初恋 周囲の大人に勧められ、街中の子供が集まるお祭りに参加したのだけれども、早熟だったティル・マクドールはすでにどのタイミングでこの集団の中から抜け出そうか、そう考えあぐねているところだった。離れたところにいるクレオの鋭い視線が背中に刺さる。クレオは幼い頃からティルと一緒にいるので、彼のことはよく知っている。彼女は、年の割には大人びた考えを持つ黒髪のこの少年が、いつ祭りに飽きてどこかへ逃げてしまわないか見張っているのだ。
ティル・マクドール、赤月帝国五大将軍のテオ・マクドールを父に持つ、帝国貴族の出であり、幼い頃から利発で運動神経も申し分なく、まさに文武両道を体現する子供だった。ただ周りより何でも上手く出来てしまうが故に、同年代の子供たちからは一線引かれてしまう存在になってしまった。「友だち」と呼べる存在はなく、彼の周りはいつも年上ばかりだった。十才になっても一向に街の子供たちに混ざる気配のないティルを、テオの部下でありティルにとっては姉のような存在であるクレオは大層心配していた。そうして彼女は年に数回こういったイベントに彼を強制参加をさせ、今のようにティルが逃げ出さないよう、そして楽しく参加できること祈りながら見張るのだった。
ーー視線が痛い。まだまだ逃げられそうにない。どうしてこんな何も考えていなさそうな子供たちに混じっていないといけないのか。これなら師匠の元で棍の鍛錬をしていた方が何倍も有意義だ。読みたい本もまだまだ沢山あるのに。どうして子供に混じって子供のように遊ばなくちゃいけないのか。憮然とした表情でティルは周りを見回す。鼻水を垂らした子供やズボンがなぜか片方だけ捲り上がってる子供、頭が悪そうでくらくらする。こんな子供たちと同列に思われてるなんて。イライラとしながら頭を掻いたその瞬間、視界の端に鮮やかな緑が現れた。
歳の頃はティルよりも二つか三つほど下だろうか。先程までティルが聞き流していた祭りの主催の話を、緑の目をきらきらと輝かせて聞いている。こぼれ落ちるのではないかと心配になる程の大きな瞳は、それはそれは真剣に大人の話を聞き入っていた。頬はピンク色に染まっていて、つい触りたくなるくらい柔らかそうだった。少し緑がかった茶色の髪は顎くらいの長さで切りそろえられており、サラサラと風に流れるその髪はとても美しく感じた。ティルがしばらく目を奪われていたので、その子供もいよいよ視線に気づく。相手のハッとした表情もとても可愛らしかった。大きな瞳がより大きく見開き、頬もますます紅潮した。
声を掛けるタイミングを失ったまま、お互いしばらく見つめ合っていた。ふと胸元の名札に目をやる。赤いチューリップのアップリケには「るっく」と書かれていた。自分の胸にも同じように桜のアップリケがついている。名札に手をやると、思い切って声にだしてみた。
「ティル。ぼくの名前はティル。きみはルックって言うの?」
こくんと頷く。
「てぃる。てぃる……」
年の割にはまだ言葉が拙いようで、緑の瞳の子供はゆっくりと声に出しながら少年の名前を紡ぐ。
「その。良かったら今日、いっしょに回らない?」
心臓がどきどきする。同年代の子供と遊ぶ経験のないティルは、もちろん人を誘うことも初めてであり、いっしょに行こうと差し出した手は少し震えた。差し出された手に一瞬ルックは戸惑う素振りを見せたが、おそるおそるティルの手を取る。
「うん」
頬を真っ赤にしながら頷く。
「ルック、今日はよろしくね」
ぎゅっと手を握る。子供特有の汗ばんだ手が緊張のためか余計しっとりしていた。
「…うん。よろしくね」
にっこりと笑ったルックはとても眩しくて。ティルの鼓動はますます早くなる。一目惚れである。
イベントの内容はこうだ。グレッグミンスターの店に置かれているスタンプをあらかじめ配られたカードに押して回り、スタンプを六つ集めてから噴水前にあるブースにカードを持っていくとおやつがもらえるというものだった。いつもであれば一人で早々と回りイベントを終わらせるティルだけれども、今日は違う。この子と話してみたい、この子といっしょに回ってみたいと初めて思った。
「ねえ」
二人で最初の目的地である「マリーの宿屋」に向かう途中に話しかけてみる。
「きみってこの街の子じゃないよね?」
この街で「マクドール家のティル」を知らない者はない。全く気後れすることなくティルと手を握り、自分についてくるルックは他の街の子だと見当が付いていた。
