どうしてこうも違うのかどうしてこうも違うのか
あの人は拐かされているんだ。
男にとっての運命は出会いの瞬間に砕けていた。故に全てを否定するための材料を探す。きっとなにか弱味を握られていて仕方なく婚約させられているに違いないのだと、そう決めつけて腹を立てて、煮えたぎる使命感に突き動かされるままに、運命の相手……ただ会釈をされただけの彼女を攫った。
あの子が攫われたという知らせが入った、男から見た諸悪の根源、悪の支配者、極悪非道大悪魔であるイデアは、すぐさま現状把握と彼女の足取りを洗い、ものの一時間足らずで痕跡を発見し、そのわずか一本の糸を手繰り寄せて犯人にまで辿り着く。名探偵になれるのも彼女が関わっているからに他ならず、トランクの中に押し込められている彼女を救出するなり「お前みたいな呪われた男に彼女は絶対に渡すものか!」などと喚いている男を気絶させ、今に至る。
男の顔に冷水を浴びせ覚醒させるなり、イデアはにこやかに「おはよー元気してるー?」と声をかけた。
「彼女をどこへやったんだ! 返せッ」
「返せって言われましても、あの子は誰かの所有物ではないので無理ですねー」
「ふざけるな! お前みたいな呪われた男に無理矢理婚姻を結ばされて、あの人はなんて可哀想なんだ……僕と出会うのがほんの少し遅かったばっかりに」
「あーうん。つまり君はさ、あの子が冥府の番人の花嫁ってわかってて攫ったってことでおけ?」
肯定と取れる叫びを片耳を塞ぎ受け取る。エンジンを噴かせるのはまだ早いだろう。燃えかけている髪をはらい、窓もなにもない薄暗い室内に縛り上げられて転がっている男の顔を掴み、無理矢理立ち上がらせる。
「まあまあ落ち着いて座って話そうよ」
顔を押すようにして石椅子に無理矢理座らせるなり、自分はパイプ椅子に腰をかけ足を組んだ。
イデアは腹が立って仕方がなかった。
ジュピター財閥の懇親会の開会の挨拶時に、シュラウド家の話が出されて、そこでイデアの婚約者である彼女が紹介された。本来そんな予定などなかったのに、浮かれた本家の人間が話題話題と選んだのがそれだっただけ。イデアは本家の当主に背中をバンバンと布団のように叩かれて、名前もよく知らない親戚一同からまばらな拍手をされて、なんなんだこの空間早く帰らせろよ! とムカムカしていたというのに、これのせいで変なやつが湧いたってのも腹が立つ事この上がない。
この挨拶の時に縛り上げて椅子に座らせている男は彼女を見初めたのだ。
「この女こそお前が手にするべき伴侶である」との声を聞いた。だからそれを阻む障害は悪なのだと信じて疑っていない。
そもそも会場にたまたま居合わせただけの人間で、親戚ですらないどこの誰だよ案件だというのに、そのたまたまが余計に運命的演出を加速させたというのだから笑えない。
イデアは男の妄言をうんうんと聞き流しつつ「それで」とどんどん話を引き出していく。目が合った瞬間にこんなにも可憐で胸を焦がすような相手は他にはいない、彼女は女神だ慈悲深い天使だ。愛くるしい妖精だと褒め称え、信仰というより盲信に近い狂気を感じる。
イデアも男の意見にそう遠くない感情を彼女に抱いているし、とても大切に蝶よ花よと愛でているが、この気色悪い方向性の価値観と同等と言われるのは耐え難いものがあるし、何よりこの男はなにも知らなすぎるのだ。
彼女が二人きりの時に見せる甘えた顔も、だらしのない姿も、油断してポカンと口を開けている間抜けな所も。そもそも外側ばかりで中身にも及んでいない浅すぎる見識で運命と言われましてもと、イデアは聞き流していたものがヒートアップし出して聴くに堪えなくなり「あーはいはいおけおけ」と男の口を魔法で強制的に閉ざす。
「君とあの子が運命の糸で結ばれてる? なにそれ最高。面白すぎて死んでしまいそうだよ」
パイプ椅子から立ち上がる衝撃に椅子が倒れるので、後ろ足で雑に蹴り飛ばしてから男が座る石椅子の背後に立ち「あのさあ」と肩を掴んで顔を近づける。
