本の中からこんにちは。 ライカは図書館にやってきた。何をするためかと言われたら、ただ単純に宿題を片付けるためだった。学校ではダメだ、頭の悪い同級生たちに邪魔される。家はもっとダメだ、あんな場所は自宅といえたものでさえないがとにかくダメだろう。
紙と埃の匂いを感じながら、ライカはできるだけ物音を立てないように歩く。こつこつ足を鳴らしてしまっては、静かな空間に申し訳がつかない気がするのだろう。哀れなことだ、知識を求める人間を歓迎する場所だと言うのに。
勉強用の机を一席借り、ライカは宿題を広げる。けれどもその手はあまり進まない、幼稚な問題ばかりで退屈なのだろうか。それとも根本的に授業の内容を覚えていなかったのだろうか。
「やぁライカ、宿題は順調かね」
見るに見かねて、スペーサーはライカに声をかけた。本棚の中からだ、その当時スペーサーは人間の形を持っていなかったのだ。
「……、?」
声をかけられたライカはきょとんとしながら、ふらりと目線を上げ周囲を見る。
そこにスペーサーはいた。明確には、ライカの隣の席に腰掛けていた。スペーサーが人の形をとったのはその時だった、少なくともスペーサーにとってはそれが初めてのことだった。
ライカはスペーサーを見ると、しばらくは黙り込んだままだった。そして小さく首を傾げたように見えた。その場所がたまたま日が差し込む場所で、少々眩しかったから目を細めただけだったのかもしれないが。
「勉強が捗っていないようなら、一度別のことに目を向けるといい。詰めれば詰めるほど頭は硬くなっていく、空気を入れるのが大事だ」
その行動を疑問と捉えたスペーサーは、持ち前の知識をずらずらと語ってはライカを誘う。
「何か、興味のあることはないかね」
……ライカは大抵の物事に興味はないが、求められたので答えることにした。徐に指差した本は、宇宙に関するものだった。
「宇宙か、いいぞ。とてもいい。この本は宇宙船に搭載される無線に関するものだ」
スペーサーは少し興奮した様子で「どれ、簡単に中身を見てみよう。気になる項目から読むといい、頭からだときっと根を上げる」と本を開いてみせる。
「無線は送信と受信があって初めて成立する。一人では決して成り立たない、無線技師は寂しがり屋に向いた仕事だな」
一人では成立しないと言われ、ライカは衝動的に無線に関して書かれた本を読み伏せった。少なくとも宿題よりかはやりようがあったし、大抵のことではないものがそこにあると思ったのだろう。
ふと、ライカは宇宙船のことを思い出した。そういえば昔、大きなロケットをプレゼントされたような。曖昧な記憶にペンを入れて確かめるように、ライカはつぶやく。
「宇宙飛行士……」
「なりたいか?」
「……、馬よりかはいい」
「そうか」
「でも、むりだ。頭が良くないんだ、だからずっと……」
あの人に。
その言葉が音になる前に、スペーサーは「そう悲観するな」と遮った。その言葉はスペーサーにとっても嫌なものだった。本から生まれたはずなのに妙なことだったが、スペーサーは頭がいいのでライカの取り巻く状況をすぐに理解できたのだろう。
「私が連れて行こう。ライカ、きみが覚えていられないことは私たちが覚えよう。それならば問題あるまい」
人三つ分の頭だ、学校のバカな犬どもよりも絶対に頭がいい。そんなことを言うスペーサーは自らの言葉の不思議に疑問を持ちながらも、事実なので特にその辺りは明言しない。
「ライカ、きみはいい子だ。いい子を演じているのかもしれないが。どちらにせよそれは才能だ、必ずどこかでライカの力になる」
先を見通すようなスペーサーのセリフを聞き流しながら、ライカは「うーん」と悩んだ。できるんだろうか、何もできないのに。
そもそもライカはスペーサーの言葉がほとんどよく分かっていなかった。だが、スペーサーが言うことはどんな大人たちよりもまだまともに聞こえたし。
「それにな、ライカ。勉強に打ち込むいい子は得だぞ? 特に教師たちにとってはな」
そんな冴えたことを言ってのける彼の言葉に、頷かない方が難しい。
「授業の時間にしよう。きみだけの宇宙に行くための、ほんの細やかな事前準備だ」
宿題を放り投げて、スペーサーとライカは宇宙に関する本を広げる。まるで地図を広げるような感覚だ、雨ばかりの春にようやっと日が差したようなものだった。
「手始めに……金星人の話でもいかがかな?」
自分たちには冷えきった宇宙の方が暖かいのだと、古びたSF映画の主人公が皮肉でも言ってのけるように。