はじまり ヒュース・クローニン。
新人研修で時枝が個別で任された相手は、新人の中で飛びぬけている彼だった。
「よろしくね」
時枝は右手を差し出す。ヒュースはその行動にきょとんとした。
「挨拶の握手だよ」
カナダでだってあったであろう行為に時枝の方が首を軽く傾けて困った顔をしてしまう。
「ああ、頼む」
納得がいったとでも言うかのように、ヒュースは右手を差し出し握手を交えた。
それから二人は戦闘訓練用の個室に入り、時枝は一通り装置の説明を行っていく。ヒュースはそれに頷き、「なるほど、大体わかった」と返事をした。
「それじゃあ、実際にやってみようか」
「ああ」
時枝の指示を聞きながら、ヒュースはたどたどしくもモニターを操作していく。時枝はそれを確認しながらヒュースの横顔を見て、烏丸先輩側の顔してる、と思った。
「どうした?」
じっと見られたことに不快感を表すでもなく、ヒュースは時枝に声をかけた。
「なんでもないよ」
時枝は微笑みながらヒュースに次の指示を出した。
「四千超えた」
どこかホッとしたように聞こえる声に、時枝は内心驚いた。雰囲気が自分と似ているからあまり表情に出ないだけで、――喜怒哀楽がわかりやすい、と。
「これでいいのか?」
間違いないかと確認するヒュースの声にまだ固いものがあるが、そんな所も同い年だと言うのに、純粋に可愛いと思う。時枝は心から「おめでとう」と言葉を送った。
その時だ。
『充』
時枝に嵐山からの通信が入る。
「ちょっと、まってて」
ヒュースに断りを入れ、嵐山の声に耳を傾けた時枝は嵐山から“B級隊員がヒュースに模擬戦を申し込みたい”との趣旨を聞く。
「――て、言ってる人たちがいるんだけど、どうする?」
時枝は、少しめんどくさいな、と思いながらヒュースに聞く。こんなことにもしかしたら興味ないかもと思いながら、聞いた内容にヒュースは意外にも考え「わかった、受けよう」と返事をした。時枝はそれを、意外、と感じながらヒュースの答えを嵐山に伝えた。
“五本先取勝負”
仮想空間に飛ばされたヒュースは三人のB級隊員を撃破して、十五ストレート勝ちを収める。
「凄いね」
戻ってきたヒュースに時枝は声を駆ける。その手には飲み物とタオルがあった。ヒュースは飲み物の方を受け取り、少しだけ乾く喉を潤す。トリオン体だから気休めのようなものなのだけれど、それでもねぎらいを嬉しく思い「すまない」と声をかける。
「別にいいよ、連戦は大変だからね。それに、まだ誰か来る見たい」
時枝はモニターを指さす。対戦の申し込み、B級諏訪隊の笹森だ。
「いってくる」
ヒュースは淡々と転送される準備をする。その表情は無表情なのに眼の中は燦々と楽しそうだ。
「いってらっしゃい」
時枝は、ヒュースのわかりにくい変化を可愛い、と思いながら返事をした。
「――やられちゃったね」
ヒュースが笹森に切られ訓練室に戻ってきたとき、時枝は残念そうにそう覗き込んだ。ヒュースはその言葉にムッとする。
「次は、取り返す」
「うん、期待してるよ、頑張って」
揶揄うわけでもなく純粋にそう思う、と言うように紡がれる時枝の声音にヒュースは一点取られムキになりかけていた自分が少し恥ずかしく感じた。もろちん、トリオン体だから表情には出ないけれど。
「行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
ヒュースは、時枝のその言葉を少しだけ心地よく感じた。
笹森に一点取られたヒュースだが、その後は順調に笹森から点を奪い五点先取した。
「やっぱり強いね」
「当然だ」
「当然なんだ」
「?」
普通は“当然”ではないのだけれど。少しずつ零される情報に、少しは信頼とかされてるかな? なんて思えて、時枝は微笑んでしまう。そんな時枝にヒュースはきょとんとしてしまい、それが時枝に追い打ちをかけてしまい「ふふ」と声を零させた。
