぺらり、と監督の太い指が、自分の名前のない名簿を捲る。廣澤は白いA4の裏に透ける文字を、ただ呆然と眺めることしかできなかった。
    「タイムは問題ない。だがな、お前はもうちっとメンタルを育てにゃいかん」
     話は終わった、ということらしい。その言葉を最後に監督の声は一度途切れ、次にはまた別の種目と選手の名前が読み上げられる。周囲の空気は重く、囁く声すらもないほど、その場は凍り付いたように静かだった。
    ──廣澤が退部届を提出したのは、その僅か三十分後だった。


     死ねと言うのか、と廣澤は思った。
     無論、陸上人生を断たれたとて舌が詰まるわけでもなければ心臓が止まるわけでもない。しかし自分にとっての唯一を取り上げられることは廣澤にとって「死ね」と言われることと同義であった。
     それでも恐ろしいことに日々は巡っていくものであり、部活漬けだった時間を講義やバイトでただただ空虚に埋めていく。時折元チームメイトと顔を合わせれば、逃げるようにその場を後にした。

     まるで味のない板切れを食んでいるような、ひどく空虚な時間だった。
     何もかもがつまらなかった。がらんどうで、空疎で、苦痛で、心憂い。──人生とはなんなのだろう。聳然とした恐怖の中で、そんな哲学じみた青臭い言葉が浮かぶほど、廣澤は何もかもが分からなくなっていた。

    ”生きていれば必ず楽しいことがある”なんて綺麗事だ。
    ……もういいか、どうでも。



    ──大学を辞めたことは親や友人も含め誰にも伝えていなかったが、それでも自然と広まっていくものらしい。確かに故障した後や退部後の自分を思えば、それはさぞかしいい酒の肴になることだろう。
     とにかく惨めだった。幼い頃から走ることだけが得意で、それだけを必死に頑張ってきたのだから。今更それを失くして、どう立っていけばいいのか分からない。迷子になったような気分だった。
     スポーツ推薦で大学進学が決まったときは皆喜んでくれた。だというのに、今の自分は何なのだろう。
     ただぼんやりと興味のないタイムラインをなぞるだけの毎日。目標もなく、自堕落に、とりあえず死ななければいいとその日一日をなんとか過ごして、また紙を捲るように新しい、億劫な日が来る。

     青い空が嫌いになった。努力が疎ましくなった。エアコンのある部屋でばかり過ごすようになった。走りたかった。人との関わりを避け、他人の目ばかりが気になるようになった。疲れてしまった。何をしたいのか分からなくなった。走りたかった。顔を合わせる友人の笑顔すら苦しかった。食事の味が遠くなった。蝉の声がうるさかった。涙すらも出ないほど、今の自分に残されたものはただただ空虚だけだった。

     走りたかった。



     ぼんやりと動画やスマホゲームで時間を潰していれば、ポコン、と緑色のアイコンに1の通知。

    『来週もいつものとこでいい?』

     それはいつの間にか定例のようになっていた、高校時代の同級生グループチャットの通知であった。大学に行ってもたまに飲もうと軽い口約束から始まり、なんだかんだ毎月のようにどこかで時間を作り、皆で飲む。
     実に大学生らしい時間だが、二年ともなればある程度大学での人間関係も固まり、周囲の環境にも慣れてくる頃だ。最近はなんだかんだと忙しいのか友人らの出席率は落ちてきており、いつもいる面子と言えば自分ともう一人、一年の夏で早々に専門学校を中退したやんちゃな奴だけだ。
     こうして誘いが来る以上避けてはいないのだから、きっと他の友人らにも行こうという気持ちはあるのだろう。まあ仮にそうでなかったとて、それを咎める理由もない。
     いずれ離れていくものだ。当たり前の日常も、友人も、何もかも。

     返事代わりのスタンプを押してスマホを放り出し、ごろりと布団に転がる。むかむかと腹の奥が煮えるような心地だ。
     そろそろ友人らにも自分が大学を辞めたことが耳に入る頃合いだろうが、もしかしてそれで、なんて重たい気持ちが首をもたげ始める。それを振り払うように首を何度か振ると立ち上がり、耳にイヤホンを引っかけてウィンドブレーカに袖を通した。
    ”辞めたのが気まずくて顔を出せない”なんて憶測を、万が一にも招くことが嫌だった。いないところで勝手に酒の肴にされることも腹が立つ。まあ事実であるし、逆の立場ならば自分も大いにつまみにしただろうが。
     そういえば丹羽が辞めたときはどうだったか、なんてそんなことを考えながら、習慣になってしまっているランニングへ向かうべく、廣澤は放り出したばかりのスマホを拾い上げるのだった。



