ワンドロ・ワンライ「冬の一日」***
高校か中学の、古文と漢文の時間
春眠暁を覚えずは言うまでも無く、だからと言って眠っているのが心地の良い春だけでなく、ベッドから出たくない冬だって、起きたいものではない。
えぇと古典の有名な方は、冬はつとめて、だったか。
アレには同意しかねる。寒いのが好きなんてどんなドMだっての。
もしかしたら昔はそうだったかもしれなくとも、現代を生きる人間って生き物は寒さを感じるだけでストレスを覚えるって、どこぞの有名大学が研究結果を出していたような気がする。うろ覚えだけど。
光熱費を支払ってくれる太っ腹なスポンサーが付いてくれている寮だってのに、怖い眼鏡のお兄さんに、質素・倹約を厳しく言われてしまっているから、二十四時間空調を点けっ放しにはしておけなくて、朝は目が覚めてからリモコンを手に取ることになる。
エアコンを暖房設定で一晩中稼働させるのは、役者の喉にダメージを与えてしまうと言う最もな大義名分があるらしいけれど、筋肉の無さは周知の通りに自覚あり、同年代の平均値からして標準よりは瘦せ型に近い体形をしていれば、寒さにはめっぽう弱くなる。
「…休みの日に、起きる理由が見付からない。」
重課金アプリゲームのイベントは終了したばかり、会社の繁忙期も終えたし、春組の稽古の無い日曜日に、午前中に起きる必要があるだろうか、否、無い。
反語をキリッと夢うつつに思い浮かべての決意は、昨晩も寝落ち寸前まで弄っていた携帯電話が枕元に落ちているのを拾って時間を確認することも無く、日差しで夜中よりも温まり始めているだろう、それでも寒いと思える寮の自室のソファーの上で、顔の半分まで毛布を引っ張り上げ直すにはぴったりと言えた。
ロフトベッドは部屋が広く使えて寮には良いんだろうけれど、動きたくないオタクには、中々ハードルが高いと此処で暮らして数日で思い知らされた。
ソファー付近に、毛布やブランケットなんて、手の届くところにクッションなんかもまとめて放置しておいて、寝っ転がりながらゲームをして寝落ちに朝を迎えても風邪を引かずに済む準備をしておくに限る。
「ぁ、…朝ご飯、食べませんか…?」
そう、例えば可愛くて愛しくて、後なんて言うのか兎に角最高に、ラブで推しで大好きで仕方の無い、躊躇いがちな小さな声が胸をきゅんきゅんさせてくれたとしたら、起きないことも無いだろう。
「あの…至、さん。…起きて来ないから、どうしたのかな…って。」
寝直して速攻、夢でも会いたい相手の顔が目の前に在ってくれるとは。二度寝ってだけでも最高にハッピーなのに。
ナニコレ、ハッピーの乗算かな?
先日単発ガチャで推しのSSRを自引きしたばかりだし、もしかしたら運気が向いているのかもしれない。
今度見掛けたたタイミングで、宝くじでも買ってみようかなぁ。
「皆は、…その、ゲームして夜更かししただけだから、気にしなくて良いって言ってたんですけど。」
夢の中でも現実と変わらず優しいのは、希望が投影されているからってだけじゃなく、本物が理想と一致しているからに他ならない。
個性の強すぎる面々との共同生活で、毒されて、と言うには俺の、多分あんまりよろしくない影響も多少なり入ってしまっているから、上手くは言えないけれど。
出会うまでの生活に、楽しいことばかりではなかったと知っていて、どうしてこうも純粋無垢と言うべきか、天使みたいな心の清らかさをもって育ってくれたのかが解らない。
生まれながらの光属性なのか、最近流行りの転生モノで、実は前世が心優しいエルフか天使でした、とバラされてもその場で躊躇い無く頷けてしまう自信がある。
「もし、具合が悪かったら…と思って、心配で様子を見に来たんです。」
嗚呼ほら、どこまでも優しい。
こんなにも優しい、同室の先輩が同じ状況だったとして絶対に掛けて来ない言葉を惜しげも無く差し出してくれる。
夢の中でも眠たいなんて馬鹿みたいな感覚に、瞬きを繰り返して、見詰める先が、おろおろと困った表情になってくれるのを、心の中で自分自身へ舌打ちを盛大に。
こんな可愛い子を、困らせるんじゃないよ、茅ヶ崎至、つまり俺。
「ぉ…起きてます、よね?」
あー…ヤバい、本当に可愛い。
最高に都合の好い夢、プロデュースドバイ俺。
さっきから優しいと可愛いしか語彙力が無くなってるけど、尊さの前に語彙力など風の前の塵に同じ。
吹いて飛びそうなどうでも良いものよりも、手を伸ばすなら目の前の、可愛い困り顔が良いに決まっている。
抱き締めても逃げないで居てくれよ、頼む俺の妄想力、と自分に都合良く現状を解釈し、毛布の下から両腕を取り出して伸ばしてみる。
ソファーに横になった高さの視界に、俺の夢の設定では膝をついて顔を覗き込んでくれているんだろう。
体温で温まった毛布を出た腕が寒さを覚えるのは、夢の癖にリアリティを出さなくて良いってのに。
「ヤバ、好き…可愛い、癒し。」
今の俺の語彙力、監督に対する真澄かな?
