素振り 20【今回の設定】
恋人関係の近衛と姫様です。
もちろん周囲には秘密です。
けど、侍女長くらいは「ご寵愛の者の一人くらい、私達がお守りします」くらいな感じがいい。
姫様から近衛を恋人にした。
両思いよりは、自分の気持ちに彼を付き合わせてるのかも。と、思ってる節もある。
✻ ✻ ✻
「只今、戻りました。姫様」
「ご苦労でした。リンク」
労いの言葉を口にすると、彼が面をあげた。
空色の瞳を。その奥の彼の真実を知りたくて、私は息を詰めて見つめる。
そんな物。どんなにのぞき込もうとも、分かるはずもないのに。
彼が私の視線に気づいて、逆にこちらをうかがってきた。
意図せずに見つめ合って、視線が絡む。
一瞬、喜びにあふれるが、それを自ら終いにした。
どうしても胸が痛む。
「何か?」
「いえ。何も」
嘘だ。先程、偶然目にしてしまった光景が頭から離れない。
研究室からの帰り。渡り回廊から、下を歩く彼の姿を見た。
近衛騎士の正装を隙無く着込んだ禁欲的な佇まい。どこから見ても完璧な私付きの騎士。私の想い人。
そんな彼が迷いない足取りで目指すのは、もちろん私の所だ。それが誇らしく、この上なく幸せだった。
なのに。彼がその歩みを止めた。同時に外回廊の庇からのぞいたのは、ひらめくドレスの裳裾。
若い者の間で流行っているという華やかな季節の花色にビーズ刺繍が見事なそれが、眩しく光る。
そして白いレースに包まれた細い手が彼の腕に伸びて、触れたのが見えた。
ぱっと視線を外して、塔の中へと飛び込んだ。部屋へと繋がる螺旋階段の欄干を手に、胸を抑える。誰だろう──彼を呼び止められる程の誰か。彼に触れる事が叶うだけの誰か。私は、今日の謁見予定者の一覧を頭の中で広げた。
あの令嬢か。それともあそこのまだ若い奥方か。
誰でもいい。けど誰であっても許せない。
そこまで思いを巡らせて、私ははっとした。
『許せない』。姫巫女たる私──慈愛と安寧。女神の代行者として求められている自分が、慈しむべき民に対してなんという事だろう。
自分が許せなくなって、声にならない声をあげ、握りしめた拳で自分の大腿を叩く。
ドンっと鈍く鳴り、青の絹が擦れる音がした。
それでも足りなくて、私は自分を責める様に唇を噛んだ。それは私の至らなさを罰する為に。
誰かを羨んだり、憎んだりしないように戒める為に。それで気分が晴れる事がないのは、十分わかっていた。
「姫様? どこかご気分でも……」
先程の事を思い出して、物思いにふけっていた意識を彼の声が呼び覚ます。
「何もありません。お下がりなさい」
「はっ」
素気なく言うと、彼は言葉を飲み込んで、頭を下げた。そのまま、こちらに視線を寄越す事なく立ち上がる。
彼がこちらに礼をとりながら振り向く。すると、近衛服がひらめいて、ハーブの香りが鼻先をくすぐった。それは、優しい眼差しと共に、背後からいつも寄り添ってくれていた。抱き寄せられた時にもふわりと匂い立つそれは、私の決意や心の壁をいとも簡単に壊してしまう。
「リンクっ!」
自分でも滑稽だと思うくらいの必死な声音で彼を呼ぶ。すると、彼は驚いた様子で、すぐにこちらを振り向いた。
彼には全く何も思い当たる事は、ないのだろう。その瞳をしばたかせた様子で、わかった。
それは、何だか悔しくて、悔しくて。
自分ばかりが苦しくて。でも、彼はこの秘密を受け入れて、共有してくれている事に感謝をしていて。久しぶりにぐちゃぐちゃになった感情が、思考よりも先に、言葉になって口から滑り出る。
「貴方は私に何か言う事はないのですか?」
「えっ……はい」
「本当に、ないのですね!」
「……。はい」
一瞬、視線を彷徨わせて、それから真っ直ぐにこちらを見つめる瞳に、心を囚われる。どこまでも澄んでいる。今の自分には分不相応だと、私の中の私が叫ぶ。
「私には、あります!」
そう小さく叫んで、私は彼のケープを掴んで引き寄せる。驚きにわずかに開いた唇に、噛みしめてしまったせいで僅かに腫れた物を重ねる。
いつもは人の目の届かぬ所で、優しくなぞる様に、触れ合うだけの口づけだった。けれど、今は私の私室。入り口からのぞけば簡単に見える場所で、昂るままに押し当てた。
触れ合った箇所から、動揺した震えが伝わってきた。
「っ?!姫様!駄目です。ここではっ」
「かまいません!」
彼が戻る前に人払いは済んでいた。逃げる唇を追いかけて、また重ねる。何度も、何度も。どうしたって高潔な彼とは1つになれないと、わかっているからこそ強く押し付け、首に手を回す。
すると、その指先に硬いものが触れた。マスターソードだ。厄災討伐の要。女神の遣わせた聖なる剣。
私は、はっとなって、即座に手を引っ込めた。自らの仕出かした事に、畏れから血の気が引いていくのがわかる。クラクラとする意識の中、その罪深い手をリンクが引き止め、柔く包み込んだ。
「リンク?」
皮と絹越しに触れ合う指先が、もどかしくて切なくて、視線を落とす。すると追いかける様に、空色の瞳が。唇が。指に落とされる。
赦されなくても、許されている。
胸が苦しい。
「リンク」
彼の腕が、私の腰に。背中にまわされると、そっと抱き寄せられた。
首筋に彼の秘められた吐息を感じ、彼の本心が優しく耳に響く。
「私も……」
答えようとしたが、彼の唇がそれをさせてくれなかった。
甘い。なぞっては、ゆっくりとついばむ。気持ちがあふれて、言葉にならなくとも伝わってくる気持ち。
甘く求められながら、胸に刺さる硝子の棘が痛み、堪らずその唇に小さく噛みついた。驚きに、彼が一瞬離れる。それでもすぐに重なって、絶えず離れずに、彼の舌先が私の唇を小さく宥める様に動く。
舌が絡まり、吐息に熱を感じてもなお、求めては小さく舌に噛みつく。
「姫様……」
求めても叶わぬ。解ってもなお、諦めきれず、言葉にならない。だから彼に痕を残す。
「んっ……」
鼻から声を漏らして、続きをねだる。求めながらも拒絶する口づけを交わし、私は彼に手を沿わす。手袋越しにも掌に伝わる彼の引き締まった体と熱。ケープのベルベットの感触、サーコートの胸の刺繍──王家の紋。それを握りしめる。
こんな私を、諦めないで。
赦して。
どうかその手を離さないで。
この時だけは、女神ではなく、貴方へと祈る。
必ず目覚めるから、それまではと、心で縋りながら。