Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    j_i_machi

    @j_i_machi

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 12

    j_i_machi

    ☆quiet follow

    ドラアン
    ドラが留学に行っちゃって寂しいアを延々と綴って途中で止まっているやつ

    ※自己解釈間取り、環境、全て捏造

    パレット美術館に所属してしばらく経ったある日の事。

    庭園の中途半端な位置に、未熟で頼りない一本のオリーブの木が植えられた。
    あまりにも違和感があったので当初はかなり抗議をしたが、周りはさほど深く考えていない様で、木はそのままの位置で育てられた。

    気がついたらオリーブは枯れていて、跡形も無くなっていたのだけれど。

    そんな事があったのもすっかり忘れた冬の日。


    _____

    住めば都なんて言葉はあるが、それも長く続くと不平不満が出るものだ。
    なんでこの美術館はもっとアトリエが無いのだろうか。崇拝する神や、異国の島国育ちの同僚から聞くに、王都の美術館の環境は今この場所より遥かに恵まれているようだった。
    どんなに環境が良くても、なにか嫌だと感じたり、求めるものがそこに無ければ、人は簡単に手放してしまうものだ。過去の自分がそれを聞いたら、贅沢者と罵っていただろう。かといって、今現在所属している、ここ「パレット美術館」が100%居心地が良いかと訊かれればそうでもない。特に最近は自分だけが使うアトリエが欲しいなどと思い始めた。
    何処に何があるか完璧に把握できている空間。
    イーゼルを置く場所やキャンバスのサイズ、人との間隔を考慮しないで済むゆとり。
    なにより1人であるという事。
    元来静かな場所が好きだ。絵の細部、筆の穂先一本が及ぼす線に至る迄集中が途切れず、頭の中に浮かぶ理想と、キャンバスに描かれる絵が完全に合致するような時間。それが提供されるにはまず「1人である事」が大前提なのだが、現実はそううまくいかない。
    パレット美術館には二つアトリエが存在する。1カ所はフロート製作や、ライブペイントの練習に使うパレードの準備専用のアトリエ。
    もう1カ所は今使っているここ、共同で使用する個人製作専用アトリエだ。一番広いが所属している芸術家全てを収容すると考えるとどう考えてもスペースが足りない。それでも改築などの対処をせずとも成り立っているのは、パレードのメンバーがいない事、自室で作業したい者、外で絵を描く方が好きな者など、常にちょうど良い具合に人が出入りしているからだ。
    自分も共同の作業場が慣れないうちは自室で作業をしていたが、室内に油の臭いが染み付いてしまうのが如何にも気になって早々に諦めたクチである。
    今日は年に数回訪れるかどうかくらいの、最高にコンディションが良い日だった。朝からアトリエに入って、昼近くになるのに誰も他に作業する者が入って来なかった。今描いている絵を仕上げるまたとないチャンスで非常に集中出来たし大変気分も良かった。柄にも無く鼻歌なんか歌って、昼食まであと数分だなだとか考えていた時だった。
    ガラリとアトリエの扉が開く。
    静寂を掻き消したものは廊下の冷気と共に侵入してくる。
    見飽きたくすんだ銀髪が、染めたてなのか電気の光をギラギラと反射させている。
    よりによってこの人ですか。いや最悪。共同生活を続けて数年経っているが一日だって彼と目を合わせなかった日がない。
    以前同じような愚痴を吐いたら、あら仲がよろしくていいじゃない。などとその場にいた全員に返されたので本気で嫌なのである。
    向こうはこちらに気づいているのかいないのか、部屋の奥にいる自分に声をかける様子もなくうろついている。そろそろアトリエから出ないと理想の昼食の時刻が過ぎてしまう。それはなんとしてでも阻止しなければ。穏やかな一日と、スケジュールを守る事、天秤にかけたら守るべきは圧倒的に後者だ。使っていた筆を綺麗に整えて定位置に戻す。諦めて、でもまだ可能性を信じる様になるべく音を立てずに離席する。
    そんな努力も虚しく、思いの外あっさり見つかってしまい、いつもの気怠げな声で「あ」と声をかけられた。
    アトリエに来たにもかかわらず、ドラクロワは作業着を着ている訳でもなく、いつもの乱雑なテイストを守ったゆるい部屋着を着ていた。いつもみたいに時計が2桁の時間を指す頃に起きて、適当に食事を済ませ、流れで製作しに来たのだと思っていたからそこは意外だった。薄黄色の瞳が「やっと見つけた」と語っていたので、彼が自分を探していた事がようやく分かった。なら、名前でもなんでも呼べば速かっただろうに。
    2人の間には2メートルは距離が空いている。向こうが来ないからといってこちらが近づく理由は無い。普段からロックを目指しているとかなんとかよくわからない理想を抱えた不良は、長年身体に叩き込まれた躾に抗えないのかいつも姿勢が良かった。
    「……おはようございます。ドラクロワさん」
    「ああ…」
    時計はとっくに正午を指しているだろう。せっかく皮肉を込めて挨拶したのに、なんだか煮え切らない返事をされた。そのまま沈黙してしまう。何か言いたげな素振りをしている癖に。普段人にははっきり言えだのなんだのうるさい割にこれだからこの男が嫌いなんだ。
    「話が無いならもう行きますが?」
    問いかけたが答えを待つ義理もないのでさっさと扉へ向かう。あと3歩で外に出るといった時だった。

