あしびきの久しく口にした名は舌触りがよく心地よかった。ああ、こんなにも口ずさみやすい音だったのかと今更ながら気づく。
そうだ、名前を呼ばれたのだ。もう暫く呼ばれてはいない名前を。己を呼ぶ嫋々とした声の優しく温かなことを。
まどろみの記憶は遠い日々のものであったが、思い出したそれには悲しさよりも懐かしさを感じていた。
唇を動かし、もう一度懐かしい名を呼び、瞼を開く。
朝靄が消えていく湖畔を見た。さざ波が立った瞳は怯えていた。しまった。と己の手落ちを後悔したが後の祭り。宙を伸ばしていた手の動きは淀み、そして何も掴まず握らず触れずに膝の上に戻った。開いていた唇はきゅと引き結ばれる。
いつの間にか縁側で眠っていた体を起こした元柳斎は座して控えていた雀部を見やる。どこかぎこちない表情で青年は微笑む。
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