始まりの卵雑炊目を開けると見知った天井があった。
カビで黒ずんだ少し高めのソレは、高専の地下にある救護室のものだ。スンと鼻を鳴らして匂いを嗅げば、悠仁の肺いっぱいによく分からない薬品と、鉄錆の臭い。あとメンソールのタバコの匂いもした。
少しだけ固まった体をベッドから起こせば、骨組みがぎしりと鳴く。
薄っぺらい寝巻きの上から刺された所を触ればすっかり肉が着いていた。体の穴は無くなっているえでも若干貧血気味。
「お、虎杖起きたか」
「家入センセ、」
「穴は塞いだ。後遺症的なのは感じないか?」
「とくに、ないっス」
「ならよし」
自分の体の異変を確認していると、家入がタバコの煙で遊びながらそう聞いていた。それに素直に答えれば、昨日はよく頑張ったとウィダーをくれた。鉄分を補ってくれるやつ。
悠仁はそれを貰って2秒で飲んだ。元気だ。
そんな悠仁を見て、家入は隈の酷い顏に苦笑を浮かべると、革張りの椅子から立ち上がって火を消した。ちゃんとフィルターギリギリのところまでスっている。
「起きてばかりで悪いがちょっとお話がある。着いてきてくれ」
「はーい、でも服だけほしいカモ」
「そこの予備からとれ」
「うぃっす」
指さされた引き出しからTシャツとスウェットを引っ張り出してすぐ着替えた。スリッパはサイズがなかったのでかかとがはみ出た。
薬品とヤニの臭いが充満した部屋から薄暗いカビの匂いがする廊下に出る。ヒンヤリした空気がくるぶしを擽って通り抜けた。
歩きにくいなぁと思いながら、家入の後をヒヨコみたいについて行く。何度か段差の無いコンクリートにつまづいたけど、家入は気にせずどんどん進むから悠仁は焦って着いていった。
「もう着く。転んで怪我をするなよ」
「はぁい」
暫く歩いていつの間にか廊下の突き当たりの部屋まで来ていた。窓にかかった遮光カーテンの隙間から室内のあかりと、囁くような声だけ聞こえてくる。
誰がいるんだろう。
悠仁がそう思っていると、ステンレスの扉が内側からがらりと音を立てて開かれた。そこには不審者スタイルの五条がニマニマしてたっていた。いつも通り、自信と呪力に溢れている。
「おっはぁゆうじー、お腹の穴ふさがったァ?」
「おはざっす。おへそ以外全部ふさがったよセンセ」
「そりゃよかった。あ、とりあえず入ってね。悠仁くんに大事なお話あるから」
そう言って体を横にずらして、室内に入るように促す。お邪魔しますと家入と共に入れば、そこには七海と伊地知もいた。悠仁の方からはカーテンで見えないけれど、ベッドにいる誰かと話している。
しかし、悠仁が入ってきたの見るとお疲れ様と話しかけてきた。それに悠仁も元気よくお疲れ様と返した。お腹に穴が空いていたとは思えない明るさで、五条以外の大人は眩しさに少し目を細めた。元気でよろしい。
「すっかり治ったみたいですね」
「家入センセイのお陰っす。ナナミンも元気そうでいいね!伊地知さんもゴメイワクお掛けしました」
「いいえ、虎杖くんのお陰で被害はだいぶ抑えられましたから」
実際、里桜高校の教員、生徒は特定のもの以外後遺症も何も残っていなかった。一生腕が動かないようになった奴もいたようだが、ソレは今まで振りかけたいた呪いがかえってきただけである。反省の色は未だ見られないようだが、命があっただけましなのだ。
ただ、校舎に対する被害は甚大で、何とかガス爆発ということになった。何かあった時のガス爆発。補助監督は爆発オチが得意だった。
「そんな事ねぇよ。俺のせいで、4人も死んだ」
「いいえ、死んだのは3人ですよ。」
「そーそー、生き残った男の子がいんのよ!」
そう言って閉じきっていた薄青のカーテンを五条がひっぺがした。プラスチック製のカーテンピンがバキバキ言って飛び散った。
そしてそこには病院着をきた黒髪の男の子がいた。髪は全部ピンでとめられて、まろい額には痛々しい火傷跡がある。
「じゅんぺい」
