それはきっとあなたとおなじ 99
風でカタカタと窓が鳴るお昼過ぎ。ヴェント・エストの扉が静かに開いた。
扉が開いても、その店の看板娘は邪魔にならない程度に挨拶するくらいで、それ以降は口を開かないし、定位置に立って客に近づかない。じっと客が何を求めているのか探るのだ。売りたいからもある。しかし、客と商品の対話を邪魔しても無粋だと彼女は思っていた。
今日の客は、近くに住む青年だった。彼は、短く挨拶をすると、勝手知ったる店内を見渡した。外から訪れる旅人用にと、中央に飾った看板商品には目もくれず、品揃えが寂しい端の棚に向かう。近隣に住む者の為に置いてある生成りの布や染め物、簡素な普段着が置いてある場所だった。きょろきょろと見渡して、厚手の物を手にとっては戻している。
どうやら目当ての物があるようだと。彼女は息を潜めて見守っていたが、ここが出番と定位置に立ったまま、彼に声をかける。
「リンクさぁ〜ん、何かお探しですか〜」
「ソフォラ、助かるよ。ゼルダに何か羽織るものないかなって」
「あれ〜? 先日、フードをお求めいただきましたよね〜」
ようやっと定位置から歩み寄ったソフォラは、その歩調と同じくのんびりと小首をかしげる。
「あぁ。あの時はありがとう。刺繍糸を世話してもらったって、ゼルダが」
「いえいえ〜。些末な事です。ご希望に沿った糸がなかなか難しくて手に入らず……申し訳ありませ〜ん」
そう言って、顔の前で手を振ると、眉尻を下げる。声にも顔にもはっきりと感情が出て珍しいと、リンクは思った。
「いいんだ。こっちも無理言っちゃった」
「とんでもない!できるならご要望に沿って、手仕事を拝見したかったです!見事な柄に仕上がりましたよね。父も勉強になったと言ってました」
ソフォラは、一気にまくしたてた。いつもの間延びした口調や、こちらをうかがう眼差しも仮面がポロリと落ちて素の顔が現れた様だった。
「そ、そう? よかった」
「はっ……失礼しましたぁ〜。私ったら、お恥ずかしい〜」
「そんな事ないよ。そうそう、でね。朝晩は冷えるから、それとは別に家とかこの辺で気軽に羽織るのないかなって」
「あ〜、なるほど〜。それなら、これなんてどうでしょ〜?」
ソフォラがそう言って、棚から手にしたのは真っ白なケープだった。
「この春に刈ったハテノ牧場のコウゲンヒツジの毛を編んだ物です。目をきつくしてあるので、ちょっとだけ固くて重たいかもしれませんが、裏地には風を通しにくくする為の生地も入れてます」
ソフォラが合わせのボタンを外して差し出すと、リンクはそれを手にして、指先で感触を確かめる。固い編み目にわずかに残る柔らかさがあり、優しく包み込まれる様なあたたかさがあった。
リンクがケープの襟ぐりの肌触り、布の端の始末や、広げた感触に着丈を確かめるのを見て、ソフォラは口元をほころばせる。大切な人へと、丁寧に選ばれたこの商品は、幸運だと思ったのだ。この店で扱う全ての物に愛着を持つ彼女には、これ以上の幸せはなかった。
「ハテノの朝や夜は、この季節でも冷えるからびっくりしませんか〜? これなら本格的な冬まで外で使えます。真冬でも家の中や、ちょっと外に出る時に使えて重宝しますよ〜」
「色、いいね。真っ白だ」
かつてゼルダが身につけていた冬装束を思い出して、リンクは目を細めた。寒冷地に赴く際、身に纏う雪景色に溶け込む純粋な白。それが輝く金の髪を引き立てていた。
こちらを振り向く際、その輝きが晴れ間の青空と雪景色に溶ける様を。寒さに染まる肌、そこだけ春を思わせる緑の瞳が、とても美しかったのを思い出す。
雪が降り積もるというハテノの冬。そこにゼルダがいると思うだけで、これ以上の幸せはないと思えた。
