ありえない話 朝食の片付けが終わり、昼食の準備開始までの少しの時間。ネロにとっての休息の時間でもある。その時間にキッチンから賑やかな声が聞こえる。珍しいなと思いながら、ファウストは逡巡したがキッチンの扉を開けた。
キッチンに入るとそこにはネロと南の兄弟がいた。ネロがキッチンにいるのはいつものことだが、ルチルとミチルが揃ってここにいるのは珍しい。彼らは作業台を囲んでそれぞれ丸いすに座り、楽しそうに会話しながら作業をしていた。その中心には鍋にいっぱいの栗がある。
「おはよう。邪魔するよ」
「おはようございます、ファウストさん」
「今お目覚めですか?ハーブティーで宜しければ淹れましょうか?」
ファウストが声をかけると、南の兄弟が手を止め顔を上げて歓迎した。素直なこの兄弟は、ファウストが起きてきた時間を咎めることなく迎え入れてくれるものだから、ファウストも彼らの手を止めてしまったことに申し訳なさを感じてしまう。
「ありがとう。自分でするから僕の事は気にしないでくれ」
「先生、朝食ならパンとスープが残ってるぜ。あとは……オムレツでも作ろうか?」
「パンとスープだけ頂くよ。手を止めさせてすまない」
「いいよ」
案の定、世話焼きな友人はファウストの朝食をとっておいてくれて、用意まで買って出てくれる。
ネロがスープを温めて直してくれている間、せめて配膳くらいは自分でしようとファウストは作業テーブル脇で待つことにした。
その間にもルチルとミチルは鍋から栗を1つ取り、手元のナイフで栗の固い皮を剥いていく。ルチルは慣れた手付きだが、ミチルの手元を見ているとヒヤヒヤする。手を切らないだろうか。その手付きでやっていたら時間がかかるのではないか。そう思ったら、ファウストは声を掛けていた。
「手伝おうか?」
自分の口から出た言葉にファウスト自身も驚いたが、引っ込める訳にもいかない。それに、その言葉を聞いてミチルもルチルも目を輝かせた。
「え?いいんですか?」
「あ、朝食終わったらでいいなら」
「もちろんです!」
「やったね、ミチル」
「兄様は渋皮まで剥かないように気をつけてください!」
「わかってるよ」
兄弟の微笑ましいやりとりを見守っていると、ファウストの前にスープが入った皿が差し出される。湯気を立てるそれは、玉ねぎや人参などの野菜だけでなく、ウインナーまで入っている。どうやら年上の友人は、ファウストをそっとさり気なく甘やかしてくれるらしい。
「ありがとう」
「どういたしまして。食べ終わったら働いて貰うからお礼兼ねて、な?」
「栗はくれないの?」
「あはは!出来上がったらおやつに出すよ」
ネロとファウストが軽口を叩き合っていると、南の兄弟とファウストは目があった。兄弟はこちらを見て、心なしかキラキラと目を輝かせている。何となく大人として見られてはいけないものを幼い兄弟に見せてしまったような気がして、ファウストはぎこちなく視線を逸らした。
「ネロさんとファウストさんて……!」
「待て待て!違うからな!?」
彼らが何を言おうとしてるのかネロにもファウストにも察しがついた。でも、それを改めて口にされると気恥ずかしいのだ。
「兄弟みたいですねって言おうとしたんですけど……違うのは知ってますよ?」
「え」
何だと思ったんですか?と問いただしてきそうな兄弟のそれぞれの視線に堪えきれず、ファウストはそのままパンとスープを持ってキッチンを出た。ネロをあのまま残して来たのは酷だっただろうか。そう思って、ファウストはネロに心の中で手を合わせた。
三人がおやつに何を作るのか聞いていないけれど、きっと甘いお菓子になるのだろう。ケーキかな?と予想を立てながら食堂の席でパンとスープを戴く。今日もネロの料理は美味しい。ファウストは自然と笑みを溢した。
「お?先生、早かったな」
「ごちそうさま、おいしかったよ」
「皿はそこに置いておいてくれ。こっちの道具片付ける時に一緒に片付けるから」
