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    nukohumi_sq

    @nukohumi_sq

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    nukohumi_sq

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    カゲロウさんと添い遂げるために禁忌を犯して長い長い寿命を得るハンター♂の話。の、導入部分。
    死別描写、モンスターの肉(生)を削いで食らう描写があります。物凄く長い年月が経っている前提のため、NPCがいつの間にかいなくなります。

     かみさま、かみさま───声が聞こえる。
     ああ、またか、面倒だなあ、と声に背を向け、昼寝を決め込む。だが、声の主は諦めが悪いようだ。かみさま、かみさま、蚊の鳴くような、か細い声が、いつまでも、いつまでも。
     かみさま、かみさま、どうかお助けくだされ───


    「だあぁもう! だから俺はカミサマじゃねぇって!」
     ボロ社の戸を乱暴に開け放ち、同時に吐き捨てるように言えば、今にも崩れて落ちそうな社の段の下に一人の老人が跪いていた。腰には草刈り用らしき古い鎌。頭には、使い込まれた傘帽子。見たところ、里の農夫だろう。傘帽子の下から覗く目は、今にも泣き出しそうにしょぼくれている。
    「……どうしたよ、爺さん」
    「おお、カミサマ……! モンスターが農地を荒らして困っておるのです、助けてくだされ」
    「いや俺カミサマじゃねーけど」
    「以前作物を荒らすファンゴたちを追い払ってくだくった御恩は忘れませぬ~」
     と、老人が差し出したのは丸めた大きな餅だ。この餅、何度か見たことがある。お供え物として蜜柑やら榊やらも一緒だが、お供え物なのでカッチカチである。カミサマではないのでお供えをされても困るのだが、この老人、さっきから全くもって人の話を聞いちゃいない。困ったものだと溜め息を吐いたその時、老人の斜め後ろの繁みがガサリと動いた。顔を出したのは、一頭のイズチ。その牙と爪が、老人に向けられる。舌打ちと同時、ほとんど反射で懐から引き出したクナイを放っていた。
    「ひいぃ……!」
     老人が悲鳴を上げる。イズチに驚いたというより、飛んできたクナイに驚いたのだろう。今まさに老人に襲いかかろうとしていたイズチは、喉元をクナイで貫かれ既に息絶えていた。それを見てようやく危機が迫っていたことに気づいたらしい老人は、またこちらに向けて深々と頭を下げた。
    「あーもう、わかった、わかった。んで? そのモンスターは何処にいるんだ?」
    「は、はい……毎年秋に田畑にしている土地をドロドロに溶かして棲み着いてしまっております。このままでは作付けができず、困り果てておるのです」
    「うげ、オロミドロかよ……」
     苦手なんだよなぁ、とボソボソ言うが、ありがたや、ありがたや、と手を合わせている老人には聞こえていないようだ。その様子を見ながらボロ社から外に出て、同じくボロボロの門へ向かう。
    「ああカミサマ、そのモンスターが棲み着いた場所といいますのが……」
    「道すがら聞くよ」
     振り向いて言えば、ポカンとする老人。
    「里近くまで送る。里守でもねぇ一般人が、一人でこんな場所まで来るなんてどうかしてるぜ、爺さんよ」
     考えてみれば、それだけ追い詰められているということだ。相手がオロミドロということは、武器と備えはどうするか。慌ててこちらに駆けてきて再三頭を下げる老人の姿を見ながら、算段するのだった。

        ◆

     王国からの依頼で観測拠点エルガドへ出向き、キュリアに寄生されたモンスターや古龍を相手取って、しばらく。ようやく事が落ち着き、王域のモンスターたちが大人しくなった頃、俺は生まれ故郷でありハンターとしての最初の拠点、カムラの里に戻った。
     その頃、カムラの里の百竜夜行はとうに収束していて、まあのんびりと平和なものだった。そんなわけで俺はハンター稼業を少し落ち着かせ、大切な人と寝食を共にすることに決めた。おかしな言い方をしたが、俺なりに身を固めるつもりだったし、相手も快く受け入れてくれた。
     俺の、大切な人。カゲロウさん。
     俺は男で、カゲロウさんも男だ。カゲロウさんはカムラの里を拠点にしている商人で……まあ、これは今さら説明することでもないか。俺とカゲロウさんは、俺がエルガドに行く前からの「仲」だった。カムラの人達に関係を公言していたわけではないけど、里長やゴコク爺ちゃん、ウツシ教官やヒノエねえちゃん、ミノトねえちゃん達は気づきつつも寛容で、中には快く思わない人達もいるようだったけど、まあ上手くやれていた。仮に里の中で上手く行かなくなったとしても、カゲロウさんは行商人だし、適当に理由をつけて里から出ていくこともできるから、ある意味気楽でもあった。家族に関しては、まあ、兄貴がいるから家業は心配ないし、次男の俺は好きにすればいいとでも思われていたのだろう。
     それはともかく、平和になったカムラの里、ハンターを続けてもいいけれど、せっかく大切な人と一緒になれたのなら、二人で協力して生活している実感が欲しい。百竜夜行で一度は減った観光客も戻ってきていたこともあって、俺からカゲロウさんにある提案をした。
    「カゲロウさん、俺、風呂屋がやりたい」
    「お風呂、ですか」
     俺がカムラで使わせてもらっていた水車小屋は、団子の粉っぽいけれど広く、炊事場も使いやすい優良物件ではあった。だけど、風呂の不便さだけはどうにもならなかった。狭いし、外から覗き見し放題だし。時々アイルーの毛は浮いているし。俺がカゲロウさんとの新居に移るに当たって水車小屋は空き家になる。だけど放ったらかしということにはならず、今後も若いハンターや旅人が使うことになるのなら、近場にちょっと立ち寄りやすい風呂屋があってもいいと思ったんだ。今も温泉はあるけど、里からは少し遠いし。そんな思いを打ち明けたら、カゲロウさんは大賛成してくれた。観光客向けにも、気楽に立ち寄りやすい温泉があってもいいでしょうな、って。
     商人であるカゲロウさんのお眼鏡にかなったのなら、話は早かった。ヨモギがうさ団子茶屋を始める時もカゲロウさんの商いの手腕と多大なる出資で滞りなく事が運んだというけれど、俺たちの風呂屋もまさにそれ。土地、建屋の設計者と職人の確保、泉源から湯を引く手筈に、風呂屋に併設のちょっとした土産物屋───正直、俺が出る幕はなかった。あ、材料の調達は手伝った。足りない木材や内装に使う竹材を、ハンターの経験を活かして山ほど集めてきた。まあ、適材適所ってやつだ。
     エルガドから戻って、半年と少し経つ頃には風呂屋の営業が始まった。カゲロウさんには雑貨屋の仕事もあるから、番台に座るのは主に俺。客からは大した金は取らず、適度に狩りに出て経営の足しにした。併設の土産物屋では、うさ団子や林檎飴、地産の野菜に茸に魚、里自慢の鉄製品なんかを月替わりで置いた。こういうのは観光客受けが良くて、慎ましやかながらも経営は軌道に乗っていたと思う。
     観光客だけじゃなくて里の人達、ウツシ教官や里長たちもよく顔を出してくれた。ここの湯は疲れがしっかり取れて最高だよ! なんて教官は言ってたっけ。泉源は同じなのに、面白い人だ。


     カゲロウさんと俺の新居は、風呂屋と同じ敷地の中に建てた小さな離れだった。小さな、と言っても、大の男二人が生活の拠点にするのだからそれなりの広さ。水車小屋に勝るとも劣らない使いやすさの炊事場と、寝室。風呂は、母屋の広々としたそれだ。広くも狭くもないが庭もあったので、ワカナとスズカリに教わって家庭菜園も作った。風が吹けば里自慢の桜の花びらがヒラヒラ舞い込んで、まるで極楽みたいに綺麗になる。こんなに快適な暮らしができていいのだろうかと思ってしまうが、俺一人ならともかくカゲロウさんが一緒だし、これがいい。
    「セジ殿、本日はどちらへ?」
    「今日は寒冷群島です。近くの集落の船がイソネミクニに襲われたっていうんで」
     玄関で具足の紐を結びながら、カゲロウさんの方を振り向く。暫く風呂屋の番台と店番をやっていたから、今日は久しぶりの狩猟だ。ハンターノートで相手の弱点を改めて確認し、よし、と頬を叩いて立ち上がる。
    「寒冷群島の牡蠣は旨いですから、余裕があったら採ってきますね」
    「ふむ、では明日の夜は牡蠣鍋ですかな」
    「へへっ、楽しみにしててください」
     鼻の下を擦って言うと、足元に控えていたオトモアイルーのユタがたしたしと脛を叩いてきた。どうした? と問えば、食い意地張りすぎて本来の目的を忘れるんじゃねぇニャ、と。相変わらず口の悪いことだ。コイツはこんなだが、寒冷群島に着いたらオトモガルク───イサナと並んで「どっちが牡蠣をたくさん採れるか勝負だニャ!」とか言い出すに決まっている。今日はきっと、大漁になるだろう。
     牡蠣がたくさん採れたなら、鍋もいいが少し前に土産物屋に置いた牡蠣の燻製、あれはなかなか評判がよかった。生の牡蠣を塩揉みして、茹でて、香草や大蒜で臭み取りをしながら炒めて、仕上げに燻す。香りが強い桜のチップを使うと、良い具合に仕上がる。カムラの桜は観光客に人気だからいい宣伝になるし、何よりこれが旨いのだ。手間と時間はかかるけれど、「また買いに来たい」と言われれば、もう一度頑張ってみようかな、なんて。そうと決まれば、気合いを入れて牡蠣漁をしなければ。いや、第一の目的はイソネミクニの狩猟だけど。
     こうして、土産物用の季節の食材を集めに行くのは、カゲロウさんよりも里の外に出やすい俺の役目になっていった。その他にも、ヨモギが新しいうさ団子の開発に挑戦したいと言えば材料を探しに行ったし、コミツがモンスターの寝姿を見たいと言えば写真を取りに行ったし……まあ、なんというか、ハンター稼業が落ち着いたと言っても、やっていることは前と変わらない。困っている人から依頼が舞い込めば、大型モンスターの多頭狩りにだって出向いた。
     カゲロウさんは、そんな俺を何も言わずに見守ってくれていた。思えば、ハンターとして生きてきて商売なんてやったことがない俺の至らないところを、それと指摘はせずに補ってくれていたのだろう。そうじゃなければ、ぽっと出の風呂屋と土産物屋なんて上手くいくはずがないのだから。


