Valentine's Day『ご搭乗の皆様、機長よりご挨拶申し上げます。当機の乗員を代表して一言──Happy Valentine's Day』
くあ、と、青年の口が大きく開く。すっかり寝入ってしまっていた自分に、少し驚いたように目を瞬かせると、掛けられていた赤いブランケットを、そっと隣の乗客に掛け直す。
青年の肩に頭を預けるように、もう一人の青年が眠っていた。珍しい髪色だと、目を覚ました青年は不躾にもまじまじと彼の寝顔を眺める。綺麗に頭の半分が黒髪、残り半分は白い。白髪の側だけをアシンメトリーに長く垂らした髪型は、どこか〝読めない〟雰囲気を醸し出していた。
(……眩しい)
小さな窓から差し込む光が、目に突き刺さるようだった。四分の一ほど開いたままのブラインドを閉めようと、青年が腕を伸ばす。しかし肩口で眠ったままの青年を起こさぬようにと伸ばした左手は、宙を掻くばかりだ。
──ガタンッ!
「ぅわっ、何ッ」
突然の大きな揺れに、すやすやと眠っていた青年が飛び起きる。
「っ、すまん、少し窓を」
慌てて身繕いする青年に、ふう、と息をついてから落ち着いてブラインドを下ろす。
「メンゴ、俺、寝ちゃってたのね」
「十二時間のフライトだ。肩を貸すくらい、大したことじゃない」
その言葉に、青年はようやく緊張を緩めて笑みを見せる。
「ジーマーでメンゴ。仕事上がりで、疲れてたのよ」
仕事上がり、の言葉にふと彼を見遣り、青年は目を丸くする。ブランケットの下に見えたのは、光沢のあるタキシード。流石にタイは外され、ウィングカラーは緩められているが、飛行機に──それも長時間のフライトに着用するようなものではない。
「仕事……フゥン、面白いな。タキシードを着てする仕事か」
「そ。着替える時間なくてねぇ〜」
ニューヨークから日本へ向かうフライト。仕事上がりに、タキシードを脱ぐ時間すらないスケジューリングで飛行機へ飛び乗って。なるほど、と青年が小さく呟く。
「日本には〝恋人〟に会いに行くのか?」
「………………」
突然踏み込んできた青年に対し、彼は曖昧に微笑んだまま、答えようとはしない。
「〝恋人〟は幸せ者だな。何日ぶりに会うんだ?」
「…………十一ヶ月ぶり」
思いのほか長い期間に、青年の眉がピクリと動く。
「滞在は、いつまでだ?」
「明日で終わり」
すぅー、と長く息を吐き出す。
「たった一晩のために、片道十二時間か。随分とロマンチックだな」
瞼を伏せて、本当に感心したように独りごちる青年に対し、彼の表情は読めない微笑みを形作ったままだった。
「参った! なんだ、その手札は! まさかワンペアで、そこまでレイズしていたとは、信じられんな、貴様!」
「そりゃあ、本職だからねぇ〜♪ ワンペアでロイヤルストレートフラッシュの顔をして、ファイブカードのときにハイカードの態度を取るのが、プロってもんよ」
先程までの緊張したやり取りはどこへやら、二人はすっかり馴染んで、笑いながらポーカーを楽しんでいた。周囲の乗客も、見目がよく愛想がいい二人の姿に、賑やかさを楽しみこそすれ、ネガティブな視線を向けるものはいない。青年──龍水が振舞ったシャンパンの効果もあるだろうが。
「凄まじいな。やはり本職はディーラーか? まさかとは思うが、心を読めるのではあるまいな?」
そう尋ねた龍水の言葉に彼が答えるより早く、スッと、通路側からハート型のキャンディが差し出される。深いボルドーのルージュがよく似合う、スラリとした美人のキャビンアテンダントだった。
「……Happy Valentine's Day」
「ありがと〜♪」
「ん、ああ……」
長い睫毛で綺麗なウィンクをして見せた彼女に、龍水はらしくなく曖昧な返事をして、それを受け取った。カードが散らばる座席の小さなテーブルの上で、スッとキャンディを奥に追いやる。
そんな龍水の姿を見ながら、彼──ゲンは、散らばっていたカードを集めて、鮮やかな手つきでシャッフルしていく。
「……そーね、心を読む訓練もしてるかな」
「たとえば?」
「自由が好きなタイプかな。人に使われる子の遊び方じゃなかったし、でもスーツを着てるから、たぶん経営者側じゃない? 若すぎてジーマーで自信ないけど」
自信がない、と言いながら、ゲンの表情はまるで龍水の方を試すかのようだった。どう見ても十代、よくて二十歳そこそこにしか見えない龍水に対して、大胆不敵な推察を並べていく。
「赤の他人に肩を貸してくれるんだから、親切なのは間違いないし、頼られるのが好きな方かな。ハート型のキャンディに対する反応は……」
言葉を切って、ゲンは小さく笑う。
「朝、パンケーキにシロップかけすぎてお砂糖控えてるって可能性もあるけど、違うんじゃないかな。問題は、ハートの形?」
ぐ、と息を飲み込んだ龍水に、ゲンはすらすらと言葉をつづける。
「ロマンスに嫌悪感を抱いてる? だとしたら、それは自分が抱えてる問題のせいね♪」
「…………優秀なディーラーだな」
「お褒めに預かり光栄至極〜♪」