姫君と蛮族 2 昔から姫君に仕える侍女長。
彼女は二人を幼い頃に見守っていた人物であり、ゼルダの良き理解者。
姫君は彼女の手を借り、厄災討伐および望まぬ婚姻回避に向けて、蛮族をハイリア式に仕込もうとする。父王に『退魔の剣を持つ勇者』と認めさせなくてはならないのだ。
今、国は困窮していた。
厄災の予言に慄くのは、予言を信じたハイリア人。他の種族は半信半疑に腰が重かった。
各自治区で神獣を発掘調査しているが、部族に発掘の名目で人が入るために支払う保証金。調査にかかる費用すべてを国庫から出した
故に成果を出さねばならぬのに、肝心の神獣は見つからず、要となる姫君の目覚めは訪れない。
大きな成果のない中、そこで現れた勇者までもがハイラル王国の者ではない。
これでは臣下どころか民草の支持は得られない。王家の根底をも揺るがす。
だからこそ、こうして目の前に現れた蛮族には『ハイリア人』然としてもらう必要があると考えた。
しかし、文化の違いに、言語の壁。どうにも上手くいかない。
既製品とはいえそれなりに格式ある服を着せようとしても嫌がられ、破かれてしまう。それを物珍しく見つめ、姫君に真似て体に巻こうとするから始末が悪い。
せめて湯で体を清めようとするが、体に描かれた紋章を擦ろうとすると酷く抵抗され、湯桶が割られた。
腹が減ったと言うので、食事を運ばせれば、全て手づかみで食し、ソースは不味いと添えた布で拭き出すわ、ワインは一口含むと吹き出す始末。ただパンとリンゴは気に入ったのか、何度もおかわりをねだられた。
信頼できる若い侍女達が端から後始末をするが、すでにその顔には反旗の表情が浮かぶ。
「姫様……これでは陛下の御前に出す以前の問題かと」
「そうですね。思ったより……難しい」
「思慮深い陛下の事です。なんとか彼を伝承にある勇者のそれに仕上げなければ、命すら危ういかと……」
我が父王ならさもありのんと、姫君は顔を曇らせる。
リンクの身を案じる気持ちを強く持ちながら、成さねばならぬ事も叶えたい望みもある。
「私に一計がございます」
「何ですか?」
「姫様の名誉に傷がつくやも……その覚悟はおありですか?」
一瞬、沈黙する姫君。目覚めぬ姫巫女という汚名以上の物はない。
「貴婦人が騎士に授ける『喜びの奉仕』。ご存知でらっしゃいますね」
「ええ。騎士に願いを叶えていただく代わりに……しかし、私は王家の姫です。あれは主従の枠を越え、婦人が騎士に願いでるもの。この国で私が命じれば応じるが常。それになによりもまず彼は騎士ではありません」
「そこをつくのです」
お耳を。そう言われて、侍女長の言葉に耳を貸す姫君。
その瞳が徐々におおきく開かれる。
人払いがされ、二人きりになった姫君と蛮族。
私室に安置された女神像に祈る姫君。
『ゼルダ。これ誰?』
『女神様よ』
姫君がゾナウ語で答える。
蛮族、それを耳にして、見えない尻尾が千切れんばかり振られているのがわかるくらい破顔する。
『やっぱり覚えてた!』
『少し。貴方とだけ使う言葉だから』
思わず、抱きしめる蛮族。
それを嫌とばかりに押しやる姫君。頬がほのかに染まる。
「女神様の前です。慎みなさい」
「つ……み?」
「おりこうにって、こと」
「おりこう。覚えてる。おれ、よく言われた」
『そうね』「貴方もよく覚えてくれていましたね……。素直に嬉しいです」
『うん』
二人、ほほえみ合う。
「リンク。聞いて」
『何』
「……貴方は、ここがどこかわかってる?」
ふるふると首をふる。
「私が誰かも?」
『うん』「ぜんぶ。ない」
姫君、眉尻を下げる。
何も知らない。何の関係も無い。大切な男の子を自分の運命に絡めとってしまった罪悪感。
「この国には……貴方の言葉でいう悪霊がいます」
慌てて、ばっと立ちあがり、周囲を警戒する蛮族。
