かわいい、ひと***
虎次郎は、ことあるごとに「可愛い」と言う。
例えば、偶々お互いの都合が付いたからと二人で出掛けて、虎次郎が行ってみたかったというカフェでデザート付きのランチを食べているときに。
日替わりランチが三種類あって、食べてみようと思った二種類で、どちらを選ぶか迷っていれば「薫が食いたそうなの、コレとコレだよな。俺こっちにするからシェアしようぜ」だとか、まだ何も言っていないのに此方の希望の決定稿をさらりと口にしてくれる。
サーブされたランチプレートに舌鼓を打ち、デザートまで律儀に半分寄越す虎次郎に「美味いな」と、素直な感想を伝えれば。
「…ん、可愛い。」
何とも、会話が噛み合わないじゃ無いか。
「おい、ゴリラ。いい加減に心にも無いことを言うのを止めろ。」
今日も今日とて、今夜とて。
虎次郎のベッドに横になって、正しく言えば沈み込んで。
指一本動かすのも億劫になるほどの疲労を、それも、心地良いと思えてしまう疲労を、頭の天辺から足の先まで詰め込んでくれた男は、互いの汗を拭い終えて諸々の後始末を付けてから、酷く嬉しそうに「可愛い」と言って、人のことを抱き込んで眠ろうとする。
つい先ほどまでの濃密な時間にだって、熱っぽい声に何度「可愛い」と耳をくすぐられたと思っているんだ。
虎次郎が、そう言う度に胸の奥がざわめいて、ついでに腹の奥にきゅぅと力が入ってしまって、こうして声が枯れる頃になって漸く、まともな言葉で言い返してやることが出来るようになるのだ。
「…なんだ、ご機嫌斜めだな。」
「はぐらかすな。」
ついさっきまでは人のことを散々乱してくれた長い指も、大きな手の平も、今はすっかり大人しくなって、労るような手付きで背を撫で、項を辿り、髪をくしゃりと掻き混ぜる。
「可愛いって言われるの…嫌か?」
「そう言う話をしているんじゃ無い。お前の好きな女のように扱う必要が無いと言っているんだ。」
恋人同士という間柄になっても、根っからの女好きがころっと変わるなんて思っちゃいないし、別に何処でどう遊んでいようと、そこまで気に掛けるつもりも無い。
ガキだけは出来てしまったらガキが可哀想だから、ちゃんと認知してやって俺に教えろよ、別れてやるから。
付き合い始めの時に、そう、はっきり言ってやったことを覚えている。
「もう、お前一筋だって言っただろ。…いや、俺の今までの行いってヤツだよな…これからの態度で示すので信じて下さい、薫サン。」
デカい図体をこれでもかとしょぼくれさせて、垂れ目がちな瞳に涙まで溜めて、そんなことを言っていたのも、覚えている。
だからかどうか、誠心誠意と言ってやるべきか、世間一般の基準には詳しくないし、残念ながらと言うのも的確ではないように思えるが、虎次郎以外を知らなければ比較基準が無いのだけれど、今のところ順調かつ誠実にお付き合いというものが進行している認識ではいられていた。
身体の相性も悪くないが、付き合う前は「お前、本っ当に可愛くねぇなぁ!」などと口喧嘩では散々言われ、今だってエスに行けば犬猿の仲と呼ばれるジョーとチェリーの『相変わらず』のやり取りでは、先日のビーフ観戦中にも言われたような気がするが。
それはそれとして、どうにも「可愛い」を、虎次郎は俺に向かって口にするのだ。
「別に女の子扱いしてるわけじゃねぇって。」
「…ならば、何故だ?」
わざわざ男に言う必要の無いことを、リップサービスでも無く。
そもそも、虎次郎と比べれば一回りとは言わないが、すっぽりと腕の中に収められてしまうとは言え、同年代の平均身長を優に超えるし、カーラの導き出した最適なスケートを実現させるための身体作りを怠らずにいる体格なのだ。
どう考えても『可愛い』の枠には引っ掛かりそうにも無い。
高校時代は、若さ故のはしゃいだ外見をしていたこともあり、虎次郎以外に可愛いなんて言葉は、クラスのギャルがふざけて向けたもの程度だから、ノーカウントだろう。
「なぜ、って…お前なぁ。」
ベッドサイドの、小さな明かりは虎次郎の向こう側。
背中を向ける虎次郎が眩しくないように、虎次郎の胸元に抱き込まれる俺には、光が届かないように。
「いつもは俺より頭良いくせに、変なとこ頭悪ぃんだよなー…薫って。」
虎次郎の作る暗がりの中だから、虎次郎の表情は解らないし、声だけ聞けば呆れたようにも受け取れるのに。
「馬鹿に馬鹿扱いされるのは心外でしか無い。人に解るように人語で説明しろボケナス。」
まるで、愛しくて仕方が無い相手を腕の中に閉じ込めて、一人にだけ見える、相手にだけ見せる、とびっきりの甘ったるい顔をしているように、思えてしまう。
だから照れくささを隠すように、いつもの憎まれ口を叩いたというのに。
「そういうところが、可愛くて仕方無ぇから…可愛い、っつってんの。」
はぁー解らねぇかなぁ。と溜息交じりに、此方に非のあるようにすら言ってくる。
訳の解らない男。
「理論立てて説明しろ!」
「暴れんなって、ほらもう寝ちまえ。」
虎次郎に抱き込まれた両腕は使えないしと感情のまま両足をばたつかせれば、男の重たい片足が絡め取って動けなくされてしまうし。
無駄に育った筋肉に密着されれば暖かく、殆どされるがままだったとは言え運動後の身体というのは時間も相まって眠気に抗うことは難しいし。
結局、虎次郎の言う「可愛い」の理由は、教えて貰えないまま。
「眠れたのか?薫、…っとに、可愛くて仕方無ぇ奴だよ、お前は。」
何だかまだごちゃごちゃ頭上から虎次郎の声が聞こえた気がしても、寝付きの悪いはずの俺の、夢の中までは届かなかった。
***
ハッピージョーチェリ