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    Hosikuzusizuku1

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    Hosikuzusizuku1

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    無事に部誌に入れられた創作話(この前よりちょっと増えた) いつか続きも書くかもしれない

    いざや参らん、下剋上! 第一話(?) 或るところに、とても素晴らしい魔法使いがいました。
     心優しい魔法使いはその強大な力を使って、別け隔てなく多くの人々を助けていました。
     人々はそんな魔法使いに心から感謝し、敬愛していました。
     ──しかし。
     或る時魔法使いは、悪魔に取り憑かれてしまったのです。
     悪魔に魂を売った魔法使いは、かつて救ってきた多くの人を、物を犠牲にし、次々と恐ろしい儀式を完成させていきました。
     闇に魅入られたその横顔に、かつての優しく聡明な面影は残ってはいませんでした。

     黒い雲から黒い雨が降る中、魔法使いは死にました。
     漆黒のローブから、ぼた、ぼたと黒い雫が零れ落ちます。
     倒れ伏した魔法使いを見下ろす、幾千の目。その全てが、彼を冷たく見下ろしていました。
     黒く濡れた剣を掲げ、清く正しい聖騎士は
    「『悪魔』、今此所に死す」
    と、高らかに声を上げました。
     雲は晴れ光は差し、人々は聖騎士に、万雷の喝采を捧げました。

     『悪魔』の脅威は去り、今では世界に、平和だけが残っているのでした。
     めでたし、めでたし。


     キーン、コーン、カーン、コーン。
     学内の庭に置かれた、巨大な鐘が鳴り響く。
     授業を終えた生徒たちが、めいめいに自由な時間を過ごす中、黒い影が校舎の屋根の上に腰かけて、その様子を眺めていた。
    「いたっ! はあ……はあ……ちょっと、アナタねえ!」
    影の前に姿を現した生真面目そうな少女が、息も絶え絶えに声を荒げる。二つに結んだ短めの赤毛が、その拍子にピョコンと跳ねた。
     影はハッとしたように顔を上げると、軽く手を挙げた。
    「よお、遅かったな。いやー、こっちに来てよかったよかった。こんな高い所があるんだからな」
    「何よぉ、自分から勝手にどっか行ったくせに。しかもこの高さまで魔法もなしに跳び上がるだなんて、どうかしてる! うう……こんな破天荒すぎる奴の世話役なんて引き受けるんじゃなかった……」
    片手で顔を覆い、少女は項垂れた。
     ニヤニヤ、と形容するのが一番合うであろう笑顔を浮かべながら、パーカーのフードを目深に被った影のような少年は少女を見つめる。
    「うーん、いい風だ。──ところで『それ』、随分年季が入ってそうだけど、座ってて痛くないのかい?」
    「え? ……ああ、この子のこと?」
    少女の片手に握られているのは──箒だ。少女は箒の柄──よく見ると、端正な文字で“Rose In  Mist“と刻まれている──を優しく撫で、笑顔を見せた。
    「平気よ。長い付き合いで、慣れっこだもの」️
    「すごいなあ。俺には箒で空を飛ぶなんて到底出来ないや」
    襖は閉められるけどな、と続けて少年は呟く。聞いたこともない表現に首を傾げつつも、異国特有の諺のようなものなのだろうと、少女は頭の中で結論付けた。
    「それはまだやったことないからでしょ? 飛行術は、この学園──というかこの国で生活していくなら必須レベルのスキルなんだから、留学生と言えどちゃんと身に付けないと大変よ」
    「うええ、厳しいな」
    ヒラヒラと手を振った少年は何を思ったか、突然傾斜の強い屋根の上に手を突き、屋根を蹴り上げた。
    「よっと」
    「ちょっと!? 危ないわよ!」
    「平気だって、慣れっこだから。……なあ、あれは?」
    もしかして私、舐められてる?──と頭を抱えそうになった少女は、少年が足先で指す方を向いた。
    「……あれね。ほっといた方がいいわ」
    彼らの目には、小柄な生徒が大人数に囲まれている様子が映っている。
    「止めないんだ?」
    「関わり合いにならない方が身のためよ。なんたってあの子は──っていない!? ああもうそんなことだろうと思ったわよーっ!!」
    既に再び大きく跳躍して、騒ぎの渦中へと飛び込んでいった少年を追いかけ、少女は本日何度目かも知れないため息をついた。


