小さな恋の冒険譚 第一話『入団試験』魔導書を三番目の姉が作ってくれたポーチにしまっていると、一番歳の近い兄がハンカチを差し出してきた。
「ほら、これも」
「ありがと…」
「途中で食べるサンドイッチも、持ってきなさいよ?」
二番目の姉が大きめの皮袋を持たせてくる。
「財布とか入ってるからね、ご飯食べてる時とかに忘れてくんじゃないよ」
「だ、大丈夫だよ…」
「そう言って、この間森の中に魔導書忘れてきたドジは誰だったかな〜?」
後ろから忍び寄ってきた四番目の兄がわしゃわしゃと柳色の髪を撫でてきた。
「やめなさいよ、折角私が梳かしたのに」
長女がやって来て、崩れた髪を直してくれた。
「早く行かないとまた悪戯されるわよ?」
「わ、わかったよ…行ってきます…!」
九人の兄と姉に見送られて家の外に出て、町を歩いていく。
町の外に繋がる石橋に、長男が待っていた。
「…エン」
「兄さん…」
長男はエンに歩み寄ると、しゃがんでその両肩を力強く掴んだ。
「お前は家族の中で一番魔法の才能に溢れてる。だからこの道を選んだ。私達はそれをよく分かっているつもりだよ。だけど、無理だけはしないようにね…」
「うん……」
「不合格でもまた来年受ければいいさ。さぁ、行くんだ」
「……行ってきます!」
家族全員の期待を背負って、エンは王都への道を歩みだした。
長い道中、少し休もうと木陰に入った時、上に気配がして首を上に動かすと、燃えるような赤毛の少年と目が合った。
「なんだテメェ」
「えっ、あ……エン・リンガードです…」
少し古い外套を翻して木から飛び降り、少年は「素直か」とツッコむ。
「まぁ、名乗られたんじゃ俺も名乗っとくのが礼儀か。俺はゾラ・イデアーレ…魔法騎士の入団試験に行くとこさ」
「私と、一緒だね」
「そうかよ。でも俺は一人で行くぜ」
「危ないと思うけど…」
と、エンが注意した時だ。
草陰を押し分けて、大きな熊が現れたではないか。
熊はゾラを見るなり襲ってきたが、ゾラは慌てた顔をしつつも灰の目眩しをかける。
だがそれはあまり続かず、熊は鋭い爪を振り上げてきた。
「しくった…!」
死を覚悟したその時、エンがその手を引いて、二足歩行のキノコに乗せた。
キノコは熊の脇を走り抜けると、そのまま走り続けた。
「助かったな……テメェの魔法か?」
「うん。走るキノコ君って言うんだ」
エンの紹介と共にカッコつけたポーズを取る走るキノコ君。
「菌魔法…見た目は変だけど、多分凄い魔法だと思うんだ。君のは?」
「俺か?」
ゾラは魔導書を取り出そうとしたが、直ぐにその手をひっこめた。
「…いや、やっぱ教えねぇ。一応はライバルだからな。手の内を明かしたんじゃ対策されちまう」
「試験の内容知ってるの?」
「それはどうかな?まぁいい、助かったぜ。礼はまた会った時に返してやるよ」
ゾラは言い終わると、スタスタと歩き去った。
魔力を大幅に消費してしまったエンは、その背中が見えなくなるまで見送ると、近くの岩の上に座って休息をとった。
無事に王都に辿り着くと、試験という事で盛り上がっている街を、色んなものに目移りしながら歩いていると人にぶつかってしまった。
「ご…ごめんなさい…」
青柳の髪に黄色の吊り目の少年に謝ったが、彼は謝り返すどころか、強い言葉で侮蔑の目を向けてきた。
「邪魔だ、退け。…これだから、平民は……」
その言葉が胸を裂き、俯くエン。
少年は構うことなく、早足で去っていった。
「ちょっと、浮かれてたかな……」
あれだけ自信に満ちていたのに、その自信が涙になって零れそうになる。
あの少年の魔力…貴族の魔力。
平民の自分とは全くもって格が違う魔力に心が折れそうになる。
だが、前に進まなければならない。
家族が信じてくれているのだから。
丸眼鏡をずらして涙を袖で拭うと、再び歩みだした。周りに注意しながら。
会場に着くと、沢山の受験者が居て、その中に先程の少年がいたので無意識に遠ざかり、壁際にいく。
「よォ、無事に着いたんだな」
「ゾラくん……!」
知り合いに会えて安堵していると、何やらヒソヒソと声が聞こえてくる。
「なぁ、あの赤毛…」
「知ってる。紫苑の鯱の下民の息子だろ?」
「だよな、息子まで来たのかよ…」
陰口にムッとしたエンだが、ゾラは気にしてないようだ。
「下民でも手柄立ててるってのが信じられねぇって奴はわんさかいるんだよ」
「だけど…悔しくないのかい?」
「全然。……それに、この程度気にしてたら父さんみたいにはなれねぇよ」
真剣な横顔で言った言葉が少し気になったが、それを聞く前に、会場の上部の席に団長達が並んだ。
紅蓮の獅子王団長、フエゴレオン・ヴァーミリオンの話を聞き終わり、第一試験が始まった。
