緊急事態「流川、備品出すの手伝ってくれる」
「…ッス」
いつもより低めの声で名指しで呼ばれる時はだいたい機嫌が悪い時である。疑問系でもなく手伝え、と半ば強制。同じ中学であるというよしみなのか、他に気を許せる人がいないからなのか。
相変わらずホコリっぽい倉庫の中をズンズンと進んでいく先輩の荒っぽい動作を見る限り、今日は一段と機嫌が悪いようだ。
「リョータのやつ、さっき告白されていたけど、付き合うのかしら」
始まった。いつも前置きもなく唐突に始まる愚痴。愚痴の種類も色々あるのだが、最近は宮城先輩絡みが多いのは無意識なのだろうか。そんなに気になるなら俺じゃなくて本人に言えばいいのに、と毎回思っていても口に出せば面倒なことになることは容易に想像がつく。
「あたしにあんな態度とっておいて…」
「まあ、あれだけ思わせぶりな態度なのに他の人と付き合います。と言われたら先輩は怒っていいと思いますけど」
思ったままを口にしたのだか、先輩にとっては意外だったのか丸々した目が驚きを隠せていない。
「あんたがそんなこと言うとは…」
意外に人を見ているわよねと。先輩が零すが、人を何だと思っているのだろうか。
しかし、先輩も美人なのだからいくらでも声がかかっているだろう。けど、宮城先輩を気にかけるということは、そういう心情が自身にあるのに気付いていないのだろうか。俺の為にもいい加減気付いて欲しい。
「でも、先輩は一度素直になったほうがいいですよ」
「素直って、なんの話よ…」
「…本当に気付いてないんすか」
もはや、呆れを通り越して苛立ちを覚える。何で自分がこんな立ち回りをしないといけないんだ。少し荒っぽいがしょうがない。先輩の方に歩み寄って距離を縮めれば先輩の瞳が戸惑いに揺れる。
「は、ちょっと、流川……近い、急に何よ…」
トンと胸を押されるがあまりにも体格が違いすぎる。後退する先輩だが、雑多に物が置かれていて後が無い。
「ほら、好きでもないやつに迫られるの嫌でしょ」
そう訊けば、耳まで赤くした見慣れない先輩が眼下で身を震わせている。その様が小動物みたいだなと思うのと同時に、可愛いなという気持ちが湧いてくる。
「…っ…あんた、顔が良すぎるのよ!!!」
言っている内容と勢いが噛み合っていない。
「アレと、ソレ!持って先に行ってて!」
置いてある備品にぶつかりながら慌てて出ていく背中を見送りながら、迫ったことが余程嫌だったのだろうかと流石に傷ついた自分がいる。
*
自分でも流川によく愚痴を零している自覚はあった。寡黙だがちゃんと話は聞いてくれるし、的確な返しもしてくれていた。
友人たちとは決して仲が悪い訳ではないが、彼女らの中での私のイメージは"姉御肌の彩子"なのである。頼られることがほとんどで、イメージが崩れる事を恐れて頼ることが未だに出来ない。そんな状況の中、見知った後輩が現れて心許してしまった。
今日もリョータのことで苛ついていたのは事実。だって、あんなにアヤちゃんアヤちゃんと言っていたのに、モテ始めればやはり物腰が柔らかくて優しい女の子がいいのだろうかと思ったら無性に腹が立った。
だからいつものように、流川に愚痴を零していたのに今日は違った。あんなに流川から近寄ってくるのは初めてである。
彼の顔の良さはずっと見てきたし、知っているつもりだった。しかし、その眼差しが自分にだけ向けられていると思うと急に恥ずかしくなった。
切れ長の目は獲物を捉える如く鋭い。この眼差しに何人の女の子が落とされてきたのだろうか。
あの目にあてられれば、恋愛感情を抜きにしてもドキドキしてしまう。
流川から逃げるようにして出てきたが、未だにあの目が脳裏に焼き付いて離れない。
「本当、心臓に悪い……」
なかなか帰ってこない私を心配して探しに来たリョータが来るまで、私は倉庫裏で放心していた。
その後しばらくは流川のことをまともに見れなくなったし、リョータには流川との気まずい雰囲気を問い詰められたりしてもう最悪である。
流川覚えていなさいよ!と、まだ流川を正視出来ない状態で心の中で捨て台詞を吐いた。