    「お前、さっき俺のカネ盗んだよな?」
    ふわふわとした白い髪に、薄緑色の瞳。全体的に儚い印象雰囲気を漂わせる小柄な生徒に、一際大柄な男子生徒が詰め寄る。
    「……」
    三角帽子を目深に被った小柄な生徒は、顔を上げることもせず押し黙っている。
    「おい、無視か?それとも図星かァ?」
    「……ああ、ごめんね。少し考え事をしていて。僕に何か用かな?」
    「テメェ……!!」
    ようやく顔を上げた生徒の胸倉を掴み、大柄な生徒は喉元に杖先を突きつける。瞬時に人集りがざっと動き、渦中の二人から距離をとった。
    「だめだよ、人に杖を向けちゃあ。危ないよ」
    「よく言うぜ、血も涙もねえ『悪魔』の孫の癖によォ」
    ピクリ、と宙に浮いた生徒の体が震える。
    瞬間、じっとりと嫌な熱気に包まれていた場の空気が凍りついた。
    「……」
    「はっ、誤魔化しもできずにだんまりか!」
    鼻息を鳴らし、大柄な生徒が小さな体を乱暴に投げ捨てた。
     小柄な生徒が石畳の上に叩きつけられ、冷たい地面に横たわる──ことはなかった。
    「……おい、何のつもりだ」
    「いやあ、なんだか面白そうなことしてるなーって」
    大柄な生徒が凝視する先では、屋根の上から飛び降りた影のような少年が、小柄な生徒を地面すれすれで支えていたのだった。
     青白い手が己の体を支えていることに気づき、生徒は白く長い睫毛に囲われた目を見開く。
    「きみ、は?」
    「んー、謎多き転校生、ってとこかな?」
    「テメェ、この俺に楯突くってことがどういうことか、分かってやってんだろうな!?」
    「えっ? 困ってる子を助けるのは、こっちでは駄目なことなのかな?」
    黒ずくめの少年は飄々とした笑みを絶やさない。大柄な生徒の苛立ちは、一瞬で限界に達した。
    「舐めやがって!!」
    大柄な生徒が激昂して杖を振りかぶる。杖の先から迸り己を狙い燃え上がる炎を──黒ずくめの少年は、指先でつまみ上げた。
    「……は?」
    「俺相手に炎を使うなんて、無謀なことしたね」
    つまみ上げたそれを、少年は手の中で粘土を弄ぶかのように丸めてみせたのだ。前代未聞の芸当に、周囲は唖然として騒ぎの中心を見つめた。
    「ファイアボール!……なーんちゃって」
    ふざけた声と共に放たれた炎の球は一切のブレなどなく、大柄な生徒の顔面に直撃した。
    「──」
    声を出すことすらできず、生徒はそのまま地面に倒れ込んだ。遠目に騒ぎを見ていた取り巻きたちが慌てて駆け寄り様子を窺うが、どうやら単に気絶しているだけのようだった。
    「これ正当防衛成立するかなあ?」
    「知らない」
    「とりあえず、逃げちゃう?」
    「うん」
    「はーっ、はーっ……やっと追い付いた……」
    黒と白の生徒の元へ、箒を片手に持った少女が駆け寄る。ぜいぜいと息を切らす少女に、黒ずくめはひらりと手を上げると、大きく笑顔を見せ、言った。
    「そうと決まれば、ちょっとひとっ飛び連れてってくんない?」
    「はーっ、はあ!? って、キャーッ!!」
    トントン拍子で方針を固めた二人に唖然とする暇もなく、辺りはまたしても熱気に包まれた。ボスを呆気なく倒され気後れしていた取り巻きたちが、なんとか調子を取り戻し、彼らに杖を向け猛攻を仕掛け始めたのだった。
    「早くしないと君まで燃えちまうぜー!」
    「あ──もうわかったわよ──っ! 飛べばいいんでしょ飛べば! うううごめんね私のロゼ、重いけど頑張ろうね……」
    箒の柄を悲しげに撫で、少女はまたも箒に跨がる。
    「じゃ、行こっか!」
    「わかった」
    素直に頷いて己の手をとり、箒に腰掛けた白皙の生徒の頭を帽子ごとわしわしと撫で、黒ずくめの少年は空いた手で箒の柄を握る。
    「私のロゼに乱暴したら承知しないからね。しっかりかつ優しく捕まってなさい!」
    至るところで爆風と稲妻が吹き荒れる中、ふわりと箒が地面から浮かび上がる。
    「俺たちの代わりに怒られといてねーっ!」
    「挑発してどうすんのよーっ!!」
    少女の甲高い怒声が宙に響く。それを合図にでもしたかのように、箒は瞬時に驚異的な力を発揮し、青い空を風を切って駆け始めた。


