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    amanatsu_ha

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    amanatsu_ha

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    稲葉江にワッ!となって書いています
    稲さにの予定ですがまだ全然さにわと絡みがない
    歌仙の存在感が強め

    夢の残り香「あなたにとっての天下って、なんですか」

     稲葉江の歓迎会の終わり際のことである。
     主役が曖昧になった頃を見計い、大広間の隅に逃げてひとり酒を煽っていた稲葉江のもとへ、主が真っ赤な顔を隠しもせずに近づいてきた。
     稲葉江の新たな主は最近やっと成人を迎えたような若い娘である。第一印象は気弱そう、ただそれだけであった。とても天下を欲するような人間には見えない。
     そんな主がどすどすと大股でやってきたかと思うと、開口一番そう尋ねてきたのだからすっかり面食らってしまった。よく見れば目がとろけそうなほど潤んでいる。主を追いかけてきた歌仙兼定が困ったように微笑んでいるから、どうやら彼女はすこぶる酔っているようだった。
     彼女の質問に考えあぐねてしまった。どう答えるのが望ましいのだろうか、と。
     すっかり口を閉じた稲葉江を前にして、主も歌仙も辛抱強く待っている。他の刀たちのざわめきが響くなかで切り離されたみたいに静かだった。
     しかししばらく黙ったままの稲葉江に痺れを切らしたのか、主はもう一度尋ねた。

    「戦国の世は終わったんです。今やっているのは時間遡行軍とのいくさ、あなたの時代のそれとは違う。ならあなたにとっての天下とは何なのですか」
    「それを聞いてどうする。関係ないだろう」

     主が目を見開いた。まつげがふるりと揺れるのを、稲葉江は他人事のように眺める。
     主が短く吐いた息から酒精の匂いがした。
     彼女は三度瞬きしたのち、それが合図かのように怒気を孕んだ目つきに変わる。稲葉江の返事が逆鱗に触れたらしい。
     様子がおかしいことに気づいた歌仙がすぐに主の肩を掴み、彼女を背に追いやった。

    「すまない、主はかなり酔っているようだ。いつもは程々に飲むのだけれど今日はなぜか深酒したらしい。絡み酒とは雅ではないね。僕からも言っておく。貴殿もどうか気を悪くしないでくれ」
    「ちょっと歌仙! 話は終わってない!」

     背中で騒ぐ主に歌仙が冷たく言い放った。

    「きみはこの本丸の主だという自覚があるかい? 酔いに任せて新入りに腹を立てるものではないよ。頭を冷やしたまえ」

     主はぐっと押し黙った。歌仙がため息をついてから振り返り、主をさっと横抱きにして大広間を出て行った。彼らの後ろ姿をぼんやり眺めながら、稲葉江はふと、歌仙兼定はこの本丸の始まりのひと振りであることを思い出した。
     細川忠興の刀。三十六もの臣下を手討ちにした血なまぐさい由来を持っているくせに、短気の象徴のような元主を持つくせに、その歌仙兼定が穏やかな目をしていたのが、稲葉江の心を妙にざわつかせた。
     とっぷり落ちた夜の帳は生ぬるい。雨が降りそうだった。




     稲葉江は若くて才能に満ちあふれた女が苦手である。元の主のせいであろう。稲葉江の元主の結城秀康は、天下一の出雲阿国を褒め称えながらも己の生涯を悔やみ続けたような男だった。珊瑚の数珠を褒美に取らせたときの、結城秀康の泣きそうな笑顔を忘れられるはずもない。
     主が天下を諦めた瞬間に立ち会った稲葉江は、それからずっと天下に囚われている。



    「稲葉江はいるか」

     歓迎会から数日経った昼時。膳を下げてから自室に戻り、篭手切江から渡された本丸の案内を読んでいると、閉じた障子の向こうから不意に声をかけられた。

    「いる。なんの用だ」
    「貴殿に伝えておきたい話があるのだ。主のことで」

     稲葉江は逡巡した。歓迎会の夜のことだと容易に想像できたからだ。別に弁明されたい訳でもないが、ここでこの刀を返しても角が立つだろう。
     障子を開けると盆を手に持つ歌仙兼定がたたずんでいた。盆の上には急須と湯呑、砂糖菓子のようなものが乗った皿がある。

    「準備がいいな」
    「長くなりそうだからね。鶯丸も太鼓判の新茶だから味は間違いないさ。茶請けもある」
    「…そうか」

     甘いものは好きでない。歌仙がなにか言いたげな表情を浮かべたが、すぐに引っ込めた。

     顕現したばかりの稲葉江の部屋は殺風景であった。初めから備え付けられている机と、座椅子と、引き出しが三つ付いた箪笥ぐらいしかない。給料を貰う前だということもあるが、稲葉江には物欲が特にない。肉体を得てから数日、これ以上物を増やす必要性を感じなかった。
     歌仙が眉をひそめたのを見逃す稲葉江ではないが気づかないことにした。部屋の真ん中にある机を挟んで向かい合うように座る。
     歌仙は盆から湯呑と菓子を並べた。手慣れた手つきである。稲葉江は差し出された湯呑みを受け取った。手にとって眺める。飾り気のない粉引だが佇まいに品があり、高価なものだとすぐに分かった。おそらく彼の私物であろう。
     視線を上げれば歌仙と目が合った。
     やはり彼の瞳は今日も凪いでいる。

    「ありがたくいただこう」
    「ああ、二煎目もあるから好きなだけ飲んでくれ。…それにしても貴殿、入用なものはないのかい。主に言えば給金の前借りをすることもできるし、顕現してすぐに身の回りのものを買うための小判も貰っただろう?」
    「必要なかったからな」