     狩り場から帰った日の夜も、のんびり里で過ごした日の夜も、新居でカゲロウさんと二人の時間を過ごす。風呂から上がって、だらりと浴衣を身につけて、行灯の淡い光が照らす座敷で、カゲロウさんの膝に頭を乗っけて縁側で舞う桜を見ながらくつろぐのだ。もうすっかり馴染んだ光景。カゲロウさんの膝は少し硬いけど、ちょうど良い高さと温度だ。それに、こうしているとカゲロウさんは俺の下ろした髪をさらさらと撫でてくれた。ゆっくりと、眠りを誘うような心地よい仕草。目を閉じて、俺とはかたちが違う手に頬を擦り寄せると、カゲロウさんが面布の向こうでくすくすと笑った。それに俺も笑って、ちょいちょいとカゲロウさんを呼ぶ。
    「如何されましたかな?」
    「んー、俺もカゲロウさんのこと触りたい」
    「仕方ありませんなぁ」
     どうぞ、と言いながら、カゲロウさんは背中を丸めて俺に顔を近づけてくれた。手が届く場所にきたカゲロウさんの顔に面布越しに撫でて、頬の横の三つ編みに手を伸ばす。さらさらの、白い髪。それを留める、金の飾り。
    「カゲロウさん、この髪飾りってずっと着けてるの?」
    「ん? ……そうですな。もうずいぶん長く使っているかと」
    「そうなんだ。いいなぁ」
     白い三つ編みを撫でる俺の手に、カゲロウさんのそれがそっと重なる。行灯で橙色に染まった髪も、手も、指も、ぞっとするくらい綺麗。ああ、そうなんだ。俺はこの人とずっと。
    「ふふ、この飾りがお気に召されましたかな?」
    「ううん、そうじゃないよ。この飾りが羨ましい」
     言えば、カゲロウさんはコテンと首を傾げた。可愛いな。
    「だってこの髪飾り、ずっと……たぶん、俺が生まれる前からずっと、カゲロウさんにくっついてるんでしょ?」
     この髪飾りには、カゲロウさんが見てきたもの、カゲロウさんのにおい、カゲロウさんの指の温度が染みついている。俺だってカゲロウさんともっと同じものを見て、カゲロウさんのにおいを刷り込まれて、カゲロウさんの手で隈なく触れて欲しい。
    「くっふふふ……まさかセジ殿が髪飾りに嫉妬なさるとは」
    「カゲロウさんにくっついてるモンなら、何だってヤキモチ焼きますよ、俺」
     俺もカゲロウさんにくっついて、いっそ一つになって、輝く空みたいに綺麗な部分も、泉の澱みたいに仄暗い部分も、何もかも全部溶け合わせて一緒でいたい。ずっと、ずっと、永遠になるならそれでいい。
    「カゲロウさーん」
    「はいはい」
     俺が呼ぶと、カゲロウさんは軽く面布を捲って顔を更に近づけてきた。こちらからも少し頭を上げて、唇と唇で、そっと触れ合う。つつき合って、じゃれ合って、何十年、何百年経ってもこのままならいいのに。
    「へへ、こんなことばっかしてて、お仕事しなくて大丈夫ですか?」
    「おや、セジ殿から誘ったというのに」
    「そうだっけ?」
     カゲロウさんだって、俺に構いたいくせに。言いつつカゲロウさんの文机を盗み見れば、何やら帳面のようなものが開かれていて。やっぱり仕事中だったんじゃないか。
    「帳簿、まだ途中ですか?」
    「帳簿……ああ、あれはまた、別のものでございますよ」
     カゲロウさんは俺の頭を膝に乗っけたまま、文机に手を伸ばした。帳簿を取って、俺にも見えるように広げる。
    「こちらは、それがし著『カムラの里の猛き炎』」
    「あ」
    「セジ殿のご活躍と思い出を、書き留めていっております」
     そうだ。カゲロウさん、俺のことを書いて後世に伝えたいって言ってくれてたっけ。まあ、こういう関係だから若干余計なことも書かれてるかもしれないけど……そこはそれ、だ。へえ、と感心しつつ綺麗な字で綴られた頁をパラパラと捲っていると、カゲロウさんがまた文机に手を伸ばした。今度は抽斗を開けて、中から別の帳面を取り出してくる。
    「そっちは?」
    「こちらも、『カムラの里の猛き炎』でこざいますよ」
    「へっ?」
     俺が素っ頓狂な声を出すと、カゲロウさんは、こちらが一冊目、こちらの抽斗の中のものが二冊目で、最初にお渡ししたものが三冊目です、と。
    「そんなに書くことあります⁉︎」
    「くふふ、セジ殿との思い出、それがしの記憶の中にいくらでもございますぞ」
    「……」
    「というのはさて置き、今のカムラの里はセジ殿の存在があってこそ。里の人々にとっても、それがしにとっても、セジ殿がいなければ里の話は始まりませぬ。ゆえに、書けることは全て書いておかねば」
     これは、余計なことの方が多く書かれていると思った方がよさそうだ。読まれますかな? と問われて、首を横に振る。きっと、恥ずかしすぎて一頁も読めないだろう。
    「俺の普段のフンドシの色とか書いてないですよね?」
    「言われてみれば、記しておりませんな。書き加えておきましょう」
    「絶対駄目です」
     誰が知りたがるんだよ、『猛き炎』のフンドシの色なんて。駄目ですからね、と念押ししてみるが、この人相手にどのくらいの効果があるのやら。
    「……ふむ、そろそろ夜も更けて参りましたな」
    「え、もうそんな時間?」
     カゲロウさんが見せてくれた懐中時計の針は、そろそろ日付が変わるよ、と言っている。ああ、そういえば明日って。
    「セジ殿、明日のご予定は?」
    「んー、溶岩洞まで行きます。イソネミクニが暴れてるらしくて」
     溶岩洞では牡蠣は採れないから、何をお土産にしようか。なんて考えていると、カゲロウさんがじっと面布越しにこちらを見ていた。見られているついでに、訊いてみる。
    「溶岩洞だと、何がありますかね? イソネミクニの肉……は、臭くて不味いしなぁ」
    「……、」
    「……カゲロウさん?」
     そんなにお土産に期待しているのだろうか。ハンター生活が長いので現地調達できる食材を見る目にはそれなりに自信があったが、そう期待されると照れてしまう。とは言え、溶岩洞では牡蠣は採れないし、茸や山菜にも期待はできない。ここは素直に、加工できる綺麗な鉱石や珍しい化石を探してきた方がいいだろう。簡単な装飾品の作り方ならイオリに教えてもらっていたし、手元作業は苦手でもないし。
    「セジ殿」
    「はい」
    「お土産のことは、そうお気になさらず。存分に狩りに集中なさってください」
    「ん、そうですね。目的はお土産じゃねーし」
    「……お怪我など、なさらぬよう」
    「はーい、気をつけます」

     カゲロウさんは、それ以上何も言わなかった。
     きっと、カゲロウさんなら気づいていたことだったあっただろうに。
     この頃のカゲロウさんは、俺に何も、言わなかった。

        ◆

     風呂屋の経営が軌道に乗ってから、何年後だったか。
     百竜夜行の頃の元気はそのまま、すっかり背が伸びて良い女になったヨモギが、俺にある頼みごとをしてきた。頼みごと、と言っても、そう深刻な話ではない。うさ団子の材料を調達しに行きたいというのだ。
     この頃、俺とカゲロウさんの風呂屋では、月変わりで色々な種類のうさ団子を手土産として置くことが当たり前になっていた。常連客の中には風呂よりもこのうさ団子を楽しみに訪れる者も少なくなく、風呂屋になくてはならないものになっていたのだ。そのうさ団子を毎月納めてくれているヨモギが、団子の材料が入り用だと。断る理由はなかった。
     目的地は、水没林だった。ヨモギはこの辺りで採取できる、苔が欲しいのだと……苔を使った団子とは一体、と思いつつも、ヨモギが考えるうさ団子は九割方外れがなかったし、俺が気にすることでもない。苔がありそうな場所を、ヨモギの護衛をしながら回っていく。ヨモギが行けそうにない崖上には俺が翔蟲で登り、狭い穴にはオトモたちに入ってもらい、目当ての苔を探した。
    「苔、コケ……おっ、あった。……おーいヨモギ! こいつは違うかー?」
    「セジさーん! そこで言われても見えないよー!」
    「それもそうだなー!」
     ヨモギの元気な突っ込みを受けて、見た目がそれらしい苔を採取していく。粗方集め終えて崖の下に戻ろうとした時、ふと、水辺を動く何かが目に入った。
     それは、紫色の髪鰭を揺らめかせ、発光器官を明滅させながら、不気味なような、美しいような、不思議な音を残して水面を滑っていく。
    人魚竜、イソネミクニ。
    その様を崖上からぼうっと見ていると、下からヨモギたちがどうしたのかと呼びかけてきた。俺は首を横に振って、翔蟲で下に降りる。
    「もしかして、モンスターがいたニャ?」
    「ああ、イソネミクニがいる。ちょっくら狩ってくるわ」
    「えっ?」
     ヨモギが声を上げるのは、思えば当然だった。この日はうさ団子の材料を採りにきただけだし、イソネミクニの討伐依頼が出ていたわけでもない。何より、手練れとはいえハンターでもない一般人が同行している時に狩猟を行うなんて、狂気の沙汰だ。オトモたちもそう思ったのか、今行く必要はないと説かれたが、俺はこの好機を逃したくなかった。オトモたちにヨモギの護衛を頼み、崖下に向かって駆ける。
     この時の俺は、イソネミクニを狩ってその肉を剥ぎ取ることしか考えていなかった。