    「留学する」

    不良にしてはあまりにも真面目すぎる声。何をそんなに真剣に話す必要があるのかわからないが、その眼差しは真剣だ。
    それにしても
    「随分突然ですね」
    「突然決めたからな」
    「まあ、行けばいいんじゃないですか?何故ワタシにわざわざ報告なんか」
    「別に…ていうか」
    知らなかったのか、的な単語を呟いていた気がする。小声だったのであまり聞こえなかったのだが。
    「アナタの予定を誰が知りますか。知らなくてもいいくらいですよ。せいぜい3週間程度の旅行になにを」
    「いやだから留学すんだって」
    「は?」
    「留学。あと3週間じゃなくて3年」
    「……はい?」

    あまりにも似つかわしくない単語の羅列に混乱が生じる。イラついたように色々言っているドラクロワを他所に、ああもしかしたら夕方から天気が悪くなるかもしれないなどと考えていた。
    こんな話を聞いている間にも、あれほど守りたかった昼食の時間は過ぎていき、結局昼以降のスケジュールはメチャメチャになってしまった。(と言っても数分程度に軌道修正はできたのだが)
    それにしても、留学。3年間。
    後から聞いたが、自分はそれを聞いた最後の人だったらしい。

    ______


    ドラクロワが留学に出て3日経った。
    そんな経過をしっかり把握している自分が憎い。
    人間、順応力がそれなりにあるようで、見送りの時あれだけ泣いていた子供たちは、すっかり元から居なかったかのように過ごしている。
    留学すると告げられた日からは、実は一週間も経っていない。
    あの時、てっきり急に思いついたものを宣告されたのかと思ったのだが、どうやら半年前から決まっていたらしい。
    自分の描きたい題材の取材も兼ねて、違う文化の芸術性も取り入れたいという至極真っ当な理由。いの一番に話を聞いた館長は、3年もの期間芸術家を手放す事に悩んだが、本人の熱意、芸術に対する意欲を買わない理由がなく、何度か話し合いをした結果ドラクロワの背中を押したそうだ。とはいえ彼も一端の芸術家。留学を承諾したタイミングで既に結構な量の依頼を受け入れていたので、先日までの期間で全ての依頼を制作していたのだという。言われてみればここ数日アトリエで顔を合わせることが無かった。
    館長には、うっかり外部に漏れた際大事にしたくないから、機会が来た時自分の口から説明したいということで、他人に言うなと釘を刺していたようだ。周りの芸術家は同じように念押しされ、早い者は数ヶ月前から、遅い者…つまり自分のことなのだが、出発する前日に報告した。というのが先日までの出来事。
    そりゃあ、優先すべきは雇い主や友人、家族が先なのは分かるが、自分に言いに来たタイミングが酷すぎるのではないか。彼の中の自分の順位がなんとなく分かったというか。頭では分かっていたがそれが顕著に出てしまうと相手がドラクロワでも腹が立つものだなあと新しい発見もあった。
