梅の花咲く カカリコ村の端。少し小高い場所に、ゼルダの為に建てられた館があった。
茅葺きのこじんまりしながらも、しっかりした造りから彼女が里で大切にされているのを窺い知る事ができる。
館は本人の私室に応接の間、風呂、小さな炉端に食事室。わずか程の広さだが梅の木のある庭に厩があった。
梅は厄災討伐の翌年に植えられた物で、もう両手で数えるには足りなくなる今年。沢山の蕾をつけた。蕾は膨らみ、白に近い薄紅色が今にも綻びそうだ。初夏には同じ程の実が成る事だろう。
そして、歩くと少し音が立ち、表面も少し色合せてきた渡りの廊下の先には、小さな離れがあった。リンクの私室だ。彼は、任を解かれた今も彼女に付き従い、日々の助けから国の大事まで、甲斐甲斐しく勤めていた。
今もそう。
私室で机に向かうという彼女の椅子を絶妙のタイミングで引き、座らせると数歩下がって脇に控える。それはまるで百年前の王城と変わらぬ光景だった。
ゼルダは、リンクが控えていてもそれを気にする素振りもなく、自然と机の書簡に手を伸ばし、黙ったままそれらに目を通し始める。
新緑の瞳が忙しなく動く。その横顔を見つめるこの時間を、リンクは誰にも言った事がないが心から大切に思っていた。
「ゲルドのルージュの婚儀が決まったそうです。相手はハイリア人だそうで、掟に従い、街ではなくバザールに婿殿の居を構えるとか」
「もう、そんなになりますか……」
リンクが少し昔に思いを馳せる。年相応の愛らしさに、精一杯の威厳を肩にのせ、上座に優雅に腰掛けて見せていた少女を思い浮かべた。
「祝の席に貴方と二人で招待を受けました。明後日には、村を発ちます。出立の準備をしてください」
「はい」
「おめでたい事ですね。村の特産の岩塩を樽に5つ。ガッツニンジンにヨロイカボチャを用意できるだけ。あと反物も5反ほど、忍杏亭でクラリに見繕ってもらってください。お願いできますか?」
「承知しました。準備でき次第、俺が先に送り届けましょう」
「お願いします」
「お任せください」
まだ肌寒い室内に、窓から柔らかな陽射しに温められた風が二人の間を吹き過ぎる。
庭からは、この季節に愛を求めて鳴く鳥の声がした。
それは里に響き、春の訪れを告げていた。
「もうそんな季節ですか。……リンク」
「はい?」
「この旅から戻ったら、私もそろそろ身を固めようと思います」
「……はい」
ゼルダは深く息を詰め、リンクはゼルダに気づかれぬ様にそっと視線だけ下を向いた。
「リンク……貴方、私と一緒になりませんか」
「はい?」
「私の夫に、と。そう……言いました」
沈黙が渡る。
ゼルダの言葉には、常に是と応えてきたリンクだった。
返答に詰まったのは、これが初めてだった。
言葉の意味が分からない。
ゼルダの言葉は、衝撃としてリンクの耳から頭へと電気の様に走り届いた。
しかし、理解が追いつかない。
彼女の申し出は、彼の予想の範囲の遥か先を行っていた。
二人は、恋仲ではない。
何か視線に感じる物があり、それを互いに察し合うくらい。
この瞬間まで、言葉にも、態度にも現した事はなかったはずだからだ。
「返事は?」
「……はい。え? ……はい。承知しましたが……その……えぇ?!」
「もう一度、問いますか?」
「いえ……その、結構です」
「では、そのように」
ゼルダは満面の笑みを浮かべ、満足そうに頷き、リンクはその様子をまだ夢見心地で、瞬きを繰り返していた。
ゼルダを真っ直ぐに見つめていると、急にそれが現実味を帯びて、リンクは頬が熱くなるのを感じた。
「準備を整えて参ります」
気恥ずかしさに、退出の礼を取って踵を返す。
扉が閉まり、リンクの姿が見えなくなると、ゼルダはほっと詰めていた息を吐いた。
張り詰めていた気を緩ませ、先程のリンクの表情を思い浮かべる。嫌な感触はなかったと、そう思いたい。ゆらぐ自信に視線を落とした、その瞬間、廊下の方から大きな音がした。
ぴょんっと、驚きに小さい肩を震わせた。
「す、すみません!何でもありません!失礼致しました」
遠くから、慌てた様子のリンクの声がした。
いつも落ち着いた、彼らしくない慌てた様子に、ゼルダはぽかんとして、すぐにクスクスと小さく笑いを漏らした。
頬がまるで春の花の様に染まり、まるで恋する少女のようだ。
また外から鳥の声がした。
季節は巡り、恋の季節の到来を告げていた。