抱き締め、抱き寄せて、頬と頬が触れた。
あたたかくて、柔らかくて、驚くほど心地良い。ずーっとこうして居たいと思わされるまま頬ずりをすると、くすぐったいのか腕の中で小さく笑う声と、短く吐く吐息が肌に当たって、こっちまでくすぐったい。
あれ待って、ちょっと待って、マジで待って待って待って無理コレもしかして。
「さ、咲也…?」
「おはよう、御座います…勝手に部屋に入ってすみません。」
千景さんが良いって言ってたので。と腕の中で少し距離を取りながらも身体を引き切らず言い淀む声も、困った様な下がり眉も、唇をへの字に、大きな目をぱちぱちとさせる姿が、寝起きの、近過ぎる視界に眩し過ぎる。
「ぎゅーって、…至さん、寒かったですか?」
「あ、はい。そうですね寒かったです。」
ふふ、と楽しげに笑う咲也に返すカタコトの言葉は、うわ待って夢だと思ってたのが現実とか本当無理なんだけど待って待ってマジで、ってさっきよりも死んだ語彙力で頭の中だけ大慌て。
「丞さんたちと、ランニングに行った帰りなんです。…俺、まだ体温高いのかな。談話室に戻っても、至さんがまだ今朝は起きてきていないって聞いたから、…どうしたのかなって思ってたら。」
「…みっともないところをお見せしてしまって大変申し訳ありませんでした。このことはどうぞご内密に、金なら出します。」
寝惚け半分の欲望駄々洩れに、抱き締めているのが本物の咲也だと認識するまでの間に何を口走ったかがあやふやなのに、がっちがちに硬直しきって咲也の背にある腕を離すことの出来ないまま。
息をするように課金します台詞が口を吐いたが、言葉の後半は無意識に声量を落としていたから聞こえていなかったようだ。
「…至さんの分の朝ご飯、俺も用意するの手伝ったんです、冷めないうちに食べてくれませんか?」
「っ、えっと、ぁ…はい喜んでぇ!」
どこぞの居酒屋か、って返事を無理矢理に元気良く。
咲也と言えば、此方の混乱しきった胸中いざ知らず、両目をぱちりと丸くした後、何が面白かったのかくすくすと笑ってくれるから。
「…可愛い。」
「寝惚けた至さんも可愛かったですよ。」
自然と口から転げ落ちてしまった言葉を、受け取ってくれたらしい咲也が、ふにゃりと笑ってから、ゆったりと腕を取ってソファーへと戻してくれる。
休みを理由に朝だと言うのに起きて来ない、駄目社会人の様子を見に来るだなんて無駄な労力を使わせられたと言うのに、どうしてか。
「…咲也、良いことあった? なんか嬉しそう…。」
「それは至さんが…いえ、今度はちゃんと起きている時に言って下さいね。」
えっ、待ってマジで寝惚けている時の俺、何て言ったの。
先に行っていますを立ち上がりながら口にした咲也は、部屋を出る時に一度振り返って、閉まる扉の向こうから手を振ってくれて。
一人残された俺は、ぼんやりと取り敢えず身体を起こす。
ずるりと肩から滑り落ちた毛布は、腹の辺りで蟠るのに、あんなに寒かったはずの室温すら気にならなくなっているのは、それ以上に気にしなければならないことで頭が一杯になっているからだろう。
「え、と…俺の素直な気持ちを聞いても…嫌じゃなかった、ってこと…?」
それにしても、ちゃんと覚えておけよ俺、と己に腹を立てたところで過ぎたこと。
はっきりと何を言ったかは覚えていなくとも、咲也に対して抱えている感情が何であるかなんて、自分が一番よく知っている。
理性のストッパーががばがばな寝惚け状態で、何を口走るかなんて、推して知るべし、だろう。
「…せめてヨダレ垂らした顔じゃ無かったと良いなぁ。」
談話室に行く前に顔を洗う必要があるだろうと、ソファーをのろのろと下りてフェイスタオルを片手に部屋の外へ。
「びゃっ!…何だよ、めっちゃ寒いじゃん。」
胸がポカポカしていたと思ったのは気のせいだったかも知れない。
スリッパを忘れた素足の一歩目は、無人の廊下で変な声を出させるには充分に冷え切っていた。
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