2本分の予告が終わり、映画館の会員募集のCMが始まる。場内をざっと見渡して、空いてる席の位置を確認。ちゃんと覚えたかってもうひとりに訊ねる。覚えたがお前の仕事だろう、ともうひとりは呆れたように言う。それは本当にそう。でも覚えるとかそういうのはお前のほうが得意なんだから、テキザイテキショってやつじゃんね。
シアター後方、ロビーに通じる2カ所の扉を閉めたら映写室に戻る。少しだけ残してた照明を最後まで落とす。本編が始まるのに合わせてスクリーン脇のカーテンで画面サイズの調整。ええと、この映画は──ヨーロピアンビスタだ、ともうひとりに教えられる。そうだった。アメリカンビスタとシネスコはボタンをひとつ押せばいいけど、ヨーロピアンとスタンダードは自分で見ながらカーテンを動かさなきゃいけない。その地味な調整を苦手だなあ嫌だなあとかんじるせいで、つい意識の外に置きがちだ。小窓を覗きながらボタンを押し続け、ゆっくり閉まるカーテンを見守る。あともう少しだなとおもったところで、もうひとりがボタンから手を離した。あっ勝手にすんなよなと文句を言うけど、見てみろ丁度だろうと言い返される。そして確認するとその通りだ。もう少しボタンを押し続けていたら縮めすぎになってたはずだ。名画座でのバイトを始めたのは映画が好きな俺のほうなのに、フイルムかけるのもこいつのほうがはやく覚えたしカーテンの調整だって上手い。あーあ、ちょっと悔しい。
まあそういうのも日常だ。
映写室から出たらすぐにトイレ掃除に取り掛かる。それが終わったら社員さんと交代して窓口に座る。今日から上映の2本のうちのひとつ──上映中の映画は、この名画座でやるにしてはちょっと長めの作品だ。静かで地味な、知るひとぞ知る名作系の映画。朝からの回には常連のおじいちゃんおばあちゃんがたくさん来たってきいたけど、夕方の入りはけっこうイマイチ。のんびりできるなあとおもう。居眠りするなよともうひとりが笑う。しないってば、うるさいな。
見本用のパンフレットをパラパラしながら窓口についてると、おい、ともうひとりから声がかかった。うるさい。言ってる場合か、客だぞ。顔を上げると道を挟んだところに青年が立っていて、確かにこちらの様子をうかがっているように見えた。手元のスマホとこちらの看板を見比べているんだろうか。同い年くらいかな、ともうひとりに訊ねる。じゃないか、お前よりかはだいぶ大人びて見えるが。はあ、いつも一言多い。
青年と目があったかなと手を振ってみた。向こうもそれに気づいたようで、おずおずとこちらに歩いてくる。
「映画見にきたひと? それとも道に迷ってるかんじ?」とガラス越しに声をかける。
実際ここに座っていると、駅や近くのラーメン屋、カフェの場所をきかれることは少なくない。客にタメ口をきくなともうひとりが俺を叱る。けどこのひと、なんかそういうの気にしなさそうだし。
青年は本当に俺の勝手なタメ口とか気にしていないようで、でもどこか困惑した様子で俺たちを見ている。
「……映画、です」と低い声が小さく言った。
「初めてのひと?」
「あ、はい」
「次の回は1時間半してから。次は最終回で一本しか見れんからちょっと安くなるよ。でも安くならなくてもいいんだったら、途中から、今からでも入れる。今やってるのは後半がとくにいいって話だから、まだ間に合うとはおもう。入れ替えなしだからお得ではある。はず。どう?」
「……じゃあ入ります」
「学生さん?」
「はい」
「学生証って持ってる? 学割あるから、ここ」
青年が動揺したように見えたので、あっ忘れてきたんかなとおもう。まあちょうど俺たちしかいないし、持ち合わせてなくても割り引いてあげちゃおうかな、社員さんには秘密で。賛成だ。なんて内側で言い合っているうちに、しかし青年は学生証を財布から取り出している。近くにある頭のいい大学の学生証だ。伏黒恵、ともうひとりがその氏名を読み上げる。やめなさい客の個人情報とるのは、と叱るけど、俺もそのペラいカードに記された生年月日を見ながら、へえ本当に同い年だ、とか考えている。
たぶん俺たちはふたりとも、この伏黒クンという青年に下心込みみたいな興味があった。近くで見た顔が整っていたのもあるし、なんだか、こう、独特の雰囲気がある。
「1200円です」と普通に言えたのは窓口業務がしっかり体に染み付いてたおかげだ。そうでなかったら見惚れて動けなくなってたかもしれない。
お代を受け取ったらチケットをもぎって渡す。伏黒くんは半券を受け取ると、映画の途中で入場する初めてのお客さんがしがちなように、地下のトイレに通じる階段に向かおうとする。扉が閉まってるとわかりにくいんだよな。それを引き止めて、シアターの扉を示した。扉を開ける前に、「うしろから4列目、入ってまっすぐの通路右が座りやすい」と青年に耳打ちしたのはもうひとりのほうだ。伏黒クンは振り向かず、黙ってうなずいて、薄暗い場内に入っていく。扉を閉めてから、ずるい!ともうひとりに文句を言った。でもお前はどこが空席だか覚えてなかっただろう。はい、その通りでございます。