ティルの問いにルックが小さく頷く。
「どこからきたの?」
何気なく聞いた質問であったが、ルックは無言のまま首を横に振る。どうやら住んでいる場所は秘密のようだ。
「ぼくはこの街に住んでるよ。詳しいから今日のゲームはぼくに任せてね」
深く追求せずににっこりと笑うティルにルックは安心したように微笑み返す。
「…ぼくはしまからきたの。ここへはたまにくるけど、まだくわしくない」
なるほど、たまにこのグレッグミンスターに来ることがあるのか。ならば今日以降もこの子と会うことができる。次の約束はいつしようか。などと考えていたが、先程のルックの言葉にふと気がつく。
ルックは「ぼく」と言ってなかったか?いやでもこんなに可愛らしいしまだ小さくて手も柔らかい。ティルが棍を習っていることを差し引いても、女の子の手は子供でも柔らかいものだし、今握っているこの手は恐ろしく白く可憐だ。第一自分のことをぼくと呼ぶ可能性はないことはない。
答えを聞いてしまうのが怖くて、ティルは聞き流すことにした。ティルはマクドール家の後継ぎでもあるので、将来は当然どこかの貴族の娘と結婚して子をもうけ、家を存続させていくものだと思い込んでいたし、この子は明らかに貴族の出ではなさそうな街の外の子供だ。貴族はグレッグミンスターにしか住まない。なので自分がいくらこの子を一目見て気に入っても、好きになっても、結婚したいと思っていても無理なものは無理なのだ。ティルは聡いので己の立場をこの歳にして理解している。だからルックが別に男の子でもいいんじゃないか。どうせ結婚はできないのだから、とルックの性別に関しては忘れることにした。とりあえず一緒に今日のイベントを楽しもう。そう結論を出し頭を軽く振って考えてを切り替える。
そうこうしていると、マリーの宿屋に到着していた。
「さあルック、着いたよ。最初の目的地だ」
「ここが」
「中のカウンターにだいたいいつもスタンプがあるはずだから、押しに行こう」
「うん。ティルはくわしいね」
目をきらきらと輝かせて、自分に尊敬の眼差しを向けるルックに、ティルは得意気になる。
「言ったろ。この街のことならなんでも聞いて!」
気持ちが大きくなってしまうのはなぜなのか。ルックにもっと褒めて欲しい。もっとそのきれいな瞳で自分を見て欲しい。初めての恋にティルの胸は高鳴り、気分もふわふわして最高だった。
マリーの宿屋のカウンターにあるスタンプを見つけ、ルックにシートへ印を押してもらった。好きな子から初めてのプレゼントをもらったみたいで、ティルはこのシートは後生大事にしようと心に誓う。
さて次は紋章屋だ。宿屋からは近いので高鳴る気持ちのままルックの手を再び握り、次の目的地へ向かった。
一緒に駆け足で歩くせいなのか、心なしかまた顔が紅くなっている。ルックの方を見るとさらに顔を紅くして微笑み返してくれる。なんて可愛いのだろう。ずっとこうしていたい。そう思っても紋章屋はすでに目の前にあり、大人しくティルはドアに手を掛けた。
紋章屋には滅多に行かない。武道を極める父に憧れを抱いていたので、ティルも魔法にあまり興味がなかったからだ。
「ここ。紋章があるおみせ……」
店内に入るなり、ルックが先程のマリーの宿屋とは打って変わって自分から進んで行く。
「ルックは紋章に興味があるの?」
顔を覗き込むように話しかけると、一瞬驚いた表情をしたがすぐに黙り込んでしまう。
「…………。紋章はお友だちだから。知ってるの」
その沈黙に手持ち無沙汰になり、店内にある紋章を物色していたら後ろから絞り出す様な声でルックが答えた。
「お友だち」
ティルが反芻すると、こくんとルックが頷く。
「お友だちね。ルックは魔法使いになりたいのかな?」
「たぶんそうなるとおもう」
「そう」
何気なくそう聞いたら真剣な目で答えられた。
「ぼくは大人になったら将軍になるんだ。魔法使いと将軍だったら一緒に戦えるかもね」
だったらいいなという願望も込めてルックの手を握る。
「そのときはよろしく」
そう言って笑うと、一瞬の目配せのあと、ルックもティルに目線を戻し、うん、よろしくねと笑った。
マリーの宿屋、紋章屋、道具屋、防具屋と一通り店を周り終え、いよいよゴールの噴水へ向かうことになった。途中途中やれここの出店のおやつが美味しいだのここにちょうど良く休憩できるベンチがあるだのと別段面白味のない説明をしていったが、ルックは飽きることなく首を縦に振り話を聞いてくれた。