セミ達がミンミンミンジージージーとひと夏の儚い叫び声を上げている、8月も半ばのとある日。共にアキバに行く予定だった友人が夏風邪を引いたらしく、遊ぶ予定が一つドタキャンされてしまった俺は全身で「暇」をアピールするようにゴロゴロと棺桶の上で動く。隣の作業部屋からはうーんとかあーとか、唸り声にも似た声が漏れ出てきていた。声の主である相棒の狼男はと言うと、こんな絶好の遊び日和にですら真面目に創作に打ち込んでいるらしい。クリエイターとしてはこの上ない優等生ではあるが、それはそれとしてこんな外に出て踊り出したくなるような日まで作業を続けられると友人としては多少心配になる。なかなか根詰めてるようだし、無理してなければいいんだが。なんて考えながら棺桶の上でゴロゴロしていると、勢いよく部屋のドアが開いた。目をやるとドアを開けたのはまさに今気にかけていた相棒だった。いや今家には俺とジョーさんしかいないからそりゃそうなんだけど。
「コーサカ」
「どしたの」
「どっか遊び行こう」
…真面目な彼とはいえ、この最高の天気の元ではやはり遊びたい気持ちが溢れてきたようだ。俺はにやりと微笑んで、どこ行きたい?と返しつつ勢いよく身体を起こした。
っぱ夏は海だよな!!とタンスの奥からおもむろに水着を引っ張り出す俺を見たジョーさんは、「今から海行くの!?」なんて言いつつも浮き輪とビーチボールを既に手に持っていた。ノリノリじゃねぇか。
一年ぶりに着る水着は特有の不思議な肌触りで、今から海に行くんだというワクワク感を更に増幅させてくれる。その上からTシャツを被り、膨らませた浮き輪とビーチボールを抱えた海専用の完璧な装備。客観的に見ると、俺たちは海に行くのが楽しみすぎてフル装備ではしゃいでいるニーチャンという感じだろうか。ジョーさんはこれで電車乗るの…?と少し恥ずかしそうだが、この時間帯の電車ならそこまで混んでもいないだろうし大丈夫だろう。
海沿いの駅で電車を降り、少し歩くと潮の香りのする風が吹いてきた。道路にジャリ、という砂の感覚が増え、また周りにも海に行くであろう集団が何組か見えてくる。言葉にはしないけれど目に見えてジョーさんもわくわくしている。俺ももちろん。
駐車場になっているコンクリートの地面を抜けると、目の前は真っ白な砂浜、そして真っ青な海でいっぱいになる。目に映る砂浜、海、空、雲の全てが鮮やかな青と白で造形されている。めちゃくちゃ綺麗だ、思わずこのまま海に入ってしまいたくなるくらい。ふと見ると、やはりジョーさんもうずうずしているようだった。今にも飛び出していきそうな相棒を抑えつつ、まずは海の家に足を向けた。
ロッカーに荷物を預け、Tシャツを脱いで泳ぐのにもう何の準備も必要なくなった俺たちにもはや言葉は要らなかった。顔を見合わせ、二人同時に海へ飛び込む。やはり最初は少し冷たく感じるが、夏の暑さで今にも溶け出しそうな俺たちにはちょうどいいのかもしれない。
ジョーさん、と隣で楽しそうに犬かきをする相棒に声をかけた。ジョーさんはというとん?と間抜けな表情をしている。俺は宣戦布告のようにニヤリとして提案した。
「どっちがブイまで早くたどり着くか競争しね?」
「いいよ。負けた方アイス奢りね」
とこちらも挑発的な笑みを浮かべたジョーさんは、勢いよく水平線に向かって泳ぎ始める。思いっきり出遅れた俺は慌てて呼吸をして海に顔をつけた。
「すいませーんアイス二つください」
競泳対決であっけなくジョーさんに負けた俺は、海の家でジョーさんの分と自分の分のアイスを頼んでいた。スタートダッシュは出遅れたとはいえ、先にブイのところで待っていたジョーさんに「往復ね!」と無理やり追加ルールを加え、更には泳いでるジョーさんにしがみついたりまでしたんだが、つよつよフィジカルを持つ狼男に勝とうとするのはさすがに無謀だったらしい。店のおじさんから渡されたアイス二つを両手に握った俺は、日除けのあるスペースで座っているジョーさんにその片方を渡した。
「はい」
「ほんとに買ってきてくれるんだ、ありがと」
「いやお前俺を誰だと思ってんだ、約束は守る男だぞ」