ファウストはネロの言葉に甘えて皿をシンクに置く。
三人は変わらずお喋りをしながら栗の皮を剥いていた。先程の量から見て半分は進んだろうか。
「ファウストさん、こちらへどうぞ」
「あぁ」
ルチルに隣の席へと促される。そこにはもう既にナイフと殻を入れるボウルが置いてあった。
「先生、そこからだと栗取るのに大変だろ?ほら」
確かにテーブルの角を囲むように座る三人に比べ、ルチルの隣に座ったファウストからは栗が入った鍋に手を伸ばすには一旦立たなければいけない距離だ。
それに気が付いたネロが鍋から栗をボウルに分け、ファウストの前に置く。目の前に置かれた栗と鍋のものを見比べてファウストはネロを呼び止めた。
「え……なんか多くないか?」
「そうか?」
ニッコリと微笑んだネロの目が笑ってない。先ほどの仕返しだろうか。ファウストも逃げて悪かったと思っている分、言い返せなくて
栗の入ったボウルを受け取って黙って席についた。
魔法舎にいる人数分のケーキを作るには、相当な数の栗がいる。栗は冷やしておけばひと月程保存も効くが、皮の有無は問わない。剥いてしまうなら一度でやってしまったほうがいいだろう。
「で、何を作るんだ?」
「まずは、マロングラッセだってさ」
なるほど。それで渋皮を残しているのか。ファウストは納得して栗の尻からナイフを入れた。ネロはファウストの手付きに感心している。
ネロの言い振りから、どうやら今回のメニューの決定権はネロではないらしいとファウストは悟った。
「二人のリクエスト?」
「フィガロ先生のリクエストです!」
「は?」
ミチルの返答を聞いてファウストは手を止めた。確認の意味を込めてネロを見遣る。しかし、ネロは顔を上げさえもせず。知っていて黙ってたなと睨みつけてもネロがファウストと目を合わせることはなかった。
「リクエストした本人はどこへ?」
何に対する怒りなのか、抑えきれないものが腹の底から沸々と煮え滾ってきて、声まで震える。
「レノさんに連れて出して貰いました!フィガロ先生は危険なので」
さも当たり前の事と明るい口調のルチル。しかし「フィガロが危険」というワードの不穏さとは逆の明るさが逆に怖い。
「え?」
「危険って……?」
ネロもこれは知らなかったらしい。年長者の二人が戸惑っていても、口調そのままにルチルはネロとファウストの疑問に答えた。
「フィガロ先生は栗を爆発させたことがあるんです」
「……」
子ども達の前で何をやってるんだ、あいつは。呆れてものも言えないとはこと事だとファウストは思った。
「それ、僕も覚えています。フィガロ先生、魔法で栗を粉々にしちゃって。僕、すごくびっくりしたんです」
「ミチルはまだ小さかったからね。私は楽しかったけど、レノさんは危ないってフィガロ先生を叱ってたました」
カラカラと笑うルチルは楽しそうだが、ファウストはどこからツッコめばいいのか。ネロまで頭を抱えている。
そもそも疑問なのは、あのフィガロが栗の皮を剥くという魔法で失敗するのか、だ。とても考えられない。
ルチルは話しているうちに当時のことを思い出してきたのか、楽しそうに話始めた。
あれは、私が十二、三歳くらいのことだったと思います。近所に住むおばさんが栗を拾ってきたと私達にお裾分けしてくれたんです。
おばさんがフィガロにも届けてほしいと言ったので、ミチルと一緒にフィガロ先生の診療所に届けに行きました。そうしたら、診療所にはレノさんも来ていて。みんなで栗を食べようって事になりました。
「俺がやっておくから、三人で遊んでおいで」
「え?」
「せんせぇは?」
「先生は、栗を食べられるように料理しなきゃ」
フィガロ先生はミチルと私の頭を優しく撫でて笑ってたけど、私はちょっと寂しくなってしまったんです。それはミチルも同じだったようで先生の白衣を握っていました。
「そうだ!みんなでやるのはどうですか?」
