「没収してくださーい!」
きゃっきゃ、とはしゃいだような女子生徒がスカートを翻しながら、真田副部長に次々チョコを押し付けていく。
誰が言い始めたのか、あの人にチョコを渡す時はそう言うのが流行っている、というか、お決まりのようだ。去年も見た光景であることを朧気に思い出す。
多分風紀委員の彼に普通に渡したら、学校への不要物持ち込みで取り締まられてしまうからだろう。俺はさっさと靴を履き替えながら、くだらねー、と思った。
どうせ自分が楽しいだけ、意思の押し付け、そういうのって真田副部長は苦手。俺でもわかる。
押し付けられた本人は困惑のような、なんとも言えない仏頂面で、どんどん増えていく紙袋やラッピングされた小包を眺めている。
その様子を見て、ほらね、という気持ち。…でもやっぱり落ち着かねえ。
あんまり見ていて気持ちいい光景ではなかったが、自分で誘った手前さっさと置いて出て行ってしまう訳には行かない。だけど、義理チョコが詰まったポリ袋を抱えるのも鬱陶しいし、寒いし。
俺は玄関から吹き込んでくるひやっと冷たい空気に耐えながら、昇降口で繰り返し行われるそれを達観したような、逆に忌々しい心持ちでじっとり眺めていた。
「ねぇ、真田副部長。俺のも没収してくださーい」
さっき聞いた、歌うような口調を嫌味ったらしく真似してやる。
俺の投げつけるような不機嫌を察したのか、副部長はちらりとこちらを見た。
「お前も持ってきたのか?」
眉を寄せて、真意を探るように検討ハズレな事を聞かれて思わず吹き出す。
「なワケないじゃん。てか持ってきたら副部長、怒るじゃないっすか。」
俺の回答を聞いて、驚いたように目が見開かれる。その後、その人は少し目を細めて満足げに頷いた。
「ほう、よく分かっているではないか」
そのいつもより幾分か柔らかな表情に不意をつかれて、思わずじっと見つめてしまう。冷たい風のせいで頬だけ赤く染まって、いつもより幾分かあどけないように見える。
そのままぼうっと見ていると、心臓が思い出したように拍動を主張して、慌てて前を向いた。それでも、今もし触れたとしたら感じるだろうひんやりとした温度や質感、驚いたような顔を想像してしまって、自分でも混乱する。俺はおもむろにマフラーを引き上げた。
なんだか肩透かしを食らったようで調子が狂う。このまま黙っているとどうにかなりそうだったので、俺は取ってつけたように言った。
「まあ、忘れてたし」
強い語調なのが余計に虚しく寒空の下響く。
こんなのは嘘。昨日からチョコを貰えるか気が気ではなかった。もちろん副部長から。
どうせこの人の事だし、チョコなんか用意なんかしてる訳ないと思う反面、もしかしたら貰えるかもしれない、という気持ちをここ最近ずっと引き摺り続けていた俺にとって今日は正念場だった。
なんて言ったって付き合ってるわけだし、ワンチャンある、そう願うのは的外れでは無いはずだ。横の男の反応をしつこいぐらい伺う。
しかし、肝心の副部長は俺の言葉を聞いても、特に思う事はなさそうにさっさと歩いている。
「ていうか、女子ってホントよくやりますよね。こんなこと」
それ以上期待したままでいると、ショックが大きくなってしまいそうだ。
そんなこと考える自分の繊細な面に驚きながらも、やっぱチョコは無しか、と早々に確信し投げやりな気分になってしまった俺は、パンパンになった紙袋達に当てつけのように言った。昇降口での光景がフラッシュバックして、イラつきや切なさが胸に刺さる。
「全く何が楽しいんだか…」
感情に任せてそう続けようとした時、真田副部長の瞳が不自然に揺れたのが見えて、慌てて言葉を飲み込んだ。
え、今俺なんて言ったっけ?なんか変なこと言った?
