ジャスティティア・オーバーグロウ「ロンド」
「はい」
それはさながら罪状を読み上げる執行官がごとき気迫だった、と実はこっそり様子見をしていたヒューゴは語る。
聖火守指長となったロンドと、とある屈折した来歴を持つ”選ばれし者”ヨルン。聖火を信仰対象にするものたちにとって、二人は聖火がもたらした未来への炎そのものだ。信徒の中には彼らをホルンブルグの双璧に準えて、聖火の双剣と呼ぶものもいる。彼らはそれぞれ決して隣立つことはない立場だったが、二人は年頃も近いこともあって仲が良く友人と呼べる間柄だというのも聖火教会の中では周知の事実だった。
だったのだが。
フレイムグレース大聖堂、大聖火の前でそれは起こった。
……全てを授けしものとの戦いから数か月、エドラス女王と他でもないガ・ロハの女帝の意向で西方本国へ和平交渉の旅に出ていた選ばれし者がようやく任務を終えオルステラに戻った。大陸の期待を一身に背負い紆余曲折もあったが、無事に和平協定を結ぶ場に立ち会うというひときわ大きな土産をもって帰還した旅団と選ばれし者を、英雄と呼ばずしてなんと言おう。
西方との協定締結という大陸において大きな変化となることを、選ばれし者もよくよく理解していたのだろう。来訪した選ばれし者は教皇聖下にことの仔細を伝えると、やっと肩の荷が下りるとため息をついていた。
そうして報告を終えた後、教皇聖下から語られた”とある提案”が悪さをしたのだろう。
日も傾き人もまばらになったこの時間、選ばれし者はことの原因であるロンドを大聖火の鎮座する大聖堂に呼び出した。そして。
「そこに座れ」
「はい……」
ごく自然にロンドが正座しガチ目の大説教がはじまったのだ。
「俺は確かに、西方への出張の間オルステラを頼むとは言った。あらゆる意味で不服だが聖火神の指輪を外に出すんだ、不安になるのも仕方がない。しかしもし何かしらがあった時、灯火の守り手として最も身軽に動ける強権を持つのは間違いなくお前だろう。だからお前に、選ばれし者として、聖火神の指輪が不在となるこの大陸を頼んだ。だがな」
驚いた信徒たちがヒューゴに助けを求めて声をかけにくるほどだったが、ことのあらましを知るヒューゴは『放っておいてやれ……』と苦笑してやることしかできない。
それは本当に、正当性のある、そして怒って当然のことだったのだ。
「俺が不在の間に外堀を埋めていいとは一言も言ってないんだ」
──
「はい……」
「はいじゃないが」
なんてことしてくれやがったんだ! と怒鳴り散らかさないだけまだ有情である。と、怒り心頭である己の感情をなんとか抑えつつヨルンは本当にどうにか、とにかく冷静になることを努めることでとにかく必死だった。
盗餓人狩りは、罪の身代わりである。オルステラに巣食う多くの戦と悪意、その果てに吹き上がるのが盗餓人だ。それらを駆除し、弔う。治安維持活動の名を借りて殺人を許容するという異様な仕事を、ヨルンはこの世に生まれると共に敬愛する師匠からそれに連なる全てを継いだ。人だったそれを殺め、人である多くを庇護し、聖火の届かぬ暗がりに潜り人という名の炎を護る。人を殺めるという罪を積み上げながら誰にも知られないよう薪のように燃え尽きていくのが”仕事”だ。
だが、ヨルンにはどうにもできないイレギュラーが発生する。よりにもよって自分が”選ばれし者”として聖火神の目配せをもらってしまったのだ。聖火の身代わりであるはずの自分が、だ。しかし聖火神の意向の元ヨルンは血反吐を吐きながら神の指輪を回収し封印するというとんでもない無茶ぶりをなんとか成し遂げる。投げ出すわけにはいかなかった、こうすることでまた多くを守り道を繋ぐことができることをヨルンはどうしようもなく理解していたからだ。
相反する”仕事”と”役目”に苦悩しながらも、ここまで歩いた道に後悔はない。
アラウネに頼まれて西方本国に出向いたこともそうだった。
自分が背負わなければならない責任だけは投げ出せない。盗餓人狩りとして罪を背負うことと同じように、そうすることで誰かが日の当たる場所にいけるのならば、ヨルンはなんだって出来るし実際出来てしまうのだ。
……だが少々卑屈なヨルンがそうできるように成長できたのは、他でもないロンドの影響だった。