     イソネミクニは、水辺の岩場に座って休んでいた。
     天を仰ぎ、細く高い声で鳴いている。歌っている、と言っても差し支えない、か。昔の人はイソネミクニを人間の女と勘違いし、おかげで人魚竜なんて異名がついたというが、この姿を見てのことだったのかもしれない。
     俺はさしも警戒することなく、正面から近づく。足元で立った水音が聞こえたらしく、イソネミクニがこちらを見た。青白く輝く目が、睨めつけるような視線を突き刺してくる。邪魔をするな、とでも言いたげだ。こいつは、細い体躯と優雅な動きとは裏腹に凶暴なモンスター。知らずに縄張りに侵入しようものなら、あっという間に眠り粉に巻かれて昏倒させられ、鋭い爪の餌食になる。
     じわり、イソネミクニが動いた。瞬間、水面を蹴る。振りかぶった鉤のような爪が、空を裂いて向かってくる。突進しながら回避し、双剣を抜いた。爪が届かない位置に陣取れば、すかさず髪鰭から棘の一撃。身を躱すが、頬を掠めた棘が僅かに肌を裂いた。滲む血。背筋を駆け登る、痺れにも似た緊張と興奮。
     全身の血が、沸騰するようだった。身体の奥深くから湧き出た熱が膨らんで、爆発する。一瞬真っ赤に染まった視界は、即座に光を取り戻す。脳天目掛けて振り下ろされた爪を躱し、返す刃で叩き折った。イソネミクニが甲高い悲鳴を上げる。弾け飛んだ血が、顔を汚す。頬に滲んだ血を上塗りするようなそれを、掌で乱暴に拭った。
     生臭く、まだ暖かいそれ。本当なら吐き気がするような異臭を放つそれを、ベロリと舐める。
     ああ、臭くて不味くて、口に入れられたものじゃない。だが俺は吐き出すわけでもなく唾と一緒にそれを飲み下した。


     そこから先は、どうやって狩猟を終えたかよく覚えていない。気がついたら、崖上まで追い詰められて絶命したイソネミクニの体から、クナイで鱗と皮を剥ぎ取っていた。俺は本当なら良い素材になるそれらを放って、その下にある肉に刃を突き刺す。硬くて、クナイでは難しい。双剣に持ち変えて、無理やり引き剥がした。遺骸から溢れた血が、生暖かく刃から手首を伝う。それを舌で綺麗に舐め取って、手の中の生の肉にむしゃぶりついた。流石に骨は避けたが、少し残ってしまった硬い鱗の欠片も、鰭も、まとめて口に入れる。バリバリと咀嚼すると生臭い血の味が広がるが、鱗で口の中が切れたせいなのか、肉自体のそれなのか、もうわかったものではなかった。それでも構わず、更に肉を剥ぎ取って、口の中へ放る。噛み砕いて、飲み込んで、また剥ぎ取って……イソネミクニの肉は、やっぱり臭くて不味くて食えたものじゃない。
     それでも俺は、ほとんど取り憑かれたみたいに肉を口へ運ぶ。他の大型モンスターと同じくイソネミクニも、尾に近い辺りは、他の部位よりも幾分柔らかい。不味いことには変わりないが、この辺りならまだ食べられる部分もあるだろうと、双剣の一振を突き刺した。ブシャリ、尾の付け根に突き刺した刃に、生温い血が降りかかった、その時───
    「セジさん?」
     名を、呼ぶ声が。
     心当たりは、ひとつしかなかった。どうして。サブキャンプで待っていてくれと、言ったじゃないか。イソネミクニの遺骸に突き刺した双剣、握る手が、強ばる。今はまだ、狩ったモンスターから素材を剥ぎ取っているだけだと思われている、はずだ。
    「狩り、終わったの? それ、イソネミクニだよね?」
     俺は振り向かない。振り向けない。手も、口も、顔も胸も血まみれだ。普通の狩り方をしたハンターがこんな状態にならないことは、カムラの里育ちの人間なら誰でもわかる。どうしたの? 問う声。ザリ、と湿った土を踏む音。来るな。咄嗟に出た。足音が止まる。
    「……セジさん、それって血? 怪我したの?」
     問う声が、少し震えている。モンスターが怖いのでも、血が怖いのでもない。俺の異様さに、気づいている。
    「セジさ、」
    「来るな!」
    「でも、」
    「来るなっつってんだろ!」
     振り向く。不安げなヨモギと、目が合った。ヨモギは一瞬息を飲んで、まだ俺が怪我をしている、と思ってくれているのか、一歩踏み出してくる。だけど、明らかに普通ではない肉の剥ぎ取り方をされたイソネミクニの遺骸には、気づいているはず。あるいは、俺が何をしていたのかも。
     だが、俺はまだこれをやめるわけにはいかない。「効果」があると確信するまでは、やめてはいけないのだ。
     ヨモギがまた、一歩近づく。俺は、同じだけ後ずさって離れる。
     来るな。来るな。来ないでくれ。頼むから俺を咎めないでくれ。
     ヨモギがこちらに手を伸ばす。俺はそれを振り払って、そして。
     ズリ、と何かが滑るような音。視界がぐらりと傾いたことで解った。イソネミクニの遺骸から流れた血、それで俺は、足を滑らせたのだ。身体はあっという間に重力に引かれ、断崖の方へ吸い込まれていく。こちらに向けて手を伸ばしたヨモギが、何かを叫んでいる。馬鹿、そんなに身を乗り出したらお前も落ちるだろ。そう思った直後。
     骨と内臓がひしゃげるような音がして、俺の意識は、いや、俺の全ては、闇に溶けて沈んだ。

        ◆

     ゆらゆら、ゆらゆら。
     水の底をたゆたうような、頼りない浮遊感。上も下も、右も左も、何も感じない。ただ、浮かんでいるような感覚だけがある。
     ここは何処だ。俺はどうなった。そもそも、何が起きたんだったか。
     俺、という何かを思い出した途端、指先の方から少しずつ感覚が戻ってくる。どうやら、手足はきちんと残っているらしい。息は、できているのだろうか。空気の吸いかたが、肺の膨らませかたが、思い出せない。視界は真っ暗で、目を開けているのか、閉じているのかさえ。声は出るのか、出たとして、耳は聞こえるか。
    『──、─……』
     何かが、聞こえたような気がする。耳を澄ました。否、これが果たして「耳を澄ます」という行為と言えるのかも覚束ない。だが、あらゆる感覚が狂ったような今、耳だけでも何かを頼りにできるのならば。
    『──、───……』
     聞こえる。この音を、声を、俺は知っている。
     これは、人魚だ。人魚の歌声。透き通るような、風が隙間を抜けるような、不気味なようでいて美しい歌。目を開けよと、促すような。
     そうだ。こんな所で眠っている場合ではない。俺は、目を開けていなければならない。何年、何十年、何百年経っても大切な人の傍にいられるように。達観しているようでいて、俺の生命が先に尽きることを誰よりも恐れているあの人の傍にいられるように。
     目を開けよ。目を開けよ。人魚が呼んでいる。
     あの人の所へ、いかなければ。

        ◆

    「……ん?」
     目を開けた。なのに、暗い。いや、暗いというのは少し違う。隙間から、ほんの少しだけ光が入ってきている。
     どうやら俺は、何か箱のようなもの中に寝転んでいるらしい。そしてなぜか、上から蓋のようなものを置かれて、起き上がることができないように塞がれている。
    「えっ、おい、なんだこれ?」
     思ったことを口にすると、箱の外から「ヒイッ⁉︎」と誰かの悲鳴が聞こえた。いや、本当に何がどうなってる。
     それにしたってこの箱のような何か、とにかく狭い。身じろぎしようにも、肩は直ぐに両側にぶつかってしまう。加えて、ものすごく長く寝てから起きた時のように、全身の関節がバキバキに固まっている。こんな状態で狭い場所に押し込められていては堪らない。俺は思いきって、箱を塞いでいる蓋を押し上げた。誰だよ、こんなとこに寝かせたの。
    「ぎゃああああ‼」
    「……えっ、何? なんだ?」
     また悲鳴。蓋を雑に下に落として身体を起こすと、どうやら昼間らしく外は明るい。なんだか全身が、というより部屋の中全部が線香くさいのだが、俺は一体どこにいるんだ。そして何より、この、目の前にいる人は。
    「…………お袋?」
     そう、これは俺のお袋だ。さっきの悲鳴もお袋のもので間違いないだろう。それにしたって、普段は割烹着に三角巾姿で店先で声を張り上げているというのに、今日は上から下まで妙に改まった格好だ。綺麗に整えてまとめた白髪交じりの髪、白い足袋に、黒い着物……なるほど、喪服か。いや、何故喪服。よくよく見てみれば、俺の親父と兄貴、それにヨモギ、ウツシ教官、なんとフィオレーネとアルロー教官までいる。文化による差はあれど、皆一様に黒い服だ。そしてこれまた皆一様に、目をかっ開いて硬直している。
    「……えっ、何やってんのみんな」
    「な、な、な、何って、何って……!」
     俺が箱から出ようとして縁を跨ぐと、一番近くにいたお袋は畳の上にへたり込んだままズリズリと後ろへ下がっていく。それを、落ち着いてお母さん! と肩を支えつつ宥めるウツシ教官の声は、落ち着いてと人に言うわりには震えて引っくり返っている。
    「な、なんでみんないんの? つか、何が起きたんだよ?」
    「何って……何ってアンタ! アンタ、死んだのよ‼」
     言われて思わず見た自分の身体、身に着けていたのは、白い死に装束だった。