    「ふう……ここまで来ればもう安全だね」
    箒の柄に捕まった黒ずくめの少年は、ぷらぷらと体を揺らしながら胸を撫で下ろす。眼下に広がるは尖塔の多い煉瓦の街。人の姿も最早小さな粒のようにしか見えない。
    「安全だね、じゃないわよ! アンタが火に油を放り投げに行かなきゃこんなことには……」
    「ありがとう、助けてくれて」
    赤毛の少女を遮って──というより気にも留めずに──白皙の生徒は視線を落とし、黒ずくめの転校生にぺこりと頭を下げた。
    「君も、ありがとう」
    「わ、私はただアイツのお目付け役で……どうも」
    同じように頭を下げられた赤毛の少女は、毒気を抜かれたように一瞬ぽかんとした顔を見せた後、ふいとそっぽを向いて答えた。
    「そうだ。今のうちにお互いちゃんと名乗って、あのモブの皆さんと区別つけておかなきゃね」
    「何の話よ、というか私の名前はもう知ってるでしょアンタ。──私はベリンダ。ベリンダ・ミストよ」
    障害物を気にしつつ、ベリンダは慣れた様子で箒を駈り続ける。
    「俺は、ユキ・クロエ──あー、悪い。クロエって呼んでくれたら助かる」
    歯切れの悪い名乗りに、ベリンダはまたも首を傾げる。どうにも、謎の多い転校生だ。
    (謎と同じくらい、厄介ごとを引き寄せてくるとんでもないやつだけど!)
    「僕はシトリス。シトリス・コキュートス」
    すっと馴染む落ち着いた声が、クロエの耳をくすぐる。
    「よろしくな、シトリス」
    「よろしくね、クロエくん」
    殊更に大きな笑顔を浮かべたクロエに、シトリスも釣られて微笑みを浮かべた。
    「それで、これからどうするの? ずっと飛び続けるわけにもいかないし」
    ベリンダの声に、シトリスが何でもないような調子で答えた。
    「僕の家まで送ってほしい」
    「進行方向と真反対じゃないのふざけてんじゃないわよ!!」
    それでもベリンダが操る箒はなかなかの勢いで旋回する。クロエはともかく、特に直接的な縁があるわけでもないシトリスまで助ける義理は、彼女にはなかった。普通に面倒事はごめんだが、しかしここまで付き合ってしまったからには仕方がない、放ってはおけない──ベリンダにとって、彼女自身の性質をここまで恨んだのは初めてのことであった。


     木々の間を縫って進む少年たちと少女と箒は、やがて森の奥深くの、開けた場所に辿り着いた。
     温かな日の光が差す、小さな原っぱだ。ささやかではあるが手入れの行き届いた花壇。清らかな水を湛えた小池では、小鳥たちが羽を休めている。そして、ますます深く広がる森を背に建つ、巨大かつ厳かな雰囲気の漂う屋敷が、その空間の中で一際目を惹いた。
    「ありがとう。……一日のうちでこんなにもたくさん『ありがとう』を言ったのは、ずいぶん久しぶりな気がするよ」
    「まったく、もう。こんな深い森の中を箒で飛ぶなんて無茶な芸当、私ぐらいの腕前がないとできっこないんだからね!」
    胸の前で腕を組み、ふんと鼻を鳴らすベリンダに向かって、クロエは宥めるように笑みを深めた。
    「お疲れさん、ベリンダ。おっと、ロゼもだな」
    「──え」