「たしかにふぉーさか、ふぉれはふぉうかもね」
「いや話してるのにめっちゃ食ってんじゃん…」
「だって溶けちゃうよ」
見ると、真夏の太陽のせいで俺たちのアイスはみるみるうちに液体へと姿を変えようとしていた。ジョーさんは慌てて上からかぶりついて、かと思えば一気に食べすぎたせいで冷たかったのかキュッと目をつぶっている。バカだ。俺は溶けているところを順番にそっと食べていく。周りの零れそうなところをある程度食べた時には俺のアイスは完璧なバランスで立つ芸術品と化していた。これでしばらくは慌てて食べずとも大丈夫だろう。視線を感じて目を向けると、ジョーさんが「そんな食べ方が…?!」とでも言いたげにこちらを見ていた。やはりバカだ。
泳いだり、貝殻なんか探したり、よくわからない海藻を集めたり、砂浜に互いを埋めたり、城を作ったり。楽しい時間はあっという間なんてのは本当にその通りで、気づけば夕日が海に差し掛かる頃になっていた。真っ青だった空は今ではオレンジ色で、夕日の反射した海はなんとも言えない美しい色合いになっている。たっぷり体を動かして遊んだ俺たちもある程度ヘトヘトで、明日もあるしそろそろ帰らなくちゃいけないということを二人とも分かっていた。分かっていたけれど、すごく楽しい時間っていうのはやっぱりどうしても終わらせたくなくて、だからお互いに「帰ろう」が言い出せずに、そのまま時間が流れていった。
夕日のオレンジよりも紺色の空の方が大きくなった頃、ジョーさんが口を開いた。
「俺さぁ、最近めちゃくちゃ疲れてたんだよね」
「知ってる。作業もどうも微妙…って感じだったでしょ」
「だよね、コーサカにはバレてると思ってた。…だから今日海連れてきてくれたの?」
「…いや?俺が行きたかったからだけど。そもそも俺が他人のこと気にしてわざわざ休日潰すほど優しい人間、いや人間じゃねぇけどまあそんな風に見えるか?生憎そんな暇人じゃねーんだよ」
俺の話を聞いているのかいないのかよく分からないあほな面をしたアンジョーは「でも」と続ける。
「でも、俺コーサカにいっぱい助けられてるけどね」
君の休日どころじゃないいろんなもの犠牲にして助けられたこと、何回もあるけど。とアンジョーは微笑む。まるで、本当に俺に心底救われたんだよ、とでも言うように。
「……は、俺もしかしたら案外お節介なのかもな」
「そうだよ、君結構お節介だから。自分で気づいてなかった?」
友達みんな知ってるよ、なんて笑う相棒の顔になんだかムカついてくる。思わず返す声がでかくなった。
「うるせ〜〜〜〜〜てかそもそも今日はお前から遊び行くぞって声掛けたんじゃねぇか!もう忘れたのかこの狼脳が」
俺の照れ隠しにも似た荒い言葉にも、この頭の弱い狼男はあははと軽く返してくる。
「でもありがとね、また助けて貰っちゃったのかも」
「…別に助けた気は特にねぇけど」
嘘ではない。ただ遊ぶ予定がなくなって暇だったからお前を連れて海に来た、それだけ。
「でも俺いつも助かってるよ、いつもありがと」
「…うっせ」
謎の恥ずかしさで相棒の顔を見れなくなった俺は、隣でニコニコしているジョーさんを置いてコインシャワーへと向かった。
コインシャワーから出た頃、ジョーさんがようやく替えの下着を忘れてきたことに気づいたのはまた別のお話。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
窓から差し込む、夏特有の異様に強い日の光が邪魔で画面が見づらい。世間は夏休み真っ盛りで、まだ昼間だというのに子供や親子の楽しそうな声が耳に届く。俺はというと、楽しそうな世間から切り離された作業部屋で今日も音楽関係の作業に勤しんでいた。相棒の吸血鬼は、友人と遊びに行く予定がドタキャンされたとかで寝室でゴロゴロと過ごしている。他人と遊ぶのが大好きな彼のことだ、きっと今すぐにでもお天道様のもとへ飛び出したいとでも思っているのだろう。一般的な人が聞いたら本当に吸血鬼なのかと驚きそうな話だ。太陽を克服し、さらに遊ぶのも大好きな彼は今日もアキバに行く予定だったとかなんとか言っていた気がする。