     一つ断っておく。俺は死んでいない。
     俺はこの時、少なくとも俺の中ではいつも通り元気に生きていた。が、ゼンチ先生に言わせると、それは違うらしかった。
     ヨモギに頼まれて苔を探しに行った、水没林。そこで人魚竜イソネミクニを発見し、討ち取った。ここまではいい。狩猟後の処理をしようとしていた俺は、イソネミクニの血でうっかり足を滑らせて崖の下まで墜落してしまった、らしい。翔蟲で受け身を取ることさえできない、一瞬の出来事。ヨモギとオトモたちは直ぐに里へ俺のフクズクを飛ばし、更に近場の集落に駆け込んで救護を呼んだ。だが、救護隊が俺を発見しメインキャンプに運び込んだ時点で既に、手の施しようがなく……というより、もう蘇生の可能性はないと、医師に確認してもらう他ない状態だった、らしい。
     かくして、無惨な死体になってカムラの里に送り届けられた俺は、死に装束を着せられ、箱───棺桶に入れられ、カムラの里の人たちや、エルガドで世話になった人たちとも対面を済ませて、この日の午後一番で荼毘に付されるところだったのだ。
     いや、生きたまま火葬って、どんな拷問だよ。
     俺からすればそうとしか言えないが、皆からすれば死んだ奴を荼毘に付すのは当たり前で……まあ、これはもう仕方ないか。死んでいたはずが生きていた、というより、ほとんど生き返ったような常識外れの状況なのだから。
     こんなだがゼンチ先生の診察を受け、全く異常がないことは確認済みである。ゼンチ先生にさせても、こんなことが起こった理由はサッパリわからず、生きてたんだからよいではニャいか、にょほほ、と笑うばかり。医者が見てもわからないなら他の誰が考えてもわからないし、死なずに済んだのならそれでいい。みんな口々にそう言ってくれた。俺自身もよくわからないが、よかった、よかったと泣きじゃくるヨモギを見て、彼女が責任を感じるようなことにならなかったのなら、もういいかと思った。いや、これは嘘か。ヨモギのことではなくて、俺自身もよくわからない、というのは。
     これはきっと、「上手くいった」のだ。
     胸に顔を埋めて泣くヨモギの後ろ頭を撫でる俺の顔は、人知れずうっそりと笑んでいたことだろう。


    「なあ、カゲロウさんは?」
     棺桶から出て、周りにいた人たちが少し落ち着きを取り戻してきた頃、死に装束からいつもの着流し(あっちで着られるようにと棺桶の中に入っていた)に着替えた俺は、髪を結いながらヨモギに尋ねた。俺が目を覚ました時、カゲロウさんはいなかった。俺の棺桶が置かれていたのは、俺の実家の仏間だ。カゲロウさんは、風呂屋の方にいるのだろうか。
    「カゲロウさんは、セジさんが死んじゃっ……てないけど、こうなっちゃってからずっと塞ぎ込んでて……」
     どうやらカゲロウさんは、風呂屋の離れに籠りっきりになってしまっているらしかった。あのカゲロウさんが、取り乱している。もしかして、俺が「死んだ」時泣いてくれたのだろうか。本当に落ち込んでいるのなら、こんなふうに思うのは不謹慎かもしれないが、そうだとしたら、嬉かった。
     身なりをいつも通りに整えた後、俺は風呂屋へ向かった。道行く人たちは当然、『猛き炎』は狩猟中の事故で死んだと思っているので、それはもう、あちこちで「出たー!」なんて叫ばれて逃げられたり、腰を抜かされたり。いや、わかる。俺も絶対にそうなる。里長やゴコク爺ちゃんにも顔を見せておいた方がいいのかな、なんて思いもしたが……これはもう、教官たちに任せよう。いきなり会いに行ったら大混乱必至だ。
     風呂屋に着くと、休業の札が下がっていた。引戸に手をかけるが、鍵がかかっていて正面からは入れない。格子窓から中を覗いてみたが、人の気配はなかった。籠りっきり、というのは、どうやら本当らしい。離れの裏口へ回って、引戸を軽く叩く。中から返事はない。どうしよう、と一瞬思うが、自分の家なのに入るのを躊躇するのもおかしな話で、俺は思いきって引戸を開けた。ただいま、と声を張る。誰も出てこない。ただいまー、ともう一度。やはり誰も出てこない。留守か? けど、籠りっきりだって話だしな。
     俺は、離れの中に上がった。カゲロウさんと俺とで一緒に使っていた部屋の襖の前に立って、カゲロウさん、と声をかける。少し待つ。誰も出てこない。入ってよいものか、と考えていると、襖がスッと開いた。ゆったりした着流しに、珍しく乱れ気味の三つ編み、そして家で使っている無地の面布。カゲロウさんだ。
    「あっ、カゲロウさん。ただいま」
    「……」
    「カゲロウさん?」
     ぴしゃ! と襖が閉まる。なんでだよ、俺だよ、セジだよ。ちょっとちょっと、と抗議していると、再び襖がスッと開いた。
    「カゲロウさん、ただいま」
    「…………」
    「カゲ……ちょっ、いやいやいや待って待って待ってなんで閉めるんですか⁉︎」
     再び締まりかけた襖を、今度はガッチリと押さえる。させるか。お互いに襖を掴み、俺は開ける方へ、カゲロウさんは閉める方へ全力で引っ張る。
    「ちょっとカゲロウさん! 俺ですって! セジです!」
    「ああああついに幻覚が見えるまでになってしまうとは……」
    「幻覚じゃないですよ! 生です! 生身! 生身!」
     俺が必死こいて言うと、カゲロウさんが突然襖から手を離した。スパァァン‼ と物凄い勢いで襖が滑って開く。ようやく勝った。いや、これは別に勝負ではない。俺は肩で息をしながら、呆然としているカゲロウさんにこの日三度目の挨拶をした。
    「ただいま、カゲロウさん」


     なんとか自分の姿が幻覚でも何でもないことをカゲロウさんに理解してもらった俺は、事情を説明するため、ようやく襖の中へ通された。生前……生前? とにかくこうなる前にそうしていたように、自然に座布団に正座すると、これまた自然にカゲロウさんが茶を淹れてくれた。それからカゲロウさんは、俺の正面に正座する。淹れてもらった茶に口をつけて、ひと息。
    「説明するっつっても、俺自身よくわかってなくてですね」
     俺の記憶は、水没林の崖の上で足を滑らせて墜落したところで一度途絶えていた。次に意識がはっきりするのは、棺桶の中。その間に何が起きていたのかは、みんなから聞いたこと以外は一切知らない。けど、そういえば出ただのお助けだの大混乱の座敷で、唯一普段と変わらず冷静だったアルロー教官が、焼いちまう前に息を吹き返した奴がいるって話なら聞いたことあるぜ、なんて言っていたか。そう頻繁にあることでもないが、絶対にないとも言い切れない、というこもなのだろう。
    「では、此度はそれがセジ殿の身の上にも起きた、と」
    「実際、そうとしか言いようがないんですよね」
     なんでですかね、なんて言ってみる。
     カゲロウさんは、何も言わない。何も言わず、俺の顔を面布越しにじっと見ている。驚いて言葉が出ないのかもしれない。俺もまた、カゲロウさんのことをじっと見ていたが、視界の端、カゲロウさん愛用の文机の上の、開きっぱなしの帳面の存在に気づく。籠りっきりで雑貨屋も休業していたらしいが、何を書き留めていたのだろう。
    「……カゲロウさん、これ」
     流麗な字で記された、それ。その頃にはもう四冊目に突入していた、「カムラの里の『猛き炎』」。俺がいなくなっても、俺のことを書き続けてくれていたのか。
    「貴方との思い出を、ひたすら思い出して綴っておりました」
    「カゲロウさん……」
    「貴方がいなくなったと、思いたくありませんでした。ですが、思い出は思い出。いつか全てを書き終えてしまった時は……それでも、後を追うなどと言うこともできすまい。それがしには、見守らねばならぬ御方がおりますゆえ」
    「はい」
    「しかし、これまでと同じように生きていく自信もございませんでした。暗く、静かで、何も見えず、聞こえず、澱のような闇の中で揺蕩うことしかできぬ、そんな日々になるのではと、恐れておりました」
     カゲロウさんはゆっくりと、噛み締めるように話す。だけどその声は、時折震えている。膝の上で握り締めた拳も、よく見れば震えていた。
     ああ、やっぱり怖かったんだ。この人は、俺が先に死ぬのが、怖くて怖くてどうしようもないんだ。
    「カゲロウさん」
    「……」
    「カゲロウさん、こっち見て。俺、ここにいるよ」
     ね、と膝の上で震えている拳に、そっと手を添える。俺とは形が違う手。故郷も、からだのかたちも、生きてきた時間の長さも、何もかも違う、俺とカゲロウさん。だけど、何かひとつでも「おなじ」にできたのなら。
    「ああ、セジ殿」
     カゲロウさんの長い腕が、俺の背中に回る。強く、痛いぐらい強く抱き締められて、少し苦しい。
    「こうして、それがしにまた生きていく筋道を与えてくださった。本当に、貴方は、貴方は……」
     縋りつくように、搔き抱くように。そんな、子供みたいに泣いているカゲロウさんの大きな背中をさすって、ぽんぽんと優しく叩く。暫くそうしていると、カゲロウさんの腕から力が抜けていった。カゲロウさんの頬を両手で包んで、額同士をコツンとぶつけて。
    「大丈夫ですよ、カゲロウさん。大丈夫。ずっとずっと、一緒ですから」
     約束です。
     カゲロウさんにとって、俺がいなければカムラの里は始まらない。いつだったか、カゲロウさん自身が言っていたことだ。そうだ。俺が戦ったから、俺が守ったから、カムラの里は在る。俺が守ったから、カゲロウさんの第二の故郷が在り、カゲロウさんの今が在る。驕りなのかもしれない。だけど俺は、そんな風に言ってくれるカゲロウさんと、共に在りたい。ずっとずっと、何年先でも。カゲロウさんの命が潰える、その日までずっと───だから。
     だから、俺がしたことは、何一つ間違いじゃないんだ。

