2025-06-14
タイラギの部屋と狭い通路を隔ててシュウの部屋はある。広くはないが出入口が少なく、守りやすいのが利点だ。そこには山ほどの資料が積まれ、動きづらいのが難点だ。
ランプの明かりは一つだけ。他は全部落としてあるのは、あとはもう本の山に囲まれた狭い寝床で横になるだけだからだ。アップルもクラウスも下がらせた。ベッドに腰掛けたシュウの顔からは、軍師の仮面がすこしだけ外れている。
「トラン共和国を信じていいのか」
突然二人で呼び出されたと思ったら、こんな話だ。ビクトールはフリックと顔を合わせて、肩をすくめた。自分たちだってあとは寝るだけのこんな時間、緊急の仕事の話かと思えば、シュウの弱音の話というわけだ。
だからと言って、嘲笑って踵を返すつもりもない。単なる交易商を軍師と祭り上げた以上、自分たちにはそれをケアする責任がある。
「もしかしたら全部トランの策略かもしれねえな」
新同盟軍が手詰まりであるのは確かだ。皆、それぞれに己の手を決めてしまった。 もうルカと自分たちのどちらがどんな形で戦力を削るのか、見極める体勢に入っている。このまま何もせず、ルカとぶつかれば勝ち目などどこにもない。
だからリスクを取った。間に荒野を挟んでいるとはいえ、サウスウィンドウとトランは、赤月帝国と呼ばれていた時代からの敵国だ。自分たちは名が違うとはいえ、トランは国体を変えたとはいえ、それがなんの意味を持つのか。
「俺たちを矢面に立たせて恩だけ売って、戦後にサウスウィンドウを寄越せって言ったらお前はどうする」
「どうも出来ない。言い出さないことを願うだけだ」
負けないことしか考えられず、勝った後のことは何も分からない。フリードはどんな約束をしてくるだろう。サウスウィンドウの割譲を万に一つでも申し出はしないだろうと考えての人選だが、それがどう転ぶだろう。
何も確かなことはない。誰かを信じて託したとて、託した自分の一挙手一投足が人の命を左右する。目元を覆うシュウの手は骨ばっていた。
ビクトール達に出来ることなど、シュウの話を聞くぐらい。大丈夫だよ、と言葉にするのは簡単だけれど、その無意味さだって知っている。フリックもそうなのだろう。ちらりと見れば、重たい机に寄りかかった行儀の悪い姿勢のまま同じようにビクトールを見て、唇を歪める。
「……お前らは、信じていいのか」
シュウの疑念はある種当然で、トラン共和国とビクトールたちが深く関わっている事は少し調べれば分かること。最初から間者だったとは言わないが、トランと新同盟軍をはかりにかけなければ行けない時がいつか来た時に、二人がどちらを選ぶのか。
地を這うような声でシュウは言った。否定されることだけを願うが、否定する材料はどこにもない。ただ願いだけがある。
フリックが軽く、あざけるように笑った。
「こんな深夜の呼び出しに応じる人間に冷たくないか」
一つ選択を違えていれば、ここに居なかった人間はゆっくりとした仕草で飴色の机の角をなでる。
「俺たちは別にトラン建国には関わってねえしな」
赤月帝国を壊して放り出しただけだ。自嘲を乗せたビクトールの言葉に、フリックもまた頷く。
「顔向けできないんだよな、俺は」
シュウは顔を上げ、眉を寄せた。
「逆だろう。顔向け出来ないのだから、その許しを得るために何か行動をするのでは」
例えばトランにジョウストンを差し出す、とか。
なるほど。フリックは頷き、だが頭を振って見せた。
「まあこれは、俺を信じてもらうしかないんだけども」
指の腹を合わせて秘密でも共有するようにささやく様は、稚い子供の仕草にさえ見える。
「許されたいと思っていない」
だというのに言葉ばかりがあまりにも冷たくて、隣のビクトールでさえ思わず目を見張ってフリックを顧みる。