心地よい空気が肌を撫でて流れていく。
澄み渡る風と鳥達が翔け抜けていく。
あちこちから特有の光が交わり調和する。
ヂュリ助はここ、風の街道が好きだった。
ここはあちこちの地方に繋がっていて利便性も良いし、光が満ちているから星の子にとって快適だ。さらに水場も草地も住居の痕跡もあるから寛ぎやすいのも大きい。
なにより吹き抜ける風が作る環状の道が好きだった。
風に乗っているだけで火種が湧き出てくるし、多少無理な姿勢でも風の補正で遊びながら飛べるし、鳥やマンタも楽しむように飛んでいく。
アクティブな出来事が大好きなヂュリ助にとって、風の街道は花鳥郷の次に便利で好む場所としてよく飛び回っていた。
しかし、各地方のエリアが交わるここは、ヂュリ助の視点から言うと『面白くて時々危ない』場所でもある。
街道の特定の場所は歪んでいて、そこで特定の行動をすると、歪みと噛み合うのかその時の季節の流れがおかしくなってしまうらしい。具体的には季節のキャンドルが普通のキャンドルに勝手に変換されたりするそうだ。
あんなとこで変な事するなら当然だ、とヂュリ助は思うのだが他の星の子はあまりわからないものらしい。なぜだろう。
その他にも、季節や日々の変わり目にも歪みは増えたり減ったり復活したりする。それらは各地方に行くのを妨害したり、手を繋いで行き来しようとすると無理矢理星の子同士を分断したりしてくるあまり歓迎されない事象を引き起こす。
その度に、背中に金属質の見たことのない道具を背負った『雀姿の星の子に似た何か』が現れるのだ。そうして不調な変化のあった場所にその道具でひねったり回したりしている。
そうして一日かそこらでそのエリアの不調をマシにしてのけるのだ。
きっと、悪い存在でない、とは思う。
その『星の子っぽい何か』は、自分から話さないどころが星の子達に関わろうとしない。それどころか星の子に認識されないようで、一緒に居たネーヴは目の前に居るそれを探して誰の事かとヂュリ助に聞いてきた。
だが、『彼等』はヂュリ助だけの事はじろりと睨むようにしばらく見つめてくる。が、やがて興味を失って再び不調を弄り出すのだ。
…はっきり言って不気味だ。
なによりその『星の子っぽい何か』が近いとぞわりと背中が冷えるような感覚がする。特に何もされていないのに、自身を攻撃される恐怖に似た悪寒を感じるのだ。
だからヂュリ助は『彼等』には関わらないようにしようと心掛けている。たまたま目的地の近くに『彼等』が居た時も、目を合わさずに手早く用事を済まして足早に去る。
それが自然にできる程度に慣れてきていた。
と、思っていた。
「……………なぁにあれ…」
今日も今日とて風の街道でのんびり風の道を流れて飛んでいたヂュリ助は、唐突に感じた強烈な違和感で浮島のひとつへ避難した。
住居の影に身を潜めつつ、周りをそっと見回して、そして『それ』を見つけた。
正確には『それ』ともう一人、なのだが。
それは、灯していないからどちらも黒子姿の二人だった。
一人は小さめの星の子だろう。草の高さと比べてもきっとそうだ。
浮島の草地に咲く花を摘んでいるのかもしれない。手を動かしてなにやら花を触っている。ヂュリ助はそういうのに興味が無くて詳しくないが、ネーヴが花の飾りを作っていた事があるからその類なんだろう。
それはいい、もう『一人』の方がヂュリ助にとっては問題だ。
『それ』は先程の星の子と比べると大柄だ。きっと星の子の中でもかなり背の高くて体格が良い方だろう、遠くからでもそれはわかる。花を摘んでいる星の子を座って見ているようだ。もしかしたら会話をしているのかもしれない。花を摘む星の子がそちらを向いたり下の花を見たりしてぴょこぴょこ忙しそうだ。
一般的星の子が見たら、きっと仲が良い二人なのだと言うだろう。
でも、『あれ』は駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
『あれ』は危険だ。恐ろしい。
すぐに離れて、真っ直ぐ逃げなければ。
ヂュリ助の頭の中はガンガンと警報が鳴り響くようにそればかりが浮かぶ。なんなら痛みや熱まで訴えていた。
闇によるダメージや外傷もないのにコアさえギリリと傷む気さえしてくる。絶対によくない反応だろう。