聖火神の指輪を手にし、導きに従って歩いた先。運命の悪戯か必然かそこにロンドがいたのだ。ロンドはヨルンの右手に収まる指輪を見ると、全てを理解したように傅いた。あり得ない出会いに、あり得ていいわけがない関係。最初はぎこちなかった、ロンドもヨルンもお互いの正体をひた隠しにし腹の探り合いをするような旅だったことも事実だ。だが、ロンドは間違いなく罪過しか存在しないと思われていたヨルンの道を拓いたのだ。
聖火神が己を選んだ理由を常に問いかけながら、心臓が冷え切るような夜を何度過ごしただろう。だがそれでも明日があるのだと信じることができたのは、傍らにロンドの星のような炎があったからだ。
醜くも、良いとされる人間になろうとする勇気を。どんなに人生がどん詰まりであっても、醜悪なままで終わらぬよう未来へ歩く勇気を。どんな人間であっても光のある方へ歩いていいのだという、ヨルン自身が持つ罪悪感に対して唯一施された小さな赦しを。ロンドの炎に照らされた先で見つけたのは事実だ。
だが、どんなに恩のある相手だったとしても。どんなに敬愛する、尊敬している相手だったとしても。
「すみませんヨルンさん! 手が……滑って……!」
「手どころか私利私欲だろうがこの強欲聖火長が! 代行者だかなんだか知らないがなんだこの制服は……っ、盗餓人狩りが表に出ていい役職じゃないのはお前だってよく分かっているだろう……っ」
怒る時は全力で怒らなければならないのだ──!!
……教皇聖下は歴史に刻まれる偉業の支えとなった選ばれし者に対し、以前から温めていた”とある提案”をある装束と共に手渡した。
”暗黙の存在だった罪の身代わりである盗餓人狩りを、代行者の名と共に聖火教会の正式な一員として迎え入れたいのだ”と。”聖火長ロンドと対になる意匠を施した法衣”を。
「選ばれし者としてではなくヨルンさん個人として囲うのならいいのではないかと……! 思いまして……!」
「どうして一瞬でもいいと思ったんだ……! どうして騎士団長も聖下も止めなかったんだ……!」
「やるなら今だと言われまして!」
「だからと言ってもやるんじゃない!」
断れない状況に追い込んでおいて申し訳なさそうな顔をするのは十分理不尽だ! とヨルンはとうとうたいして抑えられてもいなかった声を荒げた。
盗餓人狩りはその抱える歴史から多くに密約を抱え、聖火教会に庇護を受けながらも定義的には存在しないことになっている暗部である。それを、選ばれし者としての功績を個人の功績であるという形で利用し、盗餓人狩りヨルンを正式に聖火教会に迎え入れることで”無所属であるはずの選ばれし者を聖火教会で確保する”というとんでもないことをやってのけたのだ。このロンドとかいう大馬鹿者は。
……ヨルンは、”選ばれし者”はどんなことがあっても中立であるべきだと考えていた。
それがたとえ信仰対象を同じとする、仕事としての所属先である聖火教会であっても。それに付随し随行するようなことがあってはならないのだと、多くが属する旅団という自由を守るためにどんな大きな功績を立ててしまおうが、絶対に、何があっても、特定の組織に偏るような真似は極力避けてきた。
それが、これである。
盗餓人狩りである以上、教皇聖下の提案など断れるわけがない。曲がりなりにも暗部所属であるヨルンが聖下に『どうだ?』と聞かれれば、『はい』と答えるしかできないのだ。
それは事実上聖火教会への強制移籍、ヨルンが必至に維持してきた中立を前提から破壊する行為である。
今までこれを維持するためにどれだけ心労を重ねてきたか、ロンドも知らないわけではないだろう。ずっと傍にいたのならば知っていなければおかしいし、そもそも中立であるべきだという話もロンドとよくよく議論を重ねてきたことなのだ。ヨルンにとってこれはロンドからの裏切りに等しかった。
それを、なぜ、よりにもよってお前が壊すんだ! と。
「ま、待ってください! 話だけでも聞いてください! ヨルンさんが中立を維持してきたのも、その理由もよくよく理解しています! ですが、これは貴方を守るためなんです……!!」
ロンドはヨルンの怒りを聞きながらも、そして正座をしながらも全力で誠実であろうと叫んだ。
覚悟の上だと、その声だけでヨルンもロンドの意思を理解できてしまった。そうわかるほど長い時間旅をしたのだ、当たり前だ。