「何が、そんなにおかしい、トキ……エダ?」
「おかしいというか、可愛いなって」
「かわっ⁈」
ヒュースは時枝の言葉に無表情だった顔を崩す。いや、誰だって可愛いと言われて嬉しい男子はいないだろう。それも同性の同い年から。
「ふふ、それより、時枝って言いにくくない?」
「なに?」
時枝の言葉に、少し怒りを覚えたヒュースは喧嘩を売るようににらみつける。
「ごめん、謝るよ。ただ、時枝って言いにくいでしょ?」
「……」
「無言は肯定。充で良いよ」
ヒュースはその言葉に何とも言えない表情をした。
「……ミツル」
「うん」
二人の間に何とも言えない空気が走る。
ピー、ピー。
と、モニターから対戦の申請が映し出される。突然の音に、ヒュースは顔を引き締めた。
「敵襲か?」
「ちがうよ、対戦の申し込み」
「次か?」
「そう、今度はマスタークラスの辻󠄀先輩だね」
時枝はモニターを弄りながら「どうする?」と尋ねる。ヒュースは当然だと言うように「受ける」と返した。
――今までより手強い。
純粋な剣の力量差で推し勝てたものの少しの油断が命取りになる。そんな隙の無い攻撃。
戻ってきた部屋で時枝から「どうだった?」と聞かれた。
「強い」
「マスタークラスだからね」
「マスタークラス? さっきも言っていたな」
「個人ポイントが八千点でマスタークラスと呼ばれるんだ」
だから強さも違うよ、と時枝は説明する。ヒュースはそれに納得し、腕を組んで考え込む。多分先程の戦闘のおさらいでもしているのだろう、その表情は無表情ではあるが眼は真剣で研ぎ澄まされた刃のようだ、と時枝は思う。ただ、時枝はその表情も、
――格好良いと言うより、美人だね。
と思う。系統的には木虎のよう、と。
「あまり、根を詰めすぎるのは良くないと思うけど?」
「いや、もっと手強い相手と対戦したいと思ってな。自分の実力を知っておきたい」
「強欲だね」
強くなるのに強欲なのは良い事かもね、と話していた時だった。
ピー、ピー。
再び部屋に対戦の申し込みを知らせる音が鳴る。
「なんか多いね」
「そうなのか?」
「それだけ、注目されてるって事かもね」
時枝は再びモニターを弄る。
「生駒さんだね」
その言葉にヒュースもモニターを覗く。
「強いのか?」
「強いよ」
時枝は、近くにあるヒュースの興味深そうな色をした眼を覗き込んで、「どうする?」と問いかける。
「受ける」
やっぱりね、と時枝は笑って、モニターを弄った。
「なんだったんだ、今のは」
最後の生駒戦後、唖然としたヒュースの声がマットの上から零れた。そこにヒュースの顔を覗くように時枝が顔を見せる。
「今のは、弧月のオプショントリガー・旋空だね」
「せんくう」
ヒュースがたどたどしく言葉にする。
「ボーダーのトリガーはメイン・サブで計八個のトリガーがセットできる」
「ああ」
「旋空は弧月のサブトリガー。斬撃を長くできるんだ」
「なるほど」
時枝の説明にヒュースは納得する。
「まあ、今回は弧月以外は禁止だから、君の勝ちだね」
時枝は結果的に勝ったよ、と言う事を伝えたかったのだが。
「……」
とうのヒュースは押し黙る。
「? どうしたの?」
時枝は、さすがに連戦は疲れたか? と訓練を終わらそうかと切り出そうと口を開いた時だった。
「――ヒュースでいい。」
「え?」
「ミツル、と呼ぶ。だからヒュースでいい」
ヒュースは少し照れたような眼の色をしてそう言った。
――ああ、可愛いな。
時枝の眼にも優しい色が映る。鋭く、負けず嫌いで、照れて――愛おしい。時枝はヒュースの頬に右手を添えた。ヒュースもまんざらではない様にその手を受け入れる。二人きりの訓練室に二人の影が重なるかどうかと言う時だ。
ピー、ピー。
訓練室のモニターには模擬戦の申し込みが表示されている。