    * * *


     いつもの時間、いつもの居酒屋。
     向かえばやはりと言うべきか、そこにまだ友人らの姿はない。朝練や大会で十分前行動が染み付いてしまっている自分が皮肉で、思わず笑ってしまう。
     適当に席を取りお通しと焼き鳥で一杯ひっかけていれば、少ししてやっと聞き馴染みのある声が耳朶を撫でて、廣澤はそちらを振り向いた。
    「ああ、丹羽……」
    「おー、ひさびさ んだよ、また廣澤だけかよ。みんな集まりわりーなァ……」
     かたん、と安っぽい木の椅子が床を叩く。その変わらない調子に少しだけ安堵するが、気まずさは拭えない。……丹羽はもう知っているんだろうか。知ってるとしたら、いつ切り出されるんだろう。
     そんなことが頭をよぎり、つい口数も減る。黙々と焼き鳥を口に運び続けしばし、あまりにも長い沈黙に耐え兼ねて盗み見るように横へ視線を遣れば、見透かすような黒い瞳と視線がかち合った。彼の手はカウンターへ伸び、そこに置かれた皿を持ち上げている。
     もつ煮を覆うほどの鮮やかな緑と白のねぎを更に赤く染める、馬鹿みたいな量の七味を何度も振りかけながら、ほかほかともつ煮の湯気越しに、彼はふっと軽く笑った。
    「やっぱ、運動しなくなったら筋肉とか痩せんの?」
     何でもないことのように丹羽が首を傾げる。丹羽の手元、グラスの下に敷かれた紙ナプキンを見て、意外と几帳面だなと的外れな感想がふとよぎり、その瞬間何かが溢れた。
    「痩せるんじゃね」と言いかけた口が震えた。──だって、自分はまだそれが分からない。性懲りも無くランニングシューズを引っ掛けては、毎日毎日宛てどもなく走りに行く。その習慣だけは変えられなかったから、"運動しなくなったら"の言葉に頷くことができなかったのだ。かろうじて、「たぶん」と言えたかもしれない。いやどうだったか。大衆居酒屋の喧騒が、どこか遠くに感じられる。

     自分で捨てたくせに、浅ましい。

     きっと酔っぱらっている。部活をしていたときのように大飯を食らっているわけではないし、空きっ腹に酔いが回ったに違いない。
     伏せた頭、部活を辞めるとともに衝動的に染めた髪はきっとひどいプリンになっているだろうが、どうにも顔を見て話す気にはならなかった。つむじを丹羽に見せながらぽつりと、ただ縫われたように重い唇を紐解く。
    「……なぁんも頑張る気がしねえのって、やっぱクズ?」
    ──言った。言ってしまった。
     弱音なんて吐くつもりなかったのに、コイツなら似たような経験して、傷の舐め合いでもできるんじゃないか。周りのせいにして逃げたことを、自分のせいじゃなかったって正当化できるんじゃないか。

     誰かにこの棘を抜いてほしかった。引き抜くには痛すぎるこの棘を、誰かがずるりと無理矢理にでも引き抜いてくれたのならと。
    「痛かったね」なんて同情の言葉が欲しいわけじゃない。ただ対等に扱ってほしかった。先の見えないこの霧を……否、雨を引き連れる雨雲のようなこの気持ちを、誰かの手が払ってくれることを祈っていた。


    「──なあ、 べつに、クズでも良くねえ?」


     だからこそ、その丹羽の言葉は青天の霹靂に他ならなかった。故事の由来を思えば真逆ではあるが、彼のその言葉はまるで雨雲を払うような、一筋の光明に違いなかったのだ。
     たまらなくなった。当たり前のように大学へ進学していく友人らの中で一人だけ専門へ進んだ彼が、話題が微妙に噛み合わないことを気まずげにしていたことにも気づいていたが、一年の夏に辞めてから、その後どうしているのだろうと改めて問うたことはなかった。
     気まずいだろうなと。触れられたくないだろうなとそう勝手に想像して、今になって気付いた。──自分はあのときのチームメイトのように、勝手に丹羽を”腫れもの”にしていたのだ。
     恥ずかしい、合わせる顔もない。そう思うのに廣澤の視界にはもう、丹羽の姿しか映らなくなっていた。

    「…………なあ丹羽。今日、この後暇?」



    ──このとき自分は、丹羽桔平という男に、たしかに救われたのだ。



     ……かつてのそんなことを思い返しながら、眠る丹羽の頬を、起こさないようにそっと指先で撫でる。……愛おしい、なんて柄にもなく思い、重すぎて絶対に本人には言えないなと苦笑が漏れた。
    「丹羽」
     息のように軽く、細く。そこから消えないことを確かめるように体温に触れて、そっと寝息の隙間を縫うように唇を掠めキスをする。
     廣澤は、『未来』という自分の名前が心底嫌いだった。こんな惨めな思いをして、何が未来だと。
     そんな風に思っていたものだが、彼が呼ぶそれは悪くないと思えるのだから、存外自分は彼に惚れ抜いているのだろう。きっと伝えることはないのだろうが。
     離れてもう一度、二度目のそれを贈りながら、そういえば彼の過去について結局聞いたことがないと今更気づいた。言うのが嫌なら言わないだろうし、そうでないなら言うだろう。忌憚のない関係であるし、別にそんなことで腹を立てる男ではないとこの一年で廣澤は実感していた。
     起きたら聞いてみようか そんなことを思いながら目を閉じる。──夜に弱い彼の手が、ふ、と動いた気がした。
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