    すっかり予定からずれた時間にキッチンに行き、「ドラクロワさん留学するって知っていましたか」と聞いたら、その場にいた全員に知らなかったのかと口々に言われた。それだけなら良かったのだが、一部からは「一番最初に聞いてたかと思った」などと言われて余計に腹立たしかった。
    彼の友人でも相方でもなんでもないのだから、優先順位が低かろうがワタシにはなんの関係もなくて当然なのだが。
    誰が出ていき誰が入って来ようと仕事はある。それはパレット美術館に所属してからずっと続いている芸術家の営み。依頼を受け入れれば応えなくてはならない。理想があれば描き出さなければならない。なにがあろうとなかろうと絵筆を持つのが芸術家である。新たに取り掛かって数日のキャンバスには、恐ろしいほど緻密で繊細な下絵が描かれている。カサカサと木炭がキャンバスを走る音が良く聞こえる。意識した事が無かったが、周りと比べると自分はだいぶタッチが優しいようだ。

    「静かですね」
    思わず呟いてしまう。誰に言うでもないその一言は、思いの外声量が有った様で、隣で制作をしていたルーベンスの耳に届いた。あら、と聞こえたのでそちらに目線を向けてしまう。
    「アングルちゃんが独り言なんて珍しい」
    「すみません…邪魔をしてしまいましたか?」
    「いいえ気にしないで。それより、ふふふ」
    ルーベンスは楽しそうに笑う。彼が今描いている女性の様に頬を薔薇色に染めて。
    「静かな方が良かったんじゃ無いの?」
    「な…」
    化粧で美しく彩られた唇から出された言葉に悪意は無い。ただ、面白がっている風ではある。確かに常日頃、騒音に悩まされた後必ずため息と共に吐き出している言葉だ。交流が多いルーベンスには自然と耳にする機会が多かったのだろうか。矛盾した心を指摘するにはあまりにも的確で皮肉めいている。ルーベンスが心理戦を得意としている場面は、今の様なレクリエーション時以外にも披露される。正直、あまり対峙したく無いのだが。
    静かな方が良かったんじゃ無いの?
    確かにそうだった。今でもそう思っている。むしろ今だって、アトリエの一角ではまた誰かが転んで怪我をしただの、外では走り回る子供の声だの数日前と変わらない騒がしさが美術館を包んでいる。
    そもそも騒音の度合いを考えるとドラクロワは静かな方だ。こちらが関わりを持たなければ口数は多い方では無い。
    そんな人が1人居なくなったところで、何も変わらないと思ったのに。快適にすらなると思ったのに。
    「…一人で制作ばかりしていたので、パレードの騒がしさが恋しくなっただけです」
    「そうねえ。次のパレードが終わったら、メンバーにお呼ばれしたいわね」
    真意と捉えられた感じはしない。無駄に突いても本心を暴けないと判断されたのなら僥倖だ。
    その後会話を続ける事なく、お互いの制作に戻る。
    涼しい風が右から左へ吹き抜ける感覚。身に留まらず、全てが流れ去っていくような、落ち着かない空気感。
    早くいつもの調子に戻ってくれれば良いのに。偶に聴こえてくる鼻歌。同じものとはわかるけど音程が毎回変わっているあの音楽。タイトルだけでも覚えておけば良かった。
    _____