        ◆

     あの約束をした日から、随分時間が経った。俺とカゲロウさんは、あの日の約束を違えず、ずっと一緒だった。
     長い時間の中で色々なことがあった。
     ヨモギは、本当に美しい娘になった。歳の近い、ある里守の青年と恋に落ち、あっという間に結婚した。祝言の日、カゲロウさんが嬉しいやら寂しいやらで大泣きしていたのを、よく覚えている。今では二人の子供がいて、つい先日も下の子がようやく成人したのだと嬉しそうに話していた。うさ団子は変わらず人気で、これを置く日は風呂屋が特に賑わうのも変わっていない。
     ウツシ教官はハンターを引退したが、元気さと狩猟の腕前は健在で、今も里の子供たちに武芸を教えている。その教官の教えを浮けていたタイシとコミツは、立派なハンターになった。カムラの里を拠点にしているが、あちこちから依頼が舞い込んでいる。泣き虫で意地っ張りだったセイハクは、八百屋を継いで元気にやっている。今でもコミツへの淡い想いは健在らしい。
     里の子たちの成長がある一方で、別れもあった。
     里長は九十前で大往生した。太刀を継いでいた俺に里長を、という話がなかったわけではないが、俺はその地位を太刀ごとモンジュに譲った。モンジュはその頃まだ現役のハンターとして各地で名を轟かせており、里長の姪だからとかそういうことは一切抜きで、その地位に相応しい人間だった。それに俺としても、カゲロウさんと一緒の時間は少しでも長い方がよかった。まあ、危険なモンスターが里近くに現れれば、狩りに行く。カゲロウさんの安寧を守るためだが、やっていることは昔と変わらない。
     武具の手入れは変わらず加工屋に依頼しているが、ハモンさんは里長より少し早くに亡くなった。あの加工屋は、弟子のミハバと、モンジュと一緒に里に帰ってきたヒバサの兄貴が継いでいる。ヒバサの兄貴の腕前は一流で、里の外のハンターからも加工依頼が来るくらいだった。それとは別だが刀匠ハモンの銘は今でも人気が高く、貴重品だ。俺も、ハモンさんに最初に打ってもらった鉄双刃を大事に手入れして使っている。
     それから、オトモたちのこと。
     ガルクのイサナは、俺が生き返って十年もしないうちに亡くなった。思えば、新人ハンターだった頃からのつき合い。ガルクにしては、随分長く生きた方だとイオリが言っていたか。
     一方でアイルーのユタは、相棒がいなくなったことでしょぼくれてしまい、ほとんど狩りに出なくなった。その時既にそこそこの高齢で、一気に老け込んでしまったユタは、相変わらず口が悪いながらも俺たちに気を遣ってか、オトモ広場に居着くようになっていった。時折顔を見せに言ってはいたが、こんなところで油売ってる暇があるなら風呂屋の番台に座ってろニャ! と追い返されてばかり。すっかり頑固な婆さんになっちまって、今際の際って時になっても俺には連絡するなとイオリにせがんだらしい。だけど噂ってのは伝わるもんで。
     最期のその時、俺はユタをオトモ広場の大木の上に連れて行った。フクズクの巣を落とさないように場所を選んで、ユタをおぶったまま座って。イサナに追いかけられたり、尻を舐められたりしてカンカンに怒った時、ユタはよくここで夕日を眺めて拗ねていた。俺が迎えに来ても、むっつり押し黙ったまま。でも着かず離れずで一緒に夕日を眺めていると、ポツリと言うのだ。またアイツに言い過ぎてしまったニャ、なんて。そんな昔話をすると、恥ずかしかったのか背中を蹴られた。前はそうされると結構痛かったのに、今は。
    「アイツ、いつも下で待ってたニャ……」
    「ん?」
    「アタシが拗ねた時、いっつもいっつも、馬鹿みたいにヨダレ垂らして、阿保ヅラ晒してこの木の下で待ってたんだニャ……」
    イサナが亡くなったのは、結構前のことなのに。ユタは昨日のことのように覚えていて。
    「向こうに行ったら、ちょっとくらいはアイツと仲良くしてやってもいいニャ……」
    「向こうとか言うなって」
    「なーに泣いてんだニャ……旦那さんの癖に気持ち悪いニャ……」
    「お前なぁ……」
     それっきり、ユタは黙っちまった。沈んでいく夕日を見ながら、昔話をしてみたり、最近の狩りの話をしてみたり。そうして夕日が沈む頃、ユタはもうほとんど見えていなかった大きな目を細めて、大粒の涙を零して、それっきり。それっきりだった。今は、可愛らしい墓石がふたつ、風呂屋の裏庭に並んでいる。
     よく晴れた長閑な日の、縁側。カゲロウさんと二人、並んで座って、団子をあてに茶をすする。俺たちと同じように並んだ小さな二つの墓石の前には、この時期らしい桃色の花が供えられている。目の前で団子なんて食べていたら、花より団子をよこせとせっつかれるだろうか。
    「俺たちも、いつかこうやって並ぶんですかねぇ」
     生きていれば、いつか必ずその日はやってくる。何年先になろうと、必ず。
    「セジ殿」
    「はい」
     カゲロウさんに呼ばれて隣を見ると、カゲロウさんの手が伸びてきて俺の頬に触れた。そうして、優しく撫でて。
    「セジ殿は、いつまでもお変わりありませぬなぁ」
    「そうですか? 結構いい歳のはずですけど」
    「今年で、おいくつでしたかな」
    「四十七……いや、八? そんくらい」
     気づけば、死にかけてからもう二十年以上経っていた。そりゃあ、カムラの里の人たちやオトモたちも様変わりするし、いなくなったりもするか。
     それでも俺は、肌も、髪も、筋力も何もかも、二十年前と何一つ変わらない。
    「……」
    「カゲロウさん?」
    「セジ殿、それがしに何か、お話ししたいことはございませぬか」
    「え? うーん……今日の晩飯のこととか?」
    「ふふ」
     カゲロウさんは笑って、俺の頬を軽く摘まんだ。指が離れれば、むにゅりと凹んでいた頬はすぐ元に戻る。
    「あ! 晩飯と言えば、昨日寒冷群島で採ってきた牡蠣がまだありますよ」
     昼間は暖かいとはいえ、夜から朝方は少し冷える季節だ。ほかほかの牡蠣鍋で身体を温めるのも良い。
    「よいですな。では、早速お米の支度を」
    「へへ、俺も手伝います!」