自分の前に降りてきた箒を不安げに握り締める。
「…箒、苦手なんだよなぁ」
昔からよく箒から落ちていたのを思い出すが、三番目の兄がコツを教えてくれたのも脳裏に浮かび、箒に跨って臍の辺りに力を入れた。
そうすればゆっくりと上がっていき、何とか浮くことに成功したが、そこで油断してしまって落ちてしまった。
「うぅ……やっぱり、走るキノコ君がいいよ…」
自分よりも高く浮いているゾラや、あの貴族の少年を見上げて、ため息をひとつ、ついた。
最後の試験になった時、エンはゾラを誘おうと思ったが、ゾラは別の受験者に声をかけられた後であった。
「落ち込むなよ、寧ろラッキーだと思え。俺はテメェの手の内知ってるんだからな」
「そうだけど…はぁ……誰と組んだらいいのかな…」
相手を探すため、また、エンは会場をうろつき始めたが、すぐに誰かにぶつかった。
「また貴様か」
「あっ、さっきの……」
黄色の吊り目を更に吊り上がらせて、少年は言った。
「身の程を知らんようだな。思い知らせてやろう…!」
「えっ、あ…よ、よろしくお願いします……」
形としては良くないが、相手が見つかって、エンは少し安堵した。
簡易的な罠魔法や目眩しを上手く使って、多少苦戦しながらも、ゾラが下流の貴族相手に勝ったのを見届けた後、エンの出番が回ってきた。
「頑張れよ」
「…うん」
ゾラに背中を押されて、エンは前に出る。
こちらを睨みつける貴族の少年と目が合う。
「名乗っておこう、アレクドラ・サンドラーだ」
「わ、私は…」
エンが名乗り返そうとしたが、試合開始の合図がそこで響き、アレクドラが先制攻撃を仕掛けてきた。
「砂魔法・圧殺の砂塊!」
上空から降ってくる巨大な砂の塊に驚きはしたが、エンはすぐに走るキノコ君を出してそれで避けるが、砂の塊は連続して降ってくる。
「逃げてばかりのその姿、平民らしいな!」
「(どうしよう、全然近づけないし、胞子も砂が落ちる衝撃で飛ばされてしまう…)」
考えながら逃げていると、上から降っていた砂の塊が小さくなり、今度は右から来て、受けきれずに直撃する。
貴族ゆえの魔力量と技巧がなせる技に、会場中が感心の目をアレクドラに向ける。
砂の中で、エンは拳を握る。
このまま、何も出来ずに負けてしまったらどうしよう。
皆の期待を背負って来たのに。
多分、負けて帰ってきても、笑顔で迎えてくれるとは思う。
だけど、そんなのは…
「嫌だ……!」
髪や肩から砂を落としながら、エンは立ち上がる。
「見た目に合わず、しぶといな」
「そうでもないさ……」
ケホケホと咳き込むエンに容赦なく、アレクドラは魔法を仕掛ける。
「砂拘束魔法・砂の匣!」
エンの足元にあった砂が匣の形になり、四方八方を塞いだ。
しかし、エンはその中で魔導書を開く。
「菌魔法・走るキノコ君……増殖」
匣が歪に膨らんでいき、小型のキノコ君達が溢れ出したではないか。
「なっ、なんだと……」
アレクドラ含め、会場中が驚く。
「仕返しだよ…菌魔法・喋るキノコ君」
赤い傘の小さなキノコがアレクドラの肩に生えて、耳元で「よくもやってくれたなー」と叫んだ。
それにより、アレクドラは思わず耳を抑えて蹲る。
エンは喋るキノコ君を今度は自分の肩に生やした。
「突撃ーーッ」
その号令で小型化した走るキノコ君達がアレクドラに向かっていく。
「小癪な」
激情に駆られるまま、アレクドラは砂の兵士を創り出した。
「砂創成魔法・砂鎧の重装兵」
重装兵の一撃が砂を巻き上げながら、走るキノコ君達を散らしていく。
「これで終わりだ」
振り下ろされる砂の斧。
普通なら怖いだろう。エンもそうだ。
それでも退くことはせず、魔導書を開き、魔力を最後まで振り絞って、重装兵を越える大きさのキノコを生み出した。
会場の城壁を余裕で越える大きさのキノコは仁王立ちし、その巨大な掌で重装兵を潰そうとしたが、触れる直前になって霧散した。
それと共に、魔力切れでエンは倒れてしまった。
エン、よく頑張ったな。
流石は私たちの自慢の弟ね。
救護室_。
「兄さん…姉さん……ん、んぅ…」
ぼんやりとした頭のまま、瞼を開けると、スラリとした長身の黒髪の男が側に立っていた。
「やっと、目覚めたか」
そう言うや否や、エンの手を引き、ベッドから下ろして何処かに連れていく。
「あの…!私は……」
「合格だ」
「え……?」
暗い廊下で立ち止まり、男は翠緑のローブを翻して振り向いた。
「テメェは裂きがいがありそうだから、俺の団に入れてやる。キビキビ働けよ」
夕陽が逆光になり、男の表情を影に隠しても、不思議と期待の眼差しを向けられていることが分かって、エンは大きく頷いた。
「これから…お願いします!」