ゼネオルシア家はガテラティオで一番力のある貴族である。権益の放棄を宣言したとはいえ、その地位に変わりはない。現当主のユウはまだ年若い青年で、人柄も良く人望も厚い。以前はその言動により目立っていた幼さも年相応の落ち着きを備えれば、端正な顔立ちに惹かれる者は多いだろう。
ようするに、年頃の若い娘にとってユウ・ゼネオルシアという存在は恰好の的だった。
大聖堂の出入り口、貴族の娘に足止めされているユウの姿を見つけ、ジャンはまたかと顔を顰める。あの娘は確か以前長老派と呼ばれていた流派に属していた家のものだ。復讐対象だった家系は本家分家含め全て頭に入れていたからすぐにわかる。アニエス派を組んだ流れが主流となった今では彼らは肩身が狭く、再興の為にゼネオルシア家に取り入ろうというのだろう。
ユウには結婚の約束を交わした恋人がいる——彼女の説明し辛い出自だとか、ゼネオルシアに向けられる悪意の籠った視線の存在だとか、諸々の事情により公表こそしていないもののその存在は公然の秘密だった。にも関わらず接触を図ろうとする者は、自ずと厄介で傍迷惑な人間に限られてくる。
ゼネオルシアやユウの功績を並べ立て甘ったるい声で賞賛する娘に、ユウは困った様な曖昧な笑顔を返す。もっと毅然とした態度であしらえばいいものを、彼女達は一見他意のない好意を寄せてくるようにも見えるので、ユウは無下に出来ないようだ。
こんな場面をマグノリアが見ていなくて良かったと思う。仮に見られたとしてもあの二人が破局する可能性など無いに等しいとは思っているが、それはそれとして喧嘩はするだろう。喧嘩、というより機嫌を悪くしたマグノリアをユウが必死に宥めるのだが、酷い時には口すら聞いてくれなくなるマグノリアに対して仲介の為にユウが泣きついてくるのがジャンなのだ。以前の旅の仲間達が住まいや立場の関係もあって気軽に頼れないのは理解するが、正直面倒だし痴話喧嘩に巻き込まないで欲しい。
しばらく静観していたが、ユウの状況は先ほどから改善の兆しが見えない。仕方がないから手助けしてやるかとジャンが一歩踏み出した時、女性がユウの腕を無理矢理掴んだのが見えた。
「どうしてあんな出自も知れぬ女を囲うのです?私なら、私の家ならゼネオルシア家をもっと大きくできる…!ガテラティオの外にだって…!」
この流れは不味い。さすがに看過できないと声を上げようとするも、ユウが掴まれた手を振り払う方が速かった。彼らしからぬ乱暴な仕草に女が尻餅をつく。反撃が来るとは思わなかったのだろう。それまで回っていた口は止まり、女はただ唖然とした表情で目の前の男を見上げていた。
「いい加減にしてください!家の事なんか関係ない!オレが隣にいて欲しいと思うのはマグノリアだけだ!
オレが不甲斐ないせいで隠す様な事になっているのに、マグノリアは全部解っててそばに居てくれる!それを、貴女は…!」
広い大聖堂にユウの声が響く。集まった少なくはない視線に気がつき顔を真っ赤にした女性は、恨み言を吐き出しながら大聖堂の外へと逃げ出した。
「ユウ」
「ダメだなオレ……もっと言い方があったのに」
「気にすんな、俺だったらぶん殴ってる」
「それこそダメだろ」
俯いていたユウはそこでようやく顔を上げ、少し笑った。何事かと集っていた野次馬も少しずつ散らばっていく。逃げた女性の姿はもう見えない。女性が消えた先を見つめ考え込んでいたユウは、それから何かを決意したような顔で口を開いた。
「ジャンはあの人のこと知ってるよね?」
「何をする気だよ」
まさか謝罪にでも行くつもりだろうか。非がないことで謝るのは得策ではない。ジャンの無言の圧に気付いたユウは、そうじゃなくてと付け足した。
「話を聞きに行くんだ」
「話?」
「あの人があんな事をしたのは自分の家が上手くいってないからだろ?だから事情を聞いて、解決出来ることならなんとかする。そう簡単にはいかないだろうけど、諦めて切り捨てるのはしたくないんだ」
その強い眼差しに、ユウが騎士団を変えると宣言した日のことが思い起こされる。あの時からユウの瞳が曇ったことは一度としてない。輝かしいばかりではない正教とゼネオルシア家の裏側を見てもなお、ユウの決意が変わることはなかった。口元に自然と笑みが浮かぶ。
「なら、協力してやらねぇとな」
「頼りにしてるよ」
その後、親身に相談に乗った結果、件の女性のユウを見る視線に別の色が乗り始めるのだが、それはまた別の話である。