みどりごは焰の女神に抱かれ-5-早朝、王都から各地に向けて延びる街道のひとつをごとごとと荷馬車が行く。
「格安で馬車が借りられて良かったわねえ」
幌を張られた荷台の中、積み込まれた家財道具の隙間に座ったスティーヌがのんびりと言う。隣に座るポップもねえーと真似をする。
「値段通りのボロさだがな」御者台で馬を操るジャンクがぼやく。
「この年寄り馬、本当に村まで保つのかね。歩いた方が早いんじゃねえか?」
「そんなこと言ったって家財一式担いで行くわけにいかないじゃないの。朝から暖かいし、ゆっくり行くのも悪くないわ」
ねえポップ、と息子に声をかけると、再びねえーと返ってきた。楽しそうな妻と子のやりとりにジャンクはふっと笑う。
一家はベンガーナ北東にある夫婦の故郷、ランカークス村へと向かっていた。
ジャンクはベンガーナ王宮の武器工房を辞めることとなった。
表向きは「武器工房の規模縮小に伴う人員削減のため」とされている。
元々、魔王が倒され世界が平和になったことを受け国家予算は今後武器の増産よりも各地の復興や経済発展のためにその多くを割かれることとなっていたのだ。
戦中と違い常に炉の火を熾し職人達を工房に縛り付ける必要も無いだろう、街に足りていない日用品の生産を請け負うにしても人数と就業時間の削減は可能なはずである、というのが国王クルテマッカⅦ世の弁である。
そして王の弁はすなわち国の意思、が強引な若き王の統治する現在のベンガーナであった。
同僚達からは工房随一の職人を辞めさせるくらいなら自分がと次々に声が上がったが、ジャンクはそれらを制し、1人工房を去ることを決めた。
彼の中ではこの件は王宮で暴力沙汰(しかも相手は高い地位に就く貴族である)を起こしてしまったことへの罰として受け止めていたからだ。
職人が大臣を殴ったという話は王宮のそこかしこで密やかに噂になっていた。ジャンクの名までは広まっていないようだが、元より喧嘩っ早いと評判のためあいつではないかと勘ぐられる可能性は高い。真相を探られる前に王宮から離れる方が良いとも考えていた。
てめえのケツはてめえで拭かにゃあならんだろう。それに忙しない街を離れて故郷(くに)で女房子どもとのんびり暮らせるならむしろ褒美のようなもんよ。
そう言って笑うジャンクをそれ以上引き止められる者はいなかった。
言葉通り、職を辞した後ジャンクは故郷に帰ることに決めていた。同僚や知り合いの武器商人の協力もあり地元へ武器を卸してもらう伝手ができた。村で鍛冶や修理も請け負う武器屋を開くつもりだ。
国からはそれなりの退職金ももらえることになっていた。当初はさすがに断ったのだが今後の支度金とせよと半ば無理矢理押しつけられた。口止め料と、詫びのつもりもあるのだろう。
工房の規模は縮小されるとはいえ、職人達にはこれまでの働きに対して手当が出されることとなった。軍縮に合わせ魔法省の縮小も決定された。浮いた予算はきっと正しく有効に活用されることだろう。剛胆で合理的な王の采配は更に多くの民の支持を集めた。
「あーあー、しかし魔法使いってのは嫌な奴等だぜ」
諸事情納得済みでこの道を選んだとはいえ、ジャンクの愚痴は止まらない。どうせこの場には自分と家族しかいないのだ。箝口令もへったくれもねえや、と好き勝手にぼやく。
「どいつもこいつも頭でっかちの能弁たれで、人を上から見下しやがって。あのクソ大臣オレらを腰抜けの役立たず呼ばわりしてやがったが、そりゃてめえのことじゃねえかって話だ」
「言い過ぎよ、あなた」スティーヌが窘める。
「確かにその大臣…元大臣ね。その人や魔法省のお役人にはひどい人が多かったのかもしれないけど、世界中の魔法使いみんながそんな悪い人なわけじゃないでしょうに」
「そりゃそうだがよう」言い返せずジャンクは口をひん曲げる。
「魔王を倒した勇者様の仲間には、とても立派な魔法使い様がいるのだって聞いたわ」
スティーヌは空を見上げて言う。澄んだ青空は魔が去った証。勇者一行が取り戻してくれた美しい色だ。
「それにポップのことだって、どこかの国の偉い魔導士様が問題無いって仰ってくれたからこうして安心して村に帰れるんじゃないの」
「魔導士様、ねえ」ジャンクは荷台に座るポップをちらりと見て、言う。
「あれだってどこまで信じていいもんだか」
元魔法大臣の数々の不正の後始末は密かにかつ速やかに行われていた。彼が才能を危険視し他国へ送った子ども達も、そのほとんどが親元へ無事帰されたのだという。
ただ、最後に目をつけられたポップについては何らかの検証が必要なのではないか、という声があがっていた。
本人や目撃者達に害を及ぼすことが無かったとはいえ、王宮の炉の火から精霊らしきものを発現させたことは事実なのだ。しかし現在のベンガーナには魔法や精霊の専門家が極端に少ない。