そしてロンドもよく分かっていたのだ、自分がこの選択をすることでヨルンがどれほど傷つくかも。ヨルン自身のものであるはずの人生を、どれだけ狂わせるのかも。
「ヨルンさん自身が暗部所属の上で指輪に選ばれたいうことを気にしているのは把握しています、決して表立つことが許されない立場で大陸の中央に引き摺り出されたことに一番苦心していたのは貴方です! サザントスさんのことでずっと苦しんでいらしたのも知っています……!」
大陸の覇者と呼ばれることとなったかの旅団の中で、ロンドは最古参とも呼べる団員でもあった。ひょんなことからヴァローレの問題に切り込むことになったヨルンを、危険を承知でバルジェロファミリーに手を貸した彼を、ロンドは誇らしく思ったのを今でも覚えている。そして彼らにショックを受けたのも、また覚えていた。
彼はただ指輪の回収のためにファミリーを利用しただけだったし、バルジェロもヘルミニアを倒すためにヨルンを利用しただけだった。富を重心に持つ彼らの関わり方を、ロンドは最初打算的だと軽蔑していた。
だがそれも、ロンドが未熟だっただけなのだ。世界を旅し、大陸を歩き、多くの理不尽を知った。それらを経てようやく気付いたのだ、それが彼らの生き方で他の誰かに物差しで測られるようなものではないのだと。人助け以外にも、人を助ける術はある。悪にも寄り添い共存していく道も、また人生なのだと。
ロンドにとってヨルンは、甘かったロンドを叱咤しつつも現実を知る苦しくとも代えがたい機会そのものだった。
”選ばれし者”としての行動を望まなくなって、もうずいぶんになる。好きにやってほしい、好きに生きてほしい。どれだけその道が罪深く穢れていても、歩き続けるその意志だけは何よりも気高く美しい。彼の様に歩きたいと思った、そしてその先で恩師のように──サザントスのように人を守る存在になりたいと願った。
サザントスが目標そのものを教える空高く瞬く星炎ならば、ヨルンは目標までの道を照らす燈火だ。
「ですが事実として、貴方の旅は大陸を救ったんです……!」
だからこそ、ロンドはこうしなければならなかった。
ヨルンに理想を教えたロンドにとって、これは果たさなければならない責任だったのだ。
「どんなに痕跡を消そうとも、僕たちの心と記憶には貴方が率いる旅団の姿が焼き付いている。それは貴方が一番理解しているでしょう」
全てを授けし者との決戦に、ロンドは参戦することが叶わなかった。サザントス直々に記憶を焼かれ彼を忘れ去ってしまったのだ、どうしようもないことだったんだと彼はいう。しかし、それでもロンドの心には大きなしこりと懸念が残った。
自分が守りたいと願っていても、それはいとも簡単にこぼれ落ちる。『それを知った時お前はどうする?』──これは恩師サザントスからの、最後の課題なのだとロンドは理解した。守りたい理想、守りたい世界、守りたい人、それら全てを今のまま守るには限界があるのだと。『ならばどうするのだ』と恩師は問うている。
現実を限りなく生き拭えない罪故にどこへもいけなくなっていたヨルンを、それでもいいんだと理想への道に誘ったのは間違いなくロンド自身だ。どうにもならない現実を教えてくれたヨルンは、最初はロンドの甘い理想を訝しんだ。だがそれでも受け入れてくれるようになった。出会った時のように立ち止まり続けたヨルンはもういないのだ。
現実を踏み、理想を見て、天へと手を伸ばすその姿は確かに理想的だ。
だがそうなった先で天によって身を焼かれ落ちていったものたちもまたいたのだと、ロンドは多く見てきた。
理想に生き、どこにだっていけたロンドもまたいない。サザントスから聖火守指長の座を継ぎ、ヨルンが西方本国への遠征に向かっている間、ロンドはオルステラを駆けた。旅団と共に歩いたオルステラ大陸よりも、遥かに悪意と理不尽に満ちたオルステラをだ。
理想に生きたロンドが、現実を見据える時が来たのだ。
「そんな誰もがその名を知る旅団の長が、教会暗部のそれももっと古く秘匿された罪の身代わりだと悪き者に知られたら、欲深きものたちは立場の弱い貴方を狙うことでしょう。指輪ではなく、ヨルンさん貴方個人に矛先が向かうんです……! そうなってしまったら、僕たち教会は貴方を守れない! 教会だけじゃない、灯火の守り手としても! 古い密約と口伝だけで正式に名簿に載っていない貴方を守る術を、今の僕たちは持っていないんです……!」
