それはきっとあなたとおなじ(仮)11
常に冷たい風が吹き下ろすハテノ村。
だがふいに勢いが増し、あたたかな物が混じると、灰白色の雲が筋状に浮かぶ漆黒の空がやにわに明るくなり、水平線が光の線を描いて、その向こうから太陽がゆっくりと昇りはじめた。
ラネール連峰のウォルナット山の影を切り抜くように空が白み、村の赤い屋根や風車の白い帆が大地に浮かび上がる様にして姿を現してくる。そうして静かに、しかし、速やかに村外れまで夜が明けて、それからようやくエボニ山の裾野に建つ古民家にも朝日がさすのだ。
夜半過ぎの雨で濡れた屋根が、キラキラと光を空へ帰すように輝き、シンボルツリーの緑は負けじと風に揺れながら緑を飾る光の粒を大地に落としていた。
鎧戸を閉め切った暗い部屋。明り採り用の小窓から、それらが優しく反射して差し込み始めると、寝台の上でぴったりと身を寄せ合った2つの姿を浮かび上がらせた。
薄明るくなった室内で、前触れなく空色の瞳がパチリと開く。その持ち主である男がモゾりと、そっと身をよじると、寝具の擦れる音がした。彼は腕の中にある存在を柔く指先で確かめ、また直接その肌に感じると、安堵の息を吐いた。それから未だ眠る愛しい人を起こさぬ様に、頬にかかる柔らかな彼女の金の髪をそっと後ろへと梳いてから、その頬におはようの挨拶をして寝台から起き上がった。
冷える室温に眉根を寄せ、両腕を天井へと、全身で伸びをする。関節がぽきぽきと、小さな音を立てた。鍛えた腕にも、一晩中閉じ込める様に抱きしめ、枕として貸していた方がやや重だるい。
そちらは念入りに、ぐるぐると肩を回しながら足音を立てぬように歩き、チェストの上に用意しておいた室内着に袖を通し終えると、文机の上のシーカーストーンに手を伸ばした。
スイッチを入れると、小さい起動音が室内にやけに大きく響く。機械的な光に照らされた顔が、おっと、と焦りを浮かべ、リンクは肩をすくめた。寝台の方を見ると、ゼルダは微動だにしていない。規則正しい可愛らしい寝息だけが帰ってきていた。
それに安堵と愛しさを隠しもせず、リンクは微笑む。昨夜の事が一瞬、彼の脳裏を過ぎっていた。暗闇の中、感じる相手の声と吐息と温もりの記憶だ。
彼の妻であるゼルダは、美しかった。この狭い村だけでなく、ハイラル中探しても彼女ほどの人はいない。その昔、辺境の鄙びた村にまで伝わる程の容姿だけでない。その在り方──女神の裔ゆえか、そこに在れば空気すらも輝きを増す。一角ではない物を纏っていた。
けれど、そんな彼女の彼だけが知る顔がある。それを誰にも見られたくなくて、あの春の祭りのあの時以来。リンクは、夜、必ず家の鎧戸を閉める。
望む望まぬは他所に、この世界の為にその肉体が在り、その心は貪欲な知識欲から常にこの広い世界の全てに注がれる。そんな彼女を、唯一、自分が独占する事を許された時間。喜びと欲が、ふっとその表情に浮かぶ。
その露わになった感情を、シーカーストーンの明かりが照らし出していた。
また寝台に戻りたくなる気持ちを胸に押し込め、手の中の遺物を操作して地図を表示させる。
左下には気温が。右下にはこの先の天気予報が表示されていた。
全くもって不思議な技術だ。長年触れてきたリンクでさえ、未だに新鮮な驚きを禁じ得ない。
左下には13℃。右下には曇の印が今まさに消えて、晴れの印が表示された。その先、2つの晴れのマークが並ぶ。
(今日は、晴れか。でもまだ肌寒くて、少し湿度が高い。昼前には、からっとしそうかなぁ。午前中は、まとめて洗濯するか。夕方は、この天気だと肌寒いか。なら朝と夜は体の温まるもの。昼は食べやすくて、腹持ち良いものにしよう。
そうなると……、朝はパンにシチュー。昼はそのパンでサンドイッチ。夜は何にしようか……)
顎に指を当てながらシーカーストーンを戻す。主夫の思考を走らせながら、リンクは階段を降りて行った。トントントンと規則正しく階段が鳴り、階下でランプの灯りが灯ると、天井が暖かみ溢れた橙色に揺らいだ。
それから水瓶の水音がして、すぐに台所から音が響き始める。
ごそごそ。
コンコン。
とぷ、ととととと。
ごとごとごと。
トントントン。
こうして、ハテノの家の1日が始まった。