いい事を思いついたと思いました。みんなで料理するのもきっと楽しい。そう思って提案したんです。
「え?でも栗の皮剥きにはナイフも使うよ。危ないから」
「ぼく、やりたい」
「うーん、二人が怪我したら先生悲しいし」
「ミチルとルチルは俺とフィガロ先生がナイフを入れて剥きやすくなったものを手で剥く、というのでは駄目ですか?」
レノさんがそう賛同してくれて嬉しかったなぁと今でも覚えてます。それぞれ出来る事をやる。今思えば、南の国ではそうして生活していましたから。
それから四人でフィガロ先生の診療所のキッチンで、栗を囲んで皮剥きを始めました。私はレノさんの隣。ミチルはフィガロ先生の隣に座って。フィガロ先生とレノさんが、ナイフを使って半分くらい皮を剥いて、私達がそれを受け取って実を皮から取り出すって感じでした。ふふっ、楽しかったなぁ。徐々に息が合ってどんどん作業は進みました。残り少しになった時に、たまたま見つけたんです。フィガロ先生が持っていた栗に小さな穴が空いてるのを。
「先生、その栗、穴が空いてますよ」
「え、どこ?」
「栗のおしりのほう。先生の人差し指あたり」
先生はくるりと持っていた栗を回して穴を見つけました。
「あ、本当だ。虫食いだね、これは……」
そうしたら!捨てようと言いかけた先生の目の前に、その穴から虫さんが顔を出したんです!
「あ」
「え?」
その小さな芋虫さんは、そのまま落ちるようにフィガロ先生の手に移りました。逃げようとしたんですね!
でもフィガロ先生は大層驚いたようで。
「《ポッシデオ》!!!!」
あんな大きな声を出す先生、後にも先にもあれが初めてです!それに魔法で栗を爆発させる人を見たのも!母様もしませんでした。
呪文と同時に塵のように粉々に砕け散った栗にビックリした私達は数秒動けませんでした。
「び、びっくりした……」
先生がそう発するまでは。
途端にその場は大騒ぎでした。虫さんはもちろん見当たらないし、私は笑い出すし、ミチルは泣きそうになるし。レノさんは「びっくりしたのはこっちです」って怒ってました。でも私たちに怪我がないのを確認して、剥き終わった栗で料理再開したんです。
あ、作ったのは焼き菓子だったんですけどアレ美味しかったなぁ。
「そうだ!ネロさん、ケーキも作っていいですか?……ってお二人ともどうしたんですか?」
ルチルが話し終わると、ネロもファウストも呆れたような、驚いたような何とも複雑な表情をしていた。
ネロとファウストには当時のフィガロの言動に理由があることはわかった。
三人で遊びに行かせようとしたのは、その間に魔法で調理を済ませてしまおうとしたのだろう。フィガロならそんな手間も時間も掛けずに終わる事。しかし、今の彼は南の魔法使いだ。子ども達の前で複雑で高度な魔法を見せるわけにもいかない。火を起こす、魔法薬を調合する、祝福の魔法をかける……それくらいはしたとしても。人間とそう違わない暮らしぶりをしてきたのだろうから、いくら面倒でも兄弟の前で料理をする時は魔法をあまり使わないできたに違いない。
不可解なのは、あのフィガロが虫にそんなに驚くか?という点だが。まさか虫に手を這われたのが初めてとは言わないだろうな?ファウストはそう考えたが、南の国を開拓してきたフィガロが?と謎が深まるばかりだった。
ミチルもルチルも思い出話はまだまだあるんですよ!と聞かせてくれようとしたが、ネロがうまく話題を逸らして回避した。
ルチルとミチルにしてみれば楽しい思い出話なのだろうが、フィガロの正体を知っている身としては笑っていいのか。笑ったら背後にフィガロが「楽しそうな話をしているね」と言って立つのではないかと冷や汗が流れる思いだ。笑い話だとしても、これは誰にも話せない。ファウストもネロも心の奥にそっとしまう事にした。
この後すぐにフィガロとレノックスが合流する事になるとは知らずに。
おわり