    「行き先、わからないんだ」
    そう館長から伝えられたのは、もう季節もすっかり巡って、庭園の草花が見事に彩られた頃。
    きっかけは「ドラクロワの誕生日が近いから、手紙とプレゼントだけでも送りたい」と申し出た友人らの一言だった。意外と筆まめな彼は、留学先でも手紙を送ってくるのだろうと誰もがたかを括っていたが、未だ一通も届いていない。出ていく前に留学先を聞いた者は、皆が皆「そのうちな」と適当に流されたという。ガサツなあの人らしいと最初のうちは呆れ返っていたが、美術館の最高責任者…一番ドラクロワとやり取りをしていた館長に話を聞くと、どうやら適当さから生まれた弊害では無いらしい。なんでも「留学先は特定のエリアを転々としたい」という事、「少しでも荷物を減らしたい」という事、なにより一番は「パレット美術館に帰りたくならないように」という事。それがドラクロワが述べた、詳細な行き先を伝えなかった理由だという。館長も何度も問い正したが、結局伝えられたのは贈り物ができない程度の、ひどくぼんやりとした位置情報だった。皆ドラクロワが実は真面目な青年だと知っている。真意を聞いた者は心配と落胆を顔に浮かべながらも、芸術に真摯に向き合う彼に賞賛を送った。少なからず若者の長期旅行の言い訳だと思われていたのは、日頃の行いのせいだろう。
    「手紙、少しづつ書いてたんだ」
    そう呟いたミレーの手には、少しとは言い難い量の紙の束が収まっていた。
    「ドラクロワ、普段からお手紙書いているでしょう?いつもなに書いてるの?って聞いたら、特に飾らないで、起きた事をそのまま書いているんだって。結局手紙を貰う側って、送った人の生活が気になるだろうから、ほとんど日記みたいになるって」
    ミレーはいつものんびりと話す。時の進みが穏やかな田舎で育ったからか、その場その場で起きた事をゆっくりと把握する様に。だがこの時は、まるで自分に言い聞かせる様であった。
    「だから俺も、畑の話とか、裏にいる野良猫の様子とか少しづつ書いて、留学先がわかったら送ろうと思ったんだけど」
    全部無駄になっちゃった。と、いつもの困り眉をもっと下げて小さく呟いた。
    「捨てるんですか」
    この先する行為が解って尚問いかける。
    「だって…意味なくなっちゃったし」
    「積み重ねてきたものを意味がなくなったと断定するのは良く無いですよ」
    そんなつもりはなかったが、まるで自身の半生になぞる様に答えた。もう捨てられる寸前の紙の束が、いつの日かゴミ捨て場に持って行った絵に重なった気がした。
    ミレーの目がまっすぐ自分を見る。疑う事があまりにも下手そうな澄んだブラウン。今この場に居ないあの人はこの目に弱いんだろう。真意を探られる様な気がしてこちらから目を逸らす。
    「ドラクロワさんが帰ってきた時、読んで貰えば良いじゃないですか。手紙を送る意味を本人がそう言っているなら、何時あげても変わらないでしょう」
    手紙の利用価値を完全に無視した考えだが、無駄になるよりマシだと思った。
    礼を言ったミレーは頼りなく笑い、持っていたものを胸に抱えた。今更ながら、彼の話題を聞くのがたまたま近くにいただけのワタシで良かったのだろうか。会話もひと段落したので、もう良いだろうと軽く挨拶をして自分の部屋に戻ろうとした時、思わぬ一言をかけられた。
    「アングルも心配してるの?」
    詳細は聞かない方が吉だろう。何時だってあの人の名前を耳にする事すら嫌なのだから。最近は特にざわつくのだ。産毛が逆立つような、獲物を見つけた猫の様な、落ち着かない感覚を覚える。振り返ったら悪意が無い笑顔でも浮かべているのだろう。ワタシはそのままの体制で答える。
    「変な事を言わないで下さい。ワタシは皆さんのご厚意が無駄になることが許せないだけです」
    「そっか。でも、ありがとう」
    それは手紙の束に対してなのか。それとも友人を代表しての一言なのか。出所がわからない礼を受け取って部屋に戻った。
    そんなことがあって、既に用意されていたドラクロワの誕生日プレゼントや、贈りたかったものは各自保管ということになった。パーティーが一回分無くなったと思ったら、「主役がいないパーティーをやっても良くね?」などというヴァトーの適当な一言から、なんの為かよくわからない催しが開かれた。流石にどうかと思ったが、皆各々楽しんでいたようなので良かったのだろう。
    自分も部屋の片隅に立って料理を食む。春先だから野菜がどれも甘くて美味しい。
    勿体無いことをしましたね、ドラクロワさん。アナタのご友人が育てた今年の野菜は格別ですよ。