まるで獣の様。姿勢は低く、周囲を警戒してあたりを見回す。
「大丈夫よ。今はまだ眠ってる」
慌てて、彼の腕を掴んで落ち着かせる。
『どこにいる?いつ襲ってくる?ゼルダ!』
「おりこうに!」
興奮した様子だったが、姫君のその一言で落ち着きを取り戻す。
「いいこ」
「ぜるだ。おれ、まもる」
そう言って、抱きしめる。
今度は、拒まなかった。
『ありがとう』
「貴方は私を……この国を守ってくれますか?」
『もちろん』
「これは私の嘆願です。叶えてくれるのなら、私は……貴方に報いましょう。私を……貴方の物に」
その言葉に、蛮族は驚きに瞳をしばたかせる。
それから抱きしめた腕を一度大きく広げてから、ぎゅーっと強く抱きしめる。
姫君がどこか泣きそうな顔なのは気づかない。
『やった!やった!』
蛮族、被り物を少し後ろにずらすと、姫君の鼻に自分のをこすりつけ、その唇をまたべろりと舐めた。
今度は狼の姿ではない。
はっきりと姫君の頬が朱に染まる。
「貴方がその剣で悪霊を倒して、私が封じます。そうしたらですよ!」
「たおす!やる!ぜるだ、おれとかえる」
蛮族、はしゃいで姫君の髪に顔を埋め、そのまま耳から首筋へにおいを嗅ぎ、唇をよせる。
姫君はくすぐったさに身をよじりながら、胸が痛む。
「……そうね。そうできたら……いいわね」
苦し気に瞳を閉じる。
『ゼルダ、愛してる』
「アイ、シテル?それは、どんな意味ですか?」
「いみ?なに?」
「アイシ、テル?アイシテ、ル?」
姫君の口から何度も繰り返される言葉に、喜びのあまりその場に押し倒す。
それは駄目と、すぐに姫君にマテをされて、おっぽを垂らしてしょぼくれる蛮族。
次の日。どこまでも晴れ渡る空の下。
ハイラル城下町のほど近くにある『式典場』では、姫君と従兄弟(姫君の母方。叔母の息子)にあたる貴族との婚約式が執り行なわれるはずだった。
ハイラル王を初め、居並ぶ重鎮。
そして城下町や遠く平原からは、一目見ようと物見高い民が集まっていた。
そこに現れた姫君。
正装のロイヤルブルーの左のそでが無くなっていた。
側に見慣れぬ異邦の男が控え、その腕には姫の青が風にふかれなびく。それは誰が見ても明らかに姫がその男に証を与え、嘆願を結んた証だった。
「今日のこの場に、何事か。申し開きがあるのなら申してみよ」
怒りをにじませるハイラル王。
「彼は私達が待ち望んだ、退魔の騎士です。背中の剣が、その何よりの証」
どよめく周囲。
「見せてみよ」
姫君が蛮族から剣を預かり、それを父王へ。
見聞するも鞘から抜くことは叶わず。蛮族がそれを手にすると、いとも簡単に引き抜く事ができた。青く光る刀身が、昼の明るさより周囲を照らす。
「私はこの国の姫。しかし、彼はその理を外れております。彼は古の民の末裔なれど、この危機に際し、女神より遣わされた勇者。この国を救う義務もなし。ならば、厄災討伐を乞うのに、誓いを立て、彼の武勇を得るに値する女は、この姫巫女たる私以外にありえましょうか」
「……よかろう」
「っありがとうございます。お父様」
「そなた。名は」
『リンク』
「励め。我が国とその民。そして、我が娘ゼルダの名誉の為に」
キョロキョロする蛮族。
「「御意に」と」
姫君が蛮族にささやく。
「ぎょいに」
そして、姫君が蛮族にそっと掌を見せる。
すると蛮族は一つ頷くと、稚拙ながら姫君に向かって膝をついた。
ハイラル王国盟主の前で。
「リンク。ハイラルの勇者。貴方は私の名誉のため、その剣を振るい、大地を駆け、我が国を脅かす厄災を退けなさい」
「ひめのため。このいのち、の、かぎり。しめい、はたす」
すみわたる空の下。人の、人と人の思惑だけが、厄災のそれよりも黒くどこまでも複雑に絡まり、その場に重く渦巻いていた。