やさしい気持ち 刀剣男士たちが寝起きをするための棟、その一室から灯りが漏れているのを確認した日向は大急ぎで厨に向かい、残してあった汁物を温め直し、用意してあった握り飯に漬物を添えて戻る。
「……鶴丸、まだ起きてる?」
声を潜めて問いかけると、間もなく戸が開いた。
「日向じゃないか。こんな時間にどうしたんだい?」
夜も更けて、そろそろ日付が変わりそうな時間に訪れたのだから、その質問はもっともだ。
「夕餉、食いっぱぐれたでしょ。おにぎりと味噌汁だけだけど、何かお腹に入れてから寝た方がいいと思って」
今日一日、日向は注意深く鶴丸の動向を確認していた。実は夕餉だけでなく、昼餉も抜いていることは確認済みなのだ。
刀剣男士は食わなくても死にはしないが、空腹という感覚はあるのだから、任務中ならいざ知らず、本丸での日常でそれを誤魔化すのは難しい。
『あいつはそういうことには殊の外無頓着だがな』
そう呆れたように言った声を思い出す。
口ではなんと言いつつも眼差しには案じる気持ちが滲んでいたのが、彼の情の深さを感じさせた。
「…………」
驚きに一瞬だけ目を見開いた鶴丸は困ったみたいに笑み崩れる。
「伽羅坊の入れ知恵かい?」
「……気遣いでしょ。鶴丸は任務中以外目を離すといつまででもぼんやりしてることがあるし、食事も睡眠も平気で抜くから本丸にいるときは注意してやってくれって……遠征前にわざわざ僕や浦島、物吉なんかにも声をかけてたんだよ。今夜はたまたま僕が本丸にいただけ」
大倶利伽羅の言葉通り、今日の鶴丸は水心子に声をかけられるまでずっと『さきがけの梅』を見ていた。
感情というものが一切抜け落ちたみたいな顔で。
任務中か皆の中でわいわいしている時の鶴丸しか知らなかった日向には、その表情はとても衝撃的なことで……
(何があったかはわからないけど、僕の知らない何かがあったのはわかる。大倶利伽羅が心配するはずだ)
鶴丸の身体越しに、小さな花瓶に活けられた梅の枝が見える。
剪定で切られたものだけれど、幾つか蕾がついているそれを、彼は部屋の中でもぼんやりと見つめていたのかもしれない。
日向が声をかけなければ、朝まで。
「大倶利伽羅は、きっとたくさん、鶴丸のことを考えたんだね」
島原での任務で、鶴丸の意図を先んじて読むように動き、まるで影みたいに寄り添っていた大倶利伽羅。
息ぴったりの阿吽の呼吸は、互いへの信頼だけじゃない、きっと大倶利伽羅が鶴丸のことを案じ続け、己に何ができるのが考え続けて辿り着いたものなのだろう。
彼が今も鍛錬を欠かさないのも。
「…………あの子は情の深いいい子だからな」
先ほどの困ったようなそれではなく、どこか自慢げな笑み。
ああ、そんな風に笑えるのならば、大倶利伽羅の優しさも頑張りもちゃんと支えになっているのだろう。
鶴丸は過去の『何か』から未だ動くことは出来ないのだとしても、顔を上げ前を向いているのだと、そう感じることができた。
「その『いい子』にあんまり心配かけちゃダメだよ。これ、ちゃんと食べて寝ないと大倶利伽羅に言いつけるからね」
「ふ……それは勘弁してほしいな」
あの子の無言の圧はなかなかに堪える、そう言いながら握り飯と椀が乗った盆を受け取った。
「日向……ありがとうな」
「どういたしまして」
早咲きの梅の花。
芳しい香りを纏い、この本丸に春の先駆けを告げる。
自室に戻る途中、そのやさしい香りを思い出しながら『きっと上手くいく』と、日向は祈るような気持ちで胸の内、そう唱えた。
終幕