やり直す勇気を その知らせは東の空を照らす朝日と共にルクセンダルク全土に響き渡った。
「正教騎士団三銃士ユウ・ゼネオルシア!ここに邪神を打ち倒した事をご報告いたします!」
決戦の直後だというのに疲れを感じさせない若き騎士の声がそう告げるのを、ジャンとニコライはガテラティオの大聖堂で聞いていた。連絡手段となっているクリスタルの欠片はかなり小さい。そこに映し出されているはずの光景は二人からは見えないが、声の主はきっと身体中に傷を負いながらも晴れ晴れとした顔を見せているだろう。難しい任務をこなした後いつも嬉しそうに笑っていたのと同じように。
「やったんだなあいつ」
大聖堂内に待機していた人々が沸き立つ様子を遠目に見ながらジャンはぽつりと呟く。誰に向けた言葉でもなかったが傍にいたニコライには聞こえたようで小さな頷きが返ってきた。
「ユウ殿ならば必ずやり遂げるとわたくしは信じておりましたよ」
「ま、こんなところでくたばっちまうような奴なら俺たちがここに居るわけねぇもんな」
「ええ、本当の戦いはこれからですから」
ニコライの目線が見つめるのは大聖堂の中、正教も公国も帝国も地位ある者もない者も一緒になって邪神から取り戻した平和に喜ぶ姿。誰もが皆幸せそうなそれが永遠には続かないことをジャン達は知っている。時が経てば一時の協力など忘れたかのように、目先の欲に眩んで他人を平気で蹴落とす人間が出てくるだろう。それでも、この光景が少しでも続くように、当たり前のものとなるように、騎士団と正教を変えていかなくてはならない。それが虐げられてきた自分たちの新たな『復讐』だ。
オレが騎士団を変える——そう決意に満ちた顔で宣言した友に、ジャン達は協力すると約束した。その気持ちは今も変わらない。ユウが望む騎士団の新しい姿を共に追い求めていくつもりだ。たとえユウが望んだままの形で彼の隣に立つことが出来なかったとしても。
「……あいつきっと、また三銃士として活動出来ることを疑いもしねぇんだろうな」
法王アニエスは悲しみを繰り返してはなないと帝国の所業を認め、許しを与えた。ジャンとニコライの二人が今この場に生きて立っているのもそのおかげである。だがそれは帝国の人間として。正教騎士団としての処罰はまた別にあるだろう。裏切り、仲間の殺害、法王誘拐の手引き。考えうるだけでも重罪の数々。極刑とまではいかなくても、騎士団の除名処分は免れまい。
そこまで考えて、少しだけ気落ちしている自分に気が付いた。どうやらユウやニコライと共に三銃士として駆け抜けていた日々を自分は思いの外気に入っていたらしい。あれだけ正教騎士団を恨んで、自分から帝国に付いたというのに。
「貴方を帝国に誘ったのはわたくしです。わたくしが教唆したと宣告すれば貴方だけでも騎士団に残ることが……」
「よせよ、おっさん。騎士団を恨んだのも、帝国側に付くと決めたのも俺自身だ」
きっかけはニコライに誘われたからだったとしても、正教騎士団への恨みはそれ以前から自分が持っていたものだ。誰かに言われたからではない。自分自身の意思で考え決めたことだ。
「それに俺は騎士団を裏切ったのを後悔してる訳じゃないんだぜ。ただ……」
あの無茶で無鉄砲で、でもとても優しくてどこまでも真っ直ぐな友を裏切ることになったのは少しだけ後悔しているのかもしれない。
◆
「……なあ、法王様。そいつはちょいと甘すぎやしねぇか?」
法王アニエス直々に下されたその内容にジャンは不敬であることは承知で顔を歪ませる。結局のところ、ガテラティオ大聖堂の法王の執務室に呼び出されたジャンとニコライに言い渡されたのは3ヶ月の謹慎処分だった。上官を殴り飛ばした訳じゃねえんだぞ、とジャンは内心で毒吐く。
