(美しい声だ)
その声が耳に響いた時に、リンクは思う間もなく、そう感じた。
《リンク……》
《リンク……》
リンク。少なくともその美しい声と老人は自分をそう呼ぶ。
記憶の抜け落ちた青年は、目覚める前から、何もわからぬまま、自身がそう呼ばれる存在である事を知った。
未だに腑に落ち無い気持ちが、時おり吹く強い風に足元を攫うような。落ち着かなさに常に支配されながらも大地を蹴り、魔物から隠れ、獣を屠り、森の恵みから糧を得る。
生き抜く事に一生懸命になりながら、ふと後ろ髪を引かれる思いに、胸を苦しくしながら。
(何だ!これは、何だ!)
胸に湧く怒りという原始の感情にすら、名前がつかない。
名前とは、なんだ。
目の前の赤く熟れた木の実、大地に根ざす山菜、水の中で泳ぐ魚。
名前など知らなくとも、火を入れて、かぶりつけば空腹の苦しさは満たされ、体に力がみなぎる。
それだけの物にも、1つ1つに名前がある。
それを知る事は、生きるという欲求よりも大切な事か。
自問しながら、今日もこちらを覗うようで、遠ざける。それが寂しくて、でも少し煩い。かの老人の声に耳を貸すのは、なぜだ。
リンクの1日は、生に素直な欲求と答えの無い疑問に支配されていた。
他とは違う。崩れた崖に立ち遠くを見やる。
緑の平原に、遠く険しい峰々が見えた。しかし、それが『山』という名前がある事も、大切な人と幾度も駆けた『ハイラル平原』という地名も、青年の頭には残っていない。
ただ、一緒に視界に入ってくる黒い影が渦巻く朽ちた城を目にすると、ぐちゃぐちゃに何かに支配され、動けなくなる。
魔物を目にした時の死を感じる恐怖はない。