中立を守れるほど、守っていけるほどこの先の世界は甘くはないのだ。
神が抱く時代は褪せていき、いずれ人が時代を引っ張る時がやってくる。神の指輪が大陸を動かす世界は終わりゆく。人と共に歩くということは、特定の集団に属するということだ。
かの旅団は、大陸を征した。聖火神を除く七つの神の指輪をあるべき場所に納めたことで、ヨルンとロンドが共に旅した旅団も表向きには解散となった。旅団としての活動は今でも活発なものの以前ほどの影響力は持たない、ある意味秘密結社のような状態……それこそ旅のはじまりのような状態に戻ったともいえるが、問題はそこではない。
”選ばれし者”を事実上守っていたその戦力を、ヨルンは失う形になったのだ。
旅団と彼が一時的に失った今回の遠征期間中、ロンドはそれを痛いほど理解した。西方遠征が公には伏せられていたからこそのことではあったが、旅団の解散を知った欲深きものたちはこぞってヨルンを探していたのだ。彼を殺す方法も、貶める方法も、本人さえ捕まえてしまえばいくらでもあるのだと。ロンドは嫌というほど知っている。
それはヨルンが、特定の立場を持たないからこそ出た悪意だった。
「貴方には立場という足場が必要なんです、悪意に決して揺るがされることのない確固たる足場が」
震える声でロンドは訴える。以前ならば確かに良かったのかもしれない、事実として神の指輪を巡る旅はまるで聖火神そのものに守られていたかのように中立を貫くことが出来た。
新たに設立された代行者、この役職が彼を縛ることはない。そうであるようにロンドは駆けずり回った。教会の闇に秘匿されていた罪を暴くことは、聖火教会の歴史を暴くことに他ならない。盗餓人狩りを正式に聖火教会に迎え入れるにあたって、ロンドは正義の名の元にあまりにも多くのものを壊し傷つけることになったのも事実だ。だが、そうしなければならなかったのだ。
「ただの……証なんです。僕たちが貴方と共に旅をして、共に戦ったあの旅の……! あの冒険で、僕たちは貴方に護られた。これからは僕たちが貴方を護る番なんです……!」
そうしなければ、ロンドは大切な友人一人守れやしないのだ。
権力による庇護、それはヨルンとロンドがお互い避けたものだった。ヨルンは富にこそ価値があるのだと考えた、ロンドには名声にこそ価値があると信じた。そうしてお互い権力に対してだけは煩わしいものだと意見が一致したのもある。だがロンドにとって今最も恐ろしいのは、欲によって個人を狙う悪意そのものだった。
何をしてでも、遠ざけたいほどに。
「……言いたいことは、まあ、わかった」
ロンドが何を恐れているのか、ヨルンにも理解できた。 ……レイヴァース家を貶めたのは、欲深き悪意そのものだったのだ。その毒牙によって実際に両親という大切な人たちを失ったロンドにとって、そのおぞましさは身を震わせるほど恐ろしくてたまらないものなのだろう。
怖いのだと、ロンドは叫んでいるのだ。悪意あるものたちによって、どうにもならない理不尽によって、大切な誰かを失うのが怖いのだと。長い付き合いだ。ロンドが貴族の長男でありながら聖火騎士になれた理由も、レイヴァース家の名を捨てることが出来たのも、聖火を抱いたその理由も、だいたいのことは聞いていたし知っていた。
「俺も危険な橋を渡り続けているのは理解している。……お前の言う通りだ。今の仕事も役目も、いつ死んでいつ首を切られてもおかしくない立場でやることじゃない……」
いつ死んでもいいのだと、旅をしていた時は思っていた。
ヨルンがもし途中で倒れても、旅団の誰かが引き継いでくれる。”選ばれし者”はヨルン個人ではなく、今ここに集う旅人たちなのだと。その確信があったからこそヨルンはなりふり構わず役目に奮闘することが出来たのだ。だが、その役目ももう殆ど終わったのだ。
旅団も今はゆったりと解れ、旅人たちは旅団で得た力でそれぞれの道を歩いている。今もヨルンと共に歩いてくれる旅人もいるが、彼らも利害が一致しているか変わり者か暇人ぐらいだ。かつて大陸の覇者と呼ばれた頃よりも、戦力的に見ても影響力として見てもずいぶんと可愛げのあるものになった。……まぁ可愛げがあるとはいっても、西方本国の旅人を巻き込んでしまえば国盗りだろうが革命だろうが成功させてしまうぐらいの力はあるのだが、それはそれとして。