     その日の、夜。フクズクの声さえ聞こえない、丑三つ時。
     離れの裏庭には、小さな七輪。炭は、闇夜の最中でぼんやりと。胡乱な炎に照らされた手の上では、夜の黒と炭火の赤が混じり合う。
     炭火で網が温まってきたら、その上に薄く切って塩揉みした肉を置いた。シュワ、と小さな音。立ち上ぼり始める煙と、肉が焼ける臭い。
     夜中に小腹が空いたからといって、わざわざ炭火で肉を焼くなど。俺自身そう思うが、これは腹を満たすための行為ではない。それが証拠に、今やジュウジュウと音を立てて焼ける肉は、とても口に入れられるとは思えないほど生臭く異様な臭気を放っている。
    「塩で揉んでも、くせーモンはくせーな……」
     食えたものではないことは、明らかだ。だが、火を通せば生で食うよりはマシ。何度も繰り返したことなので、知っている。狩猟に行かなくても口に入れられるように、こうして炙って、燻して、乾かして、携帯食料のようにして保存していた。昼間に堂々とやるには少々臭いがキツいので、こうして夜な夜な。焼け具合を見ながら、ほどよく火が通ったものから皿へ上げていく。そうしているうち、そう言えば最近食べていなかったなと思い出して、しっかり火を通した肉片を口に放り込んだ。奥歯を押しつけると、硬く押し返してくるような弾力と、生臭い肉汁。やっぱり、食えたものじゃない。
     その時、背中の方からスッと襖が開く音が聞こえた。
    「何をなさっておられるのですかな」
     カゲロウさんだ。どうして今日に限って。今まで同じことをしていても、カゲロウさんが起きてきたことなんてなかったのに。
    「携帯食料が減ってたの思い出しちまって」
     明日狩りに持っていく分がないと、困るから。言い訳。
    「左様でございますか。しかし、それにしては少々臭いが……」
     カゲロウさんは、面布の上から袖で鼻を押さえている。俺はもう慣れてしまったが、この肉の焼ける臭いなんて嗅げたものじゃない。ただでさえ生臭くてキツいのに、焼けて更に濃くなっているのだから。
    「あはは、ちょい失敗しちまったかも」
    「貴方ほどの歴戦のハンターが、ですか」
    「……」
     カゲロウさんの声が、冷えている。怒っているようにも、怖れているようにも聞こえる、声。じっと黙り込んでしまったカゲロウさんを見て、自分の顔から笑みが消えたことがなんとなく解った。
     縁側と庭で二人、睨み合う。焼ける肉の臭いが強くなって、やがて焦げ臭くなっていく。見れば、端の方から焦げつき始めていた。
    「セジ殿」
    「……」
    「それは、何の肉ですかな?」
    「……」
    「セジ殿」
     カゲロウさんが、庭に降りてきた。ざり、と草履で土を踏む音を聞きながら、俺は網の上で焼けて焦げていく肉を見たまま。俺が何も言わないから、カゲロウさんは少しずつ近づいてくる。そこにある「それ」に、気づいてしまう。黄土色の鱗と、紫色の鰭に。カゲロウさんが、息を呑んだ。
    「カゲロウさん、こんな話、知ってますか」
     焦げてしまった肉を、手で摘まんで口に放り込む。
    「昔むかし、あるところに人魚竜の肉を食らって八百年生きた尼僧がいたって話です」
     ジャリジャリと嫌な食感と、相変わらずの生臭さ。
    「なんで人魚竜の肉なんか食ったのかは、何処にも何にも書いてないんですけど」
     吐き気がする。
    「俺は、愛する人と添い遂げるためだと思うんですよね」

    「だから俺も、同じことをしたら、人魚竜の肉を食い続ければ、カゲロウさんとずっと一緒にいられるのかなって」

    「馬鹿みたいな話だなって、最初は思ってましたよ。でも俺、死ななかったじゃないですか。それに、もう五十になるのに歳も食ってない」

    「だから、ああ、願いが叶ったんだって」

     カゲロウさんに向けて話しているはずなのに、俺の眼に映っているのは網の上で焦げついていくばかりの肉だ。カゲロウさんに向けて話しているはずなのに、カゲロウさんは何も言わない。
    「これからは俺、カゲロウさんとずっとずっと一緒です。ね。俺、嬉しいんです。だって絶対に俺が先に死ぬんだから。何もしなきゃ俺は、絶対にカゲロウさんより先に死ぬんだから」
     だから、これは悪いことじゃない。そうですよね。カゲロウさんだって、俺が先に死ぬのを嫌がっていたじゃないですか。
    「セジ殿」
    「はい」
     後ろから名を呼ぶ声に、背を向けたままで返事をする。悪いことじゃないのなら、きちんとカゲロウさんの方を向けばいいだけなのに、何故だかそれができない。
     じり、と砂利を踏む音。ジュワジュワと、肉が焦げて縮んでいく音。ああ、コイツもそろそろ食ってやらなきゃ、塵になっちまう───
    「ッ、おわ……!?」
    焦げた肉を指で摘まんで、口に放り込もうとしたその時、カゲロウさんが倒れ込むようにして俺の背にのしかかってきた。驚いたせいで、指先から肉がポロリと落ちる。それを惜しいと思う間も無く、セジ殿、セジ殿と震えるカゲロウさんの声が。
    「えっと、」
    「セジ殿。セジ殿……セジ殿、セジ殿……ッ」
     カゲロウさんは俺の背中に額を擦りつけて、爪が食い込むんじゃないかってぐらい強く掴んで、ひたすら俺の名を繰り返す。
    「カゲロウさん? どうしたの?」
    「セジ殿、ああ、なんと……なんと……」


     ───なんと、愚かな。

        ◆

     人魚竜の血肉を食らえば、八百年の寿命を得る。
     何処で聞いた話だったか。
     カゲロウさんが、ヨモギを見守るためにこの里に来たこと、ここを第二の故郷として大切に思っていること。それを知ったとき、俺は里ごとカゲロウさんを守ると決めた。俺は、俺には、その力があるから。カゲロウさんが、また悲しみの淵に沈まないよう、また武器を取らねばならない日が来ないよう。そんな日々を保障できる力が、俺にはあるから。
     だから人魚竜の肉を食らったのも、少しでもカゲロウさんといられる時間が、この手でカゲロウさんとカムラの里を守れる時が増えればと、それだけだった。伝承を信じていたわけではない。だけど少しでも可能性があるならと、イソネミクニを狩っては食らった。一度死にかけて生き返った時は、本当に効果があったのだと思った。嬉しかった。これでカゲロウさんを守っていける、里を守って生きていける。カゲロウさんとは、ずっと一緒にいられる。
     だけど、だけど、カゲロウさんは。
     カゲロウさんは、どうしてあの時泣いていたのだろう。

        ◆

     何年も経った。
     何年も、何年も、何年も何年も何年も。数えるのも嫌になった。ヨモギも、ウツシ教官も、ゴコクじいちゃんも、俺の親兄妹も、エルガドの友人たちも、みんな、結構前に死んだ。
     生活の足しにするために軽い狩猟依頼をこなして、里の大門をくぐる。里の景色は、だいぶ様変わりした。それでも、この大きな門も、煙を吹くたたら場も、変わらずカムラの里の象徴だ。
     そうは言っても、知った顔はほとんど見なくなった。ヒノエねえちゃんがうさ団子を頬張って微笑んでいたクエストカウンターには、全然知らない受付嬢が座っている。集会所も、そうだ。まあヒノエねえちゃんもミノトねえちゃんも、かなり婆ちゃんになっちまったしな。
    「いてっ、」
     あの頃が懐かしいな、なんて思っていたら、額にコツンと何かが当たった。思わず額に手をやると、自然と視線が下がって足元が見える。そこに転がる、ひとつの小石。ああ、またか。血は出ていないみたいで、よかった。怪我をして帰ると、カゲロウさんが心配するから。何とはなしに顔を上げると、二、三人の子供が走って路地裏に消えていくのが見えた。それを何事かと見ていた井戸端会議中の奥様たちや、荷運びの男たちが、俺に気づいて眉を顰める。そういう、何か奇怪なものを見るような視線には、もうすっかり慣れてしまった。さっさと帰ろうと通りを歩いていくと、さっき石を投げてきた子供らが、狭い路地から顔を出してこちらを見ているのに気づく。
    「バケモン! こっちくんなよ!」
    「あっちいけぇ!」
     いや、あっち行けって、ここを通らないと風呂屋に帰れないんだが。元気だなぁと思いつつも、うっかり声をかけようものなら親が飛んできて箒で叩かれたり、もっとデカい石を投げつけられたりするから、無視して通りすぎるしかない。
     店主に嫌な顔をされながらも必要な買い物を済ませて、風呂屋へ帰る。里の外れにあるそこに近づく人は、もうほとんどいなかった。
    「カゲロウさん、ただいまー」
     離れの玄関を開けて、具足の紐に手をかけながら呼び掛けるが、返事はない。聞こえていないのかもしれない。狩り場で汚れた狩猟道具は後で洗うことにして、とりあえず居室へ。襖を開けると、縁側にカゲロウさんの小さな背中があった。お茶を飲んで、ぽかぽかと日向ぼっこをしていたらしい。今日は調子がいいみたいだ。
    「カゲロウさん、戻りましたよ」
    「……おぉ、セジ殿」
     お帰りなさいませ、と嗄れた声。改めて「ただいま」と返せば、皺だらけの小さな手で頬を撫でてくれた。


