怖いものドナテロがその知らせを聞いた時、
素体から急激に血液が失われていくような、
全身の産毛が総毛立つような、
何かを叫びたいのに喉が支えて出てこないような、
そんな、本来自分と無縁なはずの感覚がした。
「…大丈夫かよ」
「ご覧の通り、無事ではありませんでしたよ」
サイボーグ体のジルがモニターを宙に展開して、素体のドナテロに見せてきた。
表示によると、素体表面では軽度な損傷複数、重度なものが一つ、それによる何ヶ所かの骨折が、ジルの素体に発生していると伝えてきた。
数時間前、素体で活動していたジルが、事故に巻き込まれたのだ。
新たなイベントの現状確認の為にデカダンスシティの現場に来ていたジルが、タイミング悪く発生した重機の転倒に遭遇し、致命傷ではないものの損傷を受けたのだ。
サイボーグはミスをほぼ犯さない。だが、人間はそうもいかない。
今までのデカダンスと異なり、人間との共同作業が増えたことによるインシデントはよくある事だったが、今回は運が悪かった。
ジルは被害を受けた身として、もっと人間と仕事をする上でのミス対策を要求し、損傷を受けた素体は修理に出した。
その間はサイボーグの本体か、別の仮素体で仕事をするしかない。
だが、慣れ親しんだ素体ではない仮素体は身長や体格が違う為、使いにくく不便であった。
いっその事と、本体で自分の仕事場にやってきたジルは不機嫌そうにモニターを一つ目で睨んで、小さく丸い手で操作盤を弄っていた。
「素体が直るまで、最低で一週間ですよ?面倒な事この上ありませんよ」
「そんなにかかるのかよ」
「サイボーグと違って生体組織ですからね。新しい物に置き換えたとしても素体に馴染ませて直さなければすぐ壊れてしまうんですよ」
ドナテロは小難しい事はわからない。
だが、ジルの素体が軽くはない損傷を受けた事だけはわかった。
そして、いつもより数倍小さく見える彼女に、ドナテロがどうしても聞きたい事を問うた。
「大丈夫なのかよ」
「…その質問、先程もしましたよね?
アナタの記憶が大丈夫じゃないようですが?」
「うるせぇ!ていうか、そーじゃねーよ!」
憤慨したドナテロがジルを操作盤から引き剥がして、本体をこちらに向けさせる。
素体でも体格差が激しかったが、素体とサイボーグ体になって高さの差が顕著になっている為、子供を持ち上げているような目の合わせ方になった。
「怖くなかったか、って聞いてんだよ」
「なに言ってんですか」
ジルが一つの目を半目にして、紫の肌をした男を睨む。
「素体ですよ?感覚がリアルなのは売りですが、あくまで仮初めの体です。
本体に傷ひとつついた訳でもないのに、怖い訳が―――
「俺は怖かった」
ドナテロは静かに言う。
そして、1メートルにも満たないサイボーグを抱きしめた。ふわふわした髪の部位が広いからわかりにくいが、彼女は二足歩行のサイボーグの中でも小柄な方だったな、と思い出していた。
ドナテロはかつて戦士部門として、様々な同僚や先輩後輩と接してきていた。
戦士部門というだけあって血気盛んな者が多く、失敗して素体が完全に破壊されてもほんの少しの後悔と次への挑戦の為、もう一度素体を鍛え直す事が当たり前だった。
だが、そうでない者もいた。
素体が破壊されるまでの間で感じた『死』の恐怖、それが記憶にこびり付いて、ログインを恐れる者が一握り程度はいつも存在した。
彼らがそれに慣れる事が出来なかった場合、遅かれ早かれ戦士部門での仕事が出来なくなり、バグとして矯正施設に送られたりスクラップ処理を受けていた。
『死』の刺激。
それがデカダンスの謳い文句なのだから、怖いだなんて何を言っているんだと当時のドナテロは呆れていた。
だが、彼らが自室に籠もり『死』に怯える様だけは覚えていた。
その姿とジルを重ねた時、ドナテロは初めて怖くなった。
素体は確かに替えの効く物だ。
現にジルの素体も修理している真っ最中だ。
でも精神は、心はそうではない。
ジルは冷静だし、情け容赦無くものを言う。魔女、だなんて呼ばれる程に他のサイボーグから尊敬と恐れを受けている。
しかし、戦場の最前線で『死』を間近にした経験はさほどない。
光線を放たんとするガドルΩの口に嬉々として飛び込んだ己とは違う、『死』と『恐怖』が直結する普通の精神を持つサイボーグなのだ。
ジルが心に深い傷を負ったら、どうやって直せばいいのか。
ドナテロはわからない。
わからないから、怖かった。
だから格好悪くとも、自分より物知りで頭の回る彼女に伝えた。
「お前自身が傷付いたら、俺はバカだからどうしていいのかわかんねぇ。
だから俺はこえぇんだ」
「………なんなんですか…ソレ…」
ジルはため息をついて、その短い手でドナテロの頬をぺちぺちと軽く叩いた。
ドナテロが身を少し離すと、ジルが相変わらずの半目で答えた。
「あのですね、アタシはそこまで軟ではありませんよ?
確かに、あの事故での経験はいいモノではありませんでした。が、良いデータサンプルになったと開き直れる程度には図太いんです。
―――なので、その情けない顔をやめてもらえますか?
この体だと、アナタを小突くのだって楽じゃないんですから」
そう言い放つジルは、普段の生意気で不敵な態度だった。
ドナテロも釣られて口角が上がる。自分がよくする楽しげな笑みになっているだろう。
「へーえ、言うじゃねぇか。
でもよ、本当にジルちゃんが怖くなったらどうすんだ?」
「その時は、頭にクソが詰まったアナタでも分かりやすいよう、短い箇条書きで伝えます」
「もう詰まってねぇよ!?そういうとこだぜ、ジルちゃんよォ!!!」
「至近距離でうっさいです。
…声帯を潰せば静かになりますかね」
「ジルちゃんが一番こえぇんだよ!!!」
ドナテロは、ジルといると今まで気を向けもしなかった事に気付かされる。
それは興味深い事だったり、今回のように不快に近い事だったりと、様々だ。
だが、彼女がいい。
自分の思うようにいかない。
時に思いもしない事をしてのける。
目を離せない存在。
この上なく面白くて、惹かれるサイボーグ。
だからドナテロは、
今日もジルの側にいるし、
離れる事なんて思い付きもしないのだろう。
了