来し方行く末我知らず「ここにいたか、アルカード」
差し込む光に細かな塵が舞い上がり、通路の先にいる人物を照らし出す。
見慣れない者にすべからく「人間離れ」と称される美貌の瞳には、声に応えて気安さが浮かんでいる。
「ああ。どうかしたか?」
「急ぎの用じゃないがな。外には出てないと聞いたから、ここかと思って寄ってみただけだ」
ラルフが書庫の中に歩を進めると、ゴツ、と硬質のブーツが立てる音と共にまたきらりと塵が舞い上がる。それ以外は静寂と言っていい。
何を調べていたのかとラルフが問う前に、視線を受けて有角の方から説明を始めた。
「以前お前と話したことが気になってな」
以前とは、こうだ。
『高祖、高祖…か』
魔術書から召喚されて少し経った頃。やや渋い顔で頬杖をつくラルフの前に、いつもどおり無表情で耳を傾ける有角の姿があった。
『どうした』
『俺のことをそう呼ぶんだよ。子孫たちが。ありがたいがよしてくれと言っても…シモンは善処してくれるが、リヒターは全く治らん。ジョナサンくらい砕けてくれれば楽なんだが』
『ふむ…彼らに改善を求めるよりお前が捉え方を変える方が早いだろう。シモンやリヒターにとっては偉大なる祖先だ。それくらい受け止めてやれ』
『簡単に言うなよ。お前も知ってるだろ?ドラキュラを討伐したからって俺自身は別に変わってない。それに、狩人としてのベルモンドは俺が始流ってわけでもない。受け継がれた技術を同じように伝えただけだ』
ラルフの一言に有角はふと考えた。
『そういえば…お前から祖先の話を聞いたことはなかったな』
『うん?残念だが、語れるほどは知らん。大元は貴族だったらしいが、いつからか狩人として生きる一族になっていた。委細は知らずとも、鞭と共に受け継いできた技と誇りさえあれば十分だからな』
『…そうか。』
その場はそれで話が終わったが、有角は気にしていたらしい。歴史を改めて学ぶことが最近の彼の日課なのだとも聞いた。
「ベルモンド家の話か」
「ああ。ラルフ・C・ベルモンド以前について、エルゴスの情報なら何かしら手がかりが残っているかもしれんと思ったが…」
ぱら、と適当に手元の本を捲り、埃に顔を顰めるようにして有角は呟く。
「その様子では、収獲なしらしいな」
「ベルモンドの祖についてはな。ただ、ドラキュラについてはそれなりに」
「ほう」
ラルフが軽く身を乗り出すが、有角は「すまないが期待する話じゃない」と身振りで示す。
「…曰く、ドラキュラはもとは人間だった、暗黒神官の闇の儀式でドラキュラに成り代わった、その息子も人間だったが無理に吸血鬼に転生させられ父を恨み反旗を翻した…など、など」
淡々とした有角の説明にラルフは目を白黒させる。
「……初めて聞く話だな」
「俺も同感だ」
他人事のように言う有角にラルフはすぐ納得する。長い年月の間に、数々の噂や願望が混じり合った言い伝えは歪み、荒唐無稽にも聞こえる伝記が生まれるのは仕方ないのかもしれない。どこまでが真実かは当事者のみぞ知るが、少なくともアルカードに関しては本人から半吸血鬼として生を受けたことを聞いている。
「ドラキュラがもとは人間だったというくだり、確かに世の中が好みそうな話だ」
「……え?」
だが、その一言に有角は驚いた顔でラルフを見る。
互いに予想だにしない反応だった。
「…ひょっとして、それは…つまりお前の父親が人間だったという部分は真実なのか?」
「…………いや…違う、知らない」
「知らないって?」
思わず問うてしまう。実子であるアルカードなら当然実父のことを知っていると思っていたが、寿命のない種族の親子とは、ラルフが遠き先祖のことまでは知らないのと同じような隔たりがあるのかもしれない。
「ああ…俺が実際に知る父はすでに真祖たる吸血鬼で…それに疑問を抱いたことはなかった。1476年にお前と会う前…父に敵対すると決めた時に過去を探ったことはある。何かしら弱点があるかもしれないと。ただ、父の城に父自身の伝記があった訳でもなく有耶無耶なままだった」