     何年も経って、カゲロウさんは小さなお爺ちゃんになった。
     何年経っても、俺は『猛き炎』と呼ばれた頃のままだった。
     カゲロウさんは、小さくなってすぐの頃は変わらず元気で、雑貨屋を続けていた。風呂屋の方もしっかりと手伝ってくれていた。だけどある日、俺なら気にもしないようなほんの小さな段差で躓いて転んで、大きな怪我をした。それから二、三ヶ月。怪我をきちんと治すために離れで安静にしていたけど、怪我が良くなる頃には足腰が弱りきって、杖と俺の支えなしでは歩けなくなってしまった。この身体では、ハンター向けの雑貨屋や行商はやっていけない。あの派手な荷車と一緒に、雑貨屋の経営は里の人たちに託すことになった。同時に、風呂屋も畳んだ。カゲロウさんの雑貨屋はともかく、風呂屋には竜人でもないのに何十年どころか百年以上経っても姿が変わらない人間がいるせいで気味が悪いと遠ざけられて、すっかり閑古鳥だったのだ。もう潮時だった。狩猟で稼いだ蓄えが充分あったし、相変わらず離れの庭で野菜を作っていたから、二人だけで食っていくには困らなかった。
     離れにいる間、日中は野菜の世話をしながら、カゲロウさんとのんびり過ごす。いつからか、本当に二人きりだった。他に知った顔と言えば竜人の巫女姉妹くらいで、カゲロウさんの見舞いやらで顔を出してくれることもあったが、最近は会っていない。おかげで狩猟に出なければ誰にも会わないし、カゲロウさん以外の人と最後に話をしたのはいつだったか、もう思い出せない。
     狩りの後始末を終えた後は、畑の世話だ。ちょうど収穫時期を迎えた芋を、今日使う分だけ引っこ抜く。カゲロウさんは、そんな俺を縁側に座って見守ってくれている。顔は相変わらず面布で隠しているし、風変わりな衣服も寸は変われど昔のままだ。一見すると不思議な格好の子供のようだが、長い袖に覆われた手が老人のそれであることを、俺は知っている。
    「今日はいい天気ですね、カゲロウさん」
    「……」
    「よいしょ……っ、と。へへ、見てください、このデカい芋! 今夜はコイツを煮っころがしにしますね」
    「よい天気ですなぁ」
    「ね、いい天気」
     数拍遅れて返事があることにも、もう慣れた。というより、俺の呼びかけに対する返事なのかも定かではない。単にいい天気だと思ったから、そうだと知らせてくれたのかも。
     収穫した野菜を洗って、桶に入れて縁側に戻ると、カゲロウさんはうつらうつらと舟を濃いでいた。手に持った湯呑みの中には、桜の花びらがひとつ、ふたつ、小舟のように浮かんで揺れている。俺はその湯呑みをそっとカゲロウさんの手から預かって、縁側に置いた。
    「カゲロウさん、眠いですか?」
    「…………ふぅむ」
    「へへ、ちょっとお昼寝しましょうか」
     カゲロウさんをおぶって、縁側が見える座敷へ。頭の帽子を取って、敷布に横たえる。朝早くから狩りに出ていて、俺も少し眠い。どうせすることなんてないし、とカゲロウさんの隣の畳の上に寝転ぼうとした時、ふと、カゲロウさんが使っていた文机が目に入った。すっかり使われなくなって、うすく埃が積もった、それ。その下や脇には、雑貨屋を引き払った時のまま、片づけ切れずに乱雑に積まれた帳簿たち。何とはなしにそのうちの一冊を手に取って、開く。それは、思っていたような経理帳簿ではなく。
     「カムラの里の『猛き炎』」。
     もう、何冊目なのかもわからない。カゲロウさんがまだ元気だった頃、日々のことを忘れてしまわないようにと、日記のように楽しみながら書いていた。その日に俺が狩ってきた獲物、収穫した野菜、作った料理、話したこと。そんな、何でもないことまで、全部。だけど、あれほど膨らみ続けた頁も、今はもう増えることはなくて。
    「……」
     この書は、元を辿ればカゲロウさんが、俺の成したことを後世に伝えるために書き始めたものだった。だけど、誰にも読まれることはない。
    「……、」
     少しだけ、開いてみようとして。
     でも、開くことができなかった。


     カゲロウさんは、日に日に動くことも、話すことも少なくなっていった。床に就いていることが増えて、もとから減っていた食事の量は更に減った。俺はカゲロウさんから離れたくなくて、狩りにはついぞ出なくなった。
     そうして蓄えを切り崩しながら暮らしていた、ある日の朝。珍しく、俺よりも先にカゲロウさんが起き出していた。まだ陽も昇りきっていない時間、朝靄が満ちる庭に舞う桜を眺めて、小さな背中がちょこんと縁側に座っている。
    「カゲロウさん……?」
     本当なら、こうして座っているのも辛いはずだ。俺は布団から抜け出して、毛布を持って縁側に走った。
    「カゲロウさん! 身体冷やしますよ!」
     細い肩から毛布を掛けた時、手を掠めた三角の耳がツンと冷えていて。いつからこうしていたのだろう。少しでも温まるよう、後ろから包むように抱き締める。
    「こんなに冷えて……まだ寝てましょう。ね?」
    「セジ殿」
     嗄れているが、はっきりとした声。なんだか、久し振りに聞いた気がする。
    「今朝方は、珍しく気分が良いのでございます。こうして貴方と春の霞と桜を眺めていますと、実に気が安らぐ」
    「……」
    「そんなわけで、久しぶりに出かけませぬか」
     え、と声が洩れてしまった。ここ最近のカゲロウさんは、出かけるどころか起き上がるのも難しいくらいだったのに。だけど、何かしたいことが、見たいものがあるのなら、俺にできることなら。
    「……体調も、天気も良い日なら」
    「ふむ。では本日」
    「ええっ⁉︎」
    「ふふ……よいではありませぬか。二人で“でぇと”と参りましょう」
     嗄れた声も、小さな身体もいつも通り。だけどなんだか、ほんの少しだけ昔のカゲロウさんみたいだな、なんて思ったりした。


     まだ、朝も早い。
     往来にはほとんど人通りがなかったが、それでも人目につかないよう、息を潜めるようにして里を出た。カゲロウさんを振り落としてしまわないようにしっかりと襷を締めて、翔蟲で跳び上がる。
     目指したのは、里の人たちにもそう知られていない、山の桜がよく見える丘だ。昔むかし、修行で疲れてげっそりしていた俺に、ウツシ教官が教えてくれた場所。翔蟲が巧く扱えないと来るのが難しいから、知らない人が多いのも納得だ。
    「このような景勝地があったのですな」
    「ガキの頃、教官に連れてきてもらったんです」
    「なんと、ウツシ殿が。妬けてしまいますぞ」
    「もう」
     俺が思わず笑うと、カゲロウさんも俺におぶられたままクスクス笑う。
     念のためにモンスターや獣の気配に注意しながら、ゆっくりと丘の上を歩いて回る。暖かい春の風が、桜を丘の上まで運んで来ては、遊ぶように舞わせる。
    「ひい、ふう、み……」
    「カゲロウさん?」
    「御髪についた花びらを、数えております」
    「何やってんすか」
     数えるくらいなら払っといてくださいよ、と笑って言えば、お似合いですのに、と残念そうな声。俺みたいな筋肉ダルマに桜が似合うなんて、そんなことを言うのはカゲロウさんぐらいなものだ。
     カゲロウさんは、道すがら何かを見つけては、これはなかなかに質の良い鉱石、とか、珍しい茸がございますな、とか、商人だったあの頃のようにあれこれ目をつけては興味を示している。体調も気分も良いというのは本当みたいで、珍しく饒舌だ。色々なことがあるけど、カゲロウさんが元気だと俺も嬉しい。
    「こうして共に出歩くと、セジ殿に護衛を御願いして行商に出ていた日のことを思い出しますなぁ」
     荷車に揺られたり、舟に乗ったりして、あちこち歩いて回ったな。大社跡、砂原、寒冷群島に溶岩洞。それだけではなくて、何泊もして他の村や拠点へも行った。現地の名物を食べたり、景色の良い場所を見て回ったり、温泉でのんびりしたり……こんな風に言うとカゲロウさんがむくれるかもしれないけど、俺にとっては商売よりもカゲロウさんと一緒にいる時間の方が大切だったんだ。それは、今までもこれからも、絶対に変わらない。
    「カゲロウさん、俺よりよっぽど色んなこと覚えてそうですよね」
    「セジ殿より、か否かはわかりませぬが……セジ殿の武勇は、全てそれがしの胸の中に。そだけでなく、書物の方にも全て書き留めております。里の皆が、セジ殿を忘れぬように」
    「……」
     『猛き炎』というハンターがいたことなんて、時間が経てば忘れられていく。だけど、誰かが記録を残せばそんなことはない。カゲロウさんは、俺が死んで影も形も失くなった後の日のために、少しずつ、少しずつ記録を残してくれていた。それなのに、今でも俺はここにいる。老いも死にもしないバケモノになっちまって、ここにいる。
    「……カゲロウさん、俺、」
    「よいのですよ、セジ殿」
     カゲロウさんは、それきり何も言わなかった。
     何も言わずに、白髪ひとつない俺の髪を、優しく優しく撫でていた。


     あれから、俺とカゲロウさんまほとんど話すこともなく景色を見て回って、陽が落ちてから里に戻った。本当は明るいうちに戻った方が良かったんだろうけど、里の人たちに姿を見られると少し面倒だ。俺が石を投げられたりしたらカゲロウさんに余計な心配をかけることになるし、何よりカゲロウさんが巻き込まれたら、俺は冷静ではいられないだろう。
     今は二人、離れの縁側に並んで座っている。カゲロウさんの身体が冷えてしまわないように毛布で包んで、身を寄せ合って、夜空にぽっかりと浮かぶ満月を眺めている。少し霞んでいるけれど、大きくてまん丸な月だ。綺麗な月ですねぇ、と隣に座ったカゲロウさんに言えば、カゲロウさんはゆっくりと頷く。そして、少し間を置いて。
    「月が綺麗ですね、という言葉を、このように訳す地域があることを御存知ですかな」
    「月が綺麗ですね、を? 何て訳すんですか?」
    「あなたを、愛しています」
     ぱちぱち、俺は、瞬きを二つ、三つ。カゲロウさんの顔を見ると、カゲロウさんも俺の顔を見ていた。
    「……今宵の月は、特別に美しゅうございますな」
    「へへっ……あー! ホント、今日の月はすっげぇ綺麗ですね!」
    「くっふふふ……」
    「あっ、笑ってる! まさか本当に月が綺麗なだけだなんて言いませんよね?」
    「さて、どうでしょうなぁ」
     もー、と笑いながら、カゲロウさんの細い肩を抱き寄せる。軽い身体はあっさり傾いて、俺の腕の中へ。
    「カゲロウさんが俺のこと愛してるって、俺がいっちばん知ってるんですからね」
     だから、俺がこんなになってもずっと、ずっと一緒にいてくれた。愚かなバケモノと罵って、見捨てることだってできたはずなのに。それなのに、お爺ちゃんになるまでずっと一緒にいてくれたんだ。愛しくて、離したくなくて、カゲロウさんの小さな身体をぎゅっと抱き締める。ハンターの俺が見上げるくらい大きな人だったのに、今は俺の腕ですっぽりと抱き込めてしまうくらい。
    離したくない。離れたくない。
     離れたくないよ、カゲロウさん。
    「……セジ殿」
    「はい」
    「それがしは、そろそろいかねばなりませぬ」
    「…………」
    「あの美しい月のように、手の届かぬ場所へ」
     なんでだよ。離れたくないって言ってるのに。なんでそんなこと、今言うの。
    「セジ殿」
     ざわり、やや強く吹いた風が、桜の花びらを吹雪のように舞い上がらせる。
    「だったら、俺も一緒につれていってくださいよ」
     カゲロウさんを抱き締めたまま、無理に明るい声を作って。でも、最後の方は震えてしまった。腕も、今は搔き抱くように力が籠って。これじゃあカゲロウさんが痛がるかもしれないのに。だけど、離したくない。離れたくない。いかないで。俺もつれていって。
     カゲロウさんは、何も言わない。


