花だけが聞いていた まだ寒い冬の早朝。
あさぼらけの空を見上げながら、なんとなく目が覚めたので鶴丸は庭をそぞろ歩く。
綿入れの半纏、首には毛物の襟巻きを巻いてしっかりと防寒しているのは、うっかり大倶利伽羅に見つかろうものなら渋い顔をされるからだ。
馴れ合うつもりはない、が常套句でありながら情の深いあの子は旧知の鶴丸を放っては置かない。
半纏も襟巻きも夜半や明け方のいっとう冷える時間にふらっと本丸の敷地を彷徨く鶴丸の癖を知った大倶利伽羅がいつの間にか用意して、ある夜更けに無言で着せられた。
その顔があまりに真剣であったので、されるがままとなり現在に至る。
夏用には薄手の肩掛けまでが常備されている辺り、彼自身がどう思っていようとも優しくて世話焼きな子だ。
甲斐甲斐しく態度に出すわけじゃない。
けれど己が放っておけない、と思ったことにはそっと、それでいて否を言わさず寄り添う。
手を貸してくれる時もあれば、見守るだけの時もある。
大倶利伽羅はその見極めがとても上手かった。
だからだろう。
鶴丸は彼のそばにいる時にだけ、肩の力を抜くことができたし、弱音混じりの本心を見せることも自分に許すことができた。
風に乗って梅が香り、寒さの中にも少しずつ色付き始めた晩冬の庭。
何かが鋭く空を切る音。
そして気迫のこもった微かな息遣い……誰かが寒稽古をしているのか。
(そう言えば農閑期の頃は伽羅坊は任務がなければ早朝から鍛錬に励んでいるようだと石切丸が言っていたな)
断りきれず碁の勝負に興じていたときの他愛ない会話を思い出す。
もし大倶利伽羅であるならば、いつものように頑張っている姿を拝んでやろうと足を向けたのだが……
「なんだ、大包平か……」
「なんだとはなんだ! 失礼なヤツだな、鶴丸国永」
素振りをしていた赤い髪、銀灰色の瞳の偉丈夫は、刀剣の横綱と言うに相応しい美形である……であるが、声のデカさも横綱級で現在顕現が確認されている男士のなかでも間違いなく上位に入るだろう。
声を潜めているようだったのは己の声のデカさを自覚してのことか。
てっきり旧知の坊かと思っていたのに、寡黙な彼とは真逆な大男がそこにいたのだから鶴丸としてはがっかりしたのを許して欲しい。
「いや、申し訳ない。てっきり伽羅坊かと思ったものでな」
「伽羅坊……? 大倶利伽羅のことか。確かお前たちは旧知のなのだったな」
「ああ、伊達家で長く一緒だったんだ」
「なるほど。大倶利伽羅なら今朝は来ないぞ。夜戦組で出陣しているはずだ……昨日の朝、そう言っていたからな」
「なんだ、おまえたちは一緒に寒稽古してるのかい?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。そもそもここで寒稽古をしていたのは大倶利伽羅の方が先だったようだからな」
なるほど、ここは母屋などからは少し離れた場所である。
殺風景な冬枯れの庭。
赤々と咲く木瓜の花だけが色鮮やかだ。
道場での手合わせでないなら、ここでひとり静かに己と向き合いながら鍛錬をする彼の姿が思い浮かぶ。
「あの子がよく許したな。俺ひとりで十分だと言いそうなものだが」
「そうは言われたが、俺も引き下がるわけにはいかん。ここに咲く木瓜の花を見習い、寒さの中でも負けずに共に咲くと決めて鍛錬することにしたからな。ちゃんと理由を言ったら静かにすることを条件に場を同じくすることを許してくれたぞ。大倶利伽羅は言葉は少ないが、話せばわかるやつだ」
「そうだろう、そうだろう。あの子はとてもいい子だからな!」
押し切られたんだな、とも思ったがそれは言わぬが花だろう。
あの子は自分が思うよりずっと押しに弱い。
悪意や害意には決して諾としないが、それが善意であり筋が通っていることなら強く拒絶はしないのだ。
その証拠に畑仕事では仲間意識を持たれたのだろう桑名江によく絡まれているし、その縁で江の者たちにも懐かれている。
総じて押しの強い面子の集まりなので、虚無顔をしながら付き合っているのをいつも微笑ましく見守っていた。
この本丸で、大倶利伽羅が独りではないことは鶴丸を安堵させる。
(……いつか俺が……てしまっても……)
「鶴丸国永」
不意に真面目な声音で呼ばれて目線を向けた。
先程までの、不穏な思いは霧散する。
「貴様も山姥切国広同様、この本丸の古参だったな」
「ん、ああ、確かに初期の頃からいるが、それがなにか?」
「…………坊、と呼んで可愛がるほど親しみを持つ相手がいるのなら、くれぐれもその相手を哀しませないようにすることだ」
先の任務の顛末については鶴丸も審神者に聞いている。
放棄された世界での、敢えてそのように導かれた任務失敗……愚直なほどの真っ直ぐさが目につくが、大包平も平安の頃に打たれた刀。
刀剣男士として顕現してからの日は浅くとも、永く在った付喪である彼は思慮も深ければ、察しも悪くはない。
「大倶利伽羅が強くなりたいと鍛錬に励むのは何のためだ? その理由を俺は知らん。知らんがやつに『強くなりたい』と思わしめる何かがあったのは察することができる。その覚悟を、旧知であるおまえが無為にするものではない、と俺は思うぞ!」
「…………」
「真っ先に散ろうとするより、共に咲き続けるために努力をしたほうが俺にはいいように思える。でなければ、なんのためにこれほど多くの刀剣男士が本丸という場に集っているのか……古参のものたちは少しばかり荷を負いすぎだ」
密かな声、静謐な眼差し。
(……伽羅坊と大包平。性格は真逆だが、本質は似ているのかもしれないな)
ひとりにはしないのだという、強い意志。
(まいったな)
心のうち呟きながらも、口の端が柔らかく緩む。
「忠言が耳に痛いな……善処をする、としか言えないが。それでも俺が帰る場所はこの本丸だ。ここには気心が知れた、それでいて頼りになる止まり木がいてくれるからな」
あの子には内緒だぜ、と片目を瞑れば大包平は肩を竦めて見せる。
古参と新参。
だが共に平安の頃に打たれた太刀、ふたりの会話を冷たい風に花揺らす木瓜だけが聞いていた。
終幕