そこで新しく魔法大臣の任に就いた者が、賢者の統治する国として有名なパプニカに(ポップの名は伏せあくまで一例として)このような現象を起こす子がいた場合どういう対処法が最適かと意見を求めた。
そして王の相談役も務める宮廷魔導士の所見としてこのような返事が返ってきた。
幼い子ども、なかでも三歳以下の嬰児については人間よりも精霊に近い存在とも言われている
精霊に超常の力を借りるこの地上では、幼児が通常では見えないものを見たり、常人では起こせないような現象を起こすということはままある
しかしそのほとんどにおいて、成長につれ発現例は減少し、およそ7歳くらいまでには一般的な能力の子どもと変わらなくなるものである
感情の高ぶりによって物を燃やす、竜巻を起こす、手に触れた物を凍らせる、などの周囲に害の及ぶような異常事態が頻繁に起きるようであれば早期に対処が必要と思われるが
王宮内など特別な加護を受けた場所で対人対物の被害無く一度起きたのみの現象というのであれば、過剰な心配はせず、心身の健康状態にさえ注意していればひとまずの問題は無いかと推測する
これをジャンク風に訳せば
小せえうちは不思議なことを起こすガキもいるもんだ、そう珍しいモンでもねえ。
大抵はそのうち他と変わりねえただのガキになるから大した心配はいらねえ。
とりあえず元気に育ってるかどうかだけよく見とけ。
となる。
「そりゃあ、危ねえから閉じ込めとけって言われるよりはいいぜ?でもよう、お前あの時のことがそんな『ままある』ことだって思えるか?別にポップに特別な子に育って欲しいわけじゃねえが、あれを実際見てない奴に『そんなのはよくあることだ』なんて言われてもよう」
危険視されるのも特別な子として崇め奉られるのもまっぴらだが「お宅のお子さん別に普通ですよ」と言われるのも何だか癪に障る、微妙な親心である。
ぶつくさ言うジャンクにスティーヌはころころと笑う。
「心配ないと言ってくださったのにそんなこと言うものじゃないわ、あなた。それにそのお手紙では私にまで気を遣ってくださってたそうじゃないの」
「そうさ、あの魔導士ヤロウ」
スティーヌの言葉を受け、ジャンクはより不機嫌になった。会ったこともない他国の魔導士に更に悪態をつく。
「『そのような現象に見舞われた子の母君におかれては不安になる心中お察しするが、どうかその清きお心が病まれることの無いように』だと!気障ったらしいったらありゃしねえ」
「お優しい方じゃないの」
「親父のオレに対して何にも無しが優しさか!?ありゃ多分かなりの女泣かせだな。口八丁手八丁でいいようにしてきたに違いねえぜ」
「いい加減にして、あなた。ポップも聞いているのよ」スティーヌが珍しく声を強くした。
「せっかく大丈夫と仰ってくださってるのにどうしてそんなに悪く言うの。人を見かけや職業で差別しないところがあなたの長所なのに。ポップにだってそう育って欲しいと思ってるのよ。お父さんなんだから良いお手本になってもらわなくちゃ」
「う…すまん」
妻に叱られしょぼんとするジャンク。口の悪い自分とは違い優しく知的な言葉でスティーヌを気遣える男への嫉妬心ゆえなのだが、さすがにそれを本人に言うのは憚られた。夫としてのささやかな意地である。
「とおーとー」
背中を丸めて落ち込む父を背後からポップが呼ぶ。荷台の縁につかまり立ちをして、御者台のジャンクに向かって身を乗り出してくる。
「おっポップ!こっち来るかあ!」
振り切るようにわざと明るい声を出してジャンクが言う。スティーヌが危ないわよ、と言うと、大丈夫さ、お前も来いよ風が気持ちいいぜと促された。
念のため一旦馬の歩みを止め、スティーヌとポップを御者台の隣に座らせる。視界が広く明るくなりポップはきゃあきゃあとはしゃいだ。転げ落ちぬようスティーヌが支える。老馬は再びゆっくりと歩き出した。
「面白えかあーポップ」
「あーい!」
「おめえもでかくなったら馬車を駆ったりすんのかねえ」
「ねえー」
「武器屋を継ぐも継がんもおめえの好きにすりゃあいいけどなー」
「うー?」
「ああでも魔法使いにはならんでいいぞー」
「まほー?」
「何でそっちは綺麗に言えるんでえ!武器屋を先に覚えろ、ぶ、き、や!」
「まほー!」
「ぶ!き!や!」
「まぁほー、まほまほー」
「もうやめなさいよ、子ども相手にそんな大声で、ふふふっ」
むきになって息子とやり合うジャンクがおかしくなってスティーヌは笑い転げる。ポップも笑う母を見てきゃははと笑う。2人の笑顔につられてジャンクもがははと笑った。
幸せそうな笑い声を乗せてゆっくりと荷馬車は街道を行く。
きらきらと眩しくきらめく陽光に紛れ、焰色の蝶々達がその周りを楽しげに飛び回っていた。