おはよう、ぼくのねむりひめ まぶたを閉じていても睫毛の先に光の粒が降り注いでいるのが分かる。朝の空気が頬を撫でるのが分かる。
今日は休日。学校はお休み。期末考査は先日終わったところ。後は冬休みを待つばかり。
肩のあたりが少し肌寒い。
ブランケットを引き寄せようとして、湖滝ちゃんは大きく目を見開いた。まどろみの淵を漂っていた意識が一瞬にして浮上する。なぜなら、すぐ目の前、鼻の先と鼻の先が触れ合うほどの距離に婚約者の顔があったからだ。
「おはようございます」
湖滝ちゃんと視線を合わせて、先輩くんがにっこり微笑む。
「おはよう……って、妾は、ええっと……」
「お忘れですか? 昨日、眉美さんのお部屋へ遊びに行かれたでしょう? 湖滝さんが洋酒入りのケーキをひと切れ食べてすっかり眠ってしまったと眉美さんから連絡が入ったので、私がお迎えにあがったのですよ。昨夜はよくお眠りになられていましたが、ご気分はいかがですか?」
確かに(語り部ことわたし瞳島眉美の部屋で)ブランデーケーキを食べたことは記憶に残っているけれど――
答える代わりに、湖滝ちゃんは両手で掴んだブランケットを肩の上まで引き上げた。とある理由で、先ほどまで肌寒かったことが嘘だと思えるほどに頬も身体も火照っている。
「ど、どうして妾も長広も服を着てねえんだよ?」
おやおやというふうに、先輩くんが目を瞬かせる。
「それもお忘れですか? 車から降りて家に入るなり、『暑い!』と言ってご自分で服を脱がれたのですよ。止めようとした私の手を振り切って、逆に『長広も脱げ』と。されるがままでした」
「なっ……」
湖滝ちゃんの顔がますます赤くなる。そんなこと、ちっとも覚えていない。ブランケットの下で身を縮こませるようにして、蚊の鳴くような声で訊ねる。
「へんなこと、しなかったろうな?」
「変なこととは?」
「――!」
言葉をつまらせる湖滝ちゃんの瞳をのぞき込むようにして、先輩くんがくすくす笑う。
「ご安心ください。昨夜は湖滝さんにお水を飲ませて、少し労らわせてもらっただけですよ」
「ねぎら……わせて?」
「いえ、こちらの話です」
涼しい顔をしているが、こんな表情を浮かべている時の婚約者が何やらしらばっくれようとしていることを――そして、しらばっくれようとしていることを隠すつもりもないことは、経験上よく知っている。ムカつくけれど嫌いになれない。それが惚れた弱みであることを、湖滝ちゃんは嫌になるほど知っている。
先輩くんを軽く睨みつけてすぐに視線を逸らせると、湖滝ちゃんはするりとベッドから抜け出した。頬をぷりぷりさせながら一糸まとわぬ姿でバスルームへ向かう湖滝ちゃんの華奢な背中を、先輩くんはまぶしいものを見るような眼差しで見送った。
先輩くんがこぼした言葉の意味――身体中に残された赤いしるしに気づいた湖滝ちゃんの悲鳴がバスルームから聞こえてくるのは、それから約五分後の話。