………そんなことを考えていたら、自分まで外に出たくなってきてしまった。折角の夏なのに全く外に出ず、作業部屋で延々と作業を続けることに急に嫌気がさしてきた俺は勢いよく椅子から立ち上がる。
コーサカのいる部屋のドアをものすごい勢いで開け、(恐らく俺のあまりの勢いに)唖然としている相棒に「どっか遊び行こう」と声をかける。彼は一瞬驚いたものの、やはり遊びに行きたかったのだろうか、「待ってました」と言わんばかりににやりと微笑んだ。
っぱ夏は海だよな!!とすでに楽しそうなコーサカ。もう昼なのに今から海まで行くの!?とは思ったものの、やっぱり一年ぶりの海は楽しみではある。ビーチボールや浮き輪を抱えていると、コーサカが怪訝そうにこちらを見てくる。なんだよ。俺だって楽しみなんだよ。コーサカだってワクワクしてるくせに。
水着の上からTシャツという、海に行く時にしかしないような恰好に着替える。コーサカがパンツ忘れんなよ~と声をかけてくれたが、正直なところ完璧に頭から抜け落ちていたので助かった。下着をワンセット鞄に入れようとした時、ちょうどコーサカが俺を呼んだ。どうやら水着で、さらに浮き輪やボールをそのまま抱えて電車に乗る気らしい。正直、海が楽しみで仕方ない子供のように見えてしまうのではいか…とちょっと恥ずかしい。けれど、コーサカが「今の時間帯なら電車すいてると思うし大丈夫だろ」と言うから、俺も一緒にこの格好のまま外に出ることにした。
海岸の最寄り駅につく。ホームに降りれば、すでに潮の香りをかすかに感じる。人の流れに合わせて少し歩けば海に近づいてきたようで、コーサカも潮の香りに気付いたらしい。それだけじゃなく、周りの人達の中にも、恐らく水着を着たままの人や浮き輪を抱えた人、ビーチサンダルで歩く人なんかが混じっている。誰も彼も夏休み特有の、そして海へ行くことへのワクワクが溢れ出ている。多分、ほかの人から見たら俺たちもきっとそうなんだろう。…隣にいるコーサカも、例に漏れず口角が上がっている。
コンクリートの道を抜ければ、一気には美しい海が視界へ飛び込んできた。夏の太陽に反射して輝く美しい海、カラフルなテントやパラソルがぽつぽつと見える砂浜、そのどれもが1年ぶりに味わうものだ。思わず海に飛び込みそうになるけれど、コーサカに抑制される。そうだった、まだ荷物も持ったままだった。高揚する心臓を抑えて海の家に向かう。
Tシャツを脱ぎ、水着だけになった俺たちを邪魔するものはもはや何もない。顔を見合わせ、二人同時に海へ飛び込む。全身に感じる冷たさと浮力、足元の砂。一年ぶりの海の感触は、まぎれもなく「最高」だった。
コーサカが俺を呼ぶ。俺が返事をすると、彼はにやりと微笑んで提案をした。
「どっちがブイまで早くたどり着くか競争しね?」
どう考えても楽しそうな提案に、俺も挑発的な笑みを返す。
「いいよ。負けた方アイス奢りね」
コーサカの返事を待たず、俺は水平線に向かって勢いよく泳ぎだした。
海の家でコーサカを待つ。
競争は、なんと俺の圧勝だった。泳いでる途中にちょっかいかけられたりはしたけど、なんだかんだ俺のほうが体力があったり運動慣れしていたらしい。そのコーサカはというと、海の家のご飯屋さんで俺の分もアイスを買いに行ってくれている。負けた方の奢り、なんて勢いで言ったのにマジで買ってきてくれるとは。帰ってきて俺にはい、とアイスを手渡してくるコーサカに話しかける。
「ほんとに買ってきてくれるんだ、ありがと」
「いやお前俺を誰だと思ってんだ、約束は守る男だぞ」
「たしかにふぉーさか、ふぉれはふぉうかもね」
アイスを頬張りながら話した俺の声は多少間抜けだったようで、コーサカは呆れたような顔をする。
「いや話してるのにめっちゃ食ってんじゃん…」