    『ベリンダちゃん、箒に名前つけてるの? 変なのー』
    『私、聞いたことある。なんでも、お父さんもお母さんもずっと働きに出てて、箒くらいしか話し相手がいないんでしょう?』
    『かわいそー』

    『ミストのやつ、ガキの頃からずっとあのボロ箒使ってるらしいぜ』
    『買い替える金もないんだろ。それなのに無理してこの学校に通ってるんだろ?』
    『意識高いよな』

    『てか、ただの物に名前つけるとか……』

    『イタくね?』

    「おーい、ベリンダ?」
    「ベリンダちゃん?」
    「……あ」
    クロエとシトリスの声で、現実に引き戻される。脳裏にフラッシュバックした暗い、暗い言葉の海から、ベリンダはなんとか意識を浮上させることができた。
    「悪い、無理させたか?」
    「う、ううん。平気よ、平気」
    「せっかく送ってもらったんだもの。お礼には少し足りないかもしれないけれど、お茶にしよう」
    玄関前に立ち、家に上がるように促すシトリスと、頭の後ろで腕を組みながら歩みを進めるクロエの後を追って、ベリンダも歩き始める。

    『お疲れさん、ベリンダ。おっと、ロゼもだな』
    (生まれて初めてだ。あんなこと、言われたの)
    箒の柄をきゅうと握りしめて、ベリンダは朱に染まった顔を隠すように俯いた。


    「中は思ったより綺麗だな」
    「何かわからないけどノらないからね、私は」
    「ちぇっ」
    くすくすと愉快そうに笑いながら、シトリスは二人を連れ、屋敷の中を案内する。
    「ここがキッチンで、その隣がダイニング。中で繋がってる」
    「いいね。便利だ」
    「そっちが書庫。たくさん本があるから、よかったら見ていってね」
    「そ、それはちょっと気になるかも」
    「あと、ここがお客さんの寝室その1、2、3だよ」
    「多くない?」
    板張りの廊下は歩くたびに少し軋むが、埃一つ落ちていない。
    (一階だけでもこんなに広いのに、掃除するのは大変じゃないのかしら)
    ベリンダの疑問はすぐに解消されることとなった。
    「しとりすさまー」
    「おかえりなさーい」
    突然姿を現したかと思うと、わらわらと集まる小さなそれに、クロエは目を丸くした。
    「もしかして妖精? すげえ、初めて見た」
    シトリスの周囲でふわふわと浮かび上がる光たち──よく見ると、小さな人の形をしていることがわかる──に向かって優しい笑顔を浮かべながら、シトリスは答えた。
    「そう。この家でお手伝いさんをしてくれているんだ。──みんな、ただいま。客間も掃除してくれてる?」
    「もっちろーん! ぜんぶピッカピカですよー!」
    「頼もしいなあ。紅茶は僕が入れてくるから、君たちは先にこの子たちを連れていってあげてくれないかな?」
    「はーい!」
    先ほど通りすぎたキッチンに向かうシトリスの背中を見送りながら、声を揃えて元気よく返事をする妖精たちを見て、ベリンダはポカンと口を開けた。
    「そ、そんなことって……」
    「ん? なんか問題でもあんの?」
    「いや、そういうわけじゃないんだけど。まあアンタは知らないか──こんなにたくさん妖精を雇ってたら、その、費用とか諸々馬鹿にならないから」
    「あー」
    それに、とベリンダは心の中で言う。
    (それに、あんなにも妖精たちに向かって優しく笑いかける人なんて、私は初めて見たもの)
    「はじめまして、しとりすさまのおともだちさま!」
    「こっちですよー!」
    クロエとベリンダの会話に言及することもなく、妖精たちはあどけない笑顔のまま二人の前をふわふわと楽しげに飛び回った。