映画の終わりが近づいて、社員さんが2階の事務室から戻ってくる。俺はまた映写室に入って小窓を見つめる。合図の黒みが通ったら幕を閉め始める、シアター場内に少し灯りを入れる。映写室を出て、シアターの扉を開けて待つ。場内と外とを区切るカーテンはそのまま。エンドロールが終わるとカーテンも開く。すぐ出るタイプのお客さんたちを見送ったあと、映写室に戻って場内の灯りを全開にする。休憩BGMをオン。今回の選曲かなり好き。
俺がやる、ともうひとりが言うから、フイルムかけるのは任せることにした。どの映画でも毎回やることは同じなんだけど、映画が変わると俺にはどうも違う作業におもえちゃってダメ。最初は変に緊張しちゃう。だからもうひとりの申し出はありがたかった。明後日のシフトではちゃんとやろうって、指の動きをよく見ておく。
フイルムをかけ終えたら場内まわり。ゴミ箱を手にシアター場内をめぐって、お客さんの飲み終わったペットボトルとか、足元に置いてかれたゴミとかを回収する。もうひとりが示したとおりの席に伏黒クンが座っているのがわかる。次の映画もそのまま見ていくのだろう。向こうもこっちを見てたぞともうひとりがからかうように言う。そんなん気づいてないわけないじゃん。
でも初めてきた不慣れな場所で、動いてる人間がいたらまあ俺じゃなくてもたぶん見るよな。だからとくに期待とかしないようにつとめる。
掃除が終わったらまた暇タイム。2本目の映画は比較的短いからそんなにのんびりもできないけど、最終上映の途中から入る客ってのはそういない。窓口業務はすでに閉店状態だ。
伏黒クン、こっちが目当ての映画だといいな。さっきのもたぶんいちばんいいところは見れただろうけど、もしそっち目当てだったら別の日に来て最初から見なよって言ってあげたほうが親切だったよね。
と、もうひとりに話しかける。
さてな、どっちの映画も目当てではない場合もある。
うわあ、迷子のひとを無理やり映画館に案内しちゃった?
いや、地下のほうの客の場合もあるだろう。
地下のほう。
「あっ」とおもわず声をあげてしまった。もうひとりがやれやれってかんじに笑う。地下のほう。地下にあるほうの映画館のことだ。ここは同じ建物に2つの映画館が入っている。どっちもスクリーンをひとつしか持たない小さい映画館。通りに面した我らが名画座と、路地裏のほうに小さく入り口を構える、地下のピンク映画専門館だ。
そういうこと? 確かにそう考えると、妙にそわそわした様子も、学生証を見せろと言われて狼狽えてたのも、この映画館ではトイレがあるだけの地下に降りようとしてたのもすごく納得がいく。気がする。でもそうだとしたら、迷子を無理に映画館に入れちゃったのとほぼ同じじゃない? いや、よく確かめもせずに入った伏黒恵も悪い、ともうひとり。あはは、でもなあ。ていうか向こうのお客だとして、映画の客なのかな、それとも。ともうひとりに訊ねようとして、余計な詮索はやめろ、と止められる。
そうやってわいわいしているうちに最終回の上映が終わる。
また一連の作業を流して、最後に場内にかけるのは蛍の光。
「ありがとうございました」と笑顔でお客さんたちを見送る。常連の、すっかり顔見知りみたいになってる人びとが「また来るよ」とか声をかけてくれたりもしてくすぐったい。
伏黒恵が出てこないな、ともうひとりが言う。俺も気づいている。普段の最終回はもうちょっと長めに窓口前であいさつしてるけど、早めに切り上げてしまうことにする。「まわってきます」と社員さんに告げて、なんだか走り出しそうになる足をたしなめながら場内に向かった。
居残って映画の感想を言い合うお客や眠ってしまったお客に退館をうながしながら場内をまわる。落とし物がないか確認しながらゆっくり歩く。歩きながら伏黒クンがまだそこにいるっていうことを視界の隅で確認し続ける。
伏黒クンはまだ座席に座ったままだ。
具合悪いとか? それとも目当ての映画館じゃないと気づいて、無理やり金を払わせた店員へのクレームを考えているんだろうか……とおそるおそる近づいて、彼が泣いていることに気づく。あらかじめきいてるあらすじからも、他のお客さんの様子からも、さっきまでかかってた映画がひとの涙を誘うものだとわかっていた。なのに俺は伏黒クンの泣き顔にちょっとどころか動揺して、その隙にもうひとりのほうが「どうした」と声をかけている。抜け駆けだ……。