実子すら知らないドラキュラの過去について。
改めて考えてみれば何の確証もない。だが、今になって思い当たる節はある。
相談するように有角はラルフに考えを話す。
「ラルフ。お前の一族のことを、父は最初から知っていたような気がする」
「何だって?」
「確証はない。俺がお前と城で出会ったことは間違いなく偶然だ。だが玉座で相対した時…その鞭とお前を見て、父の目に正気が宿ったような気がした…まるで、誰かを思い出したように。憎しみで我を忘れていたはずのあの人に──」
有角の話は確かに根拠もなにもない。その時初めてドラキュラに会ったラルフには、それが正気か狂気かなど判別できたはずもない。
いまだ父親に情を残す有角の希望的観測に過ぎないとも思える。
だが、子が父を慕うことの何が悪いというのか。
ラルフはただ友の想いを組み、自らの知りうることを話す。
「…アルカード、お前に話したことはあったっけな?ヴァンパイアキラーは全ての夜の一族を憎み滅する武器だ。とりわけ吸血鬼と戦うための力と宿命を抱いているのだと、俺はそう受け継いだ。
それは…まさにお前の父親のことを指していた。
ベルモンドとドラキュラの間には、俺達の生まれるはるか以前から何かが存在した。
お前はそう考えている、ということでいいか?」
逡巡後、有角はわずかに頷いた。
その瞳にはいつも僅かにたたえている哀しみの膜が浮かぶ。
「…ラルフ、気を悪くしないでほしい。お前が知る父の姿が吸血鬼としての本性なのか、母の死で正気を失ったものかは俺にもわからない。ただ、俺が見てきた父は…母を愛する父は…確かに人に近いものであった。母との出会いより以前、父の過去に関わる何かが存在したなら…」
有角は、ここにいてはいけない誰かを探すように地を眺めながら言った。
「できうるなら…俺はそれを知りたいと思うんだ」
身勝手と言われかねない有角の苦悩に、ラルフは当たり前に寄り添う。
「ドラキュラは変わらずお前の父親だ。俺には気兼ねしなくていい」
ぽん、と肩を叩いて安心させてやると、有角は少しだけ顔を上げてラルフを見つめる。
「ベルモンドとドラキュラの戦いがどこから始まったのか…偶然か定めか。それこそ当のドラキュラくらいしか知りようのない話だ。肝心なのは、いまお前の側には俺達がいる。それを忘れるなってことだ」
「忘れたつもりはないが…」
「ならその辛気臭い顔を、他の奴らにはなるべく見せるなよ。っとまあ…普段と変わらんか」
励ましに次ぐラルフの軽口に、有角の下がりかけていた眉尻は反対に吊り上がった。
ようやく調子が戻ったか、とからかう笑顔には有角も引きずられそうになる。
(ああ、やはり。俺はいい仲間に出会えた)
ラルフに感じる有角のごく素直な気持ちだ。友と呼び、励まし合い、自然と前を向くことができる。
(──そうだ。俺にはもうお前たちがいる)
見知らぬ昔に何があったとしても。
例えば大切な何かを失い、例えば信じたものに打ちのめされ、例えば他者も自分すらも裏切って──はるか過去に父が想像もつかない辛苦を抱え生きてきたとしても。
ドラキュラ・ヴラド・ツェペシュは、アドリアン・ファーレンハイツ・ツェペシュにそれを背負わせようとはしなかった。
アルカードという一人の生を遺してくれた。
(だから俺は、母を、そして父を永遠に愛している)
有角は机上の書物を一通り棚に戻すと、ラルフと共に書庫を後にする。
鞭を手に夜を狩る一族──ベルモンドの始まりをもはや誰も口にすることはなく、ドラキュラ以前の出来事が伝説にすら残されていないとしても。
交わされた血の契約が闇の存在を許すことはなくとも。
かつてあり、かつて分かたれた友との道は形を変え、受け継がれ、はるか未来で交わり続けている。