普段はあまり物事を考えるのが得意でないのに今は思考がクリアになって、どう逃げるのが最適で『あれ』がこちらを追いかけてきた時にどこを迂回して撒くのが最善なのか、次から次へと案が浮かんできた。こんな事は師匠との模擬戦でも中々ないくらいだ。
それくらいマズい相手なのだ、『あれ』は。
ヂュリ助は軽く頭を押さえながら考えを実行しよう決意した。それなりに距離があるから大丈夫だとは思うが、足音ひとつでも気取られそうで怖気づきそうになる。ゆっくり、ゆっくり、…そっと隠れていた浮島から離れて、羽ばたかずにすぅ…っと浮島の影から隠れて飛んでいく。
あとは風の道に沿って飛ぶなり、祭壇へ戻るなりして去れば無事逃亡完了だ。
止せばいいのに、後ろを振り向く。
というのは怪談話であるあるだ。
この時のヂュリ助も例に漏れず、恐怖からそれをしてしまった。
『それ』はヂュリ助の方を見ていた。
元々灯していない黒子状態で詳細な姿はわからない上に、先程より更に遠目になったのに、
ゾッとするような眼の色をしているのを
知りたくもないのにヂュリ助は認識してしまった。
喉の奥から悲鳴が迫り上がってくる前に、ヂュリ助は全力で加速して風の道の流れに乗る。
悲鳴なんて後からいくらでも出せるが、『あれ』に何かされてしまう前に逃げるのは今しかできない。
ヂュリ助はもう振り向かない。雲や鳥達のエナジー回復に任せて風より速く羽ばたいて前進する。
そうして内角を攻めて星月夜の砂漠方面へと滑り込むように入り込んだ。
優しい紫の夜色が『あれ』を遠ざけてくれるよう、聞いた事も会った事もない神様に祈りながら、ヂュリ助は雲を切り裂いて飛んでいった。
その後、コンサート会場、九つの色の鹿の湖、とある絵本の中の谷…と思い付く限りの安全な場所を飛び回って、やっとヂュリ助は振り向いた。
そうしてそこに何も居ないのを何度も確認した後、ようやくヂュリ助はへたり込んで安堵の息を長く長く吐き出した。
そうしてぐたりと体を投げ出すと、過去に悲鳴だったものを泣き言にしてぐすぐすと絞り出した。
この場に相棒のネーヴが居たら、ぐずって全力で泣きついていたかもしれない程度に怖かったのを、ヂュリ助はじわじわと自覚した。
「なんだったの…あれ…
…ぅあー…もうやだぁ………
しばらく街道行かないぃ…」
この日、ヂュリ助の苦手なものが闇の水以来で久しぶりに更新されたのだった。
場面は戻って、風の街道。
とある星の子が、連れ人が余所見をしていたのに気がついた。
「…あら?どうかしましたの?」
「なんでもないよ」
彼が他方をじっと眺めているのは珍しい気がしたから指摘したが、当たり障りのない言葉が返ってくる。
彼の向く方向を向くと風の道がいつも通り吹いていた。
他はおそらく星の子だろうものが遠くに見える程度で、他に気になるものはなかった。
…何かをはぐらかされたような気がして、ついつい尖った口調で問いただす。
「貴方でも気になるものが有りますのね?」
「うん、たまにね」
「今回はどういうものが気になりましたの?」
「…いや?本当に大した事じゃないんだ」
「どういった大した事じゃないんですの!?」
「………私の役目の案件かと思ったものが見えたけど、そんな事はなかった。
それだけなんだけど…」
私の圧に負けた彼が困ったように回答を音にして返した。
詳細はわからないが、なるほど、使命が関係するなら注目するのも納得できる。
それと同時に、冷静さを欠いて矢継ぎ早に彼を責め立ててしまった己を恥ずかしく思い至った。
「…申し訳ありませんの。キツく問いただしたりして」
「うん、構わないよ。気にしてないから」
落ち着いた様子の彼と比較して己の感情の浮き沈みが激しいのが浮き彫りになって、少し落ち込んでしまう。
そんな折、ふと彼が己の方を向いて「でも」と切り出した。
「どうして、マリーは私が何を見ていたのか気になるんだい?」
「………どうしてって…」
どうして、なんて。
さっきまで会話していたそれなりに親しい相手が、急に黙って関係のない星の子をじっと見ていたとしたら。
こう…モヤモヤとした、いたたまれない気持ちにならないのだろうか?