     ふと気がつくと、桜吹雪の中に立っていた。空は明るく、青く澄んでいて、暖かい風に吹かれた薄紅色の花びらが、雪のように舞っている。それで気づいた。ここは、昼間にカゲロウさんと一緒に来た桜が見える丘の上だ。不思議だな、さっきまで離れの縁側にいたはずなのに。
     そういえば、カゲロウさんはどこだろう。辺りを見渡すと、少し離れた場所に佇む小さな背中を見つけた。カゲロウさん! 呼べば、俺の方を振り向いて、ゆっくりと近づいてくる。杖も俺の支えもなしに、しっかりとした歩みで。そうして歩くカゲロウさんの姿が、少しずつ背が伸びて昔のそれになっていくのを、俺は呆然と見ていた。俺より大きくなったカゲロウさんは、立ち尽くす俺の頬を両手でそっと包んで、優しく撫でる。セジ殿、と呼ぶ声は嗄れたそれではなく、昔のそれ。
    「あなたを、輪廻の果てへは連れていけませぬ」
     言われて、一瞬何のことか解らなくて、だけどすぐに解った。さっきの、俺の願いに対する答え。
     これが、カゲロウさんの、答えなんだ。
     俺は、これを受け入れなきゃならない。だってこんな風になったのは、全部全部俺のせいなんだから。俺が馬鹿だから。俺が一人で突っ走ったから。だから、頷いた。今の俺は、うまく笑えているのかな。
    「それがしは、貴方を愚かだと言いました」
     うん。
    「ですが。ですが、それ以上に、本当に、心の底から、嬉しかった。それがしのためにさだめを曲げ、その身を、その命を捧げてくれたことが、嬉しかった」
     …………。
    「それがしは、この世で一番の幸せ者でございました」
     カゲロウさん。
    「あなたを、お待ちしております。どれだけ時がかかってもいい。橋の袂で、お待ちしております。」
     待ってるなんて言わないで、俺のことも連れていってよ。どうして一緒にいけないの。どうして。俺カゲロウさんと一緒がいい。一緒じゃないと嫌だ。いかないで。いかないでください。
     ざわざわと、風が吹き抜ける。薄紅色の嵐が、カゲロウさんの姿を霞ませていく。手を伸ばしても、どんなに伸ばしても、カゲロウさんに届くことはなかった。


     ふわりと、何かに頰を撫でられたような気がした。
     うっすら目を開くと、畳の上に桜がひとひら、落ちている。これが頬を掠めたのかもしれない。
     ここは、離れの縁側だ。外はもう、明るくなり始めていた。東の空が白んでいる。ややもせず座敷に朝陽が射し込みだして、ああ、昨夜は月見をした後ここで寝入ってしまったのだな、と思う。
     薄紅色のひとひらを、ぼんやりと見る。浮かんでくるのは、先ほどまで見ていた夢のこと。そうだ。夢を見ていた。カゲロウさんと、桜吹雪の中にいる夢。カゲロウさんが、俺から離れていく夢───
    「……カゲロウさん……!」
     そうだ、カゲロウさんは。顔を上げると、少し離れた場所にある文机に、崩れるようにして伏せている小さな背中。俺は転がるように駆け寄って、その肩を支える。カゲロウさん。カゲロウさん。起きて。
    「カゲロウさん! カゲロウさん……ッ!」
     抱き締めた身体は、冷たかった。


     カゲロウさんが亡くなったことは、すぐにヒノエねえちゃんたちに伝えに行った。ねえちゃんたちは、カゲロウさんの葬儀の世話を快く引き受けてくれた。
     俺と違って、カゲロウさんには多少なりと商人時代の仲間がいたから、数は多くはないけれど、お別れに来てくれた人たちはいた。俺がいるとみんな嫌がるから、俺はカゲロウさんの葬儀には出ず、その日は最後に二人で行った丘の上でぼんやり夜まで過ごした。俺が知らない間に荼毘に付されたカゲロウさんは、小さな骨壺になって俺の所に帰ってきた。
     俺は、カゲロウさんの遺骨をねえちゃんたちに託した。こんな誰も来ない風呂屋の庭じゃなくて、里の墓地にきちんと建ててやってほしいからって、離れに残ってた金も渡して。オトモたちの墓も同じだ。墓地に移したところでほとんど無縁仏みたいなものだろうけど、ここにあるよりはいい。ねえちゃんたちは最初、カゲロウさんと少しでも近くにいられた方がいいんじゃないかって言ってくれた。でも、これでよかった。カゲロウさんは、もうここにはいない。手の届かない所へ行くって、言ってたから。
     カゲロウさんがいなくなって、独りぼっちになった離れの座敷は、妙にガランとして広く感じた。縁側に座る、あの小さな背中はもうなくて、はらはらと舞う桜の花びらも、鮮やかだった庭の野菜も、今は色褪せて見える。そんな灰色の景色の中でも、カゲロウさんが使っていたもの、カゲロウさんの記憶、カゲロウさんのにおい───ここには全部残っている。目に入ると寂しくなるから、少しずつでも片づけておこうと古い帳簿類を手に取った。何冊かずつ束ねて、麻紐で縛ってまとめていく。そうしているうちに見つけた、「カムラの里の『猛き炎』」。何冊も、何冊も、こんなに何を書いたんだろうってぐらい。こんなにたくさん書いてくれたのに、もう誰も見ることはない。たくさんあるうちの一冊を手に取って、表紙に手をかけて、でも、開かなかった。開けなかった。ここにはきっと、カゲロウさんとの思い出がたくさん詰まっている。でも、それは『猛き炎』とカゲロウさんとの思い出だ。『猛き炎』どころか、人間だとも思われなくなった俺が覗き見るなんて。もう、手に取ることもないだろうと、いっとう深い箱の一番奥に全部仕舞った。押し入れの隅に押し込んで、もう、これでいい。
    「ごめん、カゲロウさん」
     これで、いいんだ。
    「カゲロウさん、ごめん。俺がこんな身体に、バケモノになっちまったせいで、せっかく書いてくれた本、誰にも見せられなくなった。ごめん。俺のためなのに。みんなが俺のこと忘れないように、俺のために書いてくれたのに。俺のせいで、みんな駄目になった」
     今さら謝ったって、聞こえやしない。だってカゲロウさんは、もうここにはいないんだから。
     閉じた押し入れの前に座って、この時俺は初めて、カゲロウさんの死を悼んで泣いた。

        ◆

     長らくカムラの里を拠点としていた竜人の行商人が世を去ってから、幾日か経ったある夜。
     里の外れにある、その商人が暮らしていた家から火の手が上がった。誰にも気づかれず生まれた炎はあっという間に家屋に回り、同じ敷地の中にあった古い銭湯の建屋と共に焼いてしまった。朝になり、里の人々が火災を知った時には、夜半の大雨で濡れた黒焦げの瓦礫が燻るばかりであった。
    「やれやれ、カゲロウの旦那が死んじまって、立て続けにこれとはなぁ」
    「ひでぇモンだ。雷でも落ちたのかねぇ」
     里の男衆たちが、後片づけに来ている。この家には竜人の商人と共に、一人の青年が暮らしていたのだが、遺体は見つからず、忽然と姿を消していた。
    「あのバケモノ、片づけにくらいしていけってんだよなぁ」
    「ハハハ、無理無理。ありゃ狐狸か魍魎の類さ。家主が死んで化かす相手がいなくなったから、暇になってずらかったんだろうよ」
    「確かにカゲロウの旦那もだいぶ歳だったしなぁ……呆けて騙されてたのかもしれねぇな」
     男の一人がそう軽口を叩けば、他の男衆も声を上げて笑った。そんな賑やかな声を聞きつけてか、通りで遊んでいた里の子らが焼け跡を覗きにやって来る。
    「すげぇ、本当に焼けちまってら」
    「バケモノが火を着けたんだ!」
    「見ろよあそこ、なんか残ってるぞ!」
     子供たちも焼け跡が気になるらしく、男衆を手伝うのもそこそこに、焼け残って散乱するものに興味を示し始める。
    「これ、何だろ?」
    「開けてみようぜ。バケモノに食われた人の骨と皮が入ってるかも……!」
    「こーらおめぇらァ!手伝わねぇならあぶねぇからあっち行ってろ!」
     子供らの、はーい、という元気な返事が往来に響く。カムラの里は、昨日も、今日も、そして明日からも変わることはない。そうして続く平和な日常の中で、あるひとつの日常が声も出さずに消えたことなど、やがて里の誰もが忘れ去っていく。

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