    _____

    特にやることが無かった雨の日だった。外出し難いというだけで、その日1日が億劫になるのは不思議である。来館者が減る時期で美術館内もなんとなくまったりしている。
    湿気が多く気分が上がらないのでこの季節を嫌う人も多い。趣味の計測の妨げになるので自分も好んでいないが、同時に掃除をするには最適な時期なので完全否定するほどではない。
    そういう訳で、暇を良いことに久しぶりに部屋の大掃除をしていた。とはいえ日々決まった時間に掃除を行っているのでたいして汚れてもいない。気になるのはカドの部分。掃除機では吸いきれない細かな場所。在らん限りの集中力をその一部に込めると、懐かしいその場所本来の色を取り戻す。満足したところで体勢を整え、止めていた息を入れ替える。垂れてくるほどでは無いがそこに異物感を覚え、自然と額の汗を拭う。少し集中すると汗が出る季節になった。さて次は…と辺りを見渡すが心当たりのある汚れた部分はもう無いようだ。予定よりかなり早く終わってしまった。空いた時間をどうしようかと考えつつ、掃除用具を片付けていたその時、独特なリズムでドアがノックされた。返事を待たずに元気良くドアが開く。
    「ヤッホーアングル!暇でしょ暇だろあそぼーぜ」
    「アナタのせいで予定が増えました。お断りします」
    陽気な挨拶と共に現れたのはヴァトーだった。
    「え、なに?オレなんかした?」
    「アナタの爪先が3ミリも部屋に入ってるじゃありませんか。また掃除する必要があります」
    「出たァ〜…うんまあ掃除中に来たのはまず謝るわ」
    怒られたヴァトーは今立っている場所から足を動かさず会話を続ける。
    「ソレ終わったらでいいからさーちょっと付き合ってよ。さっき館長代理の手伝いに何人か抜けちゃって」
    片付けかけていた掃除用具を再び取り出しながら応えてやる。
    「おや珍しい。ヴァトーさんが女性の誘いに乗らないなんて」
    「負けたんだよぉージャンケンー負けても行くつもりだったけど館長代理がいいって言うからぁ」
    ヴァトーはじたばたと足を踏み鳴らす。気を遣っているのかそのままドアの枠より外に出る。聞いてもいないのにあーだこーだとよく動く口だと思いながら、彼の話を斜め聞きしていた。ヴァトーの口から踊るように流れ出る言葉が二転三転と変わり「ねえどう思う?」とワタシに問いかけてきた頃には、床は元通りの輝きを取り戻していた。自分が満足げに口の端を上げているのがわかる。目の前にいる陽気な男の話の趣旨を戻して返事をする。
    「ともかくワタシは行きませんから」
    「ラファエロさんいるよ?」
    「なんでそれ早く言わないんですか」
    大急ぎで支度をした。