「…」
「マリー?」
「ご自分でお考えになってくださいまし!!!」
「えー」
自分なりに強く叩いたつもりでも、彼の体格に負けて大した威力にならないのが恨めしい。
ポカポカと締まらない音がしているし、彼も疑問符を浮かべた顔のままでまるで痛がる様子はない。
「なんで」だとかをまだもごもご言ってる彼には絶対、絶対教えるつもりはない。
「もう!庭師さんの、お…おバカっ…!」
「慣れてないなら無理に罵倒しなくても」
「うるさいですわよー!!!」
赤面して大騒ぎする星の子と、
星の子の姿のした何かの僅かな間を、
優しい風が花弁を纏いながら吹き抜けていった。
余談ではあるが、
後日にとある星の子と『彼』がにこやかにいがみ合っている丁度その場に、完全に魔が悪い状況とは知らずにワープしてしまったヂュリ助が居たとか居なかったとか。
『彼』を認識したヂュリ助の悲鳴でその場に居た星の子の鼓膜が破壊されたとかされなかったとか。
そんな災害があったという噂(現実)が一時、星の子達の間でまことしやかに囁かれたそうな。
「ヂュリリリピャッジャアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッッッ!!!!!!!」
どうしたものか。
少し…だいぶ?距離をとったところから睨みつけてくる星の子を眺めつつ少し悩む。
マリーとこの星の子の連れが、少し用があるからと花鳥郷の服工房の外を、この二人で待たされている。
そして物凄く警戒されている。
最初の頃は会う度にこちらの耳が砕けんばかりの悲鳴を毎回あげていたこの星の子だが、何度も会ううちに流石にそれは止めたらしい。
その代わり、こうして距離をとって別れるまでこちらから目を離さないようになった。
そんなに警戒しなくとも、役目の対象にならなければこちらも何もするつもりはないのだが。
この星の子は…確か最初に見かけた時に違和感を感じて『処分対象』かと疑った星の子だ。その時の候補には無かった為、そのまま何もせず見送ったのだが…どうにも感性が鋭いタイプの変質をした星の子らしく、私が星の子でない事を見破っているようだった。
「………お前、キライ」
ついでに嫌われているそうだ。
まあ、今はそうでなくても、己に対して害を成す可能性があるものを好ましく思う道理もないから当然と言えば当然だろう。
ここはあまり刺激しないよう、口数を少なくしてマリー達を待つのが良いかもしれない。
「そう」
「お前、すっごく危ない奴。
怒りも泣きもしない奴。
だから、自分はお前キライ」
「…そう」
刺すような視線を向けてくる星の子がポツポツと言う。
危険性はともかく、感情は私に必要な事ではない。だというのに、そこを評価されても私にどうしろというのか。
「…お前、平気で星の子を砕く事ができるでしょ」
「…」
何一つ間違ってない。
現にこの場でこの星の子が処分候補に追加されれば、私は一切の躊躇なく実行するだろう。
「それが、マリーちゃんでも、するんでしょ」
「…………」
何一つ、間違って、いない。
そうなれば、私は一切の躊躇なく、実行する、だろう。
「………なぁんだ。
ちょびーっとは星の子っぽい反応するんじゃん」
「…?」
星の子が初めて顔をこちらから背け、目の前を飛ぶ蝶を視線で追いかけ始めた。
「ヂュリ助、鈍感ってよくネーヴに言われるけど、
お前は相当なのねー」
「…どういう、」
「知らなーい。
自分の頭で考えてー」
この星の子も、マリーと同じ事を言う。
感情について、マリーは自分で考えろと言った。
…私は、どうすればいいのだろう。
目の前の星の子は蝶を手に留まらせてこちらをチラリと見た後、ため息をひとつついた。
「………マリーちゃん、苦労しそうねー」
「…?」
「お前のせいだよーっ!
