いつかこの雪に思い出す「冷えると思ったら雪だわ」
空に向かって手を翳し、レオナは薄く微笑んだ。
「中に入りますか」
気を遣うヒュンケルに大丈夫、と返す。
「もう少し見ていたいわ。パプニカではまず降らないもの…。この空を何かに詰めて持って帰れたら国の皆に見せられるのにね」
うっとりとした目で呟いた言葉に、ヒュンケルはしばし考え込み、応えた。
「魔法の使える者総出で高山などから一斉に氷系呪文を唱えれば近いものが見られるのでは」
「まあ、ヒュンケル!」
レオナの顔がぱっと輝く。
「斬新な意見をありがとう!とってもとっても……無粋だわ!」
それは失礼を、と全く悪いと思っていなさそうな顔で謝罪する戦士に、王女はくすくす笑う。
「でもそうね、冬祭りの催事でならその案は使えるかもしれないわ。もう少し先の話になるでしょうけど。あなたにも手伝ってもらおうかしら」
まだ祖国は復興の道半ばだ。祭りなど気が早すぎるかもしれないが、たまにはいいだろうとヒュンケルに話を向ける。
「オレに?」
「ええ、そう。あなたに」
「オレは魔法は使えませんが」
ヒュンケルは珍しく戸惑ったような表情を見せた。鉄面皮を崩せた気がしてレオナの心は弾む。
「分かってるわよ。魔法じゃなくて雪の妖精役を演じてもらうの。あなたの髪の色、絵物語に出てくる妖精そっくりなんだもの」
鉛色の空から微かに差す薄明光線に照らされて、銀色の髪がきらきらと輝いている。
「雪の妖精、ですか」
「ええ。良かったら今度本を貸しましょうか?」
「いえ、アバンから寝物語として聞いた記憶があります」
あらそう、と嬉しそうに笑う王女に、戦士は続ける。
「旅人に冷気の息を吹きかけて殺す魔物だとか、幼い子どもの心を凍らせて浚う悪魔だとか…なるほど、確かにオレに似合いの役かもしれません」
「待って!確かにそういうお話もあるけど!あるけどね!?」
焦って見上げた顔は微かに口角が上がっている。
「重ねての失礼申し訳無い。なにぶん無粋なもので」
「よく言うわよ」
厚い背中をばしんと叩いてやる。屈強な戦士はちらりとレオナを見下ろし優しく目を緩ませた。
普段は冷静ぶっているこの美丈夫は案外に面白い男なのかもしれない。
いつか戦い以外の話ももっとしてみたいわ、と思いを巡らせながら、レオナは銀髪を飾る白い結晶を見つめていた。
「あぁ~さみい!雪まで降ってきやがった」
身体を縮こまらせたままポップはクロコダインの元へ駆け寄った。
「お前は厚着をしているように思うが、まだ寒いか」
「寒いよ。ちょっと横で暖取らせて」
斧の手入れをしている獣王に、ほい、と紙袋を渡す。中身は今日の昼食だ。
「これじゃおっさんには足りないだろうけどさ。あ、茶もあるぜ。さすがに昼間っから酒は用意できねえけど勘弁な」
脇に抱えたポットを掲げてみせるが、クロコダインは顔を顰める。
「オレへの割り当てなど負担だろうに。海にでも潜って魚でも何でも捕れるのだから用意は構わないと言っておいてくれないか」
「そう言うなって」
ポップは手入れの邪魔にならぬよう隣に座り込んだ。羽根を休めていたガルーダがふわりとその周りを覆う。
「おお暖けえ。お前気が利くなあ」
にこにこと白身魚のフライに齧り付き、ポテトを一切れ風除けを買って出てくれたガルーダの嘴に寄せてやる。
「こうやってさ、同じ飯食うっていうのも大事なんだよ。同じ経験をした仲間って意識が強くなるんだ」
「なるほど。『同じ釜の飯』というヤツか」
「そうそう。それにこの食事って地元の人達が作ってくれたんだってよ。兵糧じゃなくて温かいもの食べて欲しいって」
