1本、5本、13本、25本。 今日、俺の友達が結婚した。
初めて出会ったのはミドルスクールの教室だった。入学して最初のクラス、隣の席に座ったアイツは、子供ながらドキッとするくらいキレイな顔をしていて。思わずジッと見つめて固まってしまった俺の方を向いて「きょうからよろしく」と笑ったときには、目の前にキラキラと星が散ったような気がした。
なぜか妙に気が合って、すぐにアイツと仲良くなった。実は俺がしばらくの間、アイツを女の子だと思いこんでいたことは、墓場までもっていく秘密だ。クラスで一番可愛かったんだ、俺以外にもそう思い込んでたヤツはいただろうと思う。まあ、すぐにアイツも俺と同じくらいの悪ガキなのが知れて、夢見てたヤツはみんな正気に返ったろうけど。
バスケが上手くて、俺たちが同じチームになるとクラスではブーイングが起きたもんだった。あとは二人ともダンスが好きだったから、よく公園で練習したな。ヘッドスピンの練習で二人して傷だらけになって、親に叱られたりして。
それから、アイツが暗い顔をしてる日はバザールに連れ出して、すっかり日が暮れるまで一緒にうろついた。バクラヴァをどっちが安く買えるかなんてくだらない勝負をして、結局二人とも同じ屋台で同じ値段で買ってきて、勝敗はつかなかった。アイツは負けず嫌いだから、悔しそうな顔をしてバグラヴァに齧りついていたのを今も覚えている。アイツがアジーム家に仕えてるのは知ってたし、俺にも言えないようなことが、きっとたくさんあるんだろうってことは子供でも分かった。何もしてやれない、何も分からない自分が悔しかった。俺がもっと大人で色んなことが分かるようになれば、アイツにそんな顔をさせなくて済むのかなって、早く大人になりたいって星に願った。
結局、俺がアイツと一緒にいられたのはミドルスクールの間だけだった。アイツはアジーム家の使用人で、カリム様の従者だったから。俺は、ほんの数年――長い人生の中では、ほんの瞬きみたいな時間を、アイツと過ごしただけの人間でしかなかった。卒業式の日、「じゃあな」って笑って俺に手を振ったアイツは、泣きそうな顔をしていた。その肩を掴んで引き留められない自分の無力さに、拳を握りしめた。
お互いにお互いのメールも、マジカメも知ってはいたけれど、連絡を取り合うことはなかった。あのミドルスクールでの時間を、否応なく突きつけられる現実に上書きされてしまうのが嫌だった。きっとそれは、アイツも同じだったんだと思う。俺の勝手な想像だけれど。
アイツはNRCを卒業して、風の噂にカリム様の従者を辞めたという話を聞いた。それをひそひそと話すやつらはみんな、もったいない、有難いお役目なのに、って、まるで悪いことのように眉を顰めていたけれど、俺は少しだけ晴れやかな気持ちだった。帰りたくない、って俯いて呟いたガキだった頃のアイツは、きっともういないんだって分かったから。
それから一年、二年と時間は過ぎて、俺もそれなりに社会の中で生きる大人になった。そんな俺の元に、一通の封書が届いたのは、まだ寒い空気の中、健気な新芽がふっくらと緑色にふくらみ始めた頃のことだ。
春も間近の今日この頃 皆様いかがお過ごしでしょうか
このたび 私たちは結婚式を挙げることとなりました
つきましては 幾久しくご懇情をいただきたく
ささやかな祝宴を催したいと存じます
ご多用のところ まことに恐縮ではございますが
ぜひご列席をいただきたく ご案内申し上げます
レオナ ジャミル
手書きの流麗な筆致は、アイツの手によるものだとすぐに分かった。点の打ち方のくせが、あの頃と変わらないままだったから。
姓が書かれていないことには驚かなかった。アイツは、親族の一員であることより、自分でいることを選んだんだろう。アイツがそれを選ぶことができたことが、うれしかった。
すぐに出席の返答をして、その日が来るのを待った。輝石の国や薔薇の王国では、薔薇の見頃であるその季節に結婚すると幸せになれるのだと言い伝えがあるらしい。そんなロマンチックな理由でその日を選んだのか、それとももっと現実的な理由でたまたまその日になったのか。昔のアイツなら後者だろうけれど、もしかすると今のアイツは前者なのかもしれない。家族にも、俺にも、誰に対してもどこか線を引いていたように見えたアイツが、ただ一人の人と選んだ相手との、結婚式なのだから。
式は厳かに始まり、アイツは美しい白い絹に銀糸の刺繍がされた衣装で、幸せそうに微笑んでいた。隣に立つ男は、同じ白い絹に金糸の刺繍がされた衣装を纏って、アイツのことをたからもののように柔らかな目で見つめていた。
『病める時も、健やかなる時も』
そんな聞き飽きたような言葉が、今日だけは神聖なもののように思えた。アイツはこれから、あの人と生きていくのだ。もう、あの夕暮れの帰り道のように、どこに行っていいのか分からないと途方に暮れたような表情を浮かべることはない。その手を引いてくれる人がいる。そしてアイツもまた、あの人が戸惑い、足を止める日には、その手を引いて共に歩いていく。
「誓います」
そう答えたアイツの声が、まるで光の魔法を散らしたようにキラキラと響いて、耳に残った。
お約束のブーケトスのあと、アイツは俺のところへやってきて「来てくれてありがとう」と言った。
「おめでとう。お前が幸せになって、本当によかった」
そう伝えた俺に、少しだけ涙で潤んだ瞳で、アイツは微笑んで、それからゆっくりとあざやかな薄紅色に塗られた唇を開いた。
「お前と過ごしたミドルスクールでの時間を、俺は絶対忘れない。ありがとう。お前と出会えて、友達になれて、本当によかった」
バカだな。そんなこと、言わなくても分かってる。だって俺も同じだから。これから先、もう二度と会えることはなくても、俺はお前の友達だ。ずっと、俺の友達だ。
一人暮らしの部屋に帰り、テーブルへと紙袋の中身を開けて、ソファへ身体を預けて沈み込む。上等で品のいい白い皿と銀のカトラリー、そして焼き菓子の箱。飲んでばかりだったな、と、少しの空腹を感じて、もらった焼き菓子の箱を開けた。木の年輪のように見えるバウムクーヘンの一切れを、行儀悪く手でちぎって、口の中へと放り込む。外側の砂糖衣がサクリと心地よい音を立てる。
ジャミル。俺の友達。俺の初恋。どうか幸せに、あの人と幸せに生きてくれ。ついに最後までその手をひいて連れ出してやることができなかった俺の気持ちは、この日、ここに埋めてしまうから。
こぼれた雫ととも飲み込んだ焼き菓子は、あの頃に二人並んで食べたバクラヴァのように優しく甘い味がした。