「あ、誰だろう」
時枝とヒュースは咄嗟に距離を取り、モニターを確認する。
「太刀川さんか」
「タチカワ」
「強い人だけど……受けるよね?」
「もちろんだ」
そう言うと思った、と時枝は呆れた顔をした。
太刀川との勝負は開始した一瞬で終わってしまった。
――速い。
純粋に速く、ちょっとした隙を突くのがやっとで、簡単に勝敗が決してしまった事に、ヒュースは唖然とした。今日は驚かされてばかりだ。
「今のがボーダーナンバーワン、攻撃手」
呆れたままの時枝がそう告げる。
「今のが……」
ヒュースはその事実に驚き、跳ね起きた。
「ちなみにその前に戦ったのが攻撃手六位だね」
「六位……」
時枝はヒュースに手を差し出すと、ヒュースはその手を取って立ち上がる。
「疲れたでしょ?」
「ああ、……いや、いい経験をさせてもらった」
ヒュースの回答に、時枝は「そう」と不服そうな顔をしながら出口までヒュースの手を繋いだまま誘う。
「?」
「なんでもないよ」
不思議そうにしたヒュースに、そう告げると手を離し、扉を開けた。
「先約があるんでな」
そうはっきり言ったヒュースに、時枝は少し寂しさを覚えた。迅には聞いていたが、玉狛にヒュースは入る。そうなれば会う事は少ないし、まるで雛の親離れのようだ。
「ミツル」
「っ、どうしたの」
考え事をしていた時枝にヒュースは声をかけた。それに時枝は珍しく動揺する。
「道案内を頼みたい」
「うん、嵐山さんにここを願いしてくる」
「ああ」
時枝は、まだヒュースと居られることに少し浮かれてしまう。
「ちょっと、楽しそうだな」
嵐山は時枝の眼を覗いてそう言った。
「そう見えますか?」
「充にいい友達が出来たよう嬉しいよ」
嵐山の言葉に時枝は「ともだち……」と繰り返す。
「違うのか?」
「いえ、違いません」
「そうか、良かったな」
「はい。嵐山さん、ここお願いできますか?」
嵐山は笑顔で快諾した。そんな嵐山とは対照的に、時枝の心の中は静寂の中をどす黒いモノがぐちゃぐちゃと渦巻く。
「行こうか」
ヒュースの元に近づいた時枝はそう声をかける。と、ヒュースは右手を差し出してきた。
「?」
「迷う」
時枝は眼を見開き一瞬固まるが、ふ、と笑ってその手を左手で繋ぐ。周りの視線があるが、今だけは、と時枝は想った。
傍から見れば、それは王子と従者のように見える。ヒュースは視線を煩わしいと思ったが、それ以上に時枝の手を離すことが出来なかった。離れるのが惜しいと、僅かだが心が寂しいと思ってしまった。自分を誘う背中が近いのに遠い。ヒュースはその感情に名前を与えることは出来なかった。
人の波を過ぎ、廊下にでる。もう少し歩けば、ヒュースの待ち合わせ場所である目的地に着いてしまう。だが、二人は終始無言だった。無言だったけれど、その主導権を握っていたのは時枝だった。
時枝は自販機の横にヒュースの手を引いて隠れる。ヒュースはそれに文句は言わなかった。
「ミツル?」
文句は言わないが、疑問に思う。時枝の眼は獲物を狩るような獣のようで、疑問の答えを態度で示すかのようにヒュースの胸倉を右手で掴みヒュースの顔を自身の顔に寄せると、その唇の端に軽く唇を掠め、ヒュースの左耳に唇を寄せた。
「オレのこと、覚えておいてね」
名前もだよ、と言ってヒュースを解放する。そのヒュースの眼には驚きと喜びと、何とも言えない熱があった。
――可愛い。
時枝は何度目かの感情を抱く。けれどもそれは掻き抱くことも出来ない切ない感情だ。
――もう少し一緒にいられれば良かったけれど。
話し声が遠くから聞こえる。きっと待ち人だ。
「ミツ……」
「行こうか」
有無言わせぬ言葉で時枝はヒュースの言葉を切ると、握っていた手を名残惜しそうに離し先を歩く。ヒュースは離された手を見て、感情を殺すように目を閉じ、時枝の後を追った。