煮えたぎる怒りで白目の毛細血管に血が余分に流れ、イエローアンバーにはドス黒い憎しみが染み出している。恐ろしいまでに整ったイデアの相貌は怒りの感情で逆らう意思をへし折られてしまうくらいの圧力があった。男は身体を震わせて喉に唾を流し込みながら永遠に近い続きを待つ。声も抵抗も奪われているから、男にはそれ以外のコマンドが選べないのだ。
「英雄気取りなくせにコソコソ人攫いとか草。あの子の意見ガン無視で連れ去ったわけだよね。正々堂々勝負したら負けるってわかってたんだろ? ざーこ」
男は顔に熱が集まり悔しくて堪らなかった。イデアの言う事が事実であると自分自身で証明しているようなもので、悔しそうに身体を震わせている姿に「フヒヒ。事実を言い当てられてお顔真っ赤。可哀想になってきましたわ」と追加の煽りで椅子から立ちあがろうと踏ん張るも、足に力が入らないことに気がついた。
「おやまあ。よぉ〜やくお気づきで。いつ気づいてくれるのかと拙者ワクワクしてたんですわ」
ここからがお楽しみだと声を張り、男の目を布で覆うなり頭にコードが付いているヘルメットのようなものを装着した。
「忘却の椅子に腰掛けてしまった哀れな英雄の像のかんせ〜! ほら拍手。なんだよノリ悪いなぁ……ああごめんごめん。この椅子に腰掛けると体の自由もなくなるんでしたわ」
意気揚々と語り始めたイデアの声を頼りに首を動かそうにも身体がいうことが聞かず、塞がれている眼球をどうにか揺らすしかない。ただ好きになった相手と出会いの順番や立場が違っただけで、それを正そうとしたにすぎないのに、ここまで何もかも奪われるようなことをしただろうか。
恐怖や怒り憎しみが溢れ奥歯を噛み締めれば鉄の味がした。まだ自分は正気だ。狂っているのはアイツの方だと強い意志を持った瞬間。額と頭頂部にかけて微弱な痛みを感じ、その感覚を確かめる僅かな静止をイデアが見逃さずに、男の心を容赦なく壊していく。
イデアの炎髪はいよいよ赤く燃え盛っていた。
「君の記憶からあの子を全部消してあげる」
これは大きな嘘であり、男は頭から静電気レベルの電気を流されているだけであるし、体が動かないのは神経毒を打ってあるからだ。イデアは男が妄信的であると理解して、拷問の方向性を決めたにすぎない。故にこの男が恐怖で一時的に記憶に混濁が起きて仮初的に記憶喪失になったとしても、本当に綺麗さっぱり記憶を洗い流す術はない。これは愛しいあの子にも言える。
突然知らない男に連れ攫われたという気持ち悪い記憶を消してやれない。なかったことにできない苦痛に、イデアは眉を寄せ赤く爆ぜている髪をかきむしる。
「あ〜〜……本当にムカつくなあッ‼︎ なにが運命だバァカ。お前と結ばれる世界線なんてこの世のどこにも存在するわけないだろ!」
気絶している男をイデアは「殺してしまいたい」と真っ暗な目で見やり、喉に向かって手を伸ばすが彼女が目覚めたという連絡が来て、興味のうせた玩具のように、最初からこの世に存在してなどいないものかのように男から離れ、愛しいあの子の元へと走る。
「イデア。あれはどうするつもりなんだ」
「もういらないから捨てていいよ」
父親のため息を背後でに聞き、ベッドから起き上がっている冥府の番人の花嫁を抱きしめる。先程までしていた情け容赦のない拷問を行なっていた人物と同一とは思えないほど優しい声で「よかった」と髪を撫で、頬を撫でる。
甘やかな視線が愛情を存分に浸らせたれ落とし、注がれている相手は自分がこの世で一番幸福な花嫁だと自認できる程で、安堵に目元を和らげて微笑み、イデアの腰に腕を回して彼の胸板に頬を預ける。
「あの人は一体誰だったんですかね」
「だれのこと?」
「私を攫った人です」
「君攫われたの? 気のせいじゃない。頭ぶつけただけだよ」
「そんなわけないでしょ」
「フヒヒ。どこの誰とか君が記憶しておく必要ないよ」
んーと記憶を探ろうとするのを咎めるキスをして「ねえ」と甘えた声を出す。経験によって培ったもので自分に意識を集中させれば、彼女の脳内フォルダ内の余分なものが自分で満たされていくのをイデアは知っているのだ。「君が欲しい」そんなセリフで脳を痺れさせ、身体の自由を奪って虜にする。
「抵抗しないの?」
意地悪な笑みに恥じらいの視線だけが向けられた。