仕方ないだろう。いくら屋根のある海の家とはいえ、炎天下の中ではアイスはすぐ溶けてしまう。表面から溶けていくアイスがこぼれそうで、俺はうずまきのソフトのてっぺんから一口でかぶりついた。一気に冷たいものを食べたせいか、口がものすごく冷たい。あまりの冷たさに目をつぶると、またもコーサカは呆れたような顔でこちらをじとーっと見てくる。バカか…とでも言いたげな顔をした後、コーサカは溶けかけている部分だけをそっと食べていく。みるみるうちにコーサカのアイスは、美しいバランスで立つアイスのタワーへと姿を変えた。この吸血鬼はアイスを食べるのまでうまいなぁと感心していると、やはりまた、こいつはバカだ…とでも言いたげな視線を向けられた。
その後は海藻や貝なんかを集めて、それから砂で城を作ったり、そのまま砂浜にお互いを埋めあったり。もちろんもっと泳いだりもして、気づいたら空は夕方のオレンジに染まっていた。周りにいたはずの家族連れやカップルは減っていて、見渡せばぽつりぽつりと人が見える程度になっている。俺も久しぶりにいっぱい遊んだし、多分コーサカもかなりヘトヘトだ。だけど、なんでかは分からないけれど、お互いに「そろそろ帰ろう」が口に出せなかった。
二人でオレンジに輝く海を眺めてしばらくたった頃、俺はようやく口を開いた。
「俺さぁ、最近めちゃくちゃ疲れてたんだよね」
コーサカは何を今更、とでも言いたげに「知ってる」と返してくれる。
「作業もどうも微妙…って感じだったでしょ」
「だよね、コーサカにはバレてると思ってた」
コーサカは誰よりも俺と近くにいるし、コミュニケーションも上手だから気づいてると思ってた。…もしかしたらだけど、今日もそんな俺を気にして出かけようと言ってくれたんだろうか。もしかしたら、俺が調子悪いのを知っていて。
再び、口を開く。
「…だから、今日海連れてきてくれたの?」
コーサカが一瞬口ごもったような気がした。
「…いや?俺が行きたかったからだけど。」
俺の感じた違和感をかき消すように、勢いよくコーサカは話し続ける。
「そもそも俺が他人のこと気にしてわざわざ休日潰す程優しい人間、いや人間じゃねぇけどまぁそんな風に見えるか?生憎そんな暇人じゃねーんだよ」
何かが気に障ったのか一気にまくし立ててくる吸血鬼に、俺は「でも」と続けた。
「でも、俺コーサカにいっぱい助けられてるけどね。君の休日どころじゃないいろんなもの犠牲にして助けられたこと、何回もあるけど」
コーサカは俺の言葉にかなり驚いたようだった。もしかしたら、この吸血鬼は自分がとても優しいことに気付いていなかったのかもしれない。
「……は、俺もしかしたら案外お節介なのかもな」
「そうだよ,君結構お節介だから。自分で気づいてなかった?」
多分、友達もみんな知ってるのに。君だって察しが悪いわけでもないのに。本気で気づいていなかったのか。結構コーサカも抜けてるところあるじゃん。自分と違ってしっかりしている、と言われがちな彼の抜けているところを見たせいか、不思議と笑いが出てきてしまう。耐えきれずくすくすと笑うと、どうやら彼をイラっとさせたらしくコーサカはものすごくデカい声を出す。
「うるせ~~~~~てかそもそも今日はお前から遊び行くぞって声掛けたんじゃねぇか!もう忘れたのかこの狼脳が」
いつものように強い言葉を使われたけれど、今日はどこか八つ当たりのような感じがしてむしろ微笑ましい。やはり不思議と笑い声が漏れ出てくる。ひとしきり笑ったあと、また言葉を続ける。
「でもありがとね、また助けてもらっちゃったのかも」
今日だって事実、作業の息抜きになった。明日からはまたしっかりと仕事を進めることが出来そうだし、何より俺が元気になったから。
「…別に助けた気はねぇけど」
「でも俺いつも助かってるよ」
これは間違いない俺の本音だ。なんか照れてるからおちょくってやろうという気持ちもなくもないけれど、本当にいつも助けられている。
改めてありがとう、と口にすると、隣の吸血鬼は「…うっせ」とそっぽを向く。俺がニコニコしているとコーサカは勢いよく立ち上がってコインシャワーへと向かった。…多分、照れているんだろうなと思う。
置いて行かれるわけにもいかないので、俺も慌ててシャワーへと向かった。
この3分後俺は、下着の替えを家に置き忘れたことに気付くのだった。