    「こちらでーす!」
    「ゆっくりしていってね!」
    「おー、サンキューな」
    「ありがとう」
    妖精たちに連れられて二人がやって来た客間も、手入れが行き届いた部屋だった。廊下や庭の様子を見るに、この屋敷全てがそんな状態なのだろう。
    「大変ね、アナタたち」
    「へ? なにがですか?」
    「この屋敷全体、君たちが手入れしてるんだろ? なかなか骨が折れそうな仕事に思えるけど」
    「たいへんだなんて、とんでもない!」
    またしても声を揃える妖精たちの勢いに、二人は少したじろいだ。
    「このおうちのようせいは、みんなこきゅーとすけのみなさまに、とてつもないおんぎがあるのです!」
    「おやしきのおていれくらいでは、とうていかえせるものではないのです! とくに、しとりすさまのおじいさまには──」
    「どうかしたの?」
    落ち着いた声に振り返れば、よく磨かれた銀色のトレイを持ったシトリスが部屋の入り口の側で立っていた。
    「ご、ごめんなさい、しとりすさま」
    「つい、あつくなっちゃって」
    「気にしないで。それより、他のみんなも呼んでお茶にしよう」
    「はーい……」
    少しだけ弱まった光を纏って、ふわふわとした──少し覚束なさが増したようにも見える──動きで、妖精たちは部屋から出ていった。
    「あんなに落ち込まなくてもいいのになあ」
    「慕われてる証拠なんじゃない?」
    ベリンダの声に、シトリスは弱々しい笑みを浮かべ、答えた。
    「……僕自身は、あの子たちに何もしてあげられてないよ。あの子たちは自分から、おじい様への恩を返そうとしてくれているだけで」
    少しの間黙りこくった後、シトリスは頭を振って言った。
    「いけない、お茶が冷めてしまう。二人とも、好きなところに座ってね」

    「ヤバいぜベリンダ、ふっかふかだ」
    「ちょっと、はしゃがないでよ。はしたない」
    沈み込む体にはしゃぐクロエを、ベリンダがたしなめる。
    「それにしてもおいしいお茶ね。初めての味だわ」
    「お茶なんて、もう長いこと淹れてなかったけど……喜んでもらえているなら、何よりだよ」
    既にお茶菓子を五つは平らげたクロエが、ポンと膝を叩いた。
    「そろそろ、互いの話をしないか? 俺たちもどこかの誰かさんも、微妙に分かってないことが多すぎる」
    「アンタの語り口は妙に腹が立つけど、まあいいわ。シトリスは何か聞きたいこと、ある?」
    湯気を立てるカップをテーブルの上に置いて、シトリスは暫し顎に手を当てて考えた後、言った。
    「そうだな……君たちは、どんな風に出会ったの?」
    「ああ、そこからね」
    「まず俺だけど──俺がこの国の出じゃないことはわかるよな?」
    「うん。君みたいな綺麗な黒い髪、初めて見たもの」
    「そう。俺の故郷はここより東の方にある。そこからこの魔法大国に、留学生としてやって来たってわけだ」
    「そして、私は何故か勝手に、このとんでもない留学生がこの国に慣れるまでのサポーターにされちゃったの。迷惑な話だわ」
    「割と楽しくない?」
    「楽しくない」
    「そういうことだったんだね。ありがとう、教えてくれて」
    再びカップに口をつけて喉を潤したシトリスは、二人に向かって微笑んだ。
    「それじゃあ、二人も僕に聞きたいことがあれば言ってほしい。出来る限り答えるよ。……遠慮は、しなくていいから」
    「サンキュー、なら聞きたいことがある。──君の『おじい様』に、何があったのか」
    「……」
    ベリンダが、ふっと顔を背けた。
    「気分のいい話ではないだろうけど……」
    一呼吸置いて、シトリスは口を開く。
    「僕のおじい様は、かつて大罪を犯してしまった。悪魔と契約して黒魔術を使って、何人も、何千人もの人たちを殺した。人も虫も獣も、何もかも」
    「……」
    「おじい様は本当に優しい人だった。たくさんの人たちを助けて、僕たち家族のことも心から大事に思ってくれた。あの妖精さんたちだって、前の雇い主にひどい扱いを受けていたところをおじい様に匿われて、この森にやってきた。天使という言葉は、きっとあんな人を指すんだと、小さい僕はずっとずっと、そう思ってきた」
    言葉が途切れる。二人は何も言わず、呼吸を整えるシトリスを待った。
    「……そんなおじい様が、何を思って悪魔となんて契約したのかはわからない。でも、おじい様はみんなが言うような『悪魔』じゃなくて、でも天使でもなかった。あの人は、確かに人間だったんだ」
    「……ねえ。シトリスは、そのことについて、どう思ってるの?」
    「先に君に聞いてみたいな。──君はどうなの、ベリンダ」
    静かな声で問われ、ベリンダはぎゅっと服の裾を掴んだ後、恐る恐る顔を上げて答えた。
    「私は、その話がずっと本当のことだと思ってきた。かつての大魔法使いレミン・コキュートスは己の目的のために『悪魔』に堕ちて、大虐殺を働いた──だから入学式の日、コキュートスの名を聞いた私は真っ先に、『関わりたくはないな』って、思ったの」
    「当たり前だよ。コキュートスの名は、今や大陸中に轟く悪名なんだから」
    「『悪魔』の孫も、血も涙もないやつだってみんなが噂していたわ。私だって──あまり、考えないようにはしていたけど──心の中では、どこかでそう思っていた。……実際のアナタは、優しくて、穏やかで、全然、そんなことはなかったのに」
    ベリンダはやにわに立ち上がると、深く深く、頭を下げた。
    「ごめんなさい。私は、アナタに酷いことをしてしまった。そしてアナタのおじい様の名誉も、傷つけてしまっていた」
    「……顔を上げて、ベリンダちゃん。確かに、おじい様のしたことは事実だけど、君がそう言ってくれて、今、すごく嬉しいんだ」
    妖精たちに向けていた優しい、微かではあるが屈託のない笑顔がベリンダにも向けられた。
     視線が交わり、どちらからともなく手を差し伸べる。
    「改めて、よろしくね」
    「こちらこそ、よろしく。……ありがとう」