「やっぱりお目が高い。染色はそこの東風屋さんの自信作です〜。ゼルダさんの髪や瞳に映えますよ。あと〜」
「ん?」
にたぁと、ソフォラが笑う。言いたくて、言いたくて、ずっと我慢をしていた。この商品を勧める最後の拘りを指さした。
「これ。このボタンが青なんです」
「青?」
木目を活かした半円の丸みが可愛らしいそれを、リンクは顔を近づけまじまじと見つめる。塗りは裏側まで塗られ、艶出しまでされていた。糸も生成りではなく白で、布地の厚さ分高さがあり仕事も丁寧だ。
「そうです〜。誰かの瞳そっくりの〜」
言われて、リンクは得心が行ったと唸った。そして、つい口元が緩む。
「相変わらず、よく見てる。上手だね」
「どうも〜」
「これもらうよ」
「どうもありがとうございますぅ〜」
ソフォラが鼻歌混じりに、ケープを包む。糸くずなどついていないか確認してから丁寧にたたみ、簡素ながら生成りの布で包む。そんな時、彼女はいつも祈りを込めていた。(このケープは幸せね。ご主人をさらに美しく、幸せな気持ちにして、あたためてね。大切にされてね)と。
今日は特別気分が良く、本来なら紐糸で結ぶがとっておきのリボンで留めた。
そのあまりにご機嫌な様子に、リンクはつい吹き出した。
「お待たせしましたぁ〜。どうされましたぁ〜?」
「本当に好きだね、お父さんの作る服」
ソフォラが目を瞬かせ、きょとんとした顔をした。
「……話しましたっけ?」
またゆっくり小首をかしげさせながらも、口調に素がでる。
「ううん。なんとなく。お客さんの事、よく見てて、的確にすすめてくるし。けど、こっちに押し付けてこないし。上手いなーって、そうゆうとこかな」
「さすがですね〜」
ふふふと、ソフォラが笑う。
「あたりです。父の服が大好きですよ。……個人的な話になっちゃいますが、母を亡くして、娘なんてどう接したらいいのかわからなかったと思うんです。あんな父ですから。たぶん、今も」
間延びしたいつもの職業的な口調をしまい込み、ソフォラは父親がいる外を見やる。
「だからかな、何か言う前に服を仕立ててくれました。こんな時代なのに、何枚も何枚も。さり気なく拘って。普段は外をフラフラしてますが、自慢の父です。だから、そんな父の服を皆さんにお譲りするのが楽しくて。そんな機会を見逃したくなくて、夜でも店番は私なんです」
「そっか」
「先日お譲りしたローブ。先程も話しましたが、ゼルダさんの刺繍は見事ですね。古風ですが、凝った、この辺ではみない刺し方でした」
ふらりとソフォラは奥へと足を運んで、すぐに戻ってきた。手にした箱を開けると、そこには所々が擦り切れてボロボロの古い布があった。たぶん青だったろう。手巾程の大きさの布には、見事な金糸で立体的に刺繍がされていた。
「これは、昔滅んだハイラル王国の王族が好んだ図案です。ゼルダさんのフードと同じ。これは、そこかしここが欠けてるでしょ。それを見事に埋めて刺されていました。……不思議な方ですね」
そうだね。と、リンクが短く答える。一瞬、沈黙が渡ると、ソフォラは目を細め、それ以上詮索はしなかった。
隣人の秘密と一緒に、丁寧に箱に蓋をすると、そっと撫でる。
「ゼルダさんさえよければ、また教えていただきたいんです。本当は凝ったお洒落な服を、この棚にもっともっと置きたいんです。それが私の野望です」
「話しとく。ゼルダも喜ぶよ。おれもゼルダを認めてくれる人がいてくれて嬉しい」
ソフォラも同じと瞳を輝かせた。
「嬉しいです。お時間いただいてしまいました。よろしくお伝えくださいね〜」
そして、そっと包をリンクに差し出した。
「またのお越しをお待ちしておりまぁ〜す」
いつもの口調、いつもの表情にちょっとだけ親しみを込めて、ソフォラは微笑んだ。