「ぁ…いたどり、くん」
「じべぇえええええええええええ」
人間姿の順平がいた。顔色は著しく悪いがちゃんと人間姿の順平がいた。
悠仁はスリッパが脱げるのも気にせず、七海も伊地知もおしのけてベッドにいる順平の顔を鷲づかんだ。体も変なとこはないかベタベタ触って、心臓が鼓動を刻んでいるのを聞いた。
順平も、自分で悠仁に空けた体の穴がふさがっているのを確認した。そして夢じゃないことを悠仁にほっぺたをつまんでもらって確認した。めちゃくちゃ痛かった。
順平はちゃんと生きていた。悠仁もちゃんと生きていた。
悠仁は泣いた。小学生1年の時うんていから落ちて足を捻挫した時より泣いた。順平に覆い被さるように抱きついておいおい泣いた。
順平も泣いた。幼稚園の時にコケて手のひらをを血だらけにした時よりも泣いた。被さってきた悠仁を抱きしめてえんえん泣いた。
「ぉおお、ぉえっ、じゅんべぇ、いぎっ、いぎでぅう」
「ぅっ、いだぉいぐん、ふぐっ、…ぼぐ、いてぅぅうううう、ぇええん」
大人たちはそれを生暖かい目で見つめた。びゃぁびゃあみっともなく子供たちを、優しい目で見つめた。そしてたっぷり10分は待って、脱水症状になる前になだめた。
伊地知が鼻セレブで鼻水をかませ、七海がふわふわのタオルで涙を拭って、家入が暖かいカフェオレを入れてやった。五条はゲラゲラ笑っていた。
「…ズュ、ご迷惑かけました」
「ぐじゅ……お恥ずかしいとこみせました」
「泣けるくらい元気になってって証拠だ」
「そうそう。さ、本題にはいるからもっかい鼻かんでね」
「ジュビーーーーー〜っ」
「ぷびゅ、びィ~~~ぶぷ」
「いや音やっっばww」
鼻汁ティッシュでいっぱいになったゴミ箱を片付ける伊地知を横目に五条は話し出した。
「悠仁が七海と呪霊をグラウンドで相手してる間に硝子が駆けつけてくれて何とか反転術式が間に合ったんだよ」
「そのお陰で順平はこうやって人間の形に戻ることが出来たって訳」
「でもねぇ、呪力の根源とも言える魂の損傷までは治せなかった」
「こればっかりは時間をかけて治していくしかないんだ」
「んで、治すのも年単位でかかる。最短で2年、最長だと死ぬまで」
砂糖を4個も5個も入れたカフェオレを飲みながら五条は真面目に話してくれた。話し方も呪術界を微塵も知らない順平に分かりやすく噛み砕いて教えてくれた。おかげで1人話に置いていかれることもなかった。
「さて、最も重要な治療方法なんだけど、」
「どんな方法なんすか?俺に出来ることならなんでもします!」
「うんうん、やる気があるのはいいけど1回落ち着きなね悠仁」
掴みかかる勢いで治療方法を聞こうとする悠仁の首根っこを七海が捕まえて五条がたしなめる。伊地知と順平はあわあわして家入はガムをふくらませた。誰も知らないはずの順平へトラウマの気遣いであった。傷を見れば女はだいたい何でもわかる。まあ、内心やに吸いてぇと思っているが。
「1番の治療はね、呪力の籠ったものを食べることだよ」
「食べる?」
「そう。損傷して足りないなら、外部から取り入れて補えばいい。一気には無理だから毎日少しづつね」
なあんだ、へえ、食べるだけじゃんと悠仁と順平は笑ったが五条以外の大人は顔を顰めた。
「ただ、そう簡単なことでもないんですよ。呪物を食べるにしてもリスクがあります」
「普通の食事に流し込むにしても、一から調理して呪力を纏わせる必要があるんです」
「そして、この高専にはまともに料理をしながら呪力コントロールが出来るやつがほぼ居ない」
非常に遠い目だ。ひとしきりやってダメだった時の目だった。
でも、悠仁は順平のことを諦めたくなくて、少しだけ大人たちに食い下がる。
「え、でも五条先生コントロールはピカイチじゃん」
「ただ、飯の腕はからっきしだ。消し炭だぞコイツの作った食い物。なんせボンボンだからな」
「ショーコだって人のこと言えないじゃん!全部塩っ辛い」
「ワタシは酒のあてしか作れん」
「え、ナナミンと伊地知さんは??」
「作ることは出来ますけど、コントロールの方が少し……呪力こめすぎてまな板ごと切ってしまうんです」
「私は逆に込められる呪力量が少なすぎて」
「ちなみに生徒にも家庭科っていう名目やらせたけどみんな全滅なんだよねー!まあ悠仁はまだやってないけど」
なんなら今やってみる?と、どこにしまってあったのか卓上コンロと割と大きめ鍋を持ってきた。材料は何でも持ってくるからやってみなよと笑いかけられる。
もう順平を治療できる最後の砦は俺しかいないんだと悠仁は腹を括った。
まあ、ひとまずはちゃんと呪力混じりのご飯ができるかどうかである。とりあえずご飯作ってみてと五条は冷蔵庫を指さした。
そこにはまあ普通の一般家庭のような内容のものが入っていた。何でも件の調理実習で使った材料の残りだそうだ。卵やソーセージ、ほうれん草にえのきとか。炊きすぎたご飯も冷凍庫に入っていた。
調味料も小さいが一式そろっている。しょうがのチューブや濃縮出汁もあった。
「うーん、ご飯と卵、あと出汁あるし卵雑炊作る!」
「いいねぇ、じゃあ頑張って」
悠仁は手をしっかり洗うと、鍋の中に出汁と水、醤油を目分量で入れて味を見たあと冷凍にご飯をそのまま入れた。強めの中火で煮込みながら木のスプーンで時々混ぜる。
この時呪力もちゃんと混ぜ込んだ。大さじ一ずつ、少しづつ入れるイメージでくるくる混ぜる。ついでに美味しくなってくれとおまじないもかけた。
汁が少なくなってきたら、一旦使ってないマグカップで卵をチャカチャカ溶いた。そして卵で今まで入れた呪力を包み込むイメージでお鍋の中に回しかけ、熱で固まる前に手早く混ぜる。すると出汁雑炊はあっという間に、ふわふわの卵雑炊になった。
部屋いっぱいに鰹だしのいい匂いが充満する。悠仁の手元をとみていたみんなの口の中にじわりとヨダレが湧いた。
「おぉ、ちゃんと綺麗に呪力まとってる」
「まじ?10点中何点?」
「10点超えて100点満点だよ悠仁!」
六眼で出来上がった雑炊を見た五条は感嘆の声を上げた。今までみんなが作ったご飯のどれよりも美味しそうで、暖かい呪力をまとっている。これなら、順平の魂の修復にもバッチリ効く。悠仁はそれを聞いて早速、お椀に1人分をよそって順平に差し出した。
「これ、食べればいいんですか?」
「うん。すぐ効果が出るはずだからパクッといっちゃって!」
「は、はいっ、いただきます」
少し少なめに掬ってふうふぅ雑炊を冷ます。適温になったそれをパクリと食べれば、優しいだしの香りが口いっぱいに拡がった。粒感の残るご飯をよく噛んでお腹の奥に飲み込めば、お腹の中がじんわり暖かくなっていく。一口もう一口と飲み込む事に体に足りない何かが満ちていくようだった。
五条も悠仁の呪力が順平の体、そして魂に馴染んでいくのがよくわかった。深く傷付いた魂を優しく包むように補っていくのがよくわかる。本当に少しだが、傷がしっかりと癒えている。
呪力や魂の形も見えない悠仁たちも、順平の傷が癒えていっているのがわかった。肌から感じる呪力が、少し熱を帯びている。
気がつけば、お椀の中身は空だった。米粒ひとつ残さず綺麗に食べられている。
順平の明らかに良くなった顔色と五条から貰った100点満点。悠仁はあることを決めた。
目の前で未だベッドにいる順平の手をあの時と同じように包むようにして握って立ち上がった。そして、腹の底から声を出しす。
「順平、毎日俺の飯食ってくれ!」
「へ、ぁ…はいっ?!」
「プロポーズじゃんwww」
「これなら最短の2年で治りそうだな」
目の前に顔を真っ赤にした順平が居る。周りには微笑ましいものを見るような目で、暖かく見守る大人たちも居た。その日から、悠仁は毎日呪力の籠ったご飯を順平に作ることを決意した。
そして、毎日を笑顔で過ごせるようにしてみせるのだとも。