「知り合いをみかけた。声をかけてくる」
長くなる影を引きずるように土埃の中を歩く俺はキラウシの声を背で受け止めた。
すぼめていた首を持ち上げ声の方へ振り向くも、男は俺の側には既にいなかった。キョロキョロと姿を追っていると、木に囲まれた古いお稲荷さんに吸い込まれるように入っていく姿が見えた。昼間は畏怖など全く感じない空間なのだが、傾いた日の下ではおぞましく気味が悪い。
アイヌの男がこんなところに何の用があるのだ。朱色の塗料がところどころ剥がれた小さな鳥居の影から中を覗くと、女がいた。女は二十歳を少し過ぎた若い小柄な女で、仕立てのよい絣の着物に前掛けをしている。苔生した石の祠の前で、子守歌を小声で口ずさみながら子を肩に担ぐように抱き左右に揺れている。幼い子は寝息を立てているが、泣いていたのかまあるい頬に涙の痕が見える。
キラウシが女の近くへと歩み寄る。女は口角を少しあげると
「お呼び止めしてしまってごめんなさい。お久しぶりだったもので」
静かな声で言った。
「いや」
キラウシが応える。女の腕の中へ目線は注がれている。キラウシの目線に気づいて
「さっきまで起きていたのですよ。泣き疲れたみたい」
ふふふっと女が笑う。
沈黙が落ちる。子のふくふくとした頬をキラウシがゆっくりと右手で撫でる。
男の顔は薄暗い光が遮られた影に隠れ読み取ることができない。
そのあと一言二言交わすと、女はキラウシへ会釈をすると鳥居をくぐり俺に背を向けたまま人の多い往来へと消えていった。
キラウシは踵を返し、鳥居の影にいた俺の存在を認めると「先に帰っててよかったぞ」と、いつもの仏頂面で帰路へと足を進める。
かすかな緊張感に耐えきれず、「親子みたいで、親密な雰囲気だったな」とおどけてみせる。
ぽつりと、漁村でニシン漁に出稼ぎに行った時、戦死した夫に似ているからとあの人にに泣いてせがまれたんだ。と落とすように話す。
どこか食えない男だと思っていた。ひょうひょうとし責任感が強く自信満々で。それなのに赤の他人の俺が危機に陥ると取り乱したり。
九死に一生を得た経験が正常な感覚を惑わしているのか、阿寒湖以来この男とは強い縁を感じている。非日常的なこの集団生活の中で、俺が特にキラウシが気心許せる仲間と自負している。それを芽生え始めた邪心で吹き消す事はできない。
俺がこいつに友情以外の他の愛情を示せない。