ヨルンはロンドを見る。さっきから何を思ったか正座しっぱなしなので何とも情けない姿だが、その口から出るこれら大真面目な話はあまりにも──そうあまりにもロンドらしからぬ、現実的な話だ。
ロンドとの付き合いは本当に長い、バルジェロと同じぐらいに長い。精神的にどうにもならなくてお互い依存しあったことさえあった。そんなヨルンだからこそ、分かってしまうのだ。
「本音を言え、ロンド。今の話は確かにもっともだったが、それはそれとしてお前の目的はもっと別の場所にあるだろ」
ロンドが求めている、最たる願望/欲望の形を。
「い、言わなきゃだめですか!?」
「だめだな、“黙する時代は終わった”んだろう」
「ぐぅううう……っそういう、そういうことを言うとこですよ……っ」
やはり自覚があってのことなのだろう、ロンドは頭を抱えもがき苦しむような声を上げる。そういうところだとは言うがこっちのセリフだ、とヨルンは呆れた。
なんでもかんでも素直で、バカみたいに直球で、実際バカだったりするロンドだがとある条件を加えると途端に口が回るようになるのだ。
「あぁもう降参です白状しますよ!! ──僕が!! 貴方と!! 一緒にいたかったんです……!! できればずっと……!!」
ロンドは、本当に想いを向ける相手にだけは本音で喋ることを避けやがるのだ。
「ほらな、そんなこったろうと思ったよ」
「分かってるなら言わせないでください……! は、恥ずかしいじゃないですか……っ」
「事実として人の立場を勝手に設定したのは恥ずべきことだが」
「それはそうですけどぉ……!!」
大切、という関係性をヨルンはあまり深く理解してない。だがロンドは、困ったことにヨルンに対してのロンドは間違いなく”そう”なのだということは今までの旅と経験で十二分に理解していたし、気恥ずかしいが、ロンドに対してのヨルンもまた”そう”なのだということも分かっていた。
尊敬やあこがれ、好きだとか嫌いだとか……そんな綺麗なものだけではない。どうしようもない執着や依存、情欲のようなものも。数え切れないほど言い争いや喧嘩を繰り返し、また数え切れないほど仲直りや和解を繰り返してきた。
感傷的で、快楽的で、壊滅的で。不格好で不器用で、不完全な自分たちは──そんなどうしようもない理由だけが、お互いにあることを知っていた。
だからこそヨルンは今回怒ったのだ。ロンドが、本音で話さなかったから。
”お互い忖度して避けあうような関係はやめよう”。
いつだかどうしようもないぐらい大喧嘩をした日から続く、何よりも大切であってほしいと価値を積んだ約束のために。
「全く無茶をする。俺は、無理はするなともいったはずなんだが」
「うぐぅ……む、無茶じゃないですもん。出来たからやっただけですもん」
「子どもみたいなツラで子どもみたいな言い訳をするな、聖火長だろお前は」
「旅人なのに完全アウェイの西方に突っ込むのもどうかと思いますが!?」
「アラウネが行けと言ったんだぞ仕方ないだろう……!!」
「僕の心配も加味してください!! どれだけ心配したと思ってるんですかこの大馬鹿者!! 大体西方に行くのだって決定してからの事後報告だったじゃないですかっ!? だったら僕だって同じことをするまでです!」
「それは本当に悪いと思ってるが急だったんだ!! いちいち変なところで変な対抗心出すなこのバカ!!」
”バカはそっちです!!”としびれを切らせたロンドがようやっと正座を解いて立ち上がる。お互いヒートアップし剣を抜きかけたところで、ヒューゴからの殺気がお互いの首筋にぶっ刺さったことで二人とも現在地を思い出す。
大きく大きく息を吐いて、お互いを見た。お互いの立場によってほんの数か月離れていたが、なるほど自分たちはやっぱりバカらしい。
「……変わんないですね、僕たち」
「そうらしい。聖火長になって考えが変わったのかと思っていたんだが、何も変わっていないな」