     二人の様子をにこやかに、穏やかな眼差しで見つめていたクロエが、やにわに口を開いた。
    「──さて。過去の後悔とか、そういう暗いものはとりあえず置いといて。ここからは、明るく輝く未来のことを話していこうじゃないか!」
    パン、という手拍子とおどけた声で、部屋の中で渦巻いていた雰囲気が霧散した。常ならば即座にそれを咎めるであろうベリンダも、シトリスも、クロエの調子が変わらないことに心のどこかで安堵の気持ちを覚えたのだった。
    「未来のことって、どういう意味よ?」
    「文字通りだよ。シトリスは、君のおじいさんが不当な評判を受けていると思ってるんだろ?」
    「もちろん。おじい様は確かに悪魔と契約したけれど、そこにおじい様の意思はなかったはずだ。僕も妖精さんたちもみんな、全部見ていたからわかる。おじい様は、嵌められたんだ」
    長いローブの袖口から、握りしめた小さな拳が覗いた。
    「で、ベリンダはシトリスに協力したいと思ってる。──よな?」
    「ええ、もちろん。私に出来ることならなんだって」
    力強く頷いたベリンダに、クロエは「そいつは頼もしいや」と呟く。
    「これは俺のよく利く勘だけど、この国は多分黒い何かを隠してる。具体的なことはまだなんもわかってないけどな」
    「それは、当事者の僕としてもずっと感じ続けているよ。おじい様は、悪意を持った誰かに死へ追いやられてしまった」
    「だったら、俺たちのやることは決まりだな」
    ふかふかのソファーから勢いをつけて立ち上がった彼は、二人の目の前で今日一番に挑発的な笑顔を見せた。

    「黒くて悪い大人たちに真実を暴露させてやるために──この国を、丸ごとひっくり返す!」

    「──」
    クロエの言葉に、二人は暫く言葉を失った後──。
    「いいね」
    「いいじゃない」
    それぞれ、程度は違えど不敵な笑みを顔に浮かべ、互いに拳を突き合せた。