「この町の人達がか」
指についた油をぺろりと舐め、そう、と頷く。
「もちろんこっちからもちゃんと料金は払ってるぜ。王都がやられちまって、魚の卸先が無くなってるから収入が激減してるらしいんだよな、この町。だからこういうのもお互い様なんだよ」
ポップの言葉に得心した様子でクロコダインは包みを開けた。衣をつけて揚げた魚とポテト。まだほのかに湯気が立っている。
太い指で器用に摘まみ、口に運ぶ。ポップから手渡されたカップを受け取り、熱い茶を飲み干す。
「…美味いな。このうえなく」
もっと豪華な食事を饗されたこともある。だが小さな町に生きる人々の手で作られたささやかな糧は何にも代えがたい美味だと感じた。
「こうやって雪の中でメシ食うのもさ。いつかきっといい思い出になるよ。寒かったけど美味かったよなって。そういうの、おっさんとも共有したいじゃんか」
重い雲の広がる空を見上げてポップが呟く。
「そうだな。お前達との思い出が増えるのはいいことだ。平和に語り合える日が一日でも早く訪れるよう…全力を尽くさねばな」
獣王の心強い言葉に、ポップは笑って大きく頷いた。
「おれ、雪って初めて見た」
口をぽかんと開けてダイが言う。
「私もよ。ロモスでもめったに降らないもの」
マァムの目も空に釘付けになっている。
彼等に限らず、南方からこの北の町を訪れた者は皆もの珍しそうに空を見上げていた。
「積もるのかなあ」
ダイの声は積雪を心配しているようにも期待しているようにも聞こえる。
「このくらいなら積もらないだろうってさっき地元の人に聞いたわ」
ちらりちらりと落ちてくる小さく柔い氷の粒は、とても愛らしく美しい。これが積もれば辺り一面、白一色の世界になるのだという。
それはどんなに美しい世界だろう、とダイとマァムは夢想する。だが美しいだけではないのだと北国出身者は口を揃えていた。
「いいことばっかりじゃない。積もったら大変なんだっておれも聞いたよ」
ダイが小さく呟く
「でもさ、この雪を綺麗だなって思うのは、悪いことじゃないよね。ここの人が困るなら積もらない方がいいけど…綺麗だなって思ってても、いいよね?」
そうね、とマァムは頷く。
雪に限らず自然の営みは美しさと厳しさが隣り合わせだ。厳しさを理解した上で美しさを感じられるダイの心は尊いと心から思う。
小さな体で厳しい世界を戦い続けてきた勇者に、美しいものをもっと見て欲しい。美しい思い出を増やして欲しいとマァムは願う。
「ねえ、ダイ」
空を見上げたままの弟弟子に呼びかける。
「いつか皆で雪を見に行きましょうよ。それで雪合戦をしたり、雪人形を作ったりするの」
「雪合戦?雪人形?」
初めて聞く単語に首を傾げる。
「私も先生から話に聞いただけなんだけどね。雪合戦は雪を丸く固めて投げ合う遊び。陣取り合戦の訓練にもなるんですって。雪人形は雪を集めて人の形にするの。帽子を被せたり、手袋をつけさせたり」
「面白そうだね!」
マァムの話にダイは瞳を輝かせた。
「ああ、でもねマァム」
「なあに?」
「おれ、みんなをデルムリン島へも連れて行きたいな。ポップとレオナは来たことあるけど。一年中あったかくっていい所だよ。島のモンスターもみんな優しいし、マァムやヒュンケルもきっと仲良くなれると思うんだ」
「そうね、行ってみたいわ」
ダイの言葉にマァムは微笑む。
「いつか必ず行きましょう。あなたの育った島を私も見てみたいわ」
2人は笑って頷き合い、再び空を見上げた。ちらつく雪の向こうに美しい南の島を思い浮かべて。