「えぇ、貴方も。……遠くにいって、神様まで倒して。そうしたらもっと遠くまでいってしまって。もうずっと変わってしまったんじゃないかって思ったんですけど、そんなことなかった。貴方は、……ヨルンは、ヨルンのままだ」
大きく、大きく息を吸う。お互い意見は言い合った、ならばこれから話すべきことは決まっている。
「代行者、だったか。──古い密約においては盗餓人狩りは聖火教会の庇護下にありながら、組織としては存在しないものとして扱われてきた。だが今回はそれを……盗餓人狩りを聖火教会が行うものと改め、聖火騎士や異端審問官と同様に組織図に組み込むと解釈しているが……」
これからの話を、しよう。
「俺以外の盗餓人狩りも対象に入るんだろうな?」
「……! もちろんです!」
組織形態が変わっても、やることは大して変わらないのだろう。戦の匂いを嗅ぎ付け、盗餓人を狩っていく。罪過は減ることがない、今までどおりに積みあがり続ける。変わるとしたら、きっと待遇だ。今までそうあれかしと蔑まれ、嫌がらせや偏見から報酬をもらえないことだって当たり前だった。全ての盗餓人狩りが真っ当なわけではないし、闇に紛れていたからこそ騙し騙しだった部分も全てが聖火の元に晒される。
良いことばかりではないはずだ。だが、それでも。罪にもがきながら歩いてきた同胞たちが、聖火の外に立つことを強いられたものたちが……ようやっと聖火という拠り所を得られるという意味ならば。
それは、きっと今よりもマシになるといえるだろう。
「なら俺が駄々をこねるわけにはいかない、仕方がないから引き受けよう」
「やった!」
「はしゃぐな、盗餓人狩りの一員として真っ当な判断をしただけだ」
動機がどうであれ結果は悪くない、むしろ結果オーライだとヨルンは苦笑する。
きっと望むだけの結果にはならない、聖火教会へ属するにおいて選ばれし者という職歴は確実にヨルンの足を引っ張ることだろう。教皇聖下から渡された法衣もそうだ、これは決して代行者としてのものではない。選ばれし者だから用意された、特別な配役だ。
苦難は、続く。自由は少しずつ変化して不自由になっていくのかもしれない。旅人として大陸を歩くことも、いつかは難しくなるのだろう。だがそういった苦しみも責任の一部だ、背負った先で新しい世界が拓けるのならばヨルンはそれを背負うことに躊躇いはない。
理想を目指す未来の、現実的な話をする日がこようとは。ひと昔のお互いに行っても信じられないだろう。
「そうだとしても嬉しいんです。聖火長としてようやっと、ヨルンの隣を歩けるようになるんですから」
「いろいろ言われるだろうがな」
「それでもですっ! ようやく胸を張って”聖火の双剣”って名乗れますよ!」
「調子に乗るな。そっちは承諾していない」
「えぇーいいじゃないですか! 皆さんがつけてくれたんですよ?」
大喧嘩を寸前の口論に、ロンドとヨルンは大聖火を前に並び立つ。あり得ない光景だったはずなのに現実としてここにあるのだから、世界はまったく面白い。
こんなバカげた様子をずっと見ていてくれたヒューゴに会釈しながら、ヨルンは「さてと、話がついたところでだ」とずっとずっと言いたかった台詞をロンドに投げやった。
「ロンド、これから“教会裏に来い”」
「」
それはもうざっくりと、表へ出ろとほぼほぼ同義の殴り合いの誘いだった。
「えぇえ!? 今の流れでそうなりますか!?」
「なるもなにも当然だ。人の意思を無視して人を囲うという発想を出すその頭を叩き直す必要があるようだからな、俺は俺の尊厳を”勝ち取る”ぞ」
「僕の所属は名声です!!!!」
「聖火長として立つ以上貴様は権力所属だ逃げるな!!!!」
早々に外に逃げ出したロンドに、”やるならやるで先に言え!”と本当にごもっともな意見を手にヨルンはそこそこ本気で追いかける。外にまで転がりだしたお騒がせな聖火長と選ばれし者を、やれ元気だなとやっちまえだの騒ぎを聞きつけた旅団の旅人たちがまた追いかける。
そんな様子を、呆れながらも聖火騎士団長のヒューゴは眺めている。するとある意味結構な共犯者でもある教皇が、ヒューゴの隣に立った。
「教皇聖下……」
「春は近いな、ヒューゴよ」
「えぇ、そのようで」
雪が色付く夕暮れ時。似た人生の構図をほんの少しずつ置き換えたような奇妙な照らし合わせを持つ二人の若人を、雪解けの陽ざしが照らすかのようだった。