おかえり ただいま血が沸騰しているのかと思うほど身体が熱かった。
何処に行っていたのか自分でも分からないほど遠くへ押し流されていた意識がふうっと手元に戻ってきて
閉じた瞼の向こうが明るくなっていることが分かった。
何とか目を開こうとするけど岩でも乗せられてるみたいに瞼が重くて。
無理矢理こじ開ければ、眩しい外界の光の中おれをぐるりと取り囲むいくつもの顔が見えた。
声を出そうとしても喉の奥で音が引っかかって、口から出るのは荒い息ばかりで
それでも唇の動きを読んだのか、年下の親友がおれの目をまっすぐ見てポップ、と呼び返してくれる。
その声と表情に、意識だけが急速に覚醒していく。
ああ、戻ってきたんだな。おまえも、おれも。
思いきり抱きしめてやりたかったけど身体はどこもかしこも重く痛く、思わず眉を顰めてしまった。
姫さんが慌てて手をかざしてくる。温かい回復呪文の光が広がる。
おれなんかより自分を先に治療しろよ、お姫様の顔に傷が残ったらどうするんだと言ってやりたかったがまだ上手く声が出ない。
メルルがそんな姫さんに後ろからホイミをかけている。
ガキの頃故郷の幼なじみ達と遊んだムカデごっこをを思い出して何だかおかしくなって。
笑ったはずなのに顔面の筋肉が上手くついてこなくて引き攣ったようになったのが分かった。
ヒュンケルが怒ったような顔で覗き込んでくる。あんまり見るな。うぜえ。
おれにベホマをかけながらクロコダインのおっさんやヒュンケルと何ごとか話していた姫さんが立ち上がる。
おっさんがおれの身体をひょいと抱き上げた。どこかへ移動するのか。
体が浮いた瞬間に左腕に激痛が走った。破れた袖がじわじわと湿る。ああ、止まってた血がまた流れ出したのか。熱いのもそのせいかな。
身体と裏腹に頭は冷めていたが、痛みにまた顔が歪んでいたんだろう。ヒュンケルがまた睨むみたいに見てくる。だから視線がうぜえってば。大丈夫だから。多分。
ダイが泣きそうな顔で長い布らしきものをぐるぐるとおれの腕に巻き付けてきた。包帯だろうか。それにしてはごわついてるけど。
いつものようにぐしゃぐしゃと頭を撫でてやりたいのに、手も足も思うように動かなくてもどかしい。
回復呪文を受け続けても強張ったままの身体、消えない痛み。あの呪文を行使した代償なのだろうか。戻ってこられただけマシと思うべきなんだろうけど。
「大丈夫?ポップ」
ダイがおれに問いかけてくる。
まだ視界もぼんやりしてるし、音もはっきり聞こえない。水中から地上を見ているようなぽわぽわした感覚の中で、あいつの声だけが耳にはっきりと届く。
何度かまばたきして首をぎぎぎと動かせば、おれの顔を真剣に見つめる大きな瞳。これもやたらとはっきり見える。
だいじょうぶ、とできるだけ口を大きく開けて答えた。やっぱりまだ上手く声は出せなかったが通じたらしい。やっと少しだけ笑ってくれた。ああ、やっぱりお前の笑顔はいいな。
何がどうなってこうしてるのか全く分からないが、今はとりあえずどうだっていい。
ここにおれ達のダイがいるなら、それが全てだ。
全員が立ち上がり、歩き出す。おれはおっさんに抱えられて動く。かなり気遣ってくれているんだろう、振動はほとんど無い。
少し気持ちが落ち着けば身体中血と埃まみれで気持ち悪い。知らないうちに口の中も切っていたのか、鉄錆のような苦い味が舌に残っていた。
何処に行くのか知らねえけど着いたらまず口を漱ぎたいな。でもどうすれば要求が周りに伝わるだろう。
あれこれと考える中で、大事なことを確認するのを忘れていた。
「……、……」
おっさんを見上げて訴えてみるが、よく分からなかったらしい。困ったような目が逆に申し訳無い。
すると何故かおれの顔を全く見てないはずのダイが返事をする。
「ゴメちゃん?ここにいるよ。気を失っちゃって、まだ起きてないんだけど」
そう言って横抱きにされているおれの胸の上にゴメを乗せてくれた。穏やかな呼吸とともに柔らかな体がふにふにと動いている。
ほっとするおれを尻目におっさん達が驚いたような声を出す。
「今の声が聞こえたのか?ダイ」
「え?えっと…うん。何となく」
おれの目と耳もだいぶ回復してきているようだった。さっきより周りの様子がよく分かる。その中でもダイの声は一際はっきり響いた。
(何でだろうな?お前は何か知ってるか?)
心の中でゴメに呼びかけてみる。あの世の入り口でおれを呼び止めてくれた小さい友人からは寝息しか返ってこなかった。
(ダイ)
また心の中で呼びかける。今度は前を歩く親友に向けて。
「?」
ダイが不思議そうに振り返る。偶然だろうけどその姿に満足する。
「ダイ」
少し上手く声が出た。すぐさまあいつが「何!?」と走り寄って来る。呼んだはいいが別に用件もなくて、どうしようかと考える。
そうだ、これだけは言っておかなきゃ。
「…おかえり、ダイ」
おれの言葉にダイは目を丸くした。また瞳が潤んでくるが、傷の手当てをしてくれた時と違い嬉しそうな笑顔が返ってきた。
「うん。ただいま、ポップ。それで…ポップも、おかえり」
ああ、そうか。おれも言わなくちゃいけないのか。
「…ん、ただいま…」
それだけ言うのが限界だった。瞼がどんどん重くなり、冷めていたはずの頭にも靄がかかっていく。
「寝てて大丈夫だよ、ポップ。起きたらいっぱい話そう」
まだ話したいのにと思うおれにダイが言う。その言葉に安心して、おれはひととき眠りの世界へ旅立った。
力強い腕の中で、頼もしい仲間に囲まれて。愛らしい友人を胸に乗せ、相棒の声を聞きながら。
二度目が始まった人生の、一番最初の夢を見る。
次に目覚めたらおはようを言う前に、あいつともう一度おかえりとただいまを交わそう。