ぐちゃぐちゃ考えている間に、副部長と目が合う。吸い寄せられるように視線が交わって、幾度となく覗き込んだことがあるはずの瞳が全く新鮮に感じられる。
ざり、と足元でアスファルトと靴のソールが擦れ合った。
知らないうちに、歩みが止まっている。
「まっ、まさか、勇気を出して渡した女子の気持ちを考えろ!とか、言わないっすよね」
変に空いた間が追い立てるように俺の口を動かす。はは、と乾いた笑いが口からこぼれた。
真田副部長の顔からは、何も読み取れない。ただ、俺が何か明確なミスを犯したことだけは事実だ。その証拠に俺たちの間には、無限と思われる沈黙が居座った。
謎の口の渇きと冷や汗を感じながらも、この違和感を伴った沈黙の理由を考えるため脳をフル回転で動かす。さっきの言葉の何がダメだったのだろうか。そもそもさっきの言葉が本当に原因か?てかほんとに俺なんの話ししてたっけ?
ループし始めた疑問を捨て、とりあえず謝っておこうかと思考放棄仕掛けたとき、ふっ、と副部長は肺に詰まっていた空気を抜くように笑った。
笑った?
思わず疑問符をつけたくなる。それは笑ったと言うよりもむしろ…そこまで考えた瞬間それを阻害するように、沈黙は破られた。
「まあ、半ば正解とも言えるかもな。」
副部長はそうなんでもない事のように言うと、先程の時間の滞りが無かったかのように下校道を歩き出す。
え、正解って、まさかのビンゴ?アンタにチョコ渡した女子達の気持ちを考えろってこと?なんで言わば敵の立場のヤツにそんなに温情をかけなきゃ行けねーワケ?
無数の疑問が湧くが、さすがの俺も何か変にはぐらかされたのは分かる。呆気に取られてる俺を置いて、どんどん進んでいく背中。数歩走れば追いつくし、適当に好きなゲームでも学校の課題でも、話題をふっかければいつもと変わらない真田副部長と俺に戻れるだろう。でも先程見た、切ないような寂しいような、あんまりにも似合わない表情にこのまま流しては行けない、という異様な焦燥感を覚える。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
俺は地面を蹴って右手首を掴まえた。
さっきの言葉はどういうことか、と率直に聞きそうになるが、その振り返った硬い表情を見て引っ込める。考える前に口が動いた。
「おれ、俺は、申し訳ないっすけど、どうでもいいと思う。」
やけに口が渇いて、張り付くのがうっとおしい。少しの間を置いて短く、そして小さく、そうか、と返されるが俺は間髪入れずに言った。
「一番アンタを好きなの、俺なんで」
副部長は困惑気味に顔を顰めて、じっと俺の顔を見た。その後、夕焼けの中でも分かるぐらいに、みるみる顔が赤くなっていく。
「ち、違う、そういうことではない!お前にチョコを渡した人の気持ちを考えろと言っているのだ」
副部長は珍しく吃りながら言葉を発しているのに、さっきまでよりもよほどいつもの副部長らしかった。少しほっとするけど、その内容に混乱する。
「え、何?どゆことっすか、副部長が俺に嫉妬してるってこと?こんなん全部義理っすよ」
ほら!と証拠にポリ袋の口を開いて、コンビニで年がら年中買える廉価なチョコ達を見せる。真田副部長は呆れたような表情でこめかみに手をやる。俺はまた、何か間違っていたようだ。
改めて、落ち着いて考え直す。目の前の男は、俺にチョコをあげた人の気持ちも考えてやれ、と言っているのだ。俺は正直に話した。
「…俺はそりゃ、チョコ結構好きだし嬉しいっちゃ嬉しいすけど、どんなチョコ貰ったってどうも思わないっすよ」
気づけば真田さんは顔を上げて、変に神妙な顔つきでこちらを見つめている。通りがかりの人として見たら、睨まれてると勘違いしそうな鋭い目つきは、俺の目から見るとどこか不安定な揺れを孕んでいる気がした。もうここまで来るとダサいとかどうとかは、どうでもいい。
俺は投げやりと言っていいくらい、勢いで意を決して言葉に出す。
「本命から貰えなきゃ、意味ないし」
その瞬間目が丸く見開かれる。俺はばつが悪くて目線を下に落とした。
「本当はずっとアンタから欲しかったけど、風紀委員だし、欲しいって言ったら用意させてるみたいで」
嫌だった、曖昧に消えた言葉を残して、俺は黙りこくった。どうしようもなく手が冷たい。ポリ袋をずっと握りしめていた手はかじかんいて、ずっと感じてたはずなのに、今更思った。
「俺は、その、お前が要らないのかと思うと、」
その声に顔を上げる。真田副部長も不自然に言葉を切って、困ったような顔をしている。次に続ける言葉が見当たらないみたいだった。2人とも言葉にするのが下手くそで、もはや会話になってない。酷くって、思わず笑ってしまった。
ちょっと空気が緩んだ気がして、俺はポリ袋を逆の手に持ち替える。伸びをして、手の関節を伸ばす。
「もしかして、俺にチョコ用意してくれたりしたんすか?」
なーんて、とさっき言いかけた言葉を揶揄うように言うと、真田副部長はきまり悪いようにぎこちなく頷いた。
「は!?」
身体の奥から声が出て、近くの木から二、三羽カラスが飛び立った。副部長すら俺の声のでかさに一歩後ずさる。
「え、え、俺に?チョコあるんすか?」
「だからあると言っているだろう。家まで取りに行く必要があるが」
「全然言ってない、超初耳なんですけど!」
そんな素振り一切なかっただろ、と嬉しさより唖然としてしまう。さっきまでの俺の葛藤は?なんだったんだ?どうして何も言い出さなかったんだ?
