信頼の話 ジルの魔力が何者かに奪われた。
どうやらそのジルの魔力を辿れるのは、何故か人間のリゼルだけらしく、ほとんど魔力のないままのジルと、そのジルの使い魔であるイレヴンは、仕方なくリゼルを魔界に連れてきたのだけれど。
「おい。そっちに行くんじゃねぇ」
ジルは少しでも目を離したら、すぐに他の悪魔について行こうとするリゼルの首根っこをむんず、とばかりに掴み締めた。
「うひゃあ!?」
素っ頓狂な声を上げて身を竦ませたリゼルは、慌てたようにジルを振り返る。
「何するんですか、ジル!」
「何するんですか、じゃねぇよ! ホイホイ気安く誰にでもついていくな!」
確かに、この広い魔界でジルの魔力を見つけようとするには、さすがに見当もつかないとはいえ。
「おー、でけぇ魔力? それならこないだ見たぜ?」
「本当ですか!?」
「ああ、本当さ。教えてやるから、ついて来いよ」
なんて、あまりにお約束の展開にも関わらず、リゼルはホイホイと何の疑いもなく太い尻尾を揺らした悪魔の後を小走りについていこうとする。
……そろそろ自覚をして欲しいのだけれど。
「ここは魔界なんだぞ? 悪魔がタンマリ居るんだぞ!?」
「解ってますよ、そんな事。それに、君だって悪魔じゃないですか」
ジルの勢いとはまるで正反対。きょとん、と目を瞬いたリゼルに、滅多に感じない頭痛がする。
解ってねぇ……。全ッッ然、解ってねぇ。
「ジル?」
むっつりと黙り込んでしまったジルを見上げて、リゼルはイレヴンと顔を見合わせた。
この魔界では、「人間」の存在がどれ程異端で危ういものなのか、この底抜けに警戒心のないリゼルには解らないだろう。
その柔らかな肉がどれ程悪魔の「性欲」を誘うのか。その素直な魂がどれ程悪魔の「嗜虐」を誘うのか。悪魔にはないその甘やかな匂いが、どれ程の「食欲」を誘うのか。
この魔界には、人間そのものこそが好物の悪魔も多い。
特にリゼルくらいの少年は目を付けられやすいというのに。
ほら、今だって多くの目がリゼルに注がれている。その中に混じる敵意や欲にまみれた視線に、きっと彼は気付いていないだろう。
だが、それを目の前のリゼルに伝える事も出来ず、ジルは口をへの字に曲げる。
ジルの沈黙をどう受け取ったのか、
「……大丈夫ですよ、ジル」
リゼルはにっこりと笑顔を見せた。
あまりに素直な笑顔に首を傾げると、リゼルはジルを見上げて大きく頷く。
「だって、君が傍に居てくれるんでしょう? だったら大丈夫ですよ」
「……………………」
それは、ジルが今までもさりげなく、ジルが気に入っているという理由だけでリゼルを襲ってきた愚かな悪魔から庇ってきたからだろうか。
どれ程言葉を尽くそうと、ジルもここに居るヤツらと何ら変わらぬ悪魔なのだと、リゼルは解っているのだろうか。
知らず苦々しい顔をしていたらしい。
リゼルは不意に年不相応な大人びた苦笑を浮かべると、
「俺は、“ジル”を、信じてますから、ね?」
特にジルの名前に重きを置いて、ゆっくりとそう告げた。
大切そうに名前を呼ばれて、蕩けるような笑顔を見せたリゼルに、これ以上何が言えようか。
ジルは無言でぐしゃぐしゃと髪をかき回す。小さく笑ったリゼルの声がしたけれど、それは聞こえない振りをした。
「……仕方ねぇな。傍に居てやるよ」
「じゃあ、もう少し、君の魔力を探しに行きましょうか」
「うッス!」
仲良く笑みを交わす使い魔のイレヴンとリゼルを横目で見て、ジルはチラリと辺りに目を走らせた。
「おい、アレ見ろ」
勢いよく明後日の方向を指差すと、素直な使い魔は慌てたようにジルが指差す方向へと身を乗り出した。
その瞬間を狙って、ジルはリゼルの手を掴んで引き寄せる。そして、突然の事にバランスを崩して寄りかかってきた良い匂いのする少年の無防備な唇に唇を寄せた。
「……! じ、ジル!」
引っくり返った声を上げてジルから飛びのくと、リゼルは大きく目を見開いて、真っ赤な顔で唇を手の甲で覆う。
――――お、これは初めて見る顔だ。
「ま、これくらいのお駄賃はあってもいいよなぁ?」
ペロリと柔らかな感触の残る唇を舌先で舐めて、肩を竦めて笑ったジルをジロリと睨み付けると、リゼルはぷい、とジルに背を向けた。
「何んにも見えねぇッスよ。ニィサン、何が見えたんスか?」
「んー? そうだなぁ。滅多に見れねぇ可愛い顔かなぁ」
「ジル!!」
不満げに唇を尖らせるイレヴンを見下ろして、にんまりと太い笑みを見せたジルに、リゼルは今度こそ裏返った悲鳴のような怒鳴り声を上げた。
「おお、怖ぇなぁ」
「もう知りません! イレヴン、行きますよ!」
イレヴンの手を取ったリゼルは、肩を怒らせながら大股で先を歩く。ジルはその後ろ滑るように追いかける。
『君が傍に居てくれるんでしょう?』
勿論、傍に居るとも。
例え力を失っていたとしても、どんな危険からも、守り通してみせる。
ジルはいつだって、最後までリゼルの傍に居る。
イレヴンと手を繋いだまま、ちらりとジルを振り返ってきたリゼルは、変わらぬ信頼のこもった目を細めて、照れたような笑みを見せた。
リゼルが寄せる信頼を、裏切ろうなんて思わない。
リゼルの信頼程、大きな喜びと力をもらえるものはないのだから。