伏黒クンは「すみません、映画見るの久しぶりで」と涙をぬぐいながら顔を上げて、俺たちの顔を見る。そのぽかんとした表情を見て、俺は、おや、とおもう。たぶんもうひとりも同じだろう。
「双子か?」という、つい口から転げ出たみたいなその言葉をきいて、俺ももうひとりも、なんだろうこれは。
すごくうれしい。
俺たちの見分けがつく──俺たちがふたりいると気づいた人間に会うのは、これが生まれて初めてだった。
俺たちはずっと一緒にいた。記憶にないような昔、両親がまだ生きたっていう本当に小さいころはどうだったか知らん。じいちゃんが悠仁悠仁と俺たちを同じ名前で呼ぶと気づいたときにはもう一緒にいた。じいちゃんだけじゃない。保育園のおともだちも先生も、小学校や中学校、途中までしか通わんかった高校の生徒たちや教師もみんなそうだった。俺たちふたりはいつもひとつの名前でしか呼ばれない。
始めは違和感すらなかった。そういうものだと思っていたから。ひとつの体にはふたりの人間がいて、同じ名前を持つものだろうと。でも俺ともうひとりとが声に出して会話をしているとみんな変な顔をしたし、俺がもうひとりよりも速く走れないことを悔しがると意味がわからないって笑われた。口喧嘩に俺が泣いちゃってもうひとりが反論したときは、嘘泣きはやめろって非難されたっけ。じいちゃんは様子がおかしいって言われる俺たちのことを〈そういう子ども〉として受け入れて堂々としていたけれど、先生たちはちょっと偉い機関に相談したりもしていたようだった。どこか、脳とか神経とかに、おかしいところがあるんじゃないかって。それはそう。みんなから見れば俺たちはおかしかったのだ。どうやらみんな、ひとつの体にひとりしかいないらしい。
だからみんなは名前がひとつしかなくて不便がないんだな、と小学2年生あたりでやっと気づいた。
悠仁っていうのはどっちの名前だとおもう?
俺はもうひとりにそう訊ねた。
お前の名前でいい、ともうひとりは言った。
俺は体を動かすのが他人より得意だった。力も強かったし足も速かった。だけどもうひとりのほうがもっとべらぼうに、他人を脅かすくらい得意だった。俺は他人と会話をするのも苦手じゃなかった。本心から話すってのはむつかしいけど──だって本心のありかたが他人とは違っているわけじゃん?──とにかく場をいいかんじに盛り上げておくのはできる。笑顔をつくれる。他人に好かれやすい自信がある。もうひとりは人付き合いってのはてんでダメ。今でこそ俺の振りをするのが得意になったもうひとりだけど、子どもの頃は本当に高圧的だったし、他人に合わせようってことができなかった。
そういうかんじだったので、俺たちふたりはひとりの人間としてやっていくにはバラバラすぎた。交代でクレヨンを握り、順番にかけっこに参加する時代が終わると、俺が外に出ている時間のほうが自然と長くなった。もうひとりは夜、俺が眠ってから本を読んだり趣味でお勉強したりするようになる。その深夜のお勉強のせいでもうひとりは余計に周りの子どもと話が合わなくなる。深夜に活動しているせいで体は寝不足で、俺は授業中に居眠りしまくる。そうなってくると頭のいいもうひとりが外に出て学校生活を送るのは不自然すぎる。そういったことの繰り返し。
なので、もうひとりが俺に名前を譲るというのは正しい選択におもえる──けれども、なんだかさみしかった。これはとりあえずふたり両方の名前だということにしよう、と子どものころの俺たちは決めた。
いつか俺たちを見分けれる人間が来てさ、もうひとつ名前をつけてくれるかもしれない。と俺が期待を込めて言ったとき、もうひとりは鼻で笑っていた。夢物語のようなことを言うなと。もうひとりはそのころからすでに俺よりだいぶ大人びた内面を持っていたのだ。新しいほうの名前ができたら、それはお前にあげるよ、と俺は無邪気に笑って返したはずだ。
さて、この黒髪の青年、伏黒クンが俺たちに新しい名前をくれる人間になるとする。──まだわからんけど、その見込みはけっこうあるよね。
これまでに出会ったたくさんの人間のなかにも、もしかしたら俺たちに気づいてくれるようなひとがいたのかもしれない。学校みたいなずっと集団で押し込められてしまう空間でさえなければ、場面ごとに別の人間として振舞うことも、きっと本当はむつかしくなかったのだ。気づいてもらうのを待つのではなく、自分たちでそれぞれの人間関係を築いて俺たちの状況を明かし、名前を乞うような方向だってありえた。
そうしなかったのは俺たちに、他人への興味が足りなかったからだ。
名前をつけてくれる人間なんて、本当のところ、求めてこなかったのだ。
この伏黒クンは違う。
このひとなのだとわかる。直感的な何かによって。
新しい名前はもうひとりにあげる?