衝撃の事実に頭がぐるぐる回る。
その過程で、俺はふと恐ろしい可能性に思い当たった。
「てかそのチョコ、俺が欲しがんなかったらどうしたんだよ」
独り言のようにこぼれたそれに、真田副部長は得意げに返した。
「心配するな。自分で食べるか、幸村に渡すかして処理しただろう。無駄にはしない。」
そういうことじゃねえ、とそのズレた考え方に力が抜けるが、それよりも聞き捨てならない名前が混じっていたことにも嫌な予感がする。恐る恐る俺は疑問を呈した。
「なんでそこで幸村部長の名前が…」
「そもそもの発端があいつだからだ。」
うわ、と気の抜けた声が出そうになるのを押しとどめてなんとか空を見上げるに留める。
当然のように言い切った真田副部長を前に、俺の胸の内は幸村部長への感謝やら嫉妬やらでぐちゃぐちゃに掻き乱された。この人と付き合う上で必ず関わることになるのは分かっていたが、わざわざチョコを恋人に渡すようけしかけるなんて絶対に面白がってやっている。しかし、本人にはそんなからかいをさっぱり認識せず、それどころか良いアドバイスだ、さすが幸村、とすら思っているだろう。これがこの2人の厄介なところである。
そう俺がうだうだ考えている間にも、副部長は丁寧に事のあらましを説明してくれている。
「幸村が、妹が毎年楽しそうにしてるから、とチョコ作りを提案してきたのだ。ついでに恋人に渡せ、とも。」
あの人結構思いつきで行動するよな、と俺はショックの抜けきらない頭でぼんやりその話を聞いていた。
「しかし俺は、赤也がそこまでチョコを欲しがるか疑問に思ったのだ。だから拒否されたらどうすれば良いのか相談するとあいつは一言、その時は任せろ、と」
危ない。俺はその一言に冷や汗が吹き出た。ここで誤解されたままだったら、明日幸村部長が俺の教室に乗り込んでくるところだった。クラスメイトの注目を浴びつつ、目が笑ってない幸村部長を目の前に震えるビジョンが脳裏を過り身震いする。
そんな恐々とする俺を横に、真田副部長は言葉の理由がピンと来ていないのか釈然としない顔をしている。こちらの気も知らないで、ノーテンキだ。
副部長は、俺の不信な視線を決まり悪く思ったのか咳払いをして話を戻した。
「それで、受け取るのだな?」
「当たり前っすよ!」
途端に目を輝かせて返事をする現金な俺に、次は真田副部長が呆れたようだった。慌てて俺は訂正するように口を開く。
「ちょっと、俺が嬉しいのは副部長からのチョコだから、っすから」
「わかったから往来で大きな声を出すな」
照れているのか、いつの間にか進み始めた歩調はいつもより大きくて、少し速い。俺は心が痛くて、でも変にそれが心地よかった。嬉しさと好きがごちゃ混ぜになった気持ちのまま、後を追いかけて言った。
「副部長も充分でかいっすよ!」