     と、その時。
    「しとりすさまーっ! ついかのおかしもってきましたー!」
    小さな光が弾のような速度でシトリスたちの元へ突き進んできたのだ。
    「わっ」
    「きゃっ!」
    「おっと」
    三人のうち、猛スピードですっ飛んできた妖精は、一番手前にいたクロエに激突した。
    なんとか持ちこたえたクロエであったが、その弾みで黒ずくめのパーカーについた、これまた真っ黒なフードがぱさりと脱げてしまった。
     大丈夫、と声を掛けようとした二人は、フードの下から現れ出たそれに目を丸くして──。
    「……な」
    「何よそれ───っ!?」
    唖然として、それを指さした。


    「──とまあ、こんな感じだったよ」
    水晶が映し出す人の形をした影に、クロエは笑いかけた。その拍子に真っ黒な猫の耳と尻尾が、ぴょこぴょこ、ゆらゆらと楽しげに揺れた。
     ちなみに、彼が水晶の影に報告した内容の中に国家転覆の件は入っていなかった。
    それもそのはず。この会話の相手こそが、これからひっくり返そうとしている国の中枢を担う者の一人であるからだった。
    『……お前、自分の出自を話したのか』
    「そうだけど。別に隠すほどのことじゃないだろ。現に最初は驚かれたけどさ、すぐに二人とも慣れたよ」
    最終的に二人がかりで撫でられまくったことは伏せておいた。
     
     するりと伸びた二本の尻尾に、見事な三角形を描く両の耳。
     ユキ・クロエは、人の父と妖・猫又の母を持つ半妖である。
    『報告はそれだけか?』
    「うん」
    事も無げにクロエは言ってのける。水晶の影は深くため息をついた。
    『お前の役目はシトリス・コキュートスの監視。必要以上の干渉はお前自身の首を絞めることになるぞ』
    「ご忠告どうも。考えとくよ」
    『そう言って実際に行動に移した者を、私は今までに一人たりとも見たことがない』
    「はいはい。悪いけどお母さんは二人もいらないから、お説教はそこまでにしておいてよ」
    ひらひらと手を振るクロエに、再度深いため息を零した水晶の影は通信を切ろうとして──小さくちいさく、呟いた。
    『風邪はひくなよ、クロエ』
    「……切るね」
    三角形の耳でしっかりとその声を聞き取ったのち、クロエは水晶玉の台座に備え付けられたボタンを長押しした。
    「フン。嫌だね、ああいう手合いは。どう反応すればいいのさ」
    椅子の背もたれに身を預けて、クロエは長い足を組みながら考えた。
    (本当に、今更すぎるっての。それに、俺の決意はもう固まった)
    シトリスの笑顔を、暗い瞳を、ベリンダのかしましくも心地の良い声と、深く真摯な謝罪を思い出す。
    (二人の想いは、しっかりと理不尽に対してぶつけられなきゃならない)
    クロエ自身としても、明らかに黒い何かを隠す大人たちに一泡吹かせてやらねば、この国まで来た甲斐がないという気持ちがあるのだ。
    「下剋上、下剋上……『いざや参らん、下剋上!』……的な? うん、悪くないな」
    そのまま目を閉じ眠りに就こうとして──水晶越しの声が、頭の中で反芻された。
    「はーっ。おいおいおーい、俺ってばいい子ちゃんかよ?」
    深いため息をついたクロエは、投げやりな様子で勢いよくベッドに転がり込む。まっさらなシーツをぐっと引き寄せて、頭から被った。
     よく利く鼻でも、埃一つない清潔なベッドからは無機質な匂いしか感じ取れなかった。匂いがないというのは、落ち着かないものだ。しかしながら彼の中では、シトリスとベリンダと、二人と過ごした今日一日の心地よい匂いがずっと心に安らぎを与えてくれていたため、一瞬たりとも苦に思わなかったのだった。


    かくして、少年少女たちの下剋上は始まったのである。
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