雷鳴がかき消したもの S.T.Y.X.での一件後にイデアがゲーム機を持ってオンボロ寮に謝罪をしに来て、みんなでゲームをしてと時間を過ごしていた時に、監督生はふと購買に注文していたものがあったことを思い出した。
ゲストだけ残してというのもどうかとは思ったけれど、グリムもいるしと近くにいたエースに声をかけて寮を出ると後ろから声をかけられたのだ。
「どうされたんですか?」
「まあ、その……僕もついて行っていい?」
「購買に用事があったんですね。一緒にいきましょう」
もう帰るということなのかと思ったけれど、どうやら違うらしく、声をかけてきたイデアは監督生の隣まで歩を進め、購買までの道中なんの会話もないまま、用があるというから注文品かなにかがあると思ったのに、棚を物色してお菓子を取って購入していただけで、監督生は少し不思議に思ったけれど、もしかしたら人疲れして外の空気を吸いたかったのかなと、彼の性格上を考えて答えを勝手に導き出した。
帰り道またしても会話はないが、監督生は休憩したいのだろうとの解釈をしているので無闇に声をかけたりしなかった。
多分それがよかったのだろう。イデアは意を決するように口を開いたのだ。
「こ、怖かったよね……ご、ごめん……ほんとに」
なにが。という疑問は彼が紡いだ。
「う、海の底の、もっと深いところまでさ……そんな逃げ場もないところで、ドカドカ魔法を容赦なく放ちまくるバーサーカーが現れてさ、ま、魔法も使えないのに、あんな目に合わせて、本当に申し訳なかったと思って……ます」
尻すぼみでぎこちなく頭を下げるイデアの炎髪の揺れを見つめ、監督生は驚いて声が出せなくなってしまっていた。
オーバーブロットをした生徒たちのごたごたに巻き込まれてきた監督生に「迷惑をかけてすまない」という旨の謝罪はされてきたが、恐怖を感じさせて申し訳なかった。という謝罪をされたのは初めてだった。
人間は常習的な物事に慣れを感じる生き物であり、慣れは慢心を生むもので、監督生は恐怖というものを感じる部分が段々と麻痺してきていたのだ。
このわけのわからない世界で一人、孤独や恐怖というものを自分の中に深く取り込まないようにとある種自衛も兼ねていたといってもいい。
監督生はその瞬間自分がひどく臆病であることを思い出した。
フラッシュバックする記憶の数々に身体が震えそうになった時、目の前で頭を下げていたイデアがゆっくりと顔を上げようとしたので、はっとはじかれたように恐怖を心の奥へと追いやって普段通りを装おうと「謝ってくださってありがとうございます」とこちらも頭を下げていた。
下げた先で深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
蟠りを残さないように、シンプルに会話を続けなくてはと、監督生がイデアに話を振ろうと頭の中で「これを伝えるために一緒に来てくださったんですね」と言おうと計画していたが、イデアの方が口を開くのが早かった。
「君には怖いものとかないの?」
怖がらせてごめん。という謝罪の後も平然としているように見せたからか、興味本位の質問というニュアンスが感じられる。
監督生はそれに対し、閉じた箱の隙間から溢れているもっとも身近な恐怖を伝えてしまった。
「……真っ暗なところ……かな」
言った直後、この世界にやってきて与えられたオンボロ寮の暗さや、洞窟の中で蠢いていたファントムなどという暗闇に付属する恐怖が耳元でヒソヒソと囁いてきた。
首を左右に振るって追い払おうにも、蝶番の壊れかけた箱はパカパカと恐怖を外に追い出そうとしてくる。
「なら僕のそばにいたら怖くないね」
声が出せず歩みも止まってしまった。
髪を撫でる風の匂いや、生徒の声、球技や魔法が放たれる音。なにもかが画面の中の出来事で、現実から切り離されて俯瞰した自分が静止してしまっている自分をどうにか操縦しようと微かに身体が振れる。
この人は今なんて言ったの? いや、言葉の意味に深いものはきっとないのだ。
暗いところが怖いと言うなら、自分の髪は常時燃えているから怖いことは起きないね。というただのイコールで繋がれたアンサーでしかない。
けれど、彼は恐怖を与えたことに対して謝罪してきた。
監督生にとってオーバーブロットした自分はさぞ怖かっただろうと心配したのだ。
その彼が恐怖を取り除ける存在である。と取れてもいい話をするという滑らかな流れに、監督生が勝手に意識をして緊張してしまっているのだ。
「……っは! い、今の、き、聞かなかったことにしてッ! へ、変な意味とかないんでッ、あっ、あとこれ、あげる」
購買で便宜上の用事であるチョコ菓子を半ば押し付けるように渡すなり「じゃ、じゃあ、もう、か、帰る」とスタスタと走って行ってしまった。
燃え揺れる炎髪が見えなくなってようやく監督生は動くことができるようになり、押し付けられる際触れられた手と、チョコ菓子をゆっくりと見つめた。
追いかけてくる過剰な心音が、顔の熱を上げていく。