    目の前にあるものを片っ端から広げ、飽きたら次を開け続けていたんだろうなという空間が出来上がっていて卒倒しかけた。遊びに誘われたものの片付けに手が伸びざるを得ず、結局誘いに応じていない。そんなことも気にせず、既にそこにいた数人は来た時には山場だったのか目の前のボードゲームに集中してこちらに気づいていない。というか人、足りているのでは?
    「最近どうだい?」
    予期せず声をかけられる。声の方に視線をずらすと、真夏に見る眩しい新緑がこちらを覗いている。ラファエロは目が合うとぱちりと瞬きをした。何気ない動作も全て洗練されていて、思わず見入ってしまう。もう何年も同じ屋根の下で過ごしているのに、この人の微笑みは一向に飽きが来ない。心配そうに名前を呼ばれてやっと見入ってた事に気付き、慌てて返事をする。
    「最近、ええ。可もなく不可もなく…といった所でしょうか」
    「良いとも言い切れない?」
    「はい。なんでしょう、ずっと習作を続けている気持ちです」
    片付けをするラファエロの手つきは、ボードゲームの小さなコマですら勘違いを起こすほど柔らかく丁寧だ。考えると同時に手を止めてしまったワタシに対し、迷子を探しながらもラファエロは会話を続ける。
    「何か満足していないって事?それは大変だ」
    「いえ、そういう訳では。なんなら調子が良すぎるくらいで」
    コマを探していた瞳が、再びこちらを向く。ラファエロはワタシの掌に自分が回収したコマを預けた。ほんのりと彼の体温を感じる。
    「今度どこか同じ展覧会に出品してみようか」
    「え!?」
    「した事ないよね、こういう事」
    迷惑?と小首を傾げられる。自分よりずっと大人で、ずっと立派なはずのこの人は、偶にお菓子をせがむ子供のような表情をする。そんな顔をせずとも神の誘いを断る人間がこの世にいようか。
    はい、と元気良く返事をするとゲームに興じていたメンバーが漸くこちらに気付く。
    「アングル次参加してよ」
    「あと1ゲーム後にお誘い頂いて宜しいですか?こちらが全て揃っているか確認したいので」
    掌に出来た小さな山を開いたテーブルに移すとその場にいた全員が「あー」と声を漏らした。


    結局、誘われたゲームは昼前に一回参加しただけだった。結果は圧勝というか、参加者が既に飽きていたのと、空腹による注意散漫で必然的に勝利を頂いてしまった。個人的には荒れていた部屋が元通りになっただけで満足だった。娯楽室は利用者も多くホコリが目立つ。天気がいい日を狙って掃除をしようか。早速予定を立てようと脳内でスケジュールを確認している時だった。
    自分の部屋ではない扉の前で足が止まる。言うなれば因縁の部屋。魔窟。無意識だった。廊下になんとも言い難い騒音が響かなくなってもう随分経つ。それすらも懐かしい。ノックをしてもぶっきらぼうな返事は返ってこない。部屋の主はそこに居ない。そんな事は分かっている筈なのにどうしてここから動けずにいるのだろうか。先程まで顎に当てていた手は行き場を失い、空でもぞもぞと動くばかり。ああ、体が掃除モードに入っているんだ。と合点が入った。野暮用で嫌々尋ねる事が多かったその部屋は、いつ見ても彼そのもののようであった。そこに座って待ってろと言われたが座るところなど見当たらず、縦横も揃えず積まれていた雑誌を月毎に並べ替えまとめて避けたら信じられない勢いで怒られた日を鮮明に覚えている。なんの用事で尋ねたのかはすっかり忘れているのに。
    これはアレだ。怖いもの見たさというやつだ。少し確認するだけ。流石に主がいない状況で部屋を掃除するような非常識な人間ではない。ドアノブに手をかける。どうせ、記憶のままなのだろう。ため息をついてやる準備をして、ゆっくりとドアを押す。

    最初にこの宿舎を訪れた日を思い出した。
    まだ空室の方が多かった頃、誰がどこに住むかは決まっておらず、備え付けられている家具の形や素材が違うから好きな部屋を選んで良いと言われた。ドラクロワとゴーギャンと3人で物色した、あの時からこのひと部屋だけが苦手だった。最初から自分だけ招かれていないような、威圧感がある黒がベースの部屋。ワタシが顔をしかめ、部屋を後にしたと同時に、ドラクロワははこの黒い家具の部屋で即決したのだった。だから、あの乱雑な部屋のまっさらな状態を知っていた。
    壁を探って電気をつけると、完全に、とはいかないが、ほぼその時と同じ光景が広がっていた。散乱していた雑誌や雑貨はどこに行ったのか。視線を移すと部屋の一角に布がかかっている。ほこりが積もらないように纏めたらしい。一歩、もう一歩と部屋の中央に足を進める。布団は畳まれて端に寄せられている。隙間がバラバラの状態で貼られたポスターだけはそのままだ。夜分尋ねると決まってなにか真剣に物書きをしていた机。常時開けっ放しだったレターセットの箱は閉じられ、これもまた隅に鎮座していた。同じく必ず置かれていたやたら重厚な冊子と、似つかわしくないペンは見当たらない。共に連れて行かれたのだろう。旅先で感じ取った事、学んだ事、全てを余す事なく記す為に。
    招かれざる客、という言葉が脳裏がよぎる。全くその通りだ。ノックもなく、足音も立てず、何者にも見つからないよう侵入している今の自分は、客どころか不法侵入者だ。
    なにかに吸い寄せられるように机に近づき、でもなにもする事がなく、なんとなく卓上の箱の隅をなぞる。普段なら出来ない事をしていて、うなじのあたりがフワフワする。触れると怒るほど愛されているのに、置いて行かれた物達に声をかけてみる。
    「家主でなくて残念でしたね」
    思いの外声が出なくて、ほとんど掠れた独り言になった。途端に面白みも興味も消える。なにをやっているんだ。早くここから出よう。
    にしても不用心な事だ。誰かがまた部屋に入ってしまったらどうするのか。やたら育ちが良いので置いてある物も安くは無いはず。館長代理に報告しようか。そう思い、部屋から出て二、三歩進んだところで急ブレーキを踏む。これを報告するとワタシが部屋に入った事が間接的にバレてしまうのでは?ドアノブに触った事すら悟られたく無いというのに。廊下のど真ん中で、また顎に手を当てしばらく目を閉じていが、諦めた。
    忘れる事にした。今日見た事も感じた事も全て。自分に関係ない人間の事をとやかく考えている時間が惜しい。
    あんな、ワタシを優先順位の最後に持っていくような奴は忘れたって良いんだ。

    自室に戻ると眩しい白が出迎えてくれる。湿気を感じたので窓を開けると、さわさわと細かい雨の音と共に、冷えた空気が部屋に入ってきた。この様子だと夜まで雨は続きそうだ。
    アングルは窓枠に頬杖をついた。退屈だ。予定も心も満たされているのに、満ちたものが溜息になって出ていってしまう。ぬるま湯に常に浸っている感覚が続いている。いつからだろう。覚えていない。ずっと前からのような気もするし、今さっき始まったような気もする。雨のせいかな。そういうことにしておこうか。天気のせいで気分が落ち込むなんて、気が弱い人間の甘えだと思っていた。
    ああそういえば神と約束したのだった。なによりも大切な約束だというのに頭からすり抜けていた。計画を立てなくては。
    気怠い身体をのそりと起こし、窓を閉めようと窓枠に手をかける。しっとり、よりももう少し水気を感じる湿り気。よく見ると窓の周辺がかなり濡れている。雨が斜めに降っていたらしい。視界のピントをずらすと眼鏡に小粒の水滴が付いていた。数秒置いて、眼鏡を外し、懐からメガネ拭きを取り出しレンズを磨く。その流れで昼前、完璧に定位置に仕舞った掃除用具を再びしっかり装備した。
    結局、その日は掃除だけして終わったのだった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator