変人だけど顔は綺麗な人だと思っていたから、唇が触れても嫌ではなかった。センパイがオレをどう思っていたかは知らないけど、満更でもないのは顔を見てすぐにわかった。
「司センパイ」
「なんだ」
その表情はずるい。どうせはじめてのキスだったくせに、見栄を張って余裕ぶって。赤くなった頬と潤んだ瞳が全部台無しにしていて、それが余計にそそる。
「もう一回、いいですか」
センパイの視線が泳ぐ。その気持ちは手にとるようにわかった。だってオレたちは恋人じゃない。まだ出会ったばかりで、お互いのことなんてほとんど何も知らなくて、好きかどうかもわからない。それでもオレの視線はセンパイの口元に釘付けで、心臓はどくどく音をたてていた。
「いい、ぞ」
やった、と言いそうになって、慌てて口を閉じた。変な勘違いをされても困る。
「目、閉じてください」
「ん」
力がこもって、眉間に少し皺が寄っている。不慣れなのがよくわかった。そういうオレも、決して慣れてるわけではなかったが。
「はやく」
うわ、かわいい。この人本当にあの天馬司か?あの変人ワンツーの片割れか?なんだこのギャップ。やばすぎるだろ。
「…しますよ」
センパイが小さく頷く。吸い寄せられるようにキスをした。引き結ばれた唇を、舌先でノックするとセンパイの肩が震える。恐る恐る、応えるように口を開いてくれたのは少し意外だった。ちゃんと乗り気ではあるらしい。受け身なのは、やっぱり経験不足だからだろう。なんだか優しくしてやりたくなって、適度に休憩を挟みながら舌を絡めた。荒い息遣いと卑猥な水音。全身が心臓に乗っ取られたみたいだ。鼓動がうるさい。不意にまつ毛が震えて、蜂蜜色の瞳が丸くなった。司センパイがオレから距離をとる。
「お前、なんで目を開けてるんだ!」
「あ」
言われて初めて気がついた。キスをしている間のセンパイの顔が、鮮明に浮かび上がる。
「忘れてました。いいじゃないすか、別に。減るもんじゃないし」
「お前なぁ…!」
ちょっと怒った顔、やっぱり司センパイだな。眉毛の角度が特に。
「司センパイ」
「今度はなんだ」
「またしましょうね」
勢いよく顔を背けられ、心臓が少し冷たくなった。センパイはただ雰囲気に流されただけで、もしかしてそんなに興奮してなかったのか?そう考えて、結構ショックを受けている自分にショックを受ける。
「…ん」
「な、なんすか?」
「だから、いいぞ」
「えっ」
「また、しような」
そう言ってはにかんだ司センパイが、寝ても覚めても頭から離れなくなった。
寝不足の身体を引き摺って学校に向かう。目の前が急に明るくなった気がして顔を上げると、そこに司センパイが立っていた。
「おはよう、彰人」
「…おはよーございます」
司センパイの雰囲気が、いつもと違う気がする。声が馬鹿でかくないし、変なポーズも取らない。何かあったのかと思って、あっただろと自分を張り倒したくなった。オレが寝不足なのもそのせいなのに。
「っ…センパイ」
「なんだ?」
司センパイが小首を傾げる。その仕草がものすごくかわいい気がして、慌てて首を振った。そんなわけない、あの司センパイだぞ。顔が綺麗なのは事実だ、認めざるをえない。だけど「かわいい」は違うだろ。それだけは超えてはいけない一線だと、オレの本能が囁いていた。
「彰人?」
「いえ、なんでもないです」
おいおいおい。正気かオレ。たった一回のキスでこんな風になるなんて。センパイもセンパイだ。変に意識するな。いつも通り馬鹿みたいな高笑いをしろ。無駄にかっこつけながら堂々と歩け。くそっ、なんでこんなこと祈らなきゃいけねぇんだよ。
「そうか」
センパイが視線を落とす。目、でかいな。髪も艶々してるし、肌も女子に負けないくらい綺麗だ。本当に、見た目だけは最高じゃないか。バレないようにチラ見して、最終的に昨日のキスを思い出す。またしようって言った。いつとは言ってないけど。今、もう一度したくなった。
「司センパっ」
センパイの腕を掴もうとしたその時だった。
「おや?司くんに、東雲くんじゃないか」
「類!」
良いところで邪魔が入った。変人ワンツーのツーの方。不思議そうな顔をして、オレと司センパイを交互に見ている。
「2人で学校に行くなんて、珍しいね?」
「あ、あぁ。今日はたまたまな。…なんかお前、鞄が膨らんでないか?」
司センパイの言う通り、神代センパイの鞄は、何故かパンッパンに膨れ上がっている。もう嫌な予感しかしない。
「フフフ。よく気が付いたね。さすが司くん」
神代センパイの目が怪しく光る。巻き込まれないうちに逃げるのが得策だ。わかっているのに足が動かない。なんでだ。司センパイがいるからだ。
「類…お前、また爆発させる気か?」
「さぁ、どうだろうね?」
「させる気だな⁉」
「そんなことないよ。それに、毎日爆発させてるだけじゃ、芸がないだろう?」
「芸がないことはないだろう…」
変な気分だった。神代センパイと話す司センパイはもう、いつも通りの変人だ。そうなれと思っていたはずなのに、いざそうなると不愉快だ。
「あー、すみません。用事思い出したんで、オレ先に行きますね」
「あっ…彰人!」
司センパイの声だけがオレを追う。後ろを向いて吐き捨てたくなった。
(オレと司センパイは、昨日キスしたぞ)