孤独。いや……一人きりが寂しいと言うことを痛感した。
▼
マスターシェフのお手伝いとして風車小屋の清掃を頼まれた監督生は、少しでもマドルを稼ぎたくてせっせと働いていた。
オンボロ寮の食糧事情を圧迫している相棒は本日も当然すたこらさっさと姿をくらませてしまったため、監督生は「ツナ缶買わないんだから!」とぶつくさ文句をつけつつ掃除を続けている。
「あ、あのー……」
「はーい。ってイデア先輩。どうされたんですか?」
「ま、マスターシェフの、ざ、材料集め……せ、せめて、こ、購買にまとめて置いておけばいいのに、な、なぜ散らす? い、意味がわからない。非効率的、時間の無駄では?」
「あはは。確かにそうですね。はい小麦粉とパン粉と……」
イグニハイド生用のマスターシェフユニフォームを着用したイデアが、うんざりとしたように括った髪の結い目をかいて、重たいため息をついている。
そういえばエースも受講していたけど、他の受講者と食材集めはしないんだな。と他に人がいないことを不思議そうにしている監督生に、イデアは「同じところに来ても効率悪いでしょ」と別行動している旨を説明した。
監督生が納得して頷いた時、風車小屋の戸が勢いよく閉まり、上階にあるアーチ状の窓から稲光が白み、後から雷鳴が轟いた。
手に持っていたパン粉の入った袋がどさりと落ち、監督生は慌てて拾おうとしゃがむも、雷はドンドンと地に穿たれている。
「どこぞの妖精さんがお怒りなのかな」
天気予報に雷はなかったですし、とイデアは監督生の代わりに落ちたパン粉の袋を取ってあげようとしゃがむと、ようやく監督生の様子がおかしいことに気がついた。
閉鎖された薄暗い風車小屋に雷鳴が轟く。
もしかして怖い? と合点がいった時「あはは」という笑い声が聞こえてきて、耳を塞いでいたのを誤魔化すように髪を耳にかけ、ぎこちない笑みを浮かべる彼女が顔を上げた。
「び、びっくりしましたね〜。あははっ、ごめんなさい、手が滑っちゃって」
一瞬室内が光り、薄暗くなった後に雷が落ちというたびに肩を跳ねさせるくせに、監督生はヘラヘラと笑いながらあーだこーだと言葉を紡いでいた。
イデアはなんとなく腹が立ってきて「笑う必要ある?」と冷たいトーンで言い放ってしまう。
数週間前に「真っ暗なところが怖い」と知った。
無鉄砲で行き当たりばったりで、なんでそんなにトラブルに巻き込まれるのかな? 要領悪いんじゃないの? なんて、なんの力もないくせになぜか上手いことトラブル回避する異世界転生最強主人公ちゃん、と思っていた相手が、蓋を開けたら怖い物や苦手な事がそこそこある弱味だらけのヒーローもどきだなんて……
イデアは回想するように一度目を閉じた。
自分がオーバーブロットした時のことだ。あの時は正しいとかそうではないとか、そんな単純な問題ではなく、向かってくる相手を薙ぎ払うことばかり考えていた。
邪魔をするな。消え失せろ。
最大出力で容赦も情けもなく捩じ伏せてやると……
その時にふと目に止まったのが監督生の怯え切った青ざめた顔だ。
悪役がどちらなのか、正義のヒーローとやらがどんなやつなのか、ならなぜ僕たちは救われなかったのか。
取りこぼされ、奇跡さえ奪われてきたというのに、なぜ、なぜ、なぜなぜなぜ!
怒り、哀しみ、後悔。複雑なのに、一つ一つは明瞭な感情が黒一色に染まってどうしようもできない自分。引くことなんて最早できないと上を目指したあの時。
ただその一瞬の光景に罪悪感を覚えたのだ。
弱いくせに、なんの力も持たないくせに、なににでも首を突っ込む天性の主人公気質なところが鼻についていた。
たまたま運が良くて生きてるだけ。ラッキーボーナスがいつか切れて、取り返しのつかないことになってもおかしくないのに、ハア、お気楽なことだ。
そうやって見下して、嫌悪感を抱いていた相手が、本当はそれだけじゃなく、弱い心をどうにか取り繕っていたにすぎなかったんじゃないか。
本当は、とても……
稲妻が走る。
「ヒッ……!」
雷鳴が彼女の弱さを割いていく。
潤んだ瞳がこちらを見上げ、気を張って無理をしていたマスカレードが剥がれ落ちていた。
あの時と同じ青ざめた顔をしている。
この子はこんなに小さかったんだ……そう気づいたら、無意識に頭に向かって手を伸ばしかけていて、雷の音に震えているのにハッと弾かれて引っ込めて取り繕う。
「べ、別に無理する必要なくない? ここには拙者しかいませんし。あ、拙者がいるからってことか……ま、まあ、その、ぼ、僕のことは虫だと思って無視してもろて」
びくっと音が鳴るたびに跳ねる肩や、泣きそうな顔を見つめることはできても、彼女の手を取る術も、頭を撫でる権利もないのだ。
ただ同じ空間で時を消費するだけが限界。
けれどふと、イデアは思ってしまった。
彼女のこの弱さを他の誰かは知っているのだろうか。
仮にここに来たのが自分でなかったとして、同じように恐怖に震えた弱い姿を見せたのだろうか。と。
それは……なんだかとても
「ムカつくな」
雷鳴が彼女の耳を塞いでいた。