お前やっぱキライ!
ヂュリ助はナギちゃんの味方で居る〜」
何故ここでアレの名が出るのか。
そう聞こうとして、元気な声に遮られた。
随分と色とりどりに服に光染めをしたマリーと…もう一人が工房から出てきたようだ。
「おまたせー!
ヂュリ助、変な事してない?」
「ネーヴは毎回それ聞く〜。飽きない?」
「あんたが毎回トラブル起こすから聞く羽目になってるんでしょ!!!」
「ネーヴちゃん…まあまあ…」
「そんな事より!二人共ちょーかわいい!
笑って笑って〜!
マリーちゃんもう少し上向いて〜
う〜ん、国宝級〜!」
「あんた、いつの間にカメラを…いいけど」
地面に伏せるようにしてカメラを構えて写真を撮り始める星の子と、言われた通りポーズをとるも照れているマリー。
お洒落、というものには疎いから私にはよくわからないが、マリーは浮かれているように思えた。
と、服を引かれた。
眼下にはネーヴ…と呼ばれた星の子が居た。
聞こえるか聞こえないかの小声で彼女が言った。
「…ほら、マリーちゃんに言う事無いの?」
言う事?
思い当たる言葉がわからなくて首を傾げると、脛を軽く叩かれた。
「かわいい、とか。似合う、とか。
そういうの!ほら行く!」
後ろから押されてマリーの方へと進む。
撮影が一段落したタイミングだったのか、マリーがこちらを向いたところだった。
温かな色合いのひらひらした服に身を包んだマリーは、どこか緊張したような、何かそわそわしたような様子だ。
かわいい、似合う、とかそういうのは正直わからない。
だから、自分が思う事を単純な言葉で口にする。
「…マリーらしい服だね。
うん、良いと思うよ」
「そ、そうですの…」
………何か…悪かったろうか?
マリーは赤くなって俯いてしまった。
心做しか湯気が見える気がする。
すかさず、ネーヴと呼ばれた星の子がマリーに寄り添い「やったわね」などとはしゃいでいるから、そこまで悪い事はしていない、筈だ。
そこに軽やかな足音と共に、ヂュリ…なんとかいう星の子が駆けてきた。どこへ行って帰ってきたのかと思ったが、背負っている道具がカメラでなくなっている。
「じゃじゃーん!最上級にかわいい御二人様!
お茶会へご案内〜♪」
ドンッと音を立てて、特徴的な小さな扉が置かれた。カニの飾りのついたそれに見覚えがある。確か、自身の体が縮んで相対的に大きくなったカフェへ行ける扉だ。
「おっ、ヂュリ助にしちゃ気が利くわね〜」
「わ…!ありがとうこざいます…!」
「入って入って〜」
気分が高揚した二人が嬉々として扉を潜る。縮みながら奥へ消えていくマリー達に私も続
「男子はお呼びでないよー」
スルリと目前で扉へ消えていくヂュリ助。
その目は仮面でよく見えない筈なのに、
あの不愉快な星の子のそれによく似ていた気がした。
「ばいばーい」
扉の持ち主が扉に入ってエリアから消失した事により、扉は自身の存在を維持出来ず僅かな光を残して跡形もなく消えた。
きっと、というか、確実に私とマリーを分断する為だろう。
『ヂュリ助はナギちゃんの味方で居る〜』
「…はは、そうきたか」
感情、というものは私に必要ない。
必要ないが、何も思わない訳ではない。
次にあの敵対宣言をした星の子に会った時は、どう対応してくれようか。
アレと違って言葉でのやりとりは理解できない可能性が高いようだから、とりあえず笑顔のまま真横に居座って威圧する辺りから試してみようか。
どことなく黒いオーラを放つ庭師を、周りの星の子達は察して避けていく。
それもまた感情の切れ端なのだと、気がつく日はまだ、遠い。
了