俺はちょっと、感情がざわつくのがわかる。これが嫉妬ってやつだろうか。やだな、もうひとりにも気づかれちゃったかな、と馴染みのない感情を持て余す感覚があるけど、いや、大丈夫だ、とすぐにおもう。
もうひとりは俺たちの目で、伏黒恵のまだ少し涙に濡れたままの瞳を見つめ返すことに夢中でいる。
「あの、ごめん。もし大丈夫だったらだけど」と小声で伏黒クンに話しかけたのは俺だった。もうひとりが悔しそうにしているのがわかるけど、そもそも今は俺のバイトの時間だし、お前がボーッとするからいけない。
伏黒クンは入れ替わった俺たちを見てさらに目を丸くしている。表情から、混乱が手に取るようにわかる。
「あの、これバイトで。もうすぐ終わるから、待っててくれたりせん? 話とかしたくて」
我ながら下手なナンパだ。というか映画館のスタッフが客をナンパするとか最悪のおこないだ。もうひとりは気持ちを切り替えたようで、他のお客や社員さんにこの悪行が漏れていないかを気にしてくれている。うん、誰もこっちに注意を払ってはいない。
「……だいじょうぶです」と伏黒クンはかすれた声で応えた。たぶんまだ混乱していて、警戒していて、でも俺たちへの好奇心に負けたのだとおもう。
「ありがと。じゃああとで」と笑顔で返すと、伏黒クンはかすかにうなずいてくれた。
俺は同じ列の真ん中のほうの席で眠っているおばあちゃんのもとへと移動し、「もう終わりましたよ」って声をかける。伏黒クンが立ち上がり、シアターをあとにするのを背中でかんじる。
場内のお客さんを出し終えると、ロビーはすでに空になっていた。近づいてきた社員さんに「さっきの、お友だち?」と訊かれる。見られてんじゃねえかともうひとりに言うと、見られて大丈夫な部分だけだとの答え。そして社員さんに「はい。地元の友だちで」と俺みたいな口調で言ったのももうひとりだった。
「そうなんだ?」と返す社員さんは、やっぱり俺たちの入れ替わりには気づかない。
「へへ、偶然なんスけど。大学でこっち来てたみたいで」ともうひとりはいけしゃあしゃあと続ける。
「じゃあ片付けは僕がやっとくから、今日はもうあがっちゃっていいよ。積もる話があるでしょ」
なるほどそういう作戦か、ともうひとりに対して感心しながら「ありがとうございます!」と俺が言う。社員さんはさらに「タイムカードも時間になったら切っとくから、触らんでいいよ」とのこと。本当にありがたい。
映画館を出る。あそこだ、と俺より先にもうひとりが伏黒クンを見つけた。伏黒クンは道を挟んだところにある喫煙所でスマホを見ている。向こうもすぐに俺たちに気づく。
「タバコ吸うの?」
俺たちのほうが喫煙所まで向かって、そう訊ねた。
「いや、別に」
確かに彼の手元にタバコはない。じゃあ吸い終わるのを待つとかしなくて大丈夫。
「どっか居酒屋入っていい? あっちの通り、渋い店多いよ」と歩き始めながら提案する。「今の時間でもやってるいいかんじの喫茶店もある」
「なら喫茶店で」
メインの通りに出るためにちょうどその路地を通るから、俺はピンク映画専門館の入り口前で立ち止まった。
「どうした」と伏黒クンも立ち止まる。
「いや、ええと。最初に謝っとこうかとおもって。なんかうちの映画館ゴリ押ししちゃったけど、もしかしたら伏黒クンの目当て、こっちだったかもと……」
「はあ?」
伏黒クンはじぶんのすぐ横にピンク映画のポスターが並んでることに気づいてないみたいで、俺の顔を見ながら不思議そうにしている。俺は黙ってポスターを指差す。乳首を青い星で隠したおっぱい丸出しの女優さんの横に、「淫らな団地妻」とどこかホラーめいた書体のコピーが踊っている。伏黒クンはしばらくぽかんとそのポスターを見つめていたけど、「お前……」と再びこっちを向いたときには耳まで真っ赤になっていた。
「えっごめん」と俺のほうがあわててしまう。「いや、でも、間違えて来るお客さん本当に多くて。それにここ」
「早く行くぞ」
俺が言い終わる前に伏黒クンはそう言って歩き出してしまう。そんなに早くエロポスターから離れたかったのかって申し訳なくなりながら追いかけた。すぐに追いついて、追い抜いて、坂を少しのぼったところの喫茶店に案内する。
「その、お前たち……でいいのか」
伏黒クンは喫茶店の薄明かりのなかで控えめに話を切り出した。いきなり内面について踏み込む姿勢にちょっと驚く。でも俺たちだって、俺たちを見分けられる人間の出現にこんなに感動しているのだ。だから相手から見ても同じように大きな衝撃があって、その衝撃がこうやって踏み込ませているのかなって考えると悪い気はしない。
「うん。俺と、さっきちょっと話したよね? もうひとりがいる」と俺は自分の胸を指して言う。頭を指すほうが正解かもわからん。
「どういう……」と伏黒クンは質問の仕方を決めかねているようだった。
「どういうことかは俺たちもわかっていないが」ともうひとりが話を進める。
そこから小一時間かけて、俺たちは俺たちについて、ときどき交代しながらの説明を終える。店内には店員さんや離れた席にはちょっとわけありっぽい男女の二人組がいたりもして、そういう他のひとたちからは意味不明の会話にきこえたとおもう。謎の演技の練習とかかとおもわれたかもしれない。でも別に気にしない。
子ども時代にそれなりに苦労した話や、そこから俺が主に表に出てるようになったことを話す。昼は俺で夜がもうひとり、朝と夕方には両方起きていることが多いことも話した。夕方からの夜番の日だったからちょうど3人で会えたんだってね。
伏黒は──話の途中で「呼び捨てでかまわない」って言ってもらった──俺たちの説明を拍子抜けするくらい素直に受け止めてくれた。
「小説の設定みたいだな」
「言うねえ」
「あっ、悪い」
「いや、かまわない」
「……確かに名前がひとつしかないのは不便だな」
伏黒は俺たちが交互にしゃべるのを聞き分けながらも、どちらの発言がどっちのものかを確認できないことについてもどかしそうにしていた。「あの、伏黒さえよかったら、不便じゃないように、名前をつけてくれていいんだけど」と俺はちょっとそわそわしながら言う。
「なんだそれ」と伏黒は戸惑いを隠さない。「会ったばかりのやつに言うことじゃないだろ」
「でもこれから会うとき不便じゃん。最初に決めといたほうが楽じゃない?」
「そういうもんか……?」
俺たちは「これから会う」を否定されなくて内側で盛り上がるけど、さすがにそのことには伏黒も気づかない。伏黒は腕を組んで、すでに空っぽになったコーヒーカップを見つめている。
「バルタザールとメルヒオール……」
「ごめん、何」
「さっき言った、小説の登場人物。ひとつのからだで生まれた双子の話の」
「タイトルをきいてもいいか」ともうひとりが訊いて、答えをもらう。
「うーん、おしゃれでいいかもだけど、俺たちっぽくはないよね」と俺が言う。
「だよな。とりあえず悠仁だから、あとは悠一……」
「えっ安直。もうちょっとしっかり考えてよ」
「わがままだなお前」
「でもそこに愛嬌があるっしょ?」
「自分で言うなよ」
「まあまあ、むつかしかったらまずはあだ名からでも……」
「じゃあ、愛嬌と不遜」
「マジで言ってる?」
そういうかんじで名前についてはなんとなくうやむやになる。子どものころの約束を守るなら、伏黒のつけれくれる名前はもうひとりのものになる。そうおもうとまだ悔しい気持ちになってしまい、わざとはぐらかしたようなところもあった。
映画の感想をきいたりもして、いくつかの話題が過ぎたあと、「時間は大丈夫か」ともうひとりが伏黒に訊ねた。
「ほんとだ、終電とか」と俺も時計を見る。
映画が終わった時点でもういい時間だったのだ。つい会話に夢中になってしまっていた。
「ああ、俺は部屋、このへんだから」と伏黒は答える。「お前らこそ大丈夫なのか」
「電車はもうないけど、走ったらすぐだから」
「すぐ?」
俺が最寄駅を答えるのをきいて、伏黒は冗談だとおもったようだった。くすくす笑いながら「うちに泊まっていくか?」と誘われる。俺ともうひとりはその無邪気な様子にちょっと圧倒される。もうひとりに向かってお前やっぱ訊いてみてよって言うけど、そんな無粋な真似はできないって言われてしまう。じゃあ俺が訊いちゃう。
「あのさ、その、さっきの裏にあったほうの映画館のことなんだけど」と切り出すと、伏黒はすぐ団地妻のポスターを思い出してくれたようで、わかりやすく嫌そうな顔をする。
「あれは正直不快だった」
「うう、ごめん。いや、あの映画館って」と俺が話を続けようとしたのを「ここで話すことでもないな」と小声でさえぎったのはもうひとりのほう。伏黒は細かくスイッチする俺たちをしみじみ不思議そうに見つめている。もうひとりは尻ポケットからケータイを取り出してメモ帳を開き、貸しだぞ、と俺に言いながら文章を打ち込み始める。俺は伏黒が「ガラケー久しぶりに見たな」とつぶやくのをきく。
──あの映画館はハッテン場としても有名だから、そっちの客なのではと話していた
もうひとりがメモ帳に打ち込んだ文章を伏黒に見せる。ハッテン場って通じるのかなってちょっと不安だったけど、表情の微妙な変化を見る限り大丈夫そうだ。「実際はそこまで言及してなくて、そういえば、あれ、そうだけど……⁈くらいのかんじでね」と俺は補足を入れた。そのあと自分でもメモ帳に付け足しする。
──からかうとかじゃなくて、そうだったらいいのになって
伏黒が画面を見て首をかしげるので、俺はさらに付け足す。
──チャンスあるってことになるから
ケータイの画面をしばらく睨んだあと、伏黒は「これってもしかして俺は口説かれてんのか」と呆れたような調子で言った。
「わりと最初からそのつもりなんだけど」
「客をナンパするなよ」
「それについては反省してる……し、伏黒にだけだからね。こういうことしたの」
あっちょっと恥ずかしいこと言っちゃったなってじぶんの顔に熱が集まるのを感じる。
「……悪いけどあの映画館については存在から知らなかった」
「あ、そう……」
俺はしゅんとしてしまう。
伏黒とは特別に親密になりたいとおもっている。でも特別な相手になるってのは別にセックスの誘いに乗り合う相手になるってことでもないだろう。だからこれは単純にいっときの下心由来の落ち込みだ。そういう方向の期待はそもそもなかったらしいもうひとりに、お前そんなにか、とちょっと引かれてしまう。
「まあそういうことなんで、俺たちは走って帰るよ」と俺が言ったあとに「また話がしたい。連絡先をきいてもいいか」ともうひとりが続けた。
伏黒は「LINE……はガラケーではできないんだったか。じゃあメール教える」と鞄からノートを取り出してその端っこにボールペンでさらさらとGmailのアドレスを書き、ちぎって渡してくれる。
「ありがと」
「でも別に、本当に泊まってくれてかまわないのに。広くはないけどひとりくらいなら……いや、ふふ、ひとりではないな。悪い」
謎のツボに入ったようで伏黒は口元を手で隠しながら笑っている。そういう仕草もかわいいなっておもっちゃってますますダメだ。
「俺は伏黒のこと狙ってるんだからね。よくないよ、そういうのは」
「でもお前らは同意なくことを進めるようなやつじゃないんだろ」
「それはまあ、そうですが……」
「そういう機微はよくわからないが、誘いを断られた相手の部屋には行くほうがつらいとかがあるのか」
「いや、ひとのことは知らんけど、俺もそういうのは別に……」
「友だちいないから、部屋にひと呼んだりしたことねえんだ。お前らが来てくれたらうれしい」
「うう……」
いや深夜はもうひとりの活動時間だから、あいつと伏黒のふたりきりになられたくないんだってのもあるんだけど、それはきっと伏黒が想定して否定したような即物的な話ではなく、もうちょっとかわいらしい子どもっぽい感情で、だからこそ言い出しにくい。もうひとりにも察されたくない。
それに俺はなんだかんだ誘惑に弱い。
喫茶店は深夜2時まで。「お会計おねがいします」とお店のひとから声がかかる。
「いいところだった。また来ようとおもう」
会計を終えて店を出たところで伏黒がそう言う。
「そうするといい」ともうひとりが応える。
「ランチのカレーもおいしいんだよ」と俺。
そして伏黒の先導で、伏黒の部屋へと向かう。
めずらしいな、と道中でもうひとりが俺に言った。何が、と返す。親密になりたい相手を肉体関係に誘うような真似をするタイプじゃないだろうお前は。いろいろあるんだよ俺にも。まあそうか、これまではそんな相手なんていなかったものな。はいはい、うるさいうるさい。
親密になることは決めていて、でもたぶん伏黒がより親密になるのは俺じゃなくてもうひとりのお前のほうだよ。これまで考えたこともなかったけど、そうなってからはたぶん、冗談でも誘えなくなっちゃうからね。と考えるけどそれは教えない。そんな俺の感情を知ってか知らずかもうひとりは、お前にもようやく複雑な感情が芽生えたか、なんてえらそうに言ってくる。
「嫌だったら答えなくていいけど」と半歩先を行く伏黒に話しかけられる。
「俺でいい?」
もうひとりが何か言う前に俺がそう返した。
「ああ。というかふたりに」
「どうぞ?」
「下世話で悪い。……その、もしそういうことをヤるってときは、お前らと相手と、3人でってことになるのか……?」
「あはは」と俺はつい笑ってしまう。「いや、そうか、やっぱ気になるもんなんよな」
ずっと黙ってるなとおもったら悶々とそれ考えてたの? たった今俺もそのことを気にし始めたところ、とおもうけど、言わない。
「まあ俺たちにとってはそういうことにはなるが、相手にとっては俺たちはひとりの人間だったからな」ともうひとりが答える。
「あとまあ3人っていうか俺たちふたりプラスn人ってかんじだけど」と俺が余計な付け足しもする。
「マジで想像つかねえな」と苦笑する伏黒に「興味あるんだったら実践編もありますが?」と言ったのは完全に冗談。伏黒にもそれは伝わったみたいで、笑いながら「遠慮しとく」と返された。
「誘う前に確認しとけってかんじだけど、伏黒は、その、パートナーはいるの?」
「恋人? いないし、いたこともない」
「恋人じゃなくても、セックスの相手とか」
「そういうの、いるほうが普通だったりするのか?」
「俺たちがふたりいるのがそもそも普通ではないからな」
「確かに」
そういう話をしながら伏黒のアパートの前にたどりつくので俺はやっぱりちょっとドキドキしてしまうけど、もうひとりも伏黒もまるで平気な様子だ。すぐそばにあるコンビニで、替えの下着と歯ブラシを調達する。アパートは外観から相当な築年数が予想できて、でも室内は最近リフォームされたらしく意外にピカピカだった。思ったよりも広い、というか想像以上に物が少ない。部屋の真ん中に折りたたみできるローテーブルが置いてあって、壁には本棚。本棚に隙間が目立つわりに、床にも本が積んである。キッチンには一通り道具がそろっているようだったけど、あまり使われているようには見えない。冷蔵庫も小さい。
「生活感のない部屋だな」ともうひとりが言う。
「まあ、かもしれない」と伏黒。
「スパイの部屋ってかんじ」と言ったのは俺だ。
「なんだそれ」と言いながら伏黒は押入れをひらき、布団を取り出している。「客用の布団、久しぶりに出す」
「友だちは呼ばないけど客用の布団はあるんだ?」
「お前のおもってるようなんじゃねえよ」
「ごめんごめん。でもどんなんなの? 訊いていいやつ?」
「親代わりみたいなひとがいて、ときどき様子見にくるんだ。最近忙しいらしくてここ一年は会ってない」
「親代わり? 親がいないのか?」ともうひとりが言った。
なんだその訊きかたって俺はもうひとりを責める。でも伏黒は「そう。姉はひとりいる」となんでもないように答えた。「そうか」ともうひとりも気のない返事をする。俺たちが体を共有してるってこと以外の俺たちの話もしちゃっていいのかなって迷っているうちに、「布団敷いてるから先シャワー浴びてろ」と伏黒から声がかかる。
俺たちは素直に従う。
用意してもらったタオルを手にユニットバスにお邪魔して、小さい真四角の浴槽の内側に立った。俺はシャワーカーテンをすぐべちゃべちゃにしちゃうので、シャワーを浴びる動作は基本的にもうひとりに任せる。手持ち無沙汰で、友だちの家に遊びに行くみたいなのってもしかして小学生のとき以来?ともうひとりに話しかけた。覚えていない、もうひとりが答える。まあお前はそうだよなあ。
お前はそうだよな。
肌を温水が滑り落ちていくのをかんじながら、突然わけのわからない切なさに打ちのめされる。そうか、伏黒はもうひとりにとって、名前をくれる人間になるかもしれないし、それ以前におそらく初めての友だちってことになる。「虎杖悠仁」はそれなりに愛嬌があって浅く広く友だちを持つ人間だけど、それは俺だけで、俺はもうひとりを夜に閉じ込め、およそ人付き合いってものをさせてこなかった。テキザイテキショの結果ではあるけど、俺はこいつから奪ってきていたんだよなっておもう。
眠くなってきちゃった、ともうひとりに報告する。あとはよろしく、と言って思考を閉じる。
眠るのが得意でよかった。
◆
朝なのか?
まぶしさに目を覚ます。もうひとりが起こしてくれなかった。頭がまわらない。なんだかふかふかのお布団の上にいて、肌に直接なめらかな布をかんじる。裸? パンツは穿いてる感がある。誰かとホテル入ったんだっけ、それとももうひとりが勝手に誰か引っ掛けたかな……とか考えながら上半身を起こしたところで、「起きたか」と伏黒の声がした。
伏黒。
「うわあ?!」と掛け布団を払い落とす。「な、なんで……?」
パンツは穿いてるけど裸だ。嘘だろ、もうひとりめ、興味なさそうな顔しといて結局ヤっちゃったのか? 友だちと水入らずにしてやろうなんて親切心を出すんじゃなかった。そういうことになっちゃったんなら俺はどういうふうに伏黒と接すればいいんだ……。うろたえながら顔をあげると、キッチンに背を預けて微笑む伏黒と目が合った。
「あいつの言ってた通りだな」と伏黒が言う。「ぜったい大慌てするって」
「う……その、裸のお付き合いってのはその場限りのしか経験がなくてですね、俺たち……俺はこれからどう伏黒と」としどろもどろ弁解のようなものをしようとするけど、
「いやヤってねえから」と伏黒。
「えっ」
「着替え、パンツしか買ってなかっただろ。汗かいてるしトイレ掃除したTシャツとジーパンで借りた布団に入るわけにはいかないってあいつが」
「あ〜。あいつ、そういうとこちゃんとしてるんだよな」
「で、お前は絶対勘違いするだろうって」
「く、悔しい……」
悔しいし恥ずかしい。払い落とした布団をまたかき集めて、なんとなく肌を隠す。伏黒が「服はあいつが畳んで置いてある」と部屋の隅を示した。俺たちのリュックの上に昨日着てた服がきれいに畳んで置いてある。
「洗っておけばよかったな、悪い」
「いや、こっちこそ気を遣わせちゃってごめん」
俺は布団をかぶったままずるずる移動して服を拾い、身につけていく。服を着終えて、何もしないのは申し訳ないなとおもって布団を畳んで重ねた。布団が片付けられて現れたスペースに、キッチンから移動してきた伏黒があぐらをかく。
「あと、今日は完全にオフってきいたから起こさなかった。大丈夫だったか?」
「それは全然。あれ、でも伏黒も授業は? 講義って言うんだっけ」
「今日は夕方からだから余裕」
「大学でどんなことやってんの。俺がきいても理解できんかもだけど」と俺が言うと、伏黒は少しフリーズする。こういう間は思い当たりがある、と察したところで、その俺の察したってことを伏黒も察したようだった。傷ついたみたいな顔をさせてしまった。
「もうひとりに話した? ごめん同じこと訊いて」と俺は謝られるより先に謝る。
「悪い」と伏黒は、俺たちをふたりでなくひとりの人間のように扱ったことを謝ってくれる。
「別にいいのに」
「でも悔しいだろ」
そう思ってもらえることは嬉しい。
「もうひとりがきいてないこと訊こっと」と俺は大げさに明るい声で言った。「サークルとかあるんだよね? なにか入ってるの?」
たぶんもうひとりは伏黒が何を勉強しているかとかには興味があっても、どんな人間とつるんでいるかみたいなことには関心がないはずだ。そういうやつだから。
「あー……入ってるっていうか、籍を置いてるだけだけど」と伏黒はちょっと言いにくそうに言う。「オカ研に」
「えっ」と俺が声を上げると、
「オカルト研究会」と伏黒が言い直す。
いや、言葉が伝わらんかったわけじゃない。
「俺もちょっと入ってたよ、オカ研。高校行ってたとき」
「へえ?」
「ちょっと運命っぽいね」とはしゃいでしまう。
「はは、かもな」と伏黒も笑ってくれた。
「でも伏黒がオカルトってなんか意外。いやまだ全然お前のこと知らんけどさ」
「言いたいことはわかる。ちょっと調べたいことに関わるかと覗いたけどハズレだったんだよ。でも会員がいないと部室没収らしくて名前だけ貸してる」
「マジで? 俺もわりとそんなかんじだった」
「その部分はちょっときいた」
もうひとりは俺たちの身の上の話もざっくりとしていたようだった。小さいころに両親を亡くしじいちゃんに育てられたことや、そのじいちゃんも高校のときに死んじゃったってこと。そこからもしばらく通学させてもらってたけど震災があって、なんかいろいろあって東京に出てきたこと。バイトを複数こなしながら暮らしていること。
「ほかにあいつ、どんなこと話してた?」と俺がききたがるのを伏黒はおもしろがった。
「お前、俺に興味があるって言いながら、もうひとりのことばっかりききたがるんだな」
「えっそう? そうかも……」
まったく自覚がなかったけど、指摘されてみるとその通りかもしれなくて俺はうろたえる。
「お前らって自分やお互いのひとりずつの状態を他人を通して見たことがなかったってことなんだろ。そりゃあ物珍しいよな」
「確かに」
めちゃくちゃ俺たちのこと考えてくれるじゃんって感動する。でも伏黒にはその感動を言わない。この流れでそれを言ってしまうと、伏黒の俺たちへのこまやかな気遣いとか、俺が伏黒に惹かれる気持ちも、全部レアなものへの興味だけみたいに見えちゃいそうだったから。
伏黒と別れて駅までの道を歩き始めたところで、もうひとりがしっかり起きているってことに気づいた。いつからって訊ねる。今起きたところだ、ともうひとりは言うけど、本当かどうかは確かめようがない。
どうだった?
と重ねて訊ねた。
何がだ。
初めての友だちじゃん。楽しかった?
案外お前と話すのと似ていた、ともうひとりが言うので、予想外の答えに俺は面食らう。どういう意味か確認する前に、お前にとっても友だちなんて初めてのようなものだろう、ともうひとりは続ける。俺はどう答えればいいのか判らない。言う通りだなとおもったのだ。虎杖悠仁に友だちはたくさんいて、それは俺の友だちであり、もうひとりの友だちではなかった、とおもっていた。でも俺たちふたりをひとりの人間だと勘違いしているひとから見た、その勘違いによる架空の人物に友だちがいるだけで、俺にもまた友だちなんていなかったのかもしれない。
「よかった」と声に出して俺は言った。俺たち伏黒に会えてよかったよねって意味。
そうだな、ともうひとりも言う。