「恐れながらわたくしも同じ気持ちでございます、法王猊下。わたくし達が行ったのは紛れもなく正教騎士団に対する反逆行為。世界のやり直しが起きたとて、一度殺された騎士やその関係者は正教内に多くいます。我々のみが特例を受けるなどできません」
「確かに不満不服は出るでしょう。しかし、今最も優先されるべきは正教ひいては公国の新たな盤石を固めること。貴方がた二人の存在は今の正教騎士団に必要であると私は判断いたしました」
ジャンの鋭い視線にも、ニコライの直訴にも、しかし目の前の法王は怯まない。正教騎士団として仕えていた頃から知っているが、法王アニエスは一見か弱そうに見えて芯の通った強かな女性だった。二年半前の旅の経験が彼女をそうさせたのだろうか。此度の一件で目覚めた”彼”の存在も大きいのかもしれない。
「以前長老派と呼ばれていた者達のことを覚えておりますか?」
そう切り出したのは、アニエスの隣に控えていた筆頭秘書官のシェリー・カーマインだった。
長老派、その存在を忘れる筈がない。正教の深部に根強く残る『膿』そのものであり、ジャンとニコライが正教騎士団からの離反を決意した一因の事件に深く関わっている。
イバラの乱の失敗、魔王墜落によるカームの地の崩壊、そして今回の帝国の侵略と、ユウ・ゼネオルシアを筆頭とする有力貴族達の正教に対する権益の返納。諸々の事情によりその発言力は当時に比べて地に落ちたが、まだ生き残っていたとは。
「打てる杭を見つけたと思ったのでしょう……以前アニエス様の一派であったお二人が帝国の主要幹部だった点を今になって執拗に咎めております」
「それはそうでしょうな……しかしならば、余計にわたくし達を処分するべきでは」
「いいえニコライ。逆です。今彼らの要望を通して仕舞えば、大きな隙を作ることになってしまう。貴方達が去ったとして残った若い騎士達は彼らの底知れぬ悪意には慣れない者ばかり……お二人ならよく知っているでしょう?」
アニエスにそう言われ、頭に浮かんだのはたった一人の親友の姿だった。彼は人を疑うということをしない。それは誇るべき部分だ。直向きな行動に救われた者は数多くいる。しかし、場合によってそれは弱点にもなりうるだろう。
巡教の森で、血に汚れた剣先を向けた時の顔を思い出す。あんな顔、もう二度と見たくはない。
「無論、制約はあります。任務中、お二人の行動を監視する騎士が付きます。実力のある騎士にしか任せられない仕事です」
「ちょっと待て、それって……」
「ええ、邪神の討伐を成功させ、ルクセンダルクを救った実績のある騎士……私より貴方達のほうがよく知ってますよね」
そうして微笑んだ法王は、執務室の閉ざされた扉の向こう側に声をかける。はい、と若い男の声が返すのをジャンは呆然としたまま聞いた。まさか、そう来るとは。
扉を開けて入ってきた男と視線が交わる。翡翠色の瞳が嬉しそうに細められた。悪巧みが成功した時によく浮かべていた表情だった。
「その大任をお引き受けいたします。また、よろしく頼むよ二人とも!」
「……お前に監視が務まるのかよ」
「二人が協力してくれるなら、なんてことないさ」
「どうしてもと言うのならば全てが終わった後に再び審議いたしましょう。もっとも、その時に民が処罰を望むかはわかりませんが」
アニエスは穏やかな笑みを崩さない。色々と理由は上げたが、一番は三銃士の再結成にあったのだろう。
ジャンは隣に立つニコライを見上げた。困ったような表情を浮かべているが、その目は嬉しそうだった。
非難も中傷もあるだろう。夢見たことを簡単に成せるとは思っていない。けれども、一度は諦めたそれを三人でなら成し遂げられるような気がした。率いるリーダーが相当諦めの悪い男だということを嫌と言うほど知っている。
「仕方ねえ、付き合ってやるよ。今度は最後までな」
差し出された手を取り、太陽のように明るく笑った友の顔を一生忘れることはないだろうと思った。