     歌仙が黙った。稲葉江も口をつぐむ。お互いそこまでよく喋るほうではないし、刀の頃に知己だったわけでもない。どちらかが流れを止めればすぐに枯れるほどの親しみしかないのだ。
     しばらく二振りの間には茶を飲む音だけが響いていたが、先に折れたのは稲葉江だった。

    「して、話とはなんだ」
    「…主は篭手切と仲が良くてね」
    「ああ、なるほど。主は我の言葉を又聞きしたのだな」
    「それは少し言い方が悪いな。だが間違ってはいない」

     歌仙は稲葉江に急須を差し出したが、稲葉江は右手で断った。歌仙のまつげが伏せられる。

    「そうだ、篭手切の元気がないようだったから主が話を聞いたところ、貴殿のことで悩んでいるという。同じ刀派だろう、もう少し仲良くしてやってもよいのではないだろうか」
    「なぜお前が口を出す」
    「僕は彼女の初期刀だからね、親心みたいなものさ。主は貴殿から話を聞き、篭手切の助けになればと思ったのだろう。まあ結果深酒で失敗してしまったが…」
    「それは関係ないな」
    「──何故だい?」

     稲葉江は湯呑を親指ですうっと撫でた。そして残りの茶を一気に飲み干すと立ち上がり、稲葉江から目を離さない歌仙を静かに見下ろした。

    「あの娘が素面であろうとも、我は同じ返事をしただろう」

     瞬間、肌に火が走ったような殺気を感じた。すぐに収まったが目の前の刀が発したものに違いない。
     威嚇するように歌仙を睨んだが、歌仙兼定はずっと微笑んでいる。不気味なほど穏やかな表情で。稲葉江は首筋がチリチリ粟立つような得体の知れない何かを感じ取り、ちっとも警戒心を解くことができない。

    「貴殿はもう少し情緒というものを知ったほうがいいね。主と過ごせば僕の言っていることが理解できるはずさ。近侍はしばらく貴殿に譲ろう」
    「我が近侍だと? そのようなこと、主が認めないだろう」
    「何を言う、僕がここに来たのはこれを伝えるためだよ。主からのご指名だ、明日から貴殿が近侍を務めることとなる」

     唖然とする稲葉江をよそに、歌仙はゆるりと湯呑を片付け始めた。稲葉江は歌仙を見下ろし、ポツリと呟く。

    「何故だ」
    「僕も知りたいよ。主はいつも勝手なんだ」
    「あの娘は、」
    「稲葉江、いい加減彼女のことは主と呼べ。いつまでも他人行儀でいてくれるな」

     歌仙のやわい髪がふわりと揺れた。この見目麗しさと穏やかな立ち居振る舞いにすっかり騙されそうになるが、言葉じりにどことなく敵意がある。稲葉江はわかった、とだけ返事をした。歌仙は頷いて出ていく。
     やはり歌仙兼定の性根はそうそうに変わらないらしかった。





    「あんた、早速歌仙にやられたって?」
    「…誰かと思えば結城の手杵か」

     稲葉江は風呂上がりに庭で涼んでいた。日はすっかり落ち、ひんやりとした空気がほてった肌を撫でて心地がいい。本丸のどこかで酒盛りをしているのか笑い声がうっすら聞こえていた。
     闇に彩られた白木蓮の花を眺めていると、御手杵が声をかけてきた。遠征から帰ってきたのだろう、小判の入った箱を小脇に抱えている。

    「早速とはどういうことだ」
    「うちの初期刀どのは嫉妬深くて新人がやってくるとビビらすところがあってなぁ。そのうえあんたは主から目、かけられてるっぽいだろ? 俺が思うに歌仙は気が気じゃないんだと思うぞ」
    「我が? 目をかけられている?」
    「なんだ、自覚なかったのか」

     御手杵は「あんたはそういう奴だよな!」とひとり納得した様子である。稲葉江は眉をひそめて御手杵を非難がましく見つめた。

    「我にもわかるように話してくれないか」
    「おお、悪い悪い。うちの主ってあんま特定の刀に入れ込むことはなくてな、ま、審神者の鑑みたいな人だよ。それがいきなりあんたに絡み酒しただろ? あの日遠巻きに見ていた刀剣もざわついてたんだぜ」
    「…よくわからん」
    「つまりだな、今まで優等生だった主がいきなりあんたに対して感情をぶつけてみせたってわけだ。なんかあるかもと思うだろ」

     御手杵はからりと笑った。そこに含みや裏はなさそうで、稲葉江はそれ以上追及せずに黙り込んだ。2振りの間にひやりとした夜の空気と白木蓮の薄い香りが漂う。

    「俺はあんたを応援するぞ。最近ちょっと退屈だったんだよな。あんたぐらいだよ、歌仙に怯えなかったの」

     頑張れよ、と稲葉江の肩を軽く叩き、御手杵は母屋へ帰っていった。玄関に向かう途中で稲葉江を見つけたからほんの気まぐれで近づいてきたのだろう。
     御手杵の後腐れのないさらりとした態度が心地よく、今度は自分から声をかけようと思った。



    「稲葉さん」

     次の日、執務室に出向いた稲葉江に気づいた主はしおらしくそう呼んだ。あの日は本当に酔っていたらしい。食ってかかる目つきの印象ばかりだったが、こうして対峙するとやはりおとなしい娘だった。

    「近侍を受けてくださってありがとうございます」
    「受け入れるもなにも、命令だろう」

     主は苦笑して、座るように合図した。
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