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    egotabunji

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    SCALY FOOT 第5話ためし読み

    その日の分署は文字通り、殺人的な忙しさだった。
    蜂の巣を突いたような喧騒、飛び交う怒号、資料作成を任された新人のイタチ男が机にでもけつまずいたのか、コピー用紙の束がわさあっと宙を舞う。その様子をぼんやりと眺めながら、与野新留間は空のマグカップをもう一度傾けた。コーヒーの最後のひとしずくが、粉っぽい苦さを残して口の中へ消えた。
    ここは自警団本部中央自警署東興分署、まちづくり課特区班。通称「ゴミ処理班」。スラム区画の拡大や不法住民の増加により年々治安が悪化している東興都周辺区域において、「徴税義務を全うせしあらゆる国民の安全かつ健全な日常生活」を、「国益に仇なす危険分子」より守るべく指揮された、「清廉潔白な正義執行の切り込み部隊」である。聞こえはいいが、実際のところは、中心街めがけてウジのように湧いて出てくるスラム住民を片っ端からひっ捕まえ、適当にしばき倒してまた元のとおりスラム街に押し込むだけの、単調な、それでいて非常に骨の折れる業務を一手に引き受ける部署なのだから、殺人課の警部班や捜査班など自警団の花形とも言えるような他部署から「ゴミ処理班」と揶揄されるのも無理はなかった。班員はわずか十五人、そのうち五人は先月付で退職願を出した。過労による重度の精神疲労だったらしい。
    与野新留間は、その特区班に所属しているごく平凡な一般男性である。肩書は副班長ということになっているが、もともと人員の少ない部署なのだから、業務内容のさしたる違いも特別手当も何もない。むしろ下手に肩書が付いているせいで、後述する班長ともどもなにかと責任を押し付けられがちな立場にあった。今だって書きたくもない始末書に散々頭を悩ませたあげく、ようやく一五分程度の昼休みにありつけたところなのだ。目の焦点がどことなく定まらないのは極度の疲労と、それを紛らわせるためのアロマリキッドのせいである。ガムシロ代わりにコーヒーへ三滴、それだけで意識は早くも夢心地である。中毒性はない、絶対に安全、その気になればいつでもやめられる、というのが与野の口癖なのだが、勧められずとも手を出してみようなどという強者はあいにく班内にはいなかった。
    「なっちゃん、コーヒーおかわり」
    マズルへ無造作に突き出されたマグカップを刺すような目で睨んだのは、班長の勝田夏千代。与野と同じく特区班に所属しているイタチ人であり、曽祖父は政府軍総督補佐官の勝田楠平である。齢八〇を越えても今なお健在である曽祖父の、その権威と威光とコネとカネでなんとか自警団へ入団させてもらった勝田家きってのドラ息子、と周囲から囁かれているものの、その粗暴かつ徹底的な暴力癖は、つけあがったスラム住民を手っ取り早く黙らせるのにうってつけだった。班長という肩書も曽祖父のお情けで恵んでもらったものなのだが、その実情を知っていたなら即刻辞退していたことだろう。与野の倍もある始末書の束を乱暴にホチキス留めしながら、勝田はうなるような声で小さくつぶやいた。
    「てめえで注げよヒヨコ頭」
    「なんだか疲れて動く気しなくなっちゃってね、うん、小声のつもりだろうけど聞こえてるんだよなっちゃん。べつに君のことふわふわのフェレット坊やって呼んであげてもいいけど、僕はヒヨコって呼ばれるの好きじゃないなあ」
    「…砂糖は」
    「五個。おねがいね、班長」
    そんな勝田でも、支給品のスタンバトンを後頭部へ突き付けられれば、さすがに黙らざるを得なかった。総督補佐官の曾孫に装備品を向ける、などというとんでもない無礼が許されるのは、単に与野のほうが勝田より先輩であるからに過ぎないのだが、それ以上に与野のふわふわした柔和な笑みにはどこか人をひるませる凄みがあった。ある種本能的な危険を察知してか、自警団の中でも特に血の気が多く、立場の上下を問わず噛みつきにかかるイタチ人種でさえ、決して与野に噛みつこうとはしない。しかしその裏で散々な陰口を叩き合っているのは言うまでもなかった。
    「またソバカス野郎の雑用かよ、班長が直々にお淹れなさったコーヒーなんてさぞ美味いんだろうな」
    「ぶっ殺すぞ。あのガンギマリ野郎コーヒーも自分で淹れられねえんだとよ、脳ミソにハーブ詰まらしてっから」
    「脳の代わりに麻紐詰まってんじゃねえの?噛んだら樹液が出たりしてな」
    「おいガンジロウ、あのサイコパス一発噛んでこいよ。うまくすりゃ、あんなどこ見てんだか分からねえようなアホ面こいてトべるぜ」
    給湯器の側でひそひそと交わされる罵詈雑言も、与野の知るところではない。表向きは、であるが。

    数日前から特区、もとい貧民街周辺では、異様な連続殺人が頻発していた。被害者は全員が肥満体の女性。年齢はまちまちだが、現場に遺された死体はどれもひどく損壊しており、特に腹部は原型を留めないほど深くえぐり取られているのが特徴であった。いや、腹部だけでなく、ぶくぶくに肥った二の腕や脇腹からもごっそりと肉が削ぎ落とされているのだから、その手腕はまさに肉屋のそれであった。
    「精肉加工所の冷凍庫でも見てるみたいだ。あの、なんて言ったっけ、よくフックに刺さってぶら下がってる…ほらこれ、写真見てよほら。ねえなっちゃんこれ何に似てる?」
    「枝肉の事すか」
    「それそれ」
    隣の勝田が写真から露骨に顔を背けていることなどまるで知らない顔をして、現場写真を蛍光灯にすかしながら、与野は淹れたてのコーヒーを一口すする。相変わらずオフィスはごった返す人並みで大混乱なのであるが、そんな喧騒から爪弾きにあったように、与野をはじめとする特区班の班員はオフィスの片隅へ追いやられている。実際、今このオフィスにいる人員のほとんどは殺人課からの派遣であった。
    「サツ課のやつらまで押しかけてくるから空気が悪いよ、ここのオフィス。狭いんだから出てってほしいな」
    「ゴミ屋には任せておけねえってんだろ、クソ。役立たず共はひっこんでガラの見回りでもしてろってよ、一発ぶっ殺してやろうか」
    悪態でごまかしながらデスクを離れようとする勝田の尻尾を、与野の細腕がむんずと掴んだ。もがく勝田をそのままデスク脇へ引き戻しながら、与野はあくびを噛み殺したような声で呟いた。
    「仕事にやりがいが持てるってありがたいよねえ」
    通常であれば、貧民街で起こった事件など、自治体や私立探偵に任せておけば私刑という名の自浄作用で勝手に解決していく、というのが特区班内での暗黙の了解だったのだが、今回ばかりは勝手が違った。頻発するだけならまだしも、中心街に住む富裕層の一人…よりにもよって自警団所属の、とある警部補の妻が事件に巻き込まれたのである。どういうわけだか、貧民街特有の退廃的な雰囲気を「映える」などと言い表すのが、流行に敏感で頭の軽い一部の富裕層の間で流行っているらしいのだが、中でも今回被害に遭った女性は、これもまた流行りに乗じて現れたらしい「デカダンスポットツーリング」なるツアーに参加した後に連絡が取れなくなり、数日後にずたずたに切り裂かれた状態で路地に捨てられていたところを発見された。詐欺師同然のツアーコンダクターに導かれるまま、見世物小屋を覗くような態度で貧民街を遠慮なく見て回り、おまけに現場へ残されていたきらびやかな鞄には分厚い財布をまるまま突っ込んでいたというのだから、例えるならば狼の群れの中へ肉をぶら下げて飛び込むような自殺行為である。誰がどう見ても完全に被害者側の過失ではあるのだが、身内の家族がスラム住民に殺されたとなれば、これはもう自警団のメンツに関わる一大事である。殺人課から派遣された選り抜きの捜査班が犯人探しに躍起になる一方で、初動捜査を誤った役立たず、というレッテルを貼られた特区班は、殺人課の連中から向けられる刺すような目線を受けながら、普段通りのパトロールに加え、ひたすらに単調で骨の折れる聞き込み捜査に徹するほかなかった。上部からはちらほらと特区班解体の話も上がっているようなのだ、ここ数日のオフィスの居心地の悪さといったらまるで針のむしろの如くであった。
    「特区班、解体されちゃったらどうしようね。駐屯警兵に格下げにでもなったら僕もうこの仕事辞めるよ」
    「知るかよ!しっぽ握んのやめろっつってんだろテメエ! 」
    「先輩にずいぶんな口利くんだねえなっちゃん、偉くなったねえ。いいこいいこ」
    「痛え!すんません!」
    手の内でじたじたともがく尻尾をなおも握りしめ、与野はコーヒーを一息に飲み干すとやおら立ち上がった。このまま息詰まるようなオフィスに陣取るくらいなら、夜中まで掛かっても貧民街の見回りに当たるほうが気が楽である。車のキーをポケットに突っ込み、普段と変わらぬ様子でオフィスを出る与野に、殺人課の連中が一斉に刺すような目線を向けたが、与野はその全てを無視した。
    「なんでお前らみたいな役立たずが自警団名乗ってるんだ」
    すれ違いざまの耳に刺さる一言にも顔色一つ変えない与野だったが、握りしめた勝田の尻尾から毛を数本まとめてむしり取った辺り、やはり気にしてはいたのだろう。廊下に、ぎゃん、と甲高い悲鳴が響き渡った。

    あの事件が起こった日から、貧民街の賑わいはすっかり息を潜めてしまったようだった。普段ならばこんな天気の良い日には、子供相手にぽんぽん飴などを売るテキ屋が路地に簡易屋台を出しているのだが、近頃は子供どころか大人の姿さえ見かけない。週末には小規模ながら夜市が開かれていたガラ通り外縁部も、今は壁沿いに色あせたビニールテントが立て掛けられているだけである。環状道路から眺めるガラ通りは、まるで抜け殻のようだった。
    「見回りとかクソ面倒っちくないすか。ゲーセンで時間潰しません?」
    「月末までにあと何人か挙げないと、ノルマきつくてさ」
    「そこらの浮浪者でも殴って捕まえりゃいいすよ」
    「その浮浪者も少なくなっちゃってねえ。さすがにガラ通りの奥まで追いかけるのもイヤだし、かといってそこら辺のなんもしてない住民を捕まえるのは良心が痛むよ」
    「与野さんにも良心ってあるんすか」
    「言ってみただけさ。その気になれば、僕の影を踏んだ奴を片っ端から不敬罪で検挙してもいい」
    「前から思ってたんすけど、自警団ってなんなんすか?」
    「人の嫌がることを進んでやる仕事さ」
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    egotabunji

    MAIKINGSCALY FOOT 第5話ためし読みその日の分署は文字通り、殺人的な忙しさだった。
    蜂の巣を突いたような喧騒、飛び交う怒号、資料作成を任された新人のイタチ男が机にでもけつまずいたのか、コピー用紙の束がわさあっと宙を舞う。その様子をぼんやりと眺めながら、与野新留間は空のマグカップをもう一度傾けた。コーヒーの最後のひとしずくが、粉っぽい苦さを残して口の中へ消えた。
    ここは自警団本部中央自警署東興分署、まちづくり課特区班。通称「ゴミ処理班」。スラム区画の拡大や不法住民の増加により年々治安が悪化している東興都周辺区域において、「徴税義務を全うせしあらゆる国民の安全かつ健全な日常生活」を、「国益に仇なす危険分子」より守るべく指揮された、「清廉潔白な正義執行の切り込み部隊」である。聞こえはいいが、実際のところは、中心街めがけてウジのように湧いて出てくるスラム住民を片っ端からひっ捕まえ、適当にしばき倒してまた元のとおりスラム街に押し込むだけの、単調な、それでいて非常に骨の折れる業務を一手に引き受ける部署なのだから、殺人課の警部班や捜査班など自警団の花形とも言えるような他部署から「ゴミ処理班」と揶揄されるのも無理はなかった。班員はわずか 4208

    egotabunji

    REHABILI雑営団地工業棟三階 電球屋の話あんた、そんなとこうろついてどうしたんだい?
     
     ははあ、初めてだね。風俗棟に来たんなら賭け酒屋に行くのが当然だろう。
     どんな所かって? 賭け酒屋じゃ酒は買えないよ、賭けに勝ったら飲めるのさ。ただ律儀に金を賭けるやつなんてそうそういないね、そんな貴族めいたやつらは団地にゃ来ない。じゃあ何を賭けるって、だから目玉とか耳とか、身体の一部分を賭けるのさ。一番お手軽なのは血だね、目はおすすめしないよ。目を賭けるとしまいにゃ義眼屋の世話にならなきゃいけなくなる…瓶ソーダのビー玉で代用したっていいけど、目の奥に落ち込んだら大脳破裂でお陀仏だ。でも血ならみんな持ってるし、減ったらまた増やせばいい。だからみんな賭け酒屋では血を賭けるのさ。そら、そこに血売屋があるだろ、みんなあそこで血を抜いてストックしておくのさ。減ったら打ってもらうこともできる、よくできた血液銀行だよ。昔はここ以外にももっと血液銀行があったんだけど、経営が悪くなるとどこも混ぜものをするようになってきてねえ…ひどい店なんか腐った牛乳を混ぜるところもあったよ。もちろんそんなもの打ったら命はないよ、いや、死ねればいい方かな、運が悪けりゃ 1371

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