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    ミズアワ

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    ミズアワ

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    平岩少佐と坂ノ上夫人の話。


    ※本編終了後捏造多し
    ※口調捏造あり
    ※坂伴みあります。

     格別、美人という訳ではなかった。
     太眉の物静かでおぼこそうな婦人に対して、平岩はそう思った。
     座卓に置いた遺品は去る三月に亡くなった同輩のものだ。万年筆にポマード。在りし日の彼を思い出させる所持品。最後の任を前に彼が上官より賜った酒は平岩が頂戴した。そして、遺書を一通。これは目の前に座る夫人に宛てたものだった。
     夫人は遺書を一読し「遠いところ、お持ちいただきありがとうございました」と頭を下げた。
     あのラジオを聞いてから、平岩の周囲の変わりようはめまぐるしいものだった。かの男が生きていればどのように思っていたのだろうか。あの放送から数週間経った今日も少なくなったがまだ蝉の鳴き声が木霊している。
     彼の戦死はすでに通達しており、かの夫人は平岩の来訪に涙を見せることはなかった。
     彼は、妻の話を一度もしなかった。時折、彼は最初の子とこの婦人と撮った家族写真を眺めていた。それをきっかけに声をかけても、ああ。とか、ふん。とかいった生返事しか返ってこない。見合い結婚だと聞いていた。二人目の子供が出来たとも。だがそれだけで、彼は家族に対して熱のある態度を見せることはなかった。
     見合い結婚などよくある話、形だけの夫婦など珍しくもない。宴席の後に男は女を買うし、それを奥も見て見ぬふりをする。だが、彼は商売女に触れることさえしなかった。だからこそ、この夫人に格別の情を向けているのでは?と平岩は考えていたが、今、当人を目の前にするとそれは違ったな。と確信した。
    「今後に関しては、いや、なんとも言い難い。しかし、もしお困りの事があれば、ご連絡下さい」
     あいつ、だなんて呼び合う仲では決してなかった。硬派な、しかし時々変にゆるくなる彼にささやかではあるが平岩なりに友情を感じていた。
    「お気遣い、ありがとうございます」
     頭を下げた夫人はそう言って、顔を上げる。化粧っけのない活気の薄い白い顔。本当に彼女が彼の妻なのか、平岩は次第に不安に思えてきた。俺がここに来るまでに彼女の彼に対する涙はもう枯れてしまったのだろうか。
    「平岩……少佐」
     お願いがあります。と彼女は言った。
    「は、私にできることならばなんでも」
     座卓越しに向かい合った夫人は、握手をなされたことはありますか。と平岩に聞いてきた。
    「握手ですか」
    「えぇ。夫と、坂ノ上と」
     彼女はそう言って、膝の上に乗せていた手をすっと座卓の上に現した。整えられた爪、柔らかく、マメなどできたことがなさそうな指、ほっそりとした手。女の手だ。
     夫人は伺うように黒い瞳で平岩を見上げてくる。その目に平岩はしどろもどろになりながら、最後に征く前に握手をしたと思い出し、はい。と返事をした。
    「手を、貸して頂けますか」
    「手、ですか」
    「はい」
     平岩は未だ脱げない第三種軍装の袖を持ち上げ、膝の上で握り締めていた手を開いた。夫人はふっとあの女の手を平岩の手に重ねてきた。
    「なっ!坂ノ上夫人」
     想像していた彼女からかけ離れた、大胆なその行為に平岩はわっと声を上げてしまった。何も言わず、夫人は平岩の手の甲からまるで水滴が伝うようにゆっくりと指を滑らせ、武骨な平岩の指に自身の指を絡ませてきた。別の肌のぬくもり、湿ったやわらかな女の手。
    「夫人、なにを」
     平岩は驚いていた。まさか、この夫人が!?こんなことを?
    「夫とは、手も繋いだことがありませんでした」
     夫人はそう言うと、なるほど。と納得したように呟いた。ぎゅっと握られた手に力が籠る。
    「お体と一緒で硬いものなのですね」
    「は、はぁ」
     変な気でも起こしたのかと思った平岩は肩から力が抜けてしまった。
    「あの人とは、そういったことは一度たりとも御座いませんでしたから」
    「失礼ですが……ご子息がいらっしゃるではありませんか」
    「あの子らは……ご無礼をしました」
     言い淀みながら満足したのか、夫人の指は離れていく。紅を引いていない唇がいやに赤く見えたのは気のせいだろうか。夫人の手は彼女のもんぺの膝に戻っていく。
    「最後まで、よく分からない夫でした。私が嫌いとか邪魔だとか云う訳でもなく。そうでなければ二人も子供なんて作らないでしょう。かと云って、他の女性に心を渡していた訳でもなく、白粉を襟に着けて帰ったこともなかった」
    「はぁ」
    「平岩少佐がご存じでしても、なにもおっしゃらないでください。これは、私の小さな仕返しです」
    「仕返し」
     オウム返しに聞いた平岩に夫人は「えぇ」と呟いた。
    「私が、ただ夫の帰りを静かに待つ妻なんてものじゃないという」
     夫人の目は少し濡れていた。


     一つ、思い出したことがある。先の春、桜が咲くか咲かないかの頃。最初の特攻を見送ってからその噂を耳にした。
    「最後、坂ノ上少佐は軍刀を伴にやったんだ」
    「嘘を吐け。あの軍刀を少佐が伴になんかにやるわけないだろう」
    「だって、俺、見たんだよ」
     曰く、坂ノ上少佐とある一飛が“恋仲”だったのではと。
     馬鹿らしい、あの男がそんな事するか。と思った。噂は桜吹雪のようにすぐになくなったが、今思えば、思い当たる節がある。
     素行不良、問題ばかり起こす一飛をどうやら快く思わなかった上飛曹連中で“仕置き”をしたらしい。身を汚された一飛の返り討ちは成功せず、重営倉送りとなった。あの辺りからだ。深酒をして、一飛の名前を呼びながら闊歩していたとか、特攻が決まった日、あの鉢巻き頭を追いかけ回していたとか。
     ただ、あの噂の芯たるところは、坂ノ上少佐が軍刀を手放した。ということだ。
     彼はあの軍刀を終始持ち歩いていた。まるで彼の分身の様に。剣道の上手い彼のトレードマークでもあり、良く似合っていた。だが、片時も離さなかったその軍刀をあっさり征き際に手離したのだ。それも、あの、彼とはなんの縁も所縁もない青年に。
     もしかしたら、あの噂は本当の事だったかもしれない。それならば、納得がいく。なぜ、あの青年でなければならないかは分からないが。だがもう、何もかもが分からない。自分の信じた正義や国ですらこの様だ。
     しかし、なぜ、今思い出したのだろうか。強かな夫人の事を思ってか、はたまた……。
     いとまを告げ、屋敷を出た平岩は西に行こうとする陽の一際強い輝きに軍帽のつばを正す。
    「あ!」
     幼い声に平岩は振り返る。
     そこには幼子がひとり、立っている。太い眉は父親と母親ゆずりか。
     幼子は平岩の姿を見て、敬礼のしぐさをする。

    ――貴様、坂ノ上、生きていればなぁ。

     平岩は幼子に倣い敬礼を返し、今すぐに妻と子の元に駆けていきたくなった。


    *
    *
    *
    *

    7話の宴席で坂ノ上の隣に座っていたのは平岩少佐だと思っているのですが(おもっくそ商売女抱いてる……)、彼の8話の「妻を抱きたい 息子と思い切り遊びたいよ」というセリフをみると、こう、なんとも言えない人間の二面性を感じます。(時代によるところもあると思いますが)
    そんな彼が、坂ノ上家に坂ノ上の遺品を届けていたらと思い書いた話です。
    むろん、坂ノ上夫人の心情は作中でも描かれていないので分かりません。それでも、強かな彼女を書きたいと思いました。
    できれば、戦後、大変だと思いますが、坂ノ上夫人には強く強く生きて欲しいと思っています。
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