泣きそうになった僕は、夕焼け空をあおいだ。「うわっ!? あ、アレスどの? ……い、一体なにを……?」
「え? だって僕達は恋人ですし…… おかしいですか? 」
「いやっ、そうではないのだが……。」
「こういうのは嫌でしたか……?」
「嫌なんてことは無論ない! ただ、その──。」
そう言って、ラインハルトさんは言葉の語尾を濁して顔をそらしてしまった。
ラインハルトさんの頬にキスをしたのは不味かったのかな──。
深い理由はなくて、そうしたくなったから衝動のままにそうした。それだけだった。
向こう側を向いて顔を隠してしまった彼が今何を思っていて、何を僕に言いたいのかは全く分からない。
けれどラインハルトさんから穏やかではない気配がひしひしと伝わってきて、それにあてられた僕は何と声を掛けたらいいのかが分からない。
「──アレスどの、日も暮れてきたのでそろそろ帰ろうか。 家まで送っていこう。」
俯いてじっと地面を見つめていたら、ラインハルトさんが先に口を開いた。
「へっ? あっ、あぁ、そうですね。帰りましょうか。」
ラインハルトさんはさっきとは打って変わって普段の平静とした姿に戻っているけれど、ラインハルトさんが言いかけた言葉は結局聞けずじまいで引っかかる。
帰ろうと促されたとき、「もう少しだけ一緒にいたいです」と、本当は言いたかった。不意に声を掛けられたことで咄嗟に了承してしまい、わずかに後悔する。
言い直せばいいだけのことだけれど、気まずい空気も相まって言い出せなかった。
のみ込んだ言葉は喉の奥にとどまり、食べ物がつっかえた時と似たような違和感を残した。
❋❋
リグバースまでの帰り道にもぎくしゃくとした雰囲気が漂ったいる。
ラインハルトさんの後に続くように少しの距離をあけて歩いている僕はちらりとラインハルトさんを見上げて、また視線を地面に落とした。
せっかくのデートが崩れかけている有り様に、ため息が溢れそうになる。
いつもデートの帰路では僕のほうから繋ぐ手が、今日はまだ繋がれないままになっている。
もちろん、繋ぎたい。繋いで、ラインハルトさんのおおきな手の温かさに触れたい。
僕がえいっ!と悪戯するみたいに握ると、ラインハルトさんは毎回驚いた様子を見せながらも緊張したような手つきで握り返してくれて、僕自身もすごくドキドキしながらも胸がいっぱいに満たされるあの瞬間も、恋しい。
同時に、ラインハルトさんの方から手を握って欲しいと思う想いもあったりする。
思い返しても、ラインハルトさんのほうから手を繋がれたことはあまりない。 いつも僕の方からで、僕がそうするよりも先に、ラインハルトさんからして欲しいという欲求。
頬にしたキスも、本音をいうとラインハルトさんからして欲しいことだった。
僕はラインハルトさんからそういう事をされたら、たまらなく嬉しい。
でも、ラインハルトさんは違うのかもしれない。ああいう触れ合いは苦手なのかもしれない。
僕とラインハルトさんでは思っていることに違いがあったとしてもおかしくはない──。
こんなことばっかり考えていたら心底気持ちが重くなりそうで駄目だ、悩んでいないで、僕のほうから行動を起こしてみないと。
そう決意して、萎れていた表情を引きしめた。
「あの、ラインハルトさ── うわぁっ! すみませんっ! 」
顔を上げた瞬間にラインハルトさんが突然立ち止まったので危うく彼の背中に顔をぶつけそうになったが、急停止することでそれを回避する。
驚きつつ胸を撫で下ろすと、ラインハルトさんが振り返った。
「アレスどの、失礼するっ。」
「へっ──? 」
間の抜けた声を出すと、瞬時にふわふわとしたものが顔をくすぐった。
なんなのかすぐには分からなかっけれど、肌に触れた心地でそれがラインハルトさんの髪だと理解すれば、互いの顔が至近距離にあるのが分かった。
不思議と頬が温かいのはラインハルトさんの両手で包み込まれているからだ。
もうひとつ僕の頬に触れていた手とは違う何かがゆっくりと離れたところで、離れたものがラインハルトさんの唇であったことを思考は判断した。途端に、顔がぶわぶわと熱を生む。
綺麗な琥珀色の瞳が、僕の見開いた視界いっぱいに映っている。
「──私達は恋人同士なのだからおかしい事ではない。そうだろう? 」
ラインハルトさんが微笑んで言う。
それは聞き覚えのある言葉で、さっき自分が似たような台詞を言っていたのを思い出した。
「先程は顔を背けてしまってすまない。改めて言うが、決して嫌でなかった。身が燃えるほど、どうしようもないぐらいに胸が高鳴ったぐらいだ……。」
真っ直ぐに見据えらたままそう言われてしまえば、僕は返す言葉もない。
ラインハルトさんの両手に顔が包まれたままだから、熱が篭ってあつくて仕方ない。あついけれど心地がよくて、目を細める。
「アレスどのがしてくれた事を私もすぐに返してあげることができればよかったのだが、あの場ではその余裕がなかったのだ。 ──恋人ととして私は情けないな……。」
「──僕、ラインハルトさんを不快にさせちゃったんじゃないかって、実はすごく不安だったんです。でもその不安は全部、たった今ラインハルトさんへの好き度に変わりました……。」
素直に心境を口にするのは心がくすぐったくて、心臓が鼓動する音が自分の耳に届いてしまいそうな程、大きく脈打っている。
言葉を言いよどんで顔を逸らしたラインハルトさんがあの時何を思っていたのか、今なら分かる。
「ありがとう……。私もあなたのことが好きだ。」
今度こそは、ラインハルトさんの唇が頬に触れるのをしっかりと感じた。やわらかいその感触が愛おしい。
顔が離れて再び目が合えば、照れた顔を隠すみたいにして、僕もラインハルトさんも視線を外した。
「さっ、行こうかアレスどの。」
僕の手が、ラインハルトさんの手のなかに握られていた。今なら言える──。
「もう少しだけ、一緒にいたいです」
ラインハルトさんの瞳が大きく開いて、目元を和らげる。オレンジ色がにじみ出している空に照らされてラインハルトさんが見せてくれた表情はとびきり優しくて、鼻の奥がつんとした。
❋end❋