喝采のそのあとで。「観劇ですか?」
新しい役目に就き、それはもう慌ただしい日々を潜り抜けてようやっと一息ついたあくる日のこと。ロンドは、これまたふらっとやってきた”選ばれし者”からの不思議な誘いを受けることになった。
意外だなぁ、というのが素直な感想だった。選ばれし者……ヨルン当人にはちょっと失礼かもしれないが、芸事には一切縁がなさそうなものだから。そんな彼から観劇のお誘いが出るというのが、これまた不可思議で仕方がない。
「チケットが回ってきたんだ。売るのも癪だ、付き合ってくれると助かる」
「ちょうど予定も空きましたし構いませんよ。公演内容はなんですか?」
しかも彼がどこか辟易とした顔をしているものだからまた謎だ。とはいえ、彼がやることは大抵突拍子がないのでロンドも慣れたものではあるのだが。
「”ピュリッティの妻”」
流石にこれは予想していなかった。
「っ……!?」
「”坊や”には刺激が強すぎるか?」
「い、いえっ、そんなことは……ありますけど……」
ロンドは自分が顔を赤らめてしまったことを恥じて手で顔を覆う。”ピュリッティの妻”、あの演劇の神アーギュストが描いた処女作だ。曲がりなりにも貴族だったロンドの耳にもその名声と素晴らしさは届いている。だが、その内容はロンドにとってはそれでこそ”刺激の強い”内容なのだ。以前の友人たちに連れられて見たこともあるが、その時はもう見ていられないほどで殆ど頭に入ってこなかったのも恥ずかしい思い出である。
しかしロンドはこう思った。”いいやむしろチャンスでは? あの日の雪辱を果たす時では?”と。なんならあのヨルンも一緒なのだ、きっと今回は楽しめるはず……!
「大丈夫です、行きましょう!」
「そんなに気合入れていく内容かな」
「ぐぅう……っ、ぼ、僕にとっては色々あるんですぅ……っ」
「そうか」
「そ、それにしても観劇が趣味だとは驚きました。こういった分野は疎いイメージがあったので意外です」
自身の恥ずかしさを誤魔化すようにロンドは話題を切り替えた。だがヨルンは首をかしげては「……趣味?」と思わぬことを言われたような顔をする。「えっ、違うんですか?」と問いかければ、彼は何とも言えない顔で考える仕草をした。考え込む様子にロンドは静かに待っていると、ヨルンは結局いい言葉が出てこなかったのだろうか。
「どうなんだろうな」
右手に収まる聖火神の指輪を眺めては目を細めた。
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「二度目なんだ。この舞台を見るのは」
観劇を終えて歩いていると、ヨルンはふと思い出すようにそう呟いた。
「あの時はアーギュストが指導していた劇団だった」
「ということはあの伝説の劇作家の……! すごく貴重なことじゃないですか! そういえばご友人と伺っています……が、そういう縁でもなさそうですね」
「あぁ。まぁ、色々と」
仲間が偶然チケットを入手していてそのついでで……といった具合らしい。
劇作家アーギュスト、辺獄では不可解な言動でなんとも不可解な印象だったが、少なくともヨルンとアーギュストは並々ならぬ関係だったことはロンドにも察しついていた。
思えば、アーギュストがなぜあのような領獄を作り出したのかをロンドはあまりよく知らない。師であり先んじて指輪探索に赴いていたサザントスもアーギュストがなぜ死したのかは分からなかったようで、突如の死去に首をかしげていたことを覚えている。
曰く、観劇自体が初めてだったのだと。二度とない機会だろうしと気まぐれで立ち寄ったその席で、今やもう見ることのできない舞台を眺めていた。だが、当時のことを思い出してかヨルンは後悔するように顔をしかめる。
「さっぱり意味が分からなかったんだ。……出来のいいものを見たはずなのに、理解できないことが歯がゆくて。それがずっと気にかかっている」
謎多き劇作家と、はたまた謎の多い剣士。一見して関連性のない二人がなぜ友人と呼び交わすに至ったのか。きっと何かしらがあったことには違いない。演劇とは縁遠いはずの彼が、長い時間を経てもアーギュストの舞台に惹かれ続けるほどの何かが。
きっと今回のこともその延長線上にあるのだろう。チケットを売るのが癪なのだといっていた。癪に障るほどの何かが彼にはあって、かといって一人で見に行くほどの勇気もなくて。だからロンドを頼ったのだ。
それを見た瞬間自分がどうなるか分からないから、単純に傍にいてほしかったのだろう。
「……今回はどうでしたか?」
「余計に分からなくなった」
「ええっ」
「でも」
じっと、アーギュストがいたはずの劇場を見やる。
「前のような歯がゆさは、感じなかった」
今は亡き友人を思い出す彼の横顔は、苦々しくもどこか愛おしげで。──それは奇しくもロンドがサザントスを想う表情ととても良く似ていたのだが、ロンド本人は知る由もない。
だが少なくとも、今回の舞台で彼の気持ちに何かしらの変化があったこと確かなようだった。
……ふと、ロンドは自室に眠らせたままのチケットの存在を思い出した。
「もしよかったら、他の舞台も見に行きませんか? 実は僕のところにも色々回ってきてて、どうすべきか悩んでいたんです」
「それ、大丈夫なやつなのか?」
「やっやましいものではないですよ!? ヒューゴさんが”若いんだからたまには息抜きぐらいしろ”とかなんとかいって押し付けてくるんですっ、僕だってお役目で忙しいのに……、べ、別に内容が怖くて足が向かないとかそういうのじゃないですから……っ」
「あぁ……」
因縁も、案外自分の身になる形で繋がることもある。二度目の挑戦でも内容が分からなかったのは、実はロンドも同じなのだ。そして分からなかった分気になるのも、また同じなのだ。
同じものを見て違った感想を言い合えたなら、きっとそれは”面白い”というやつだろう。ロンドは新しい遊びを発見した気分だった。
「売るのも癪ですし、……どうです?」
「まぁ、そういうことなら」
「やった!」
今日の舞台の感想を言い合いながら、また次の予定を立てていく。未来の予定に違った色が乗ることにちょっぴりワクワクするのは、自分たちがちょっとまだ背伸びしがちなだけなのだろうけれど